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(我慢できずに番外編^^)

一応(^^;最終回? 不快感を堪えてのお付き合い有難うございました(^^) 2007/10/19
M下君のお中元その4 2007/09/23
M下君のお中元その3 追伸 2007/08/28
M下君のお中元その2 斜滑考バージョン 2007/08/26
粗悪品その2 取り合えず板のRが正常値に戻ることを期待します(^^) 2007/05/25(6/8修正)
粗悪品万歳ってか? この際だから思いっ切りヒンシュクを買いますか(^^; 2007/05/06
驚きの選考結果 スケートに次ぐジュード・・・・この驚くべき選考結果 2007/04/09
スノーボード技術選 そのウエルカムとは思えない歓迎態度についての考察(^^; 2007/03/20
股遭難騒ぎ(;;) スキーツアーも・・・・・? 2007/02/17
基本の再確認 成り立ちの仕組み 2007/01/31
回旋動作とは もしや「ヒネリ」のことでワないでせうか^−^? 2007/01/26
一応終回(^^)
2007/10/19

2000年にこのWebサイトを開設以来勝手なことを述べてまいりましたが、S○J今日逝く本部やS○誌の皆様に、次のことだけはお願いして、ひとまず「斜滑考」はお仕舞いにしたいと思います(直滑考は続けます)。

これまで随分寒心感心させられ又笑わせていただきました 「コンフォート、チャレンジ、2軸、水平面、トップコントロール、テールコントロール、落下」・・・・最近の極めつけは「内足を軸に外スキーを動かす」等々・・・・・・その他シコタマの力作+補記類用語←(とてもスキー用語とは書けない^^)の後に、是非
「(の)つもり」と付け加えてみてださい。
そして、それらが実は客観を装った主観的方法論の中のほんの一つに過ぎなかったということを、自(S○J今日逝く本部やS○誌)他(信者)共に認めることが出来れば、「そういう考え方もある」と言う意味で、これまでの疑 偽 欺術論はそのまま技術論に変わり、『「谷回りはカットします」それは「構造が異なるから(多分ターン運動の^^)」等の、常識的スキーヤーには到底理解し難い言い訳をしなくても、全てが目出度く解決するのでワないかと思います・・・・・ん(^^;?。



しかし、しつこい様ですが「内足(脚)主導&荷重云々」を核とする諸々・・・・・これだけはいただけなかったな〜。

2007年○J誌8月号の記事では、「内足操作や上体の使い方などは、すべて外スキーの機能を引き出すためのものなのです←往生際が悪いという意味で(笑)などとイケシャーシャーと述べていて、散々スキーヤーの上達を阻害し、脚を引っ張り、そして何よりも罪深いのはスキーヤー同士の軋轢を生んだことであり、その「内足主導云々」から、どうやら何の謝罪も無く撤退する意向のようです。


シーハイルッ!!!!!!!!!!!

M下君のお中元その4
2007/09/23


一般的に指導員と言う立場からの技術伝達と言うのは、自身が経験したことや自然の摂理に則った現象(客観的事実)を、主観的表現を使って相手方に伝え、受けて側にそれを自分が伝えたい客観的事実として再現してもらうことだと思っているのですが、そのためには伝えるべき対象に応じて千差万別ありとあらゆる主観的表現を駆使することになります。

彼らをして何故詐欺師と呼ばしめるのかと言えば、彼ら本人達がいみじくもゲロしちゃっているように、私見=妄想 を現実にはありえない客観風に仕立てようとしているところなのです。

例えば・・・・「2軸」を例に挙げても、それはイメージの世界でしか無く、したがって人間の重心の位置を正確に言い当てられないのとは別次元で、軸の存在は誰も客観的事実として示せないからです。つまり、「2軸」と言うのは完全に主観的表現と言うことなのです。
但し万一(^^)それをイメージして上手に滑られるようになれば、それはそれで良いし、軸のイメージ無し(私)でも不自由なくスキーが楽しめるのであればそれもまた良いのです。

彼らが決定的に悲惨なのは主観を客観だと言い張る愚かさなのです。
力学風ゴタクを述べるのなら、少なくとも中学生レベルの力学なり物理学を正しく理解してからにして欲しいものです。
それと、中央研修会の惨禍メンバともあろうお方が、イカガワシイナ委員会で自分達のジャッジに意見を述べた人に対して、冗談でも「焼きいれてやれや」なんて下品な言葉を使っちゃいけませんね。ビデオも回っていることだし(^^)

つい先日、社会保険庁職員の横領着服疑惑に関してのお詫び会見で、担当者が「着席させてください」と言うべきところを、思わず「着服させてください!」と口走ってしまって、サスガの記者達も固まった一件に比べれば可愛いものですが、それにしてもS○J今日逝く本部上層部(笑)の逝き具合を垣間見た気がして、ホラカワやイ○ノの妄想理論以上に、少なくともDVDを見る限り、「今日逝く」という部分に携わる人間達が、救いようのない「政治的判断」が出来る精神構造になっているのは事実のようです。



M下君のお中元その3(追伸^^)
2007/08/28

暇になったのでもう一度一人でDVDを見てみました←バカですね(^^;
忘れていた訳ではありませんが、ホラカワ師が「ターン運動の仕組み」なるものについて、延々と意味不明なゴタクを並べられた後、「谷回りはカットします」それは「構造が異なるから(多分ターン運動の^^)」だと言っていました。

谷回りをカットして山回りだけでターンを連続するということらしいのですが、この常人には絶対不可能な滑り方を、飼いイヌ達はギモンストレイタの超人達はオカルトパワーを駆使して見事に演技していました。

一方でイ○ノは、山回りの途中から、それもなるべく早期に谷回りを始めるのがナウイ(^^)といったような、つまり、出来ることなら全部谷回りだけでのターンが「エライ」と言うような意味のことを、これまた嘘つきに特有の、あるいは自信が無くなると同じ語句を2〜3回位続ける特徴的なしゃべり方で述べていました。

イ○ノの凄いところは「山回りの終了以前に谷回りを始める」という部分です。
ご丁寧に図入りで説明しているのですが、ターン弧が山回りの曲率半径のまま、後半部分を谷回りにしてしまうあたりは老婆心ながら、やはり麻小竜並みに精神科医の診断を受けられた方がよろしいかと思います。

