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お誘い ついに営業活動開始!??(^^; 2004/12/29
生き甲斐 ジンセーを語っちゃうってか〜(^^) 2004/12/24
スキーをされる方の為に(^^; お節介は承知ですが、原理について少々(笑) 2004/12/10
スキーをされない方の為に スキーについて簡単に説明しようと思いましたが・・・難しいですジッサイ(^^; 2004/12/05
M下君からの贈り物UのV(怒) 外道ばかりの釣りだってか タイはイッタイドーシタイ(^^)? 2004/11/29
M下君からの贈り物UのU(^^) オカルトオヤヂの最大の過ちは・・・例えば「軸」 2004/11/22
M下君からの贈り物U 「M下君からの贈り物U」というタイトルの今度はメール攻撃を喰らった。 煽るね〜(笑) 2004/11/21
M下君からの贈り物 中央研修会テーマとラストクリスマス 2004/11/13
笑ってる場合じゃ無い S○Jは間接的殺○集団か? 2004/09/27
温泉問題 温泉とは何か?(^^) 2004/09/17
帰ってきたタマゴッチ コンブについて 2004/07/28
長さについて スカートとスキーの関係について考察する・・ナンチャッテ 2004/07/20
上達 何でも比喩に使っちゃってイケマセンねm(・・;m 2004/07/15
オーディオとスキー ネタが尽きるとここまでやりますか?(笑) 2004/07/06
どこに逝きたいの?S○J 庶民は誰を信じたらいいのダローか? 2004/05/13
春の気分 春かい?(^^) 2004/04/07
ラストラン? 今シーズン最後か? 2004/04/05
テコ○ドー ドーなってるの? 2004/04/02


2004/12/29

ホームページ公開以来早いもので5年が過ぎました。その間さんざんゴタクを述べてきました、そして大勢の方にこの稚拙なページにアクセスしていただきました、改めて御礼申し上げます。

「書くだけだったら何とでも言えるけど、実際はドーなの?」と思われている方も少なからずいらっしゃるのではないかと思います。そこで’05シーズンはなるべく毒者(^^)の方と一緒に滑りたいと考えておりますので、遠慮なく声を掛けてください。

ご一緒出来るのは多分平日か日曜日に限られたり、フルタイムという訳にはいかなと思いますし、都合(家内と2人だけでやっている宿の関係)でご希望に副えないかもしれませんが、少しでもスキーの愉しさを分かち合うことができたらと思っています。

但し一緒に滑って遊ぶだけですので、公式なレッスンをご希望でしたら八方尾根スキースクールにお申し付けください。
夜もスキーを肴に愉快な時間を過ごすことができるといいですね。

このページは不適切な表現が多いですから、ひいてしまわれる方もいらっしゃるとは思いますが、本当は温厚だと言われていますので、ご心配は無用です(^^;。

新しいマテリアルには新しい技法があるのだと勘違いさせられ、長年培ってきた技法が古いのでは?と自分の技術に疑問を持たれたり、自信を失いそうな方とは特にご一緒したいと思っています。
そして整備された緩斜面限定(ここにも書いたように、無限の組み合わせの中のほんの瞬間を取りあげ、それをヨシとする)のシャレにもならない滑り方に比べ、正統な技法がどれ程の汎用性とポテンシャルを持っているのかを再確認して頂きたいのです。

それでは良いお年をお迎えください、そしてご一緒出来る日を楽しみにしております。

き甲
2004/12/24

大地が雪に覆われると、それだけでも感動的な景色を提供してくれるのだが、その気になれば普段では絶対に行けないような場所から山々や麓の景色を眺めたりすることができるし、兎やリスの小動物は勿論、カモシカにだって遭遇できる。

キンッと冷えた新雪の肌は太陽の光を反射してダイヤモンドをちりばめたようだし、木々の梢から舞い落ちる霧氷は、これも又キラキラと幻想的だ。



時には生きている(生かされている)ことの意味と対峙することがある。
生きることは価値あるものだと思いたいし、証としてのシュプールを刻むことは例えそれが人生において刹那の出来事であったとしても、至福の時間がどういうものか具体的に実感できるような気がする。

索道関係者からこんな話を聞いた。

降雪が未明迄続いた朝、中年を過ぎた夫婦が事務所に現れ、「ゲレンデに新雪が20cmも積もっていて、折角リフト券を買ったのに整備がされていないからスキーが出来ない」というような苦情を云われたそうだ。

こういう人はめずらしいとは思うが、お金を支払った以上、その人の感性にとって快適でなければならないというのは、例えば中国の奥地ツアーに参加して「水洗トイレが無い」とクレームをつける人種とたいした違いは無いだろう。
風習や生活様式が異なる他人のテリトリーに乗り込んで自分の基準を求めるというのは、そこで暮らす人々の文化を冒涜する行為にほかならない。

スキーの原理は単純だが、かと言って何から何までお膳立てされた快適なツアーのような訳にはいかない。
絶景に巡り合ったり、粉雪にむせる爽快な気分を味わいたければ、異文化に触れるのに似ているカモ。マナーは勿論、情熱と努力とそれなりの時間は必要になる。
何事もそうだとは思うが、お手軽にはお手軽なりの結果しか得られない。

しかし、あるがままの自然を受け入れる器量さえあれば、熟練の度合いを問わず誰でも夫々の時点で充実した時間を過ごすことができる。技術はそうした世界の扉を開ける鍵のようなものだ。

その鍵がしょっちゅう変っていたり、使い方の作法が煩かったり、怪しげな動作や不可解な操作を要求されたり、ある日突然念力が必要などと言われたりしたら、その世界にはいつまでたっても入れない。

本当はこの扉はコインだけでも簡単に開けらる・・・溝に挿して回すだけだ。


スキーをされる方の為に(^^;
2004/12/10

で、スキーは誰でも速度を得ることは簡単ですが、その「速度や方向を制御するのは困難なスポーツです」と書きました。

但し困難とは言っても、速度と方向の制御原理はとてもシンプルなもので、進んでいる方向に対して板に角度を付ける(迎え角)のと、雪面に対してエッジがどういう角度で接するか(エッジング又は角付けと呼んでいます)だけです。

で、それによって起こる基本的な現象は

迎え角が同じなら・・・・斜面に対するエッジの角度(エッジングの強さ)が弱ければターン弧は大きくなり、強ければ小さくなります。
又、エッジの角度が同じなら・・・・迎え角が小さいほどターンは大きくなり、迎え角が大きい程ターン弧は小さくなります。

これはスキーの長短、サイドカット形状、ねじれ剛性、フレックス等々、そして板が一本二本を問わず同じですし、勿論スノーボードも同様です。

いずれにしてもこの現象は、速度やその方向を変化させることになりますし、斜面を自然落下しながら方向が左右に連続する訳ですから、当然マイナスとプラスの加速度が交互に発生することになりますが、これがスキーヤーに及ぼす影響については別の機会に(^^)。

スキーはこのように非常に単純明快な原理に基づいて行いますが、迎え角の大小とエッジングの強弱の組み合わせは無限ですから、板の上に乗っているスキーヤーが安定して(転倒しない)希望通りの方向と速度を保って滑走を続ける為には、それなりの技術を習得する必要があります。

そこでどうしたらより合理的なスキーが出来るかで、喧しい技術論争が繰り広げられる訳ですが、これは過去にもフランス式スキー術とオーストリア式スキー術の2大勢力が、互いに優位性を主張し合う時代がありましたから、取り立てて珍しい現象ではありませんし、又そうやって方法論(技術論)を戦わせ、より合理的なスキー技術へと進化していくのは大いに結構なことだと思います。
しかしこれはあくまで方法論であり、スキーの制御原理を踏まえた上での話です。

ところが、SAJ教育本部はこの基本原理とは異なる原理?でスキーは曲がると言い出した訳です。
それが、現実にはあり得ない力(オカルトパワー)がスキーを回すという「水平面理論」と呼ばれるものです。

こうなると、もう技術論云々以前の問題ですから、それについて論議すること自体全くナンセンスなのですが、百万歩譲って、その力で曲がるとしても、一番肝心な弧の大小(その都度板を取り替えるらしい)や速度調整はどうやって行うのかには触れていませんし、バランスマージンを殆ど0にしてしまう内足荷重が高度な技術などと言っている訳ですから、もうデタラメを通り越しています。

原理=多くの事実に共通の普遍的法則
理論=基本的原理に基づいて法則を体系化したもの

ということからすると、スキーの普及と発展を謳うSAJ教育本部の指導方針として著された教程は、各スキースクールやクラブの指導マニュアルと言えるものであり、それが基本的原理を外しているという点で、スキーヤーにとって最悪の書物になったのは勿論、残念ながらその影響力が大きいだけに、教育本部の存在自体がスキー界にとって有害なものになってしまったといえます。



スキーをされない方の為に
2004/12/05
スキーをされないのに、たまたまこのページをご覧になられた方は、何故こんな悪口雑言の限りを尽くしているのか理解に苦しむことと思われます。そしてきっと文中の用語も何のことかお分かりにならないかもしれません。
そこでスキーをしない、あるいはスキーというスポーツを知らない方の為に、何故怒っているのか、なるべく簡単に解説してみたいと思います。
しかし何分一人よがりの可能性が大きいですから、軽く読み飛ばしてください(^^)。


スキーには大きく分けて二つあります。

自分の力で雪上を歩いたり走ったりするクロスカントリースキーと呼ばれるもの
雪の斜面を重力を利用して滑り降りるアルペンスキーと呼ばれるもの

他にジャンプという大抵の方がご存知の競技がありますが、これはアルペンスキーで滑走中コブ等を越える時、比較的簡単に空中に浮いてしまう現象を利用して、専用の台を作って飛距離を競うものです。
重力を利用するという点では同じですから、アルペンスキーの一部分を取り出して増幅(^^)したものと言えなくもありません。

クロスカントリーやジャンプはノルディックスキーとも呼ばれています。
で、このページではもっぱらアルペンスキーについて書いています。


スキーは雪上を滑って遊ぶものですが、慣れないうちは自動的に足の裏が滑り出すことに違和感というか恐怖感を覚えるのが普通かも知れません。

しかしスキーは「足の裏が滑る」という非日常現象を楽しむものですから、この恐怖感は、「足の裏が滑る」ことそのものより、むしろその方向を制御出来なかったり、減速する(止まる)為の要領が分からなかったりする所から来るものが大部分を占めているのだと思います。

「滑る」ということに関しては、滑り降りる先が平だったり逆斜面になったりしていれば、いずれ自然に停止しますから、初体験の方でも割りと早く慣れますし、それだけでも愉快に遊べますが、そうでは無い場所(延々と坂が続く)では、自分でなんとかしなければ(減速する、あるいは止まる)速度がどんどん増して大変なことになるのは容易に想像出来ますね。

スキーは初心者熟練者を問わず、誰でも速度を得る(加速)ことは簡単(重力の法則)ですが、自動的には止まらない(減速装置も舵取り装置も無い)訳ですから、大雑把に言ってしまえば、減速する(速度調整)方法を習得するのがスキーであるともいえます。


斜面を落下している体を止めるには、その体重や速度にもよりますが、けっこうな力が必要になりますし、どんなに怪力の持ち主であっても急に止めることは出来ませんから、常識的には徐々に減速せざるを得ないということでしょう。

これは坂道に駐車した車のパーキングブレーキを掛け忘れ、動き出した車に気が付いてそれを止めようとするのと似ていますね。
坂が急だったり車が重かったりすると、少しの間は頑張れても、諦めて見送るか下敷きになるしか無いのと同じで、スキーも動き出した自分の体を止める、あるいは重力加速度に因って増速しようとする体を、ある速度に保ちながら斜面を降りるにはそれなりの方法と同時に力も必要になります。

以上のことから、スキーは
1:滑るのも速度を得るのも簡単。
2:減速するのは困難。
なスポーツということができます。

一番単純な直滑降(板を斜面の真下に向けて揃え、滑り降りる)の場合、速度は簡単に得られますが、かと言ってそのまま滑り続けたとしても速度は無限に上昇する訳ではありません。

斜度何度以上とか、その時の雪質で一概には言えませんが、ある程度の急斜面になると、スキー板の摩擦抵抗や除雪、圧雪、あるいは粘弾性体(振動を吸収するように作られている)とも言えるスキー板が持つ粘性抵抗(内部摩擦)等々の抵抗は多少あるものの、その殆どが空気抵抗(圧力抵抗+粘性抵抗)であり、それとバランスする所で止まります。これが終端速度です。

以前にも書きましたがキロメトロランチャ−ト(スピードだけを競う競技)では240Km/h以上が記録されています。

身近な所で空気抵抗を具体的に実感するには、少々短いものの、オリンピックで使われたジャンプ台ラージヒルのランディングバーン(35°程度)を直滑降すると体感出来ます。
勿論真下に向かって滑るだけで難しい技術は一切無しですから、その気になれば誰でも可能です。興味のある方は一度試してみては如何でしょうか(^^;。

しかし・・・問題は誰でも終端速度に達することが出来る可能性(^^)があるとしても、その途中に障害物があったり、斜面が荒れていたり、デコボコが延々と続いていたり、崖だったり、あるいは上昇する速度に怯んだりすると、自ずと何らかの事態が発生する訳で、そうならないように普通は速度を調整しながら滑ります。つまりブレーキングです。

スキーは長手方向にブレーキとして使える仕掛は一切ありません。
横には金属で出来た鋭いエッジというものが付いています。これが工夫次第ではブレーキとして使える唯一の仕掛です。

以下、当たり前過ぎてバカバカしいとは思いますがお付き合いください。
例えば・・・カマボコでも豆腐でも何でも良いのですが、それを切る包丁は普通縦に引いて使います。こういう使い方をする限り、切れ味で多少の違いはあるにしても、殆ど抵抗無く動きます。
ところが包丁を横に動かそう、あるいはそのまま90°捻ろうとすると、相手が例え軟らかな豆腐であっても、それなりの抵抗を感じるし、形も崩れてしまいます。
スキーのブレーキはこの現象を利用して行います。包丁を横に使うのと同様です。

最大のストッピングパワーは進行方向に対して板が90°の時に得られます。
少し慣れてくると一気に90°振ってブレーキングすることも出来ますが、落下のエネルギーが何らかの仕事や熱に変換されて消費が終了する(停止)までは、当然それなりの時間が掛かります。

大抵は進行方向に対して少しずつ板の角度を増やしていく(迎え角をつけるとも言う)ことで速度を調整しますが、その結果、斜面に対するエッジの角度如何では、減速と同時に進行方向が変ったりします。
これがいわゆるターンと呼ばれるものです。

一般的には2枚の板をV字型にして使ったり、並行のまま使ったりします。
どちらにしても、これを初めて経験する人の大部分は「向きを変えた」のでは無く、「向きが変ってしまった」という方があたっているかもしれませんね(^^)、そしてその変り方も希望とはかけ離れたものになることが多いようです。

しかし本人にとって原因不明だとしても、「向きが変ってしまった」現実はある訳ですから、その原理を知り、工夫しながら自分の希望を結果に近づけていくところにスキーの面白さがあるとも言えます。

で・・・・何故向きを変えたくなる、あるいは減速したくなるかというと、落下の加速度は想像以上に大きいですから、速度の乗りも速い訳で、ある速度から先の未体験ゾーンにはなかなか踏み込めないという心理がそうさせるのだと思います。

しかし、次第にブレーキング操作(大抵ターンに依ります)に慣れ、その習熟度が上がるにつれ、精神的にも技術的にも限界速度は高まっていきますし、又同時に針路変更(ターン)もより効率的に行うことが出来るようになります。


クドクドと前置きが長くなりましたが、怒りを覚えるのは現在の全日本スキー連盟(SAJ)教育本部が、力学的見地からは笑止千万荒唐無稽な妄想理論をでっちあげ、最も大切な 減速技術=スキー術 を蔑視する態度を採っているからで、無知とは言え、これはスキーというスポーツそのものを否定しているに等しい行為だからです。

50ccのバイクだったらいざ知らず、260PS超のGPマシンをブレーキング無しのフルスロットルで、例えば鈴鹿サーキットの1コーナーに突っ込んで行くような行為を推奨している訳で、それを真に受けたスキーヤー達が実際悲惨な事故に見舞われています。
バレンティーノ・ロッシ(現在最速と言われているモトGPライダー)でも無理なのに、SAJはコーナー進入時にブレーキを使うのは「ダサイ、古い」と言っている訳です。

裏を返せば、もっともらしいゴタクは50ccのノーマルカブで鈴鹿サーキットを走る時のことを想定しているのかもしれませんね。これならブレーキは殆ど不要ですから(^^)。

先日テレビで某スキー場の初滑りの様子をやっていました。
その指導員と思われるスキーヤーは残念ながら妄想理論を実践しようと努力しているみたいでした。

点数稼ぎのために、「内足引っ掛け内向内傾スタイル」で滑る上手なデモや技術員や指導員を見ていると、いろんな意味で哀れに感じるのと同時に、不自然さという点で、某国軍隊の行進や、おそれおおくも某国皇太子殿下を非難した某次男のお妃の笑顔を連想してしまいます。



M下君からの贈り物UのV(怒)
2004/11/29
実はM下君からの贈り物も含め、S○J関連の話題は貴重なWWWサイズを使ってまで一々コメントするような価値が皆無なのは百も承知(釣りで言えば外道ばかりか?)だし、あまりのアフォらしさに本当に脱力してしまう。
ここをご覧になっている方も辟易として、もうスキーなんかには見切りさえつけたくなるかもしれないし、書いている自分だってそんな気分になりそうだからだ。