普通漫才はボケとツッコミで成立つのですが、この漫才師は両方ボ○ていて、さらに観客も全員総ボ○なもんですから、もう傍目には悲惨でもあります。
彼ら(特にイ○ノ)が過去に述べてきたオカルト理論との整合性は当然皆無であり、これ程の論理的破綻を目の当たりにしても、参加者達からの質問が皆無だったのは凄いことであり、そしてある意味では当然でもありますね。何しろ日本語にさえなっていない演説が終わると拍手までしていましたから(−−;。

このDVDを見た自分もエライ(^^)ですが・・・・・(とは言っても全部は見られませんでした)・・・・、なにより編集した人もエラければ、延々と撮り続けた人もエライ・・・・と言うか、その忍耐力には頭が下がります。

本当はあまりにも馬鹿げていてコメントする価値も無かったです・・・ついでにイカガワシイナのエラソーな過多が、欺術選の判定について抗議があった件で「ナメラレタ!」と憤っていましたが、それこそあんた何様のつもり?(^^)ってとこで、これはこれで笑えました。
いずれにしても終わりましたねS○J今日逝く本部。

いまは・・・・M下君有難う!・・・・・そして シーハイル!! とだけ言っておきます(^^)


M下君のお中元その2(斜滑考バージョン^^)
2007/08/26

直滑考「M下君のお中元その2」より続く

何かの目標があり、それを達成しようとする時、大抵の場合はまずそれを可能にする為の「原理原則」とは何かを考えるのが普通だと思いますが、ホラカワやイ○ノ達の言う「従来とは違う」部分がいったい何に対して有効なのか、そしてそれをもって何を達成するのかを明確にしないまま技術論らしきゴタクを羅列するだけなので、S○J中央研修会の様子をDVDで見る限りでは、多分「従来と違うこと」こそが彼らの毎年の目的(目標)なのだと理解しました。
そして意味不明且つ虚ろな言葉の羅列を精一杯好意的に解釈してやるとしても、それはまったく思った通りの展開なのでした。

今日逝く本部の仕事はスキーの基本と、それを踏まえた基礎的な技術を周知させることだと思っていますから、基本は例えばアルペンレースでタイムを詰める上での合理的なスキー操作を可能にしたり、あるいは悪コンディションでの快調な(^^)滑走を可能にするものでなくてはなりません。
勿論基本は普遍ですから、ある瞬間ある人がどういう格好でターンしているか?なんてこととは全く関係の無いことですし、ましてや野球選手云々なんか論外。

先ず笑えたのはホラカワの説明に従ってギモンストレイタが実演する訳ですが、準備万端整えて教祖サマからの指示を仰ぎ待つ(^^)様子が、御主人の指示を待つイヌのアジリティーでの様子みたいだったことです。
「骨盤(腰のことだと思います)を常に板の進行方向に正対させて滑る」という、はなっからイカレた無駄話がさらに無駄に長くて、何度もスタートを仕切り直しをしていた様子だけでも充分笑えました。

ホラカワは内足始動とも言っていましたが、見た目には単なる内足の外エッジを引っ掛けてターンの始動をするというもので、当然ワンターン目はシェーレン状になりますが、ツーターン目以降は外足からターンの始動していました。つまり板はプルーク状になってしまったと言う訳です。
ホラカワの仰る内足始動である限り、絶対にプルークになる瞬間は無いのですが、百戦錬磨の??ギモンストレイタにしてからがこのアリサマですから、お言葉を具現出来ないギモンストレイタにホラカワ教祖様の痛く「ムッ」としている様子が画面を通してヒシヒシと伝わってきました。

さらに「骨盤を板の進行方向に正対させて滑る」と言う件の実演では、これも速度の遅いスタート直後の数ターンはさすがにイヌ並みに訓練されているギモンストレイタですから、上手に腰を回し込んで演技していましたが、ある程度速度が乗って迅速な切り替えしが要求される場面になると、逆ヒネリを利用したバインシュピール技法になってしまいました。
ここでもホラカワ教祖様は「ムッ」とされていました。

この事実からも、腰を板に正対させて滑るというのは、あらゆる状況を経験して合理的な滑り方を身に着けてしまったスキーヤーにとっては所詮無理な要求で、それは百戦錬磨のギモンストレイタでも同様なのです。

つまり、スキーを使ってある目標をクリアする為には、最低限バインシュピールを会得しなければならないということを、図らずも飼いイヌが実演でゲロしちゃったと言うことなのです。ク〜ンク〜ン(^^;。

その他にも斜面を斜めに突っ切る「斜滑降」を「シャコウ」と言っていましたが、「シャコウ」を漢字でどう書き、何故そう表現したのかの説明はありませんでした。勿論参加者からはそれについて解説を求める質問も無しです。
「車高」か「社交」か「遮光」か「斜光」か「斜坑」か、マー好意的に解釈してやるとしても「斜行」か「斜降」のどちらかでしょう。まさか「斜考」では無いと思います。

実演では「斜滑降」も「シャコウ」もどちらも全く同じ斜滑降でしたが、ホラカワの怪説では骨盤を水平に保たなければならないらしく、初心者が初めて経験する斜滑降の様子をギモンストレイタは山側の板に体重を乗せて忠実に再現していました。サスガですね(^^)・・・・・・ヴォケッ。

何人参加していたのかは知りませんが、大きな拡声器を使っていましたからきっと大勢居たのでしょう。にもかかわらず会場は「シーン」と水を打ったような静けさで、とても不気味な雰囲気に包まれていました。

DVDは某国の紙幣偽造やその他しこたまの、人を騙すことに何の罪悪感も覚えない偽物製造現場の人々・・・・って知りませんが(^^)・・・・と同質の、ヘドが出そうな気分になってしまいました。

この研修会に参加されている皆様は多分上手なスキーヤーだったり、たいそうな肩書きをお持ちの方だったりするのでしょう。そしてこの会に参加できること自体がステ痛いッスだと思っているヴォケ方も沢山いらっしゃるのでしょうね。
しかしどのようなメッセージも、誠実というキャリアに乗せてこそ相手方に届くものだと思っていますから、スキーヤー以前に人間としての誠実さを欠いているという点で、無言で見ている参加者達だってその意味では共犯者と言えなくもありません。

「ところでナンバはドーなったんでしょうね?」とH田(エッチダ)さんに訊いたら、エッチダさんもホラカワイチノの漫才コンビにはナンバ花月並みに笑わせてもらってますと、暑さでモーローとした目付きで訳の分からない怪答をしていました?。