しかし最後に(最後にしたい)これだけは看過出来ないし、S○J狂育本部の存在理由をも失わせる人物の発言だけは指摘しておきたい。まだいくらかはS○Jに望みを託しているのカモ←オメデタイね(笑)

それはオカルト理論の提唱者でもあり、新狂態(キョーテイ)変臭に携わった人物が、先般K県憐の指導員研修会で述べていた下記の一文だ。本当は引用するのもおぞましいのだが・・・・。

「スキーというものは我々にとってどういう意味があるのか  昨年、目的と手段の話をしました。今日お話しているのは、スキーの楽しさの手段としての技術、この技術をどのように指導していくのかというお話をしています。しかし、考えなければいけないのは、技術や手段を考えるとスキーが楽しくなってスポーツが楽しくなって、人生が豊かになるということではありません。スキーというものは我々にとってどういう意味があるかを考えないと、スキーヤーはどんどん減っていってしまうのです。 」

どうしてこういうTーNOな輩がのさばっていられるのか不可解だし、いまさら「スキーがどういうものか考えろ」などとえらそうな口を利かれた日にゃ哀れなカタガキオタクだと分かっていても怒りがこみ上げてくる。

オカルト理論は早晩しかるべき良識あるスキーヤーの皆さんによって客観的検証が成され、葬りさられるものと思うが、例え思い上がっていたとしても、この発言からはとてもスキーが好きな人間とは思えない。

この集会で質問者(反論する人)は居なかったのだろうか?
変だとは思わなかったのだろうか?
デモやその他大勢の関係者達はこの言動をどう思ってい るのだろう。
本当に信じているのか(魔娑蚊)、スキーは上手でも思考能力が無いのか、指導員でありながらそれなりの知識が無いのか、あるいはカタガキ欲しさやチンケな利害が絡んでいて、言いたいことも言えない腰抜けなのか?


個人のHPでどんなに異論を唱えてもたかが知れている。そこで唯一ジャーナルと名のつくスキー雑誌にお願いしたい。
誌名からしてもジャーナリズムのなんたるかを知っている筈だし、教程をはじめとする関係書物やその内容、そしてそれらが原因となって引き起こされている様々な混乱については先刻承知の筈でありながら、その論評を誌上で展開しない、まことに不思議な○J誌だ。

オカルト理論(ナンセンスだとしても) についての混乱(論議)がスキーシーンに及ぼす影響の深刻さを考えた時、これを放っておくのはジャーナリスト以前にスキーヤーの良心として如何なものだろうか。
編集長のK氏とはまんざら知らない仲でも無いし、氏だってかつてはカトーメンと云われた程の腕の持ち主だからだ。

○J誌がS○Jの刊行物を一手に引き受けている関係上、S○Jの意向に反する記事が書けないのであれば、それは自らジャーナリズムの精神を捨てたに等しい。
特集なり何なり、今こそ毅然とした態度で誌面を作って頂きたい。

久し振りに最近の○J誌約1年分を見たが、創刊当時からは随分変った。
時代の流れで変化していくのは何事もこの世の常だからそれは仕方ないし、ある意味では結構なことだと思う。
しかし気になったのは創刊当時の精神が変質、あるいは忘れられているのではないか?ということだ。

とてもシンプルな装丁や内容でありながら、今見ても創刊号からはスキーの楽しさや、このウインタースポーツをやってみたいと思わせる熱いメッセージが伝わって来る。

例えば・・・・S○Jのカタガキオタクが公言して憚らない下の文章を読んで、「スキーを経験してみたい」、あるいは「続けたいと」思わせるメッセージを感じ取れるだろうか?

トップコントロールが高度な技術  はっきりと「抜重・回旋」を位置づけることで、テールコントロール、トップ&テールコントロール、トップコントロールが対等な技術であるという考え方から、むしろ、技術論的な考えでは、テールコントロールは、トップコントロールよりも低い技術、トップコントロールが一番高い技術であるわけです。

誰でも始めは初心者だ。それを下に見るとは、○メー一体何様のつもりだ?
カタガキオタクのゴミ理論なんかク○の役にも立たないどころか、大いに害なのに、この考え方をこれカタガキ大事なヒドーインが真に受けでもしたら一体ドーなる?

スキーを愉しむ為の手段である技術(技法)に上下なんかある筈も無いし、百万歩譲って例えあったとしても、それは一連の滑りの中で渾然一体として使われるものだ。そんなことも分からないヴォケが仕切った狂態がろくなものである筈が無い。

編集長・・・釈迦に説法かもしれないが、スキーは技量の如何、あるいは老若男女問わず楽めるスポーツだし、ましてやそれによるヒエラルヒーなんかありはしない。
スキーは人生においてやる価値があるものだということを、もう一度創刊号をご覧になり、その精神を感じ取って、いつか誌面に反映して頂きたいと思う。

このページはスキーの不振は死活問題であるのと同時に、何より自分がスキーによって経験できた様々な感動を多くの方に味わって頂きたいとの思いから、つい過激な内容となっています。実際何人かの方からはもっと別な表現方法があるのでは?とのご指摘も頂いています。

以前も書いた通り、綺麗な景色を見て感動したらそれを誰かに話したくなるし、例え感受性に相違があるにしても、聞いた人が同じ場所を訪れて同じ様な感動を覚えてくれたら嬉しいのと同じです。


ドリャーッ・・・・チカラまかせだもんね〜 ゴタクなんかしらんもんね〜♪

目前に迫ったウインターシーズンが心底愉快で感動的な日々になることを願っています。

シーハイル!!


M下君からの贈り物UのU(^^)
2004/11/22
オカルトオヤヂの最大の過ちは例えば「軸」。

客観的事実は1つしか無いから、それが写真であれば見る者誰もがその状態を理解出来る。
どういう状況かでは無く、例えばそのスキーヤーが左に傾いているとか、顔は右に向いているとかということだ。

その瞬間脚に掛かかっている力は分からないが、荷重やその向き、加速度、速度、風圧等々の数値を知りたいのであれば、しかるべき測定装置を使えば可能だろう。これらが普通客観的事実と呼ばれるものだ。

ところが軸なんて誰にも見ることは出来ない主観にもかかわらず、それをベースに理論構築(爆笑)をしているから、2軸なんて言われた日にゃもう想像するだけ無駄なのだ。

お得意のスイヘーメンだって、この説明は全て静止状態(スチル写真)での話であって、実際の動的状況に於いて内スキーの外エッジに乗れば内向きの力が生まれるなんてのは常軌を逸している。
あのベクトルもどきの図は好意的に解釈してやったとしても単なる転倒シーンだろうが、ヴァカッ。
だからオカルトだというのだ。
もしこれが本当なら(そんなことは断じて無いが)外スキーの内エッジに乗ったって同じことだ。

オカルトオヤヂの突飛な発想を、どう客観的事実と結びつけるかに腐心するのはあまりにも馬鹿げている。
かつても様々なスキーヤーの客観風主観的表現に散々惑わされてきたではないか。
主観は個々それぞれ千差万別だから、件の狂呪もその一人に過ぎないし、スキーを知らないからなおさら始末が悪い。

主観は個人的ななものだけに、それによって他人との意志疎通を図るのは実に難しい。
しかし多くの人が共有できる普遍的な主観(イメージか?)というものがあるのも又事実だし、そしてそれらは大抵子供でもイメージ出来る類のものだ。スキーはその程度で充分事足りる。

口先だけのオカルトオヤヂにかき回されてボロボロになったS○Jの狂育本部を、もう一度正気に戻せるのは今、その内部では○川○彦氏をおいて他に無いと思う。

優れたデモンストレーターであり理論家だった氏には、○J誌でヴォケをカマしている(お茶を濁している)暇があったら、真剣にオカルト理論に立ち向い、それを駆逐して頂きたいと思う。
彼ならきっと出来る筈だし、このままではS○Jはおろかスキーはホン トにオシマイになるような気がするからだ。

そうなったらドーなる?考えるだけでも恐ろしい(;;)


M下君からの贈り物U
2004/11/21
M下君から送って頂いたDVDは塗装作業が終わっていないので未だ見ていない・・・というかゴミ以下の内容であることは推して知るべしだから、そんなもの見ている暇があったらMCいじっていた方がマシだ。
とは言っても折角送って頂いたものだからそのうち見ますね(笑)

そうこうしている内にマタマタM下君から、「M下君からの贈り物U」と題するメールを頂いた。
件のオカルト理論を引っさげて、どういう経緯でS○Jに介入してきたか不明な某大学狂呪に相当お怒りの様子だ。

で・・・・ここを是非見て欲しいとのことだったので見ましたよ。

・・・・・もう脱力したね。
全て受け売り、パクリ、妄想、虚言、その他モロモロ・・・・・。私の乏しい語彙能力では適切な表現が出来ないというシロモノ。
この集会なんかどっちでも良いけど、大学に学費を払ってこの狂呪の授業を受ける学生はホントニ気の毒だと思った。
どーも本業は経済学者らしい。経済学者といえば例の変態手鏡も居たな(笑)。