なにもかも笑わせてくれますが、この中央研修会の内容は勿論二人の恣意的な概念に拠るものですから、徹頭徹尾私見以外の何物でもないのに、イ○ノもホラカワも自分でさえ何しゃべっているのかわからなくなると、時々「これは私見ですが」と前置きをして、さらに意味不明な誤多句を並べてドツボにはまっていく様子は哀れでもあります。そんなですから常人には理解出来ないのは当然ですね。

そしてどんな小難しい講釈をタレても、タイコ持ちギモンストレイタによる実演は、下手クソに見える演技に磨きがかかった点を除き、従来と全く変わらないのが妙に泣かせます。

簡単に言えば、この研修会の基調は従来同様「バインシュピール注^^の否定」ですから、もしこれを真に受けるようなことがあれば、タイムの短縮も、悪条件での快調な滑走も遠退くと断言しておきます。

人間がスキーヤーになっていく過程には沢山の困難があり、克服するためには時間が必要であり、それゆえに様々な方法が試されて然るべきだと思っていますし、生涯懸けて途上と言う意味ではそれこそがスキーなのかもしれませんが、イカレた理屈に振り回されて、いつまで経っても思い通りに滑られないのとは意味が違います。

冒頭に書いた「思った通りの展開」とは、実演は従来と変わらず、解説だけが意味不明な度合いを深めていたということで、結局推して知るべしの内容でした。


注^^: バインシュピールはターンマキシマムに現れる外向と、その捩れ戻りを効果的に利用し続けるために必要な構えの一つとしての外傾が特徴的ですが、ターン開始から谷回り終了付近(^^)までに現れる内向内傾も、捩れ戻りを利用していると言う点で勿論バインシュピールなのは言うまでもありません。

もうちょっと踏み込んで「捩れ戻り」について述べるとしたら、どこに捩れ戻りが発生するのか?が気になりますが、足首から首の付け根まで散らばっていると言っておきましょう。間違っても骨盤では無いです(^^)
この様子はバネの一種トーションバー(直訳:ねじり棒^^)に似ています。


後日エッチダさまから以下のようなコメントいただいています。

デモが狂祖様の教えどおりに滑ろうとしながら、バインシュピールっぽくなっていた点については一種の安心感を覚えました。
2008年度のS○J方針; ・踵荷重(で、浮いてしまったつま先で無理矢理トップコントロール?) もしかして暖炉の上に置いてあったジャッキは「’08SAJ踵荷重特訓マシーン?」 そんな筈ないですよね。
仙蝶関節おっぴろげ(解剖学的にも困難至極) ・腐れ生卵的重心制御がどこまで末端に伝達できるか楽しみです。
この冬も是非、アルピーヌに宿泊し、吉本新喜劇以上に笑わせるDVDを見せていただきたいと思います。




粗悪品その2
2007/05/25(6/8修正)

前回の「この際だから・・・・」の「この際」って言うのは、この地域では大地主であり、中規模の立派なホテルを経営していた幼なじみの友人が破産してこの地を去ってしまった・・・・という出来事があったこと。
スキー産業がどんな事態になろうと、○○家がまさか破産するとは夢にも思っていなかったから、この一件は実にショッキングな出来事だった。

冷酷なようだけれど、破産の原因の大部分が友人の責任であるのは当然としても、同じ様な問題を抱えている同業者も少なく無いだろうと思った時、そう遠くないうちにスノースポーツの業界に終焉が訪れるのだとしたら、何もしないまま座して死を待つより、好転の可能性を探る上での一つのマターとして、このWebサイトではスノースポーツのマジョリティーたるスキー、それも「わが国におけるスキー界を統括し、代表する団体」と豪語して憚らないS○Jのあり様を中心に問うて来たのだが、前回はいよいよ大切なお客様であり、我々関係者の生活を支えて下さっているスキーヤーの皆様に向けても、挑発的な内容を書くことになってしまいましたm(・・)m。

死亡に至るような事例は少ないにしても、スキーは決して安全では無いし、スキーをすることによって発生するリスクは、日常生活とは比べようが無い程高まるのは事実。
それが証拠に、連日パトロールが扱う怪我人だけでも、その数や内容を調べてみれば如何に多いのかが理解出来るだろうし、所謂普通の人が行うスポーツの中でも、スノースポーツは傷害発生の可能性は高い部類に入ると思う。

怪我が嫌なら最初からやらなければ良いのだが、それを圧してまでやりたくなる意味とは一体何なのかを、実は未だに見出せないままでいる。
但しその意味が転がっている可能性があるとしたら、多分箱庭のように至れり尽くせりに整備され、不自然に媚びた環境で無いことだけは確かだろうし、安全を念仏のように唱え、資格のでっち上げとその販売を生業とし、100年も^^?の間「ターン運動の仕組みは?」なんてお題目から脱せ無い今日逝く本部の、毎年カマされるうんざりするようなゴタク(研修会テーマ)にも、そのヒントがあるとは思えない。しかし、視点をちょっと変えるだけで安全に楽しめる術は勿論ある、それも高い確率で。

何かの議員の立候補者達が「今こそ政治を変える時」とか「新しい政治を」とか「発展を」なんてセリフを、選挙の都度に何十年も何百年も^^使い続けて恥とも思わなかった結果、例えば・・・「発展」や「進化」の名の下に何かが変わっているとしたら、それは環境も物も精神も、およそ文化と呼べそうな全てが醜く粗悪で粗末なシロモノに変質しつつあるような気がしてならない。

今から25年前、宿屋の規模(八方尾根スキー場の)に関して同業者と議論をしたことがあり、自分は「発展」や「進化」や「経済成長」や「進歩」やそれらの類について、「程々が良い」と言う様な趣旨の発言したら、同業者には「経済の原則は右肩上がりが基本であり、程々は人によって違う」と言われ、「ナル程^^」と、納得と呼ぶには程遠い無力感に襲われたのを思い出した。

節操の無い欲のなれの果てを示唆している点で、三つの願い事を叶えてくれると言うおとぎ話”猿の手”は秀逸だと思うが、それをを地で行くような話が身近でも、また地球規模でも頻繁に起きるような時代になって、本当はヴォケに付き合ってる暇なんかこれっぽっちも無いのだが、残念ながらS○Jの直接的間接的な影響力はとても大きいから、一概に無視する訳にはいかないので、ここは一つ関係各位には是非もう一度初心に帰ってその存在理由を思い出して欲しいと切に願うものだ(笑)。