例えば、読めばお分かりにの様に、私の大好きなモーターサイクルの写真も2枚登場していて、そのコーナリングシーンには「ショルダーファースト」と「ヒップファースト」との説明がされている。
なんのこっちゃ???と思ったら、どうも野球選手のフォームを誰かが解説したのをパクッてきたらしい。
MCを知らない人達はこういう言い方をするのだと信じることだろう。

こういう輩は実体験に乏しい(皆無か?)から、各ジャンルの有名人(選手も)を節操無く引き合いに出し、自己の主張の正当性を訴えるというセコイ手法をとるのが一般的(笑)だから、詐欺師が「ショーボーショのホーから来ました」とか、あるいは「ホケンジョのホーから」等々と言って善良な市民を騙し、怪しげな消火器や洗剤を売りつけるのと全く同じ手口なのだ。

それにしてもバラエティーに富んでるね〜。

2輪を引き合いに出したはEが、乗ったこと無いらしいから、そろそろ(やっと)高速道路も2人乗りOKになるみたいだし、希望があれば2ケツでふわわKm/h以上のコーナリングがどんなものか味わわせてやってもEよ←ジョーダン。大切なMCが腐る。

もしこれらのオカルトパクリ妄想理論が優れているとしたら、世界のスキー界はこぞって採用するだろうし、少なくとも日本のスキーレーサー達はこれによって世界で通用する戦闘能力を持つ筈だ。
しかし今の所そういう話も、この理論の有効性がレーシングシーンで実証されたという話も聞かない。

M下君、メール頂いたNさん、全くもって「DVDを見た時間はもう戻ってこないと考えると、無駄な時間になるかもしれませ ん・・・」と、M下君の言うとおり、このページも同様でしたね。デーブイデーまだ見てませんが(笑)。


個人的あるいはサークルレベルだったら、どんな突飛な発想でも、それがスキーを面白おかしく楽しむ為のオカズ程度にはなり得るから否定はしない。「そういう考え方もあるんだね(^^)」と思う。
かつて同じスクールで同じ団体に属し同じ教程を参考にしながら、考え方で対立したり、喧々諤々の技術論争をしたものだったからだ。

しかし、この狂呪のオカルト理論←(理論どころか日本語にもなってませんがネ(爆笑))は残念ながら全国の関係団体に影響を与える可能性が高いし、コアなスキーヤーは勿論マスのスキーヤーにだって何らかの悪影響を及ぼすだろう。

先日、県内の60億円投資して始めた某スキー場が破産し、5千万円でも買い手が見つからないというようなニュースをやっていた。
こうしたオカルトオヤヂを擁する団体も、あながち無関係とは言えないでは?


で・・・・以前このページで

そんな中で初心者から中級者までをターゲットにし、上級者と自負する人達にも技術系中心の記述でありながら、もしかしたらスキーの楽しみ方を再考させられるのではないかと思われるサイトを発見した。 私とは多少考え方が異なり、受け入れ難い部分もあるが、全体としては非常に良く出来ており、特に中高年の方にとっては一読の価値があると思う。

と書きました。
その後何度か試みたものの、やはり作者には連絡が取れませんでした。
実は作者は2000年に既に亡くなられていて、ご家族にも連絡が取れず、無許可でリンクをはるには抵抗がありますのでそのままにしておいたのですが、やはりここで紹介することにします。

「やさしいスキー読本 スキーなんか怖くない 山遊亭雪楽 オレンチメソッド」

実体験から書かれた内容は臨場感が漂い、口先だけのオカルトオヤヂの理論など足元にも及ばないことがお分かり頂けることと思います。是非ご覧になってください。


M下君からの贈り物
2004/11/13

建物の木部がかなり風化してきた。
勿論21年の間塗装の劣化した部分はその都度補修してきたのだが、今回は20年を過ぎたことだし全面的にプロの手に委ねるつもりだった。
しか〜し、キシラデコールの塗装見積もりをとったら、塗装店からは血の気が引くような数字を提示された・・・・・・・で、やっぱり自分で塗ることにした(笑)。

いくらなんでも5日もあれば終わるだろうと始めたは良いが、もう述べ10日はやっているのに半分を少し越えた位か。
風化が進んだ木部はキシラデコールを大量に吸収するから遅々として進まない。それに4L缶で1万円(100%化学合成の高級オイル並だな〜とつい考えてしまう^^)もする塗料を既に50Lは使っているから、あながち塗装店の見積もりがベラボーと云う訳でもないような気もしてきた。

・・・・・とUような訳で、雪も近いことだし落ち着いて「斜滑考」を更新出来る心境ではなかった(MCは?^^;)。
ところがこれにシビレを切らしたか、ネタ切れを心配したか分からないが、某I県スキー憐命の欺術員(だった)M下君から「2005年度 中央研修会テーマ」なる怪しげな資料とDVDが送られてきた。ザッと目を通した限りでは、彼が私を煽っていることは疑う余地は無い(笑)。M下君もワルよの〜(^^)

本当はもうS○Jなんてドーでもいいと思っていたが、相変わらずのアフォらしさに益々拍車が掛かった「2005年度 研修会テーマ」を見たらちょこっとコメントしたくなった。

  

上は資料の一部に掲載されている宇宙語による宗教的記述。あいも変らず昨年の不評ををものともしない姿勢はリッパと云うしかない。

スキーの場合、本人の主観的事実と客観的事実に某かの相違があるのは以前書いた通り。
その相違が必ずしも一致する必要は無い(結果オーライだったら良い)のだが、中央研修会ではこれをどう結びつけるかを検討するのが課題だと書いてある(写真左)。

注:中央研修会:各都道府県憐の欺術員が集まって上意下達のあり難いお言葉(^^)を持ち帰り、各地のシドーイン研修会で伝達する研修会。

研修会テーマ抜粋:
「スキーにおけるイノベーション、換言すると、スキー技術の新しいパラダイムがスキーヤーの滑走感覚として理解されるためには、この二つの世界(客観と主観←家主注)のずれ(壁)が認識され、云々・・・・」とある。
これを読んで即座に何を言わんとしているか理解出来る人を私は尊敬する。特にヨコモジの方(笑)。そして写真右側の図解にはまんまヨコモジが使われている。写真では判読不能だから列記しておきますね(・・;

Relative Horizontal Level Absolute ・・・・・アカデミックだな〜・・・・なんのこっちゃ???

主観とは全く個人的且つ千差万別だから、これについて検討するというのは正解の無い、あるいは出題自体が間違っている問題に取り組む受験生みたいなものだろう。

客観と主観に気づいたことは評価するが、外観と内観という表現を持ち出してきたのには開いた口が塞がらなかった。
外観はエクステリア、内観はインテリアってUじゃない←毒されてるねワタシモ(^^)。
外観は客観、内観は主観と言いたいのだろうが、もしこうした表現があるとしても、外観も内観も両方共客観だがねモシモシ・・・・・ヴァカッ。
語るに落ちたナ・・・・絶句。

意味不明な図解(写真右)は今年も健在(爆笑)。

外スキーと内スキー主導云々に関しては、外スキー荷重(意識)が出来ないと何も始まらないと思っている私としては、まだこんなこと逝ってる連中のノーミソ見てみたい衝動に駆られる。

自分のことを考えた時、ターンしている時は勿論内足にも乗ってはいるが、しかしそれはスキーが雪面に接しているからそうと分かるだけで、あくまで終始外足荷重意識なのだ。
つまり一旦ターンに入ったら「内スキーなんかしらんもんね〜」という具合。

内脚に荷重が残っている限り、自由なスキー操作は出来ないと思うし、仮に内スキー主導の必要性(メリット)があったとしても、それは狂逝く本部、ましてやシドーインレベルが取り扱う内容ではないと思う(手におえないという意味で)。

それより今最も大事なテーマは「ブレーキについて」とか「正しいスピードコントロール」とか・・・安全に関するもの以外無いだろう。
ターンという行為は障害物を避けるという一面もあるが、その多くはブレーキ(スピードコントロール)を目的としている(していた筈だ)。
ブレーキを必要とする速度に到達しなければ、つまりそのスキーヤーの技術的と言うより、むしろ精神的限界にまで速度が上昇しなければターンは不要ということになる。

しかし一方でブレーキが不要な速度でも、ターンをするというのがスキーの愉しみであるのも又事実だから、その範囲でのターンと、絶対ブレーキングに必要なターンとを、少なくともヒフティーヒフティーで取り扱って頂きたいものだ。