ちなみに、S○J寄付行為、 第2章 「目的及び事業」 の第3条には
「この法人は、わが国におけるスキー界を統括し、代表する団体として、 スキーの普及及び振興を図り、もって国民の心身の健全な発達に寄与することを目的とする」(原文のまま)・・・・とある。
・・・・・・ほんとですか???。

話は違いますが、粗悪品ついでに(^^)・・・・
テレビメディアも、時々しかるべき季節になると激安ツアーとか激安旅館とかの番組で視聴者を煽りますが、例えば激安パックスキーツアーを受け入れた側(交通機関、宿、リフト会社、貸しスキー店、食堂等々)が、それによって幸せな気分になったと言う話は聞いたことが無いし、激安で得した筈の肝心のお客様からでさえ不満の声が聞こえてくる始末。
関係者の誰も幸せな気分になれない旅行って一体ナニ????。・・・・・とハゲしく思う今日この頃。
但し例外もあって、スキー修学旅行だけは○○方が幸せになると言う話はよく耳にしますから、この国の基盤である人材を育む立場の人々の中にはユニークな方も居て、なかなか愉快ではあります(泣)。

その成果が連日の忌わしかったり、お粗末過ぎて情けないのを通り越し、唖然の領域に踏み込んでしまったニュースに現れているようないない様な・・・・・。


粗悪品万歳ってか?
2007/05/05
今シーズンも八方尾根スキー場は対前年比10%以上の落ち込みが決定的になったみたいだ。
皮肉なことにオリンピック開催を契機に、ここ10年位同じ様な傾向が続いているのだが、そんな中でも、すぐ隣にある五竜遠見や栂池高原スキー場は、今年は逆に10%以上好調だったらしいから、この結果を単純に雪不足や景気のせいにすることは出来ない。

近隣のスキー場に比べて著しい落ち込みの原因は、リフト料金やソフト面、あるいは老舗と言われるスキー場に共通の補機的な機能に問題があるのだろうことは、ヒョータクレのセンセー方に指摘されるまでも無く、文字通り痛いほど理解しているつもりだ。

しかし例えそうだとしても、肝心のスキー場本体に関しては、スケールやコースバリエーション等々、どれをとっても他の追従を許さない日本で最高のスキー場であることに間違いはないし、スキーをスポーツとして捉えた時、そのタフさにおいてアスリートの限りない向上心を余裕で受け止められる唯一無二のスキー場だと言い切っても良い。

にもかかわらず、ブッチャケ^^多くのスキーヤーから敬遠されてしまったことの理由は、近隣スキー場のパック料金が常軌を逸した低価格と言うことはあるにしても、S○J今日逝く本部の詐○師達によってでっち上げられたクズみたいな理論によって、至れり尽くせりの平滑に均された緩斜面でしか遊べないスキーヤー?が大量生産された結果なのだということも又事実なのだろうと思う。

つまり”労せずして乗れ、スキーをした気分になれる”その精神性においてガラクタのようなスキー、どこの観光地にも氾濫している土産と称する粗悪な商品、一回洗えばクタクタになる質の悪いTシャツ、一度使えば二度と(使う前からか?^^)使う気が起きない100えんの道具、そんなものでも買う人が居て、お店の人はそれなりに食べていける国だから、スキー技術がお手軽な粗悪品になったからといって、そう目くじらたてることも無いのだろう。

しかしそんなことより深刻なのは、従来正しいと信じて疑わなかったものがどんどん崩壊して、漠然とではあっても、それなりに存在していたと思われる世の中の規範(信頼性?)が失われていくような気がする中で、価値観の平衡感覚を失いそうになりながらも、辛うじて精神の拠所になり得るそう多くはない確かなものの一つとして、だからこそ生涯かけて取り組むべき価値は十分あると信じるに足るスキーライフが、一人の詐○師とタイコ持ち達によって粗悪品にさせられたんじゃタマンナイッツー訳デス。

”楽な生き方を選ぶ”ひとは”困難そうに見える斜面(スキー場)は敬遠する”ようになるだろうし、その意味では詐○師の思惑は成功したと言えるだろう。
そして何度自問しても単なるセンチメンタリズムとは言い切れないスキーの精神性も、この詐○師達によって大きく傷つけられたことは疑う余地が無い。

その結果、ク○の役にも立たない欺術論が蔓延り、上達を阻害されたいたいけなスキーヤー達が、所謂ぬるま湯の様なノッペリとした斜面(勿論チョー個人的な感想^^)で、骨盤の角度や重心の移動に腐心するようになってしまったことは、何の為のそして誰の為のスキーなのかを完全に忘れているかのようだ。それは個々が自身に掛けたコストに見合ったものかどうかをアタマを冷やして考えれば簡単に分かることでもある。例によってヨケーなお世話ですが・・・・(^^;。

今シーズンの少しばかりの救いは、内足信仰から脱して漸く外足に風向きが変わりつつあるような気がすることだ。
だからと言って、保身のためには黒を白と言わされて恥じない連中・・・・欺術淫とか出喪!君達のことだよ・・・・が、君達の肩書きに憧れ、出来ることならその地位に近づきたいと願う真面目なスキーヤー達に対して、如何に詐欺的であり誠実さを欠いていたかを、遅ればせながらでも「やっぱ黒は白ではなかったデス」と、もし^^気づいたならば、そしてタマタマ先日見たテレビ番組の”クイズヘキサゴン”の無知を晒し切って恥とも思わない一部怪答者達との違いを明確にしたいのなら、再び姑息な手段を使って”内足主導云々・・・”をうやむやにしたまま、「ヤッパ外足荷重が正しかった」という当然過ぎる結論に持っていく為の、何か意味ありげな気持ち悪い手の平の返し方を考える前に、潔く謝罪し、失われた10年のオトシマエをキッチリつける(何故詐欺理論が考え出されたか等々、検証作業はシコタマある筈だ)ところから出直すべきだろう。

そーして頂かないと、タフで圧倒的で味わい尽くせない程のスケールを持つスキー場でのスキーが、どんなに感動的なのかも知らないまま、スキーライフを閉じてしまうスキーヤーが居るかもしれないかと思うと、あまりにも勿体無いからだ。


宮崎県の知事に会いに行くツアーが人気だとメディアは報道していた。
これだけを取り上げてもメディアの力は凄いと思う。その気になれば流行なんか簡単に作ることが出来、それに易々と乗る人達のなんと多いことか。

この知事が知事として何らかの偉業を成し遂げたと言うのであれば、一目見てみたいと思う気持ちも理解できるが、就任してたった数ヶ月の新知事に会えたからといってキャーキャー騒ぐバ○゛ー達。こういう連中を見ると、だから役人もメディアも大衆なんかチョロイもんだと思ってしまうのも無理は無い。

そして県民が選んだ知事に向かって、知事の提案を「稚拙ではないか」と問い質す、多分その声からして若い記者と思われる勘違いバ○が、粗悪な正義を振りかざして憚らない事態が起こる。あんた何様のつもり(^^)?。

長野県はと言えば、前名物知事の自爆行為^^はあったにしても、地元メディアによって潰されたと見る向きも多く、結果新知事に変わったのだが、その何と存在感の薄いことか。

薄いだけならともかく、この新知事は問題の浅川ダムを何が何でも建設するつもりらしい。
浅川は長野市内から五輪のボブスレーやモーグル会場までのアクセス道路の脇を流れていて、その道はMCにとって愉しいのでよく走りに行く。だからそこがどんな場所か熟知しているつもり。
しかし地元でも無いし、ましてやシロートの部外者の感想なんか当てにならないと言われるのを百も承知で述べるとすれば、推進派の人々の事情を考慮して贔屓目に見たとしても、そこにダムの必要性は全く感じられない。

たてまえは100年に一度の大雨を想定し、その被害をくい止めるために作るということらしいが、もしそんな雨が降ったとしたら、流域は助かったとしても、近隣は無事じゃ済まないだろうに。
本当はそんなことはどっちでもよくて、新知事にはなりふり構わずどうしても造らなければならない事情があるのだろう。今頃になって臍を噛んでいる県民も多いのではないか?。

戦後、人生の価値は金銭(経済理論?)でしか判断出来なくなったらしく、スキーに限らず、なんだか日本の全てが薄気味の悪い粗悪な雰囲気になってきたみたいで恐ろしい感じがする・・・・シクシク(^^;。









驚きの考結果
2007/04/09

何が?って柔道の全日本選抜を終えた後の世界選手権代表選考のことです。
柔道については殆ど無知の部外者が選考の云々に云々するのは(^^)見当違いかもしれないが、あえて感想を。

特に女子の48キロ級は、決勝で福見選手に負けた谷が代表に選ばれましたから、これには門外漢の私でも「何で??????」ってなってしまいます。
優勝した福見選手が選ばれなかった理由は昨年の福岡国際で優勝し、ドイツ国際でも準優勝しているにもかかわらず、実績が無くて盤石の安定感では無いという評価らしく、関連のニュースでは、吉村強化委員長は「世界で戦うということは想像を絶する重圧と戦うこと。世界選手権で負けてよくやった、ということはない。勝ち方を知っているベテランならメダルを確実に獲ってくれる」と説明。さらに「谷の動きは同じ階級の選手にはまねができないし、このままで終わるヤツではない」と信頼の厚さを選考理由に挙げた。 と言うことらしい。

マジッスカ〜〜ショーキデスカ〜〜委員チョー?

でわ、今年優勝した福見選手が世界選手権の代表選手になるにはどーしたら良いのでしょうか?
トリノのフィギュアスケート五輪代表で中野選手が選ばれなかったことが思い出されます。

彼女は強かったから五輪で2個も金メダルを取ったのだろう、凄いなとも思うし偉業だとも思う。但し今回負けた(シロート目には”一本に近い技あり”に見えた)ことで、このままシメシメと世界選手権に出場するとしたら、”田村で金、谷で金、ママで金”だかなんだか知らないが、節操の無いただの強欲女じゃねーかと思ってしまう。
足るを知らない哀れな餓鬼みたいで、どっかの欲ボケファンドと思考回路は大して変わらないのだろう。

谷が圧倒的に強くて他に代わるものが居ないのなら”ママで金”も応援したくなるが、福見選手の心中は果たしてどんなだろうと思うと、とてもじゃないがそんな気にはなれない。
それにこれもヨケーなお世話なのだが、世界選手権が9月なのに決めるのが早過ぎるような気がする。後5ヶ月で福見選手がどんなに頑張って”盤石の安定感”を会得したとしても参加は叶わないのだろうし、それはとりもなおさず北京五輪の出場も絶望的であるということなのだと思う。

吉村強化委員長の言葉を額面どおり受け取るとしたら、メダルの可能性の無い(と首脳部に判断された)選手は柔道に限らず世界選手権や五輪への参加は無駄だと言っていることと同義になる。つまり世界でメダル取れないようならはなっからスポーツやる意味が無いって言ってるのと同じなのだ。スポーツってそんなもんですか。

マスメディアも負けた谷ばかり取り上げて、しかも相手選手への配慮なんかこれっぽっちも無い谷の厚顔コメントには、小さい頃からちやほやされていれば無理も無いのだろうが、驕るのもたいがいにしろやと思ったし、優勝者の福見選手を蚊帳の外に置いて全く無視しているマスメディアの態度にも不信感を抱いてしまう。

ここまで書いてきて達人検定で感じたことを思い出した。

オリンピックや世界選手権で活躍するトップアスリート達が、観る者を魅了し惹きつけて止まないのは、彼らの身体能力が単に常人の想像を絶するレベルに到達しているからと言う理由だけでは無く、人間としてその時点での限界を曝け出してくれるからなのではないかと思う。

身近なところで村民運動会や学校のクラスマッチであっても、例えば精一杯の力で走るランナーは仮に脚がもつれたとしても、勝敗や記録を超えて観る者(応援者)を熱狂させる。つまり何事によらず人が全力を出し切っている姿は、その力量技量を問わず多かれ少なかれ他人を感動させる。

次元に違いはあっても、人間が物事に純粋に取り組む姿は感動的ではあるが、バッジテストなどではミエミエの、○○合格法みたいな下心が混ざった途端に感動は霧散する。

その意味では手前味噌で笑止千万なのだが、オリジナルテストが下衆で姑息な下心の付け入る隙が無い(そんな余裕は無い)と言う点で実に爽やか且つ感動的なのだ(^^)。

経済のシステムや政治や政治家の云々、官僚の理論、野球の裏金、環境問題、殺戮や戦争、クズみたいな人間の犯罪その他シコタマ・・・・・等々、否が応でも毎日そんなニュースに触れていると、何が正義で何が正しい生き方なのか、ただでさえ分からなくなっているというのに、正々堂々と決着をつけるべきスポーツがこの体たらくじゃ、福見選手でなくてもいったい何を信じればいいのかトホーに暮れてしまいます。