マスのスキーヤーに対してのシドーインであり研修会テーマである筈が、この内容はコアなシドーインの為のコア(アフォ)な内容で、シドーインの資格を持っている人達が何かの難しそうな学会に参加出来、自分もイ ッチョマエにバカデミックアカデミックな会議の仲間入りが果たせたと嬉しがる程度のモンだろう。

恐らく・・・・これに参加した欺術員やこれから参加するだろうシドーインの多くが、執行部の演説を「???」と思いながらも、バカにされると嫌だから、もっともらしい顔をして熱心にメモをとる姿が目に浮かぶ。

シドーインの資格を取り、上の者にヨイショをし、欺術員に抜擢されて中央研修会に参加し、欺術ナントカ部長のありがたい話をノートに取り、それをペーペーのシドーインに伝達することでヒエラルヒー(ヒエラルキー)の頂上付近に近づいたと実感するのだ。

そういう努力をしたかどうかは知らないが、折角這い上がった欺術員の地位を、今年M下君は捨てた。
何年かは続けたのだろう、そしてもう少しで全日本へのステップアップも可能だったに違いないその地位を捨てたのは、余程腹に据えかねる何かがあったのだろう。
なにしろ彼の住居はスイヘーメンウイルス発祥の地だから、良識あるスキーヤーにはさぞかし環境が悪かったと思われる。

多分・・・・これと同じ様な理由で私の友人M上氏もI県連を去った。
どちらもスキーを愛していると言う点で甲乙つけ難いし、心技共に極めているという点でも、私なんか彼らには遠く及ばない。
本当は彼らこそ今のスキー界にとって最も必要な人材なのに・・・だ。

ヒエラルヒーの頂上付近を目指そうとするのなら、このホームページは毒以外の何ものでもないから、決して共感したり同意したりしてはいけない。
M下君は毒されていなかったと信じたい(笑)。

今年(’05シーズン)万が一スキーシーンが好転したとしても、それは間違っても「S○J2005度 研修会テーマ」の方向性が正しかったからではない。

「ラストクリスマス」が某かの好影響を与えてくれることを期待して、又明日から塗装に励むのだ。


笑ってる場合じゃ無い
2004/09/27
先日知人が処分に困ったSJ誌を大量(^^)に持ってきてくれた。

以前指導員の資格を取得した彼がSJ誌を持ってきたことがあり、そこに掲載されていた佐怒賀さんのマンガが面白いとHPに書いたことから、それを覚えていてくれて、2002年9月号から2003年9月号までのシリーズを持ってきてくれたのだった。
マンガもさることながら、スキーの宿なのにスキー関係の書物は一冊も無いと云うアルピーヌにとっては嬉しい頂きものだ。

ざっと目を通した限りでは、どの号も大股おっぴろげたカービングターンの写真が殆どのページを占めていて、今やこういう時代なんだと感じさせる。

見出しも
「トップスキーヤーが語る速く滑るエッセンス」
「スピードを支配下に」
「速くてうまいスキーヤーへの道」
「今なお続くトップのカービングテクニックの進化」
「最新カービングテクニックの鍵 圧&リバウンド」
「速さを生む5つのポイント」
・・・・・・・等々

つまり何がなんでも速く滑られれば「エライ」という風潮だ。以前にも書いたけど、そんなに速く滑りたければチョッカリに限るんだけどね。どーせやるならキロメトロランチャートの250Km/hでもメザシてください。さぞかしソー怪だと思いますけど。

笑えたのは
○中○子プロヂュース(^^)「スキーを操ろうヨ スキー板に滑らされていないですか?」だって。
一瞬「斜滑考」のパクリじゃないのか?と思ったりして・・・・考え過ぎか・・・・同じ様な考え方をする人は他にもいるかもしれないからね(笑)。

スキーが出来るってことは曲がりなりにも操っているってことだ。
エッジに乗っているだけで自動的に曲がってくれる今風のスキーから、「少しは自分の意思を反映しなさい」ということなんだろうが、スキー操作を語るなら徹底的にブレーキングについて語るべきだろう。
カービングは基本的にブレーキ成分の少ないターンだから速度は落ち憎い、つまりターンしてもあまりブレーキの役には立たないからだ。

最近の板をモーターサイクルに例えるなら、パワーウエイトレシオKg/PSに近いハイパワーマシンの様なものだろう。これをそれなりに走らせるとしたら、圧倒的なストッピングパワーを持ったブレーキシステムと、その使い方を習熟しないと、とてもじゃないけどスピードは楽しめない。

先日30数年前のシービーナナハンに乗った時のこと、パワーもハンドリングも古いMCにしては充分良好だったが、ブレーキの利きの悪さに閉口したのを思い出した。良いブレーキ無くして速く走られないのは常識なのだ。

つまりずらし方だ。

そんなタイトルとは裏腹に、先生の見本写真はコレマタ歯出な大股開きのゴキブリかーんぐスタイルってんじゃ「笑うな!」ってホーが無理というものだ。

もっと笑えたのは
「○川○彦が考えるスキー指導のポイント、何をどう教えればスキーが楽しくなるのか?」
指導のポイントだから、これはシドーインに向けてのものだと思うが、今のシドーインはそんなことまで指図されなければ指導できないのかと思ったら笑いを通り越して泣けてきたよ。
「勝手に考えてろやヴォケッ」。

『「あなたの荷重どうなっていますか?」○○○が考える理想のターン運動』に至っては、もう「ナンノコッチャ??」と呆れるしかなかった。
これも同じく「勝手に考えてろやヴォケッ」。

どの号の写真も似たり寄ったりでありながら、その解説は手を換え品を換え、意味不明な造語宇宙語のオンパレード。
さしずめ痔論持論の発表会の様相を呈していて、おまけに人生哲学(笑)まで語っちゃってるツワモノまでいるから、いくらチョーコアなスキーヤーが購入層とは云っても、あまりにもヒドーインじゃないかい??。

SJ誌約1年分を見た限りでは、アクセルの踏み方とハンドルの切り方ばかりで、ブレーキの重要性については殆ど語られていないのには驚きを通り越して恐ろしくなった。

こういったコアな人々が読む雑誌を見て、最近の悲惨なスキー事故が単に悲運だとは思えなくなってきた。
かつては大きな怪我の大部分が骨折とか捻挫だったのに、今やいきなり死亡だ。
コース外滑走による雪崩や病死を除いて、原因の殆どがコース外飛び出しによる立ち木や構築物に衝突、あるいは落下して死亡するというものだ。

それぞれの詳しい原因は定かでは無いが、「コース外飛び出し」ということから、コントロールを失ったことにその原因があるように思える。
コントロールを失ったから速度が出たのか、速度が出たからコントロールを失ったのか、いずれにしても制御出来ない速度だったに違い無い。

前手の知人の奥様は救急病院の看護士をしているのだが、シーズン中それこそ毎日悲惨な傷害を負ったスキーヤーやボーダーが運ばれて来ると話していた。
骨折や捻挫ならスキー場近くの医者で間に合うから、その殆どが脳や脊椎に重大な障害を受けた人達だそうだ。
頭蓋内の圧が高まり、そのままだと死亡するので頭蓋骨に穴を開けると、高まっている圧力で脳漿が飛び出してくることもあるそうだ。

もしこの人達の例え僅かであっても今風の板や技術論に毒されていなかったとしたら、そしてスキー場がそのニーズに応えて整備競争に走っていなければ、悲惨な事故のいくらかは防げたかもしれないと思うと、残念な気持ちでいっぱいになる。

カービングスキーが流行り出した頃、実際八方尾根で起きた死亡事故の2例は、どれもコースに綺麗なトラックが残されていたことから、カービングに嵌った結果、そこから抜け出せないで起こったものだろう。

中国の上海でF1が開催された。(これもODAか?(泣))
行ったことは無いが、モータリゼーションがきわめて未成熟(日本も褒められたものでは無いが^^)と思われる彼の地でのF1開催は、それに刺激され勘違いした人々によって車が暴走し、多くの人命が失われるような気がする。

かつて初心者や中級者の怪我は軽度の打撲や捻挫創傷程度で済んでいた。死に至る事故は中上級者に稀にあった程度だ。
スキー人口が半分とも1/3とも云われる現在でも死亡者数は減っていない。つまりその確率は2倍から3倍になっているのだ。
本当なら転倒しても打撲程度で済んでいた技術レベルのスキーヤーが、いまやいきなり死亡というのも珍しくなくなった。

良く出来た車は簡単にコロがせる。良く出来たスキーは簡単に滑られる・・・・かもしれないが、何事も心身共に熟練には時間が掛かる。簡単に滑られるのと上手に滑られるのとは似て非なるものだ。特に心の熟練には時間が掛かる。

カービングスキーとその技法やS○Jの方向性は、いろんな意味で危険だと再三指摘してきたが、あらためてSJ誌を読んで悲惨な事故の多くは誤った啓蒙の結果だと確信した。


泉問
2004/09/17
先日保健所から連絡があり、アルピーヌは温泉利用許可がされていないので許可申請をするか、又は使用を中止するようにとのお達しがありました。