この理解し難い選考結果は、スケートの安藤同様、谷も同じ大手自動車メーカの所属だと知って思いっきり納得出来た・・・・そういうことだったんですか?それならそうと最初から言ってくれればEのに、重度憐迷も人が悪いね(^^)・・・・・アウアウ。




スノーボド技術選?
2007/03/20
先日ネロと散歩をしていたら観光協会の入り口に”全日本スノーボード技術選?”と書かれている立て看板が目に入った。
スノーボードの大会と言えばハーフパイプやワンメイクジャンプを思い浮かべるのだが、”技術選?”なるものがあるなんてのは全く知らなかったし、ましてやそれがどんな内容なのかも勿論不明。
ジョーダンじゃなく、地元で開催されているのに選りによって宿屋のオヤヂが知らなかったなんてマッタクの勉強不足(^^;
まさかJSBAがそんなことをするとは思えないから、多分仕切りはS○J関係なのだろう。

スキーの技術選が苗場に移動したからその穴埋め?をスノーボードで・・・・なのかどうかは知らないが、この近所で開催するのであればスノーボードウエルカムな岩岳か47スキー場が妥当ダトー思われるのに、八方尾根スキー場なのは謎。
スキーの技術選だったら、知りたくなくても看板や仰々しい横断幕やチラシ等のウエルカムな雰囲気から、「アア技術選が近いな」と感じられるのに、”全日本”と銘打っていながらその取り扱いの差にはとても驚く。
勿論選手達に対して「非礼ぢゃないのか?」と言う意味でなのだが、これはスノーボードの好き嫌いとは別の問題。

スノースポーツを多様な視点から楽しむことは多いにけっこうなことだし、スノーボードに疎い部外者がゴタクを述べる筋合いのものでは無いのを承知であえて言いたい(^^)

スノーボードが一部愛好家のものだった時代から、10数年前突然のようにブレイクして以来、それはスキーヤーにとっても無視出来ない新しいタイプのスノースポーツとなって現在に至っている・・・・・なんて暢気なことを言っている場合じゃなくて、既にスキーが駆逐されてしまったスキー場も少なくない。

スノーボードが台頭してきた当初(ウインタースポーツのメジャーとなり得る可能性を感じた頃)、個人的にそれは既成の権威に対するアナーキズムという側面を持っていたように感じたし、権威主義的色彩を深めていた(る)スキーを中心にしたスノースポーツの世界に対するアンチテーゼとして映った。
そして実際自分で経験した限り(2.5シーズン)でもそんな匂いがした気がするし、スノーボーダー達の行動からは良い意味でアナーキストの資質を感じ取ったのだが、それは私の思い違いだったのかもしれない。

何故なら、アナーキズムがヒエラルヒ(キ)ーのあらゆる形に支配されない精神の自由を意味しているのだとしたら、そしてスノーボーダ達がその思想を根底に持っているとするならば、このタイプのコンテストは到底彼らには受け入れられる類のものでは無い筈だからだ。

スノーボードの風向きがマイノリティーからマジョリティーに変わったと察知したとたん、何故そうなったのか?スキースポーツの啓蒙の仕方に問題が無かったのかどうかの検証も反省も、ましてやスキーヤーのプライドに掛けて巻き返す気概も無く、スキー○盟がスノーボードの!!”全日本技術選”をでっち上げるところなんかは節操の無いS○Jの面目躍如だから笑えるとしても、スノーボードにお稽古事の作法にも似た”技術選”は似合わないヨオな気がするんだけど、もう4回目だって・・;)・・・ダッ、ダイジョーブですか?(笑)

権威が利益を生むことを学び、そしてそれを享受している立場の人々は、ヒエラルヒーが「合理的なものである」と信じ込ませることが効果的であることを知っているから、そのシステムを維持する為に他のジャンルでさえ節操無く取り込もうとするのは自然でもある。
そうしてシステムに組み込まれた会員の精神は自由を奪われ次第に従属へと堕ちて行くから、大抵が依存的になり、とるに足らないちょっとした決断を要する場面であったとしても、自分自身の判断力が信頼出来るかどうかさえ疑わしくなってしまう。
それがどういう現象を引き起こしているかの具体例はいわずもがな。

一方でアナーキズムは社会的不公正に対する道徳的反抗から生まれたと見る向きもあり、そういう見方が正しいかどうかは分からないが、雰囲気とすればあながちハズレでもないだろう。
しかし昨今の一部スノーボーダを見る限り、とてもそんなレベルでは無く、彼らは単にモラルがどんなものかさえ知らない(親も知らない)のカモ?と勘ぐりたくなるようなルースな印象や「殿中松の廊下じゃあるまいし、ズルズル裾を引き摺って泥んこ道を歩いてきて、そのまま畳に上がり、挙句の果てに布団の上をズルズル歩き回る神経」(某宿の主人談)が、本来のアナーキズムだとも思えないし、もしそれが”道徳的反抗”の部分だけを取り出して解釈した結果であるのなら、スノーボードをもってして精神の自由を得たいと言う欲求から、それらは程遠い行為となるのだ。

”一部の”と言う注釈付きなのは勿論なのだが、彼らにモラルを求めるのは政治家にそれを求めるのと同等の非現実的な虚しい願いであったとしても、スキー場は経営上の理由からウエルカムのフリをするかもしれないが、心情的には単なる嫌われ者厄介者としての扱いしか出来なくなるということなのだ。
これは双方にとってとても不幸なことなのだが、残念ながらそのあからさまな様子が「ウエルカムとは思えない歓迎態度^^」に現れているではないか(〜〜)?・・・・・・シクシク。




股遭騒ぎ(;;)
2007/02/17

白馬にも自笑自称(又はどっかのお墨付き持ち)害奴ガイドの勘違い○カや、ガイドのふりをした詐欺師が居るのは昨年春の遭難騒ぎでも明らかですが、八甲田の遭難にかんしては、それらと甲乙つけ難いヴァ○度に呆れケーってしまいました。