温泉法という法律があって、引湯にあたっては温泉法なるものに基づき、 利用者は許可を得る必要があるとのことでした。
配湯会社と利用契約を結んだ時点で、本来許可を受けていないと発行されない筈の成分分析表や禁忌症/適応症に関する掲示版が配られていた為、そのような法律があるとも知らず、アルピーヌは約10年の間無許可で温泉を利用していた訳です。

穏便に解決するのであれば、お上のお達しに従い許可申請をすれば済むことですが、現在下記の理由で検討中です。


温泉が湧出したからといって、必ずしも浴用や飲用に適するとは限りませんから、利用者の安全を図ると言う意味では保健所の言う「成分分析表や禁忌症/適応症に関する掲示が必要」というのも理解出来ます。しかしこれは温泉を掘り当て、それを売って利益を上げる配湯業者の為のものでしょう。

現に温泉スタンドでは不特定多数の人が温泉を買っている訳ですし、それを使って「ウチは温泉です」とするのは間違っていない訳です。
もし成分分析表や禁忌症/適応症に関する掲示が必要なら、配湯業者が利用者の要求に応じて発行すればよいだけの話で、加水率何パーセント以下と定められていない現行温泉法では、給湯を受ける側(どの程度の加水率で使用するかわからない)の利用者にとって同じ分析はナンセンスということになります。

田中知事も述べているように、広大な浴槽に1ccでも温泉が混入していれば温泉と呼んでも違法ではないらしいのですが、これは高温の源泉そのままでは入浴に適さない為、加水して温度を下げる場合もあることから、加水率を何パーセント以下と定められないからのようです。


利用許可を与えるにあたり、禁忌症や適応症等の能書きを発行し、使用者に掲示させるにあたっては当然この温泉が有効だとした根拠、つまり臨床試検?等の詳細なデータがあるはずです。
例えば誰が何日何時間あるいはその頻度、又浴槽の加水率や使用温度、試検に参加した人の性別年齢やサンプル数等々・・・。しかし何をもってして有効と判定したのかは実際のところ不明なのです。

脱衣所に掲げられている成分分析書

このことから判定基準が曖昧でありながら、もっとらしく書かれている能書きと保健所長のハンコは、効能が現れなければ不当表示にもなり得るということです。

温泉利用許可が必要で、申請をした利用者の使用している浴槽の成分を分析し、その時点で間違いなく温泉だと認めたとしても、極端な話次回から水道水を使っていても それは書類上永久に温泉として認められるのです。

つまり、温泉とは言っても現実には水道水や井戸水を加熱ろ過していながら温泉と表示している施設も沢山あるのではないかと思うのです。
温泉を売りにしたい宿はこういう状態であっても、あくまで「温泉」というお墨付きは必要な訳で、僅かでも温泉成分が混入していれば道義的に問題ではあっても違法行為ではないのです。

一方温泉を売りにしていない宿(アルピーヌ)が温泉を利用するメリットとは何か?それは水道光熱費やろ過装置等のメインテナンス費用削減と、塩素等に頼らない掛け流しによる清潔な浴槽ということに尽きます。
清潔ということは雑菌の繁殖する間が無く、汗の塩分などが蓄積しないということです。
宿泊されたお客様が温泉だと知って「ラッキー」と思うことはあっても、それはあくまで副次的なものなのです。

アルピーヌは温泉宿を目的としてはいませんでしたし、積極的にその方向に 向かうつもりもありませんでしたが、10年前地域の事情(引湯に掛かるコストの共同負担)から やむなく引湯することになりました。
温泉旅館として積極的に取り組みたい宿と、そうではなかった宿。温泉法はどちらの事情にも関係なく適用されます。知らなかったとは言え、結果的に法を犯していたことをここにお詫び致します。


温泉という定義が実際の使われ方(浴槽)に於いて曖昧を極めている以上、この法律が如何にザルかは前述したとおりですが、今回アルピーヌの温泉が県の調査によって無許可と判明したのは、周知の通り白骨温泉の入浴剤混入騒動が発端でした。

NHKの「クローズアップ現代」でもこの問題が取り上げられていました。
伊香保温泉のある宿が水道水を温泉と偽っていたのが問題で、関係お役所の役人は 許されざる行為だとわめいていました。 伊香保は昭和20年代には20軒程の宿があっただけで、温泉の湧出量はそれを賄える程度でしたが、高度成長に伴ってその数は現在60軒に増えたそうです。

限られた湧出量では新規参入全ての大型旅館の需要を賄うことは不可能で、いきおい水道水を使用せざるを得なかったそうですが、しかし保健所の温泉利用許可無くして温泉を謳うことが出来ない法律がある以上、温泉旅館の看板を揚げるには当然役所の許可はあったものと思われます。

湯量が少ないと知っていながら許可した保健所、ということは実際の使われ方に於いてその殆どが水道水となる可能性を承知していた役所の責任はどうなのか?ということです。

「許されざる行為」だとワメく前に、ご自分達のチェック体制の甘さというか手抜き、又は100人も 入れる浴槽にコップ一杯の源泉を投入しただけで温泉と謳えるその法律の不備こそ責められるのではないでしょうか。

いつものことながらマズイことが起きると責任は民間にあるというスタンスを今回もいかんなく発揮したコメントは見事でした。

クローズアップ現代の温泉評論家氏は、白骨温泉の入浴剤混入は利用者を欺く卑劣な行為だと言っていましたが、白骨温泉=白濁というイメージを構築したのはむしろそうした評論家をはじめ、マスメディアや旅行会社であって、彼らが、又利用者が理想とする白濁した温泉のイメージを維持する為に、白骨温泉側はその期待に健気に応えてきたただけと言えなくもありません。

白濁させずとも、白骨温泉は秘湯の趣にあふれた歴史のある温泉ですし、効能も納得出来るものを備えている筈ですから、透明になったからといって人気が落ちることは無かったでしょう。

この問題はIT好きの田中知事が鳴り物入りで作った「信州密告箱目安箱」に投書されて発覚したものですが、その内容はここに詳しく書かれています。

白骨温泉のSグランドホテルが入浴剤を使用しており、それを保管している部屋まで知り得る情報を県が入手出来たのは、恐らく内部の事情に詳しい人からのものだったと思います。

知事は
「この点に関してはSBC及びTBSから、万が一にもそのようなものが出てきたという場合に情報提供を、映像提供をいただきたいという申し出がございました。私としては、繰り返し申し上げておりますが、一緒にドアを開けさせていただいて、そして中からそのようなものが出てきたときに、申し訳ないというお言葉をいただいたならば、恐らく違ったであろうと思っています。」・・・と、
もっともらしいことをおっしゃっています。

だとしたら、入浴剤投入の情報があった時点で結果的にお客様を欺いていたことを率直に認めさせ謝罪させる方法はあったと思います。
釈明の段取りに要する時間も与えず、何もマスメディアを前にして県の職員が回すビデオカメラの前でウソをつかざるを得ない状況に追い込む必要など無かったのではないかと思います。

自分達こそ絶対正義と言わんばかりの弱者を弄ぶ偽善者の行為と、一部マスメディアの節操の無い報道は人間のいやらしさを見た気がして気分が悪くなりました。

白濁させるという行為がお客様に対して背信行為であることに気付いたからこそ、必死に隠そうとする女将、執拗に証拠を押さえようとする県と知事。

ビデオ撮影しながら女将を問い詰め、うろたえる姿や従業員の行動をビデオテープに収め それを特定のマスメディア(SBC信越放送)にリークするという行政の行為が果たして妥当あるいは尋常なものかどうか?