命が尊いと思うのなら、又自分は良識ある人間だと自負しているのだったら、特殊な部類に属するがゆえに、本来慎重であるべき楽しみごとのために家族を悲しませたり、他人(救助隊員)を危険に晒すことの意味や、天気予呆は何の為にあるのか等々、自笑ガイドのヴァ○や背景にある思惑にだまされても、なんとか命拾いしたツアー参加者達は、その大部分が自らの思考停止が招いた結果だということを、この際よくお考えになられた方がよろしいかと、失わずに済んだ筈の命のことを考えると、とりあえず激しく思うわけで・・・・・・・合掌 。

八甲田は滑ったことが無いのでなんとも言えた義理ではありませんが、オフピステの滑走に初心者(初級者?)向けツアーがあると言うのも驚きでした。この初級者と言うのは、おそらくオフピステの経験という意味ではなく、技術的な面を指しているのだと思います。

恥ずかしながら八方でも、相変わらず今年のトレンド(笑)回し蹴りスタイルについて講習しているインチキ楽太が目に付きますが、「時代遅れのジジーの了見なんかチャンチャラ可笑しくて聞いてられッかい」ってとこでしょう。
受講者のスキーを外させて、ゲレンデのほぼ真ん中(パノラマが多いな)で回し蹴りの真似をさせている光景を目にすると、いつから雪上でキックボクシングの余興をするようになってしまったのか?と悲しくなって しまいます。

かつて”毒者の部屋”があった頃、以下のようなことを書いたことがあります。
S○Jはまさに資格を与える「資格産業」に成り下がっています。
そのS○Jが与えた、例えば指導員の資格を取得しているスキーヤーの中で、甚だ僭越ながらいったい何%のスキーヤーを本物の専門家と呼べるのかは、残念ながら知る由もありませんし、実のところその資格(笑)に見合うだけの専門性とは一体何なのかさえ、昨今のスキー専門誌を見るにつけ、私には分からなくなっているのです。

スキーの「指導員」という資格が、スキーの「専門家」を保障するものでは無いのかもしれませんが、少なくとも「指導員」に教えを請う立場の人間からすれば、「指導員」とは原理原則を踏まえた上で、それ相応の経験を積んだ豊富な専門的知識と技量の持ち主であると考えるでしょう、・・・・でなければたったの4時間で2〜3万円近くもの指導料を支払う訳がありません。

非専門家が、いつからその分野の専門家になったとはっきり自覚出来るようになるのかはとても難しい問題ですが、それを解決する一つの方法が何処かの団体が発行するお墨付きだったりする訳です。

ところが資格を取得したとしても、技量や経験や知識等に関して、無資格者が有資格者を凌駕するなんてことは珍しくもないので、相変わらず非専門家と専門家の境界は曖昧という訳です。
例えるなら、その非専門家と専門家の混じり合う領域は汽水域と呼べそうですが、だからこそそこにS○Jのような資格を与える「資格産業」のつけ入る隙があるのだろうと思います。

つまり、魚になり切れずこの汽水域をウロウロしている特殊な生物達を海老類とすれば、指導員なのに毎年研修会に参加して、その都度律儀にお上の言いつけを守り続けているスキーヤーは、淡水の川で暮らすことも、大海に出て行くことも自決できないという意味において、未だ専門家の範疇に入れない海老レベルだということです(^^)。
・・・・ということからすると、多分ガイドの世界も同様と考えた方が身の為だと、オフピステツアーに参加される方達にはガイドの吟味も慎重にして欲しいと、老婆心ながら思うわけで・・・・。
そう書いてしまった責任上、95%以上の確率で信頼出来る白馬村在住の本物のガイド3名を紹介しておきます。

田中 要
降旗義道
丸山忠昭
(アイウエオ順)

この三人のガイドで何か問題が発生したとしたら、それは5%以下の確率で外れクジを引いてしまったご自分の不運を恨んでください(^^)。

昨日滑りに行く途中の空いたリーゼンコースでは、同時に2箇所でパトロールが怪我人を救助していました。
セフティ装置のめざましい改良によって単独での常識的な怪我は減っている筈ですから、多分衝突によるものか、あるいは短小小径板のエキストリーム特性に起因するものだと思われますが、御し切れない速度を推奨し、ブレーキを蔑ろにしてきたS○J今日逝く本部のヴァカと、節操の無い提灯メディアのおかげで、ピステのオンオフ問わずパトロール隊員は今日もまた大忙しのことでしょう。本当に彼らの活躍には頭が下がります。





基本の再確認
2007/01/31

基本・・・・・・と言いますか、昔も今もスキーがスキーであるための仕組みとか要領は全く変わっていません。 そのことについては既に書き尽くしたと思っていますが、ここでもう一度だけ再々再^^;確認しておくことにしました。

ぶっちゃけスキーなんて滑り出したが最後、終始リカバリの連続な訳です。そんな「オットット」な怪しい時間の中でも、より安定した状態を維持しつつ自分の意思通りに(エッジを効かせて鋭く切っていくとか、小さく曲がり込むとかダラダラと大きく回っちゃうとか横滑りするとか、マーイロイロありますね) 操る為には、構えとか乗る位置とか、あるいはそれらを実現する為の体の使い方がかかわってくる訳で、それはとりもなおさず外向外傾外足荷重(意識)をベースとするものに他なりません。

勿論脚の曲げ伸ばしやヒネリ等は大切であるのと同時に、次の理由で実はとてもデリケートな動きと扱いを要求されます。
それは滑走中、例えば一般的に良いと言われている範囲内(スキーを履いていなくても余裕で立っていられる状態とでも言いますか^^)にベクトルの指す位置をキープしようとしても、加速度やら何やらの複合攻撃を受けてしまって、とても一夕一朝に「ビシッ」とした理想のポイントを押さえることは難しいからで、私のような凡ジジー凡人は繰り返しの練習が必要になるのですが、それを実現する為にも、今度は「ああしてみよう」とか 「もっとこうしてみよう」とか、意識すべきテーマはけっこうたくさん出てくる訳です。

S○J今日逝く本部がせっせとねつ造に励み、ちょうちん記事でその片棒を担いできたスキーメディアによって、多くのスキーヤーが疑心暗鬼に陥り、その技術を退化させた理論風詐欺術ゴタクの数々を好意的に解釈してやるとすれば、そうしたテーマの中の一つに過ぎなかったということ、それもバリエーション程度のものだったと言うことが分かってくると思います。

内足云々も練習バリエーションの一つ”チャールストン”のその又バリエーションの一つということですね。似痔苦もしかり。
”チャールストン”を何故練習するのかといえば、滑走中万一内足に乗ってしまった時のリカバリ能力が「若干でも向上すればいいな」程度のことで、どちらかと言えば指導員が指導中のネタ切れ対策に持っている隠し球みたいなものですから、こんなことは特別に練習しなくても全く問題無いのです。

そんな余興みたいなものに一体何シーズン振り回されたのかと思うと本当に腹立たしくなりますが、現在行われているインターシーで日本が発表するお題目「スキーと健康 日本の古武術に学ぶ身体運動の開放」は、まさしくその余興に他なりません。それを聞いた他国のスキー関係者は呆れてしばらくは失笑も出ないか、あるいは水平面だの内主導だの2軸だの難波だの、全ては東洋の神秘(笑)古武術云々で煙にまかれてしまうのカモ。

もしかしたら水平面だの内主導だのトップコントロールだのには触れないかもしれませんね。いくらアフォでもそろそろヤバい雰囲気になってきたと感じたので、この辺で「死んだ振りしちゃおう」って魂胆は無きにしも非ず。
いずれにしても”S○J今日逝く本部関係者韓国豪華スキーツアーご一行様”の旅費及びシコタマの遊興費は、いたいけなS○J会員の皆様の熱心なご寄付(会費、各種認定料、バッジテスト等々^^)によって賄われているのではなかろーかと、あらぬ妄想を抱いたりしてしまいますが、そんな会員の皆様の名誉の為にも、会場が冷笑爆笑の渦に包まれないことを、S○J会費を支払っている一日本人スキーヤーの私としても、イヌの遠吠えに代えて、ここに謹んでお祈りさせて頂きますでゴンス・・・ワンワン・・・・・ワン(^^)。

ご参考までにこの写真をご覧になって「2軸運動による基本ターンの組み立て」とか「スキーと健康 日本の古武術に学ぶ身体運動の開放」との関係を考えてみてください。
これは昨シーズン負け無しの5連勝目を挙げたジョルジオ・ロッカ選手(イタリア)のウェンゲン男子回転第5戦の様子です。情報提供者は勿論M下元I県連疑術員でした(サンキュウ^^)。


回旋作とは?
2007/01/24

回旋動作の「回旋」という語は少なくとも手持ちの”角川新国語辞典”には載っていませんでした。「旋回」はあります(^^)。
回旋という語を何時何処で誰が作り、使い始めたのか知りませんが、出所はスキー関係が怪しいヨーな感じはします。現にS○J公式文書(笑)に使われているくらいですから。もし違っていたらご勘弁を(^^)。

「ヒネリ」という表現(語感)には何らかの問題があって、あの切り替え時の実に悩ましいニュアンスを表現し切れないと思ったからか、はたまた「似痔苦」だの「吸い平麺」だの「トップコントロール」だのの、アフォらしいゴタクや、かつてのベーレンテヒニークをパクった「曲進系」だの「ドルフィン」だの、あたかもブランニューのオリジナル(笑)を開発したんだと云いたくてしょうがないパクリ屋達が自分の存在感を示したいが為、イヌのマーキングに等しい次元で、つまりイヌや去る並みのNO味噌で思いついたのと同様なのかドーかは知りませんが、”回旋=ヒネリ”と好意的に理解して、直滑考の斜滑考の宿題で初めて使ってしまいました・・・シクシク。ンガッ・・・・正直なところ物凄い違和感と抵抗があります(^ー^;

で、”あるある大辞典”の納豆問題同様、コンポラ短小スキーのご登場で、この回旋動作無しの「角付けを切り替えるだけでスキーは旋回(^^)する」という事にすると、Evolutionが大好きなスキーヤーにとっては実にセンセーショナルであり、これで自分の存在感を示せると舞い上がったアフォは、なりふり構わずオカルト理論捏造に励んだのでしょう。

そして”あるある大辞典”や”ためしてがってん”のような、納豆に限らずトコロテンやその他しこたまの捏造番組が、明確にスポンサーや業界に”ヨイショ”する為なのはミエミエなのに、それを無批判に受け入れ行動する健康やダイエットに敏感な人々と同様、バッジやら何やらの肩書きに敏感なスキーヤー達が、何の疑いも無く(少しはあったかもしれないが、ヤッパ肩書きには弱いでゴワス^^)これに飛びついたと云う訳です。

こうしてゴキブリみたいな油っぽい滑り方(笑)に不正改造させられたスキーヤーは、そこらじゅうでコントロールを失いまくって、激しい転倒や怪我に見舞われ、悪雪禁忌症を患ってしまった結果、彼らが好んで滑る場所はせいぜい斜度15°未満の、チョッカリかましても何ら問題無いグルーミングされた斜面になってしまいました。
殆どの場合純粋で真面目なだけに、今日逝く本部のアフォは本当に罪作りです。

アフォとその太鼓持ち達が、数シーズンに亘りセッセと捏造とそのモディファイに励み続けているオカルト理論が、ンヂャーはたして具体的な形でスキーヤーやこの業界に何らかの福音をもたらしたかと云えば、答えは完全にNOです。
WCレースで通用しない(誰にも相手にされない)のは当然として、悪コンディションでも全く役に立たないだけでなく、例えばターン切り替え時の悩ましいニュアンスを角付けの切り替えだけでやり過ごせるとしても、それに続くもっとず〜っと悩ましい問題を一体ドーするのかについて、相変わらず理論的に納得出来る解決策を提示出来ないからです。

「ヒネル」という物理的変化を板に与える行為と感覚は、自分の意思を板に伝えるという意味合いが大きく、それから発生するフィードバックを活用して希望通りの結果(旋回やスピード)を得るための動作なので、極控えめなものから強引なものまで広範囲に亘りますが、いずれにしても千差万別に変化する斜面状況を滑走するにあたり、自分の意思がスキーをコントロールしバランスを維持する上で・・・・当然ですが^^・・・・欠くことの出来ない最も重要な要素であり、それこそがスキーに生涯を掛けて取り組むに値する趣と味わいを与える源なのだと思っています。

つまりそれを排除してしまったら、ごく限られた条件のもとでは旋回するかもしれませんが、殆ど意思とは無関係であり、スキーがスキーであることの意味を失って、遊園地の幼児向けゴーカートのアトラクション程度の娯楽になってしまいかねないのです・・・・・もーなってるか?

彼らの捏造は、”回旋”と云う表現がいづれスキー界で使われなくなる可能性を示したという点で評価しておきましょうか?・・・(^^)。