実際のところ、その醜態を衆目に晒されなければならない程女将の行動は極悪非道だったのでしょうか?
この行為は透明になってしまった温泉を人工的に白濁させて白骨温泉のイメージを維持しようとした点で、道義的に問題はあるものの、決して違法では無いということは確かです。
心理的には髪が寂しくなった人がカツラを使ったり化粧をするのと同様なのでは?ということです。

人気のイケメンタレントが実はカツラ使用だとか、あるいはかつて美人だった(^^)女優のチョー濃い化粧だとか、誰しもがいくらかは他人を欺く秘密にしたい問題を抱えている訳で、それはサギ行為だから「隠しているカツラを出せ」とか、「素顔を見せろと」迫られているようなものだったのでしょう。

白濁させた行為はけしからんと、鬼の首でも取ったようにワメクレポーター、あなたの化粧はサギ行為ではないのですか?
藤井フミヤの歌じゃないけれど、「素顔に素直にアイムソーリー」とはなかなか言えないものです。

だからと言って白骨温泉の行為を庇うつもりは毛頭ありません。しかしポマードの大量使用で記憶を失った元首相や、証拠隠滅の為に長野オリンピック招致委員会の費用明細の帳簿を焼き捨てた関係者に較べれば、入浴剤を浴槽に投入した彼らの行為は取るに足らないものと感じてしまいます(^^;

信州密告箱目安箱に投書された方も、「ダマサレタ」とお怒りになる前に、100円の価値しか無いものを10000円と値札を付けられ、それを8割引だから安いと2000円で買うようなことがありはしないか?、白骨温泉の源泉100パーセントの浴槽も、伊香保温泉の一部旅館の源泉0.001パーセントの浴槽も同じ温泉と呼べる現状にあって、他人の評価をあてにするのでは無く、真贋を見抜く力を養ってほしいものです。

ちなみに・・・草津温泉製?の入浴剤を投入すると白濁しますが、本物の草津温泉は多少濁っている程度で、殆ど透明というのも笑えます。


今回の県の職員や知事の行動は、人間として人に対する優しさや思いやりのかけらも無く、信用を失うことが致命的な旅館業にあって、その弱みゆえ上手に糊塗する術を知らないまま防戦一方の非力な女将に対して、圧倒的権力が「けしからん」という世論のバックアップを得て、子供レベル以下の陰湿なイジメを行ったように思えました。つまり女将をさらし者にし、その人権を蹂躙したのでは?ということです。

ハンディキャップド(チャレンジド)の方々のお叱りを承知で書けば、彼らが社会的弱者であることは大方が認めるところですが、この分かり易さ故、知事が就任以来常に襟元に付けているヤッシーの縫いぐるみ?も弱いものの立場に立っているという示威行為なのでしょう。

しかし今回の行動でそれが単なるパフォーマンスに留まらず、自ら似非ヒューマニストであることや、官尊民卑の体質を露呈してしまったように思えました。

加水率99.999・・・・%以上であっても保健所のお墨付きさえあれば温泉と呼べる現状にあって、アルピーヌはお客様のご協力を頂きながら、自らの責任においてその効能の有無を確認出来る日まで保健所への許可申請は行わないつもりです。

EFFECT EXPERIMENT NOW

Now now,don’t be in such a hurry・・・・・(^^;

帰ってきたタマゴッチ
2004/07/28
ブームとは波のようなものだとも思う。潮が満ちたり引いたりするのにも似ているカモ。

波によって運ばれたコンブが海岸にうち揚げられていたりする。そしてそれを自然の恵みとして享受する人々がいる。
シケの後などは大量のコンブが押し寄せて来るのかもしれない。だからと言って海辺に暮らしている人々は自然の脅威を知っているから、大き過ぎる波は望まないと思う。

津波が押し寄せると聞いてコンブが大量に打ち揚げられると喜ぶ人は居ないだろう。ゴミも大量に混じっているばかりか、暮らしている場所自体がゴミになりかねないからだ。程よく自然の恵みを運んでくれるだけでいいのだ。
その意味で長野冬季○リン○ックは津波みたいなものだってか(^^;

自然の摂理は人間に様々なことを教えようとしている。その声に気づかないと取り返しのつかない事態が起きるかもしれない。

斜滑考T02/dec 1999 マニアックって何だ?良くわからないけれど・・・。 で触れた「扱いにくい性格は上級者にのみに許された特権のような雰囲気があった。(と思っている)それが後にスキー事業から撤退せざるを得ない原因のいくらかは占めていたと思う。その話は又別の機会に。 」・・・・をこの↓機会に(笑)

○マハはスキーメーカーとしては新参だったが、潮の引き際を見て?サッサと撤退してしまった。

スキーブームの到来を察知し、強力なブランドイメージで業界に参入した○マハは一時期はそこそこの業績を上げたのだろう、スキー界にとってもこの参入は好ましいことだったにちがいない。

それまで木製が主流だった板のマテリアルに、新素材(FRP)を使って名器ハイフレックスを登場させた時は「サスガ○マハ」と思ったし、高級感はもとより、名実共に優れたスキーだったと思う。勿論当時の私が手にすることなど出来ない高嶺の花だった。

マテリアルや構造は直ぐに模倣されるから(○マハもクナイスルの模倣)、どんな板も具えておくべき基本的な性能(耐久性、対候性等々)としてのアドバンテージはすぐに無くなった。

この時点で○マハは普通のスキーヤーにとっての「感性性能?」にも目を向けるべきだったと思う。このことにいち早く気がついていたのは国内メーカーでは老舗の○ガサカだったかもしれない。

しかし残念ながら○マハ自体がブランド志向であったためか、板の開発には著名レーサーをはじめとしたレース関係者が主流を占めるようになり、出来上がった板は、例え入門者用であっても一般スキーヤーには操作し難いものが殆どだった。
それでもそこそこ売れたのは○○MAHAというブランドのなせる業に他ならない。

このことについて一般スキーヤーに近い立場のデモチームが、「このままブランドに頼っていてはいずれ売れなくなるから、普通のスキーヤーにとって操作性の良い板を開発するべき」と再三注文をつけていたにもかかわらず、結局市販される板は構造も材質もレーシング仕様のディチューン版、もしくはお手軽なサンドイッチ構造でしかなかったように思う。

レース用の板は殆どが選手達に無償で提供されていた。
一般ユーザーが購入するのはオールラウンド系の板であり、そしてその人々によってスキー事業が成り立っていることを考えたら、オールラウンドモデルの開発にはもっと真剣に取り組むべきだったと思う。

その当時でも、欧州の老舗メーカーの作るレーシングモデルは、初心者でも無理なく扱えるほど操作性が良くなっていたから、「レーシングモデルは扱い難くて当たり前」というのは既に過去の話だったのだ。

こうした時代の流れを読めず、レース結果が販売に結びつくと信じていたのかどうかは知らないが、相変わらず一部レーサーの尖がった(遅れた)嗜好に合わせた設計思想がベースにあったから、当然製品にも反映される訳で、例え○マハファンと云えども扱い難い板につき合うのに疲れ、次第に○マハ離れが加速していったのだろう。

撤退を余儀なくされた当時、その理由を「世の中の経済状況云々・・」と言っていたように記憶しているが、それは言い訳にすぎないし、例えそうであったにしても、実際は○マハファン・・・というよりむしろ普通のスキーヤーを蔑ろにした結果ではないかと思う。

つまりエントリーユーザーの為に本気で良い板を開発提供し、「より楽しい充実したスキーライフを過ごして頂きたい・・・・」という姿勢が欠落していたのだと思う。それが証拠に撤退直前の初中級者向けスキーの生産はナント!タイで行われていたのだ。

経営陣や開発陣の中に、たった一人でも芯から底からスキーにはまっているスキーバカが居たら、状況は随分違ったものになっていたかもしれない。何故なら今でも優れた板と利益を出しているメーカーがあるからだ。

いずれにしても○マハブランドの撤退は、スキー界が「メジャー企業から見切りをつけられた」という意味において、そのイメージダウンはとても大かったことは確か。

注:○マハスキーチームはレーシングチームとデモンストレーターチームで構成されていた

で・・・・近鉄を買収しようと名乗り出た人が居た。従来の仕組みの中でしか考えられない人々によって、そのオファーは笑止千万とでも言いたげに黙殺された。
野球のことについては全く無知でも、少なくともこの騒動で選手やファンが蔑ろにされているということだけはハッキリと分かった。

この問題がどう決着しようと私には関係無いが、やっぱり2リーグ制を維持することになって、断ってはみたものの、買収を名乗り出た人に泣きついたとしたらドーなる?。プライドありそうだからそんなみっともないことはしないと思うけどね(笑)

成長する企業には成長する理由がある。そこがやり方次第では勝算があるとふんだのだから、一度は魅力を感じさせた球界(球団)が、「そのお話は無かったことに・・・」とソッポをむかれでもしたら反って深刻なダメージを受けるような気がする。

かと言ってこのまま1リーグ制に移行したとしても、もっとつまらなくなるような気がするんですけどねッ、野球キョーミありませんが(^^)。

「帰ってきたタマゴッチ」がどれほど流行るのかは知らない。しかしスキーも野球もテニスもゴルフもその他モロモロ・・・・・再び程々の波として打ち寄せて欲しいものだ。


さについて (不適切な表現があったので修正しました(^^)←いつも不適切じゃネーカって?・・・ごもっともデス07/20)
2004/07/19

私には中二になる娘がいる。多感な年頃だと思う。

最近学校でスカートの長さが問題になっていて、校則では膝下となっているらしいのだが、中にはとても短い子が居て先日の参観日でも母親達の間から指摘があったそうだ。

パンツが見えんばかりに短くした子の母親曰く、「中身が問題だからスカートの長さは関係ない」だそうだ。
その中身が外観に現れているのだよ、ブワカッ。
そのくせヘンタイに覗かれたと騒ぐのがこのタイプだ。

よきにつけ悪しきにつけ、合理的だろうと不合理だろうと、如何にナンセンスであったとしても、校則という決まりがあれば、そこに在籍する以上守るべきだと思う。

校則を守ったからといって命が危険に晒される訳では無いし、何不自由なく過ごせる筈だ。それを個性だの自由だの、はては人権だのと理屈をつけて正当化し、自分の娘を庇うことで将来どんなメリットが娘にもたらされるというのだろう。

大きくなって会社に入り、もし社則があったとして、個性と自由の名の下にそれを守らなければ結果は目に見えている。そんな人間は会社にとって不要なのだ。

どっちでもEよーな自由をもっともらしく主張していると、肝心で重大で本当に大切な自由を失うかもしれないのだ。ジッサイじわじわと不自由になりつつあるその裏で舌を出しているヤツが見え隠れしている。

たかだか3年、くだらない規則でも徹底的に守る方がカッコEと思うのは今時ヘンタイか?(笑)。

ちなみに・・・長さは様々だが学年が上になるほど短くなる傾向らしい。
このことについてクラスで話し合ったそうで、そもそも膝とはどこからどこまでを指すのか?、それだけでも随分違うとか・・・・云々。
そう云えばPCの注意書きに、「低温やけどの恐れがあるので長時間ひざの上での使用は避けてください」というよーなことが書いてあったなー、腿も膝の範疇だってか。パンツバカ丸出し(^^)

そんな中である男子生徒が

「スカート短くしたって」・・・・・・


「美人になるワケじゃネージャン」
と言い切ったらしい。

ユーね〜中学2年ッ・・・・・座布団一枚!

くだらん話で貴重な時間を失うのが勿体無いらしかった。

スキーも板は短ければEというもんじゃない。こればっかりは勘違いの母親のご意見同様中身が大切だ(爆小)



2004/07/15

「上達」とは楽しんだ人に与えられるご褒美みたいなものだ。
だからハナッから上達を目指してはいけない。上達を急ぐとろくなことが起きない。
愉しむ筈が苦しみになったり、泥沼にはまって藁をも掴む心境になったりするかもしれないし、あげくの果てには怪しげな教えにだってすがりたくなるというものだ。

方々ででっちあげられ、ブチかまされる技術論やドーグのゴタクは善良なスキーヤーを惑わすね〜(笑)。

知人のバイク乗りにこういう人がいる。
バイク屋に「1000Km毎にオイル交換するように」と言われたら、何が何でも1000Kmを守る。
5000Km走ったらどうなるのか考えようとしない。

誰かにCRキャブ注1が良いと言われればそれに交換する。それがどういうものか考えたりしない。
誰かが○○のハイグリップタイヤ注2が良いといえば疑うことなくそれを使う。
軽量化が良いと聞けば危険なまでの軽量化を図る。その他モロモロ。

至れり尽くせりで快適安全な4輪車が溢れるこのご時世、わざわざ2輪車で走るからにはそれなりのポリシーがあると思うのだが、「上手になりたい、速くなりたい」と思うあまり、MCライディングの楽しさを忘れ、怪しげな情報に振りまわされてしまうのだろう。スキーも同じだ。

ガッ・・・・・MCを、そしてスキーをどう楽しもうと勝手だからヨケーなお世話ってもんですね(・・;。でも僭越ながら本当に楽しんでいるのだろうかと考えてしまう。

誰かのアドバイスを受けるのは良いことだが、しかし「ドーして、何の為に・・・・」を理解しないとアドバイスのマニュアルから外れた事態が発生した時にウロタエル・・・・・ジッサイ。

以下はシロートなりの解説。間違っているかも、そして益々分からなくなるカモ・・・(^^;

注1:
通常一般市販車に使われているキャブレターはCV(コンスタントバキューム)式といわれるもので、スロットルバルブの他にバキュームピストン(ベンチュリー可変機構)があって、ライダーがある程度ラフにアクセルを操作しても、スロットルバルブの開度とは関係なく、パキュームピストンがその時の条件に合った理想の混合気をエンジンに供給する仕組み。
初心者でも簡単に扱え、一般的な使用条件では非常に高性能。

CRキャブにはスロットルバルブが無く、ベンチュリー可変機構を人がダイレクトに操作する方式で、強制開閉式と呼ばれているもの。
スロットル(アクセル)操作には繊細さが要求され、ラフに扱うとエンジン不調になりやすいし、気圧の変化にも敏感だから低地から高地に登ったり、天気の良し悪しでも調子が変る。
しかしセッテッングが決まった時は、ダイレクトに操作するだけにレスポンスも良く、特に全開ではCVキャブに比べスロットルバルブの邪魔物が無い分パワーが出るとされていて、主にレースで使われる。

とは云っても現在のGPを頂点とするレースではインジェクションが常識だから、古きよき時代を懐かしむ為に使うといったところかもしれない。

注2
ハイグリップタイヤとは文字通りグリップの良いタイヤのこと。
しかし、転んだ!と思うほどMCが寝ても滑らないグリップ力を引き出すにはそれなりの扱い方があって、一つにはタイヤをかなり高温まで温めること。
これはサーキット以外普通の道ではなかなか難しいし、温められなければ逆に普通のツーリング用タイヤよりローグリップ状態が続いているということになる。

溝が少ないから雨には極端に弱く、耐磨耗性も悪い。
仮にその性能を発揮できたとしても、一瞬のスリップによって深刻な結果を招く可能性が高まる。その点普通のツーリング用タイヤは滑り出しが穏やかだから冷静に対処出来る。

ということで・・・・・ってドーユーコト?(^^;

ドーグの性能は尖がってくるほど調子よく使える条件がシビアになるから、結果的に使いこなせないという現象が起きるのは避けられない。

スキーも「上手になりたい」一心でドーグやセッティング云々に走りがちだが、その前にまずどんなドーグであれチョロっと滑るだけでも楽しいということを思い出して欲しいものだ。

○○のように上手く滑りたいなんて思うのは愚の骨頂、死ぬまで頑張ってもアコガレ(笑)の人の真似は出来ないだろう。
自分は自分、「上達」は目標では無くあくまで愉しんだ結果もたらされるもの、やっぱりご褒美なのダッ。


オーディオとスキー
2004/07/06

CDプレーヤーを購入する際、最近の機材について知識が無かった私は当然ながらオーディオ関係の雑誌を買って参考にした。
題名は「今旬のハイファイデジタルプレーヤーのすべて」

実際の音がどうなのかは聴いてみないと分からない筈なのに、「文字と音」全く異質の媒体でありながら、文章だけでも自分なりにある程度出て来る音のイメージを抱くことが出来た気分になるから不思議だ。

例えば
購入したCD−A10Tは
「たっぷりとした低域感、柔らかく聴きやすいサウンド」で「ピアノの密度感はあまり無く、一音一音の芯がやや弱い」とか「SN比やDA変換精度は低い」

候補に挙げたDCD−1650SRは
「アナログ的で滑らかな質感」で「ピアノは一音一音が高密度」とか「SN比やDA変換精度は上等」

実際試聴した感想は、もしブラインドホールドだったらその差は全く変わらない(判らない)と思うが、現物を目の前にしての試聴となれば、多少の違いがあると感じるのは仕方ないところ。

しかし、これは雑誌からの先入観に因る所が大きいと思うし、それも誇張すればの話であって、出てくる音に優劣はつけられないから、全く好みの問題だろう。
強いて言えば中国製の方が低域が僅か多めに出ているカモ?と言った程度で、これも出力レベルの差からそう感じたのかもしれない。

しかし自分のシステムで聴くと、古いプレーヤーより遥かに優れた音質であることは以前書いた通り。
念のためにピンクノイズで調べたら高域はせいぜい11KHz程度しか聴き取れない耳なのに、良否(本当は好みカモ)が判るのはf特以外の要因が大きいのだろう。

それにしても・・・・・・
その雑誌にはオーディオケーブルや電源コード、RCAピンプラグ、果てはタップ(コンセント)の試聴記まであって、夫々が「そんなに違うの!!」とにわかには信じ難い眉唾もんの記述があったのには驚いた。

こういう記事を読んでしまうと、私も含め普通の音楽好きな人にとっては、オーディオシステム構築にあたり一体ドーしたら良いのかウロタエルに違いない。

音楽を聴くだけだったら常識的にはプレーヤー→プリメインアンプ(プリアンプ→パワーアンプ)→スピーカーと繋ぐだけで音は出るし音楽を楽しめる訳で、それぞれの取り扱い説明書を読めば使い方は簡単に分かる筈だ。
繋ぐ順番や操作を誤ると音が出ないばかりか悪くすれば壊してしまうから「誰にでも分かる取り扱い説明書」・・・・・まずこれが基本だ。


音が出、操作に慣れ、音楽を楽しんでいるうち次第に好みの音を追求するようになるのだろうが、演奏者が伝えたい意図を忠実に再現出来るシステムが理想なのは当然としても、カーラジオでも音楽は楽しめるということだ。
巷のスキー関係の書物は、楽しみ方はそっちのけで、最初からケーブルの音質について語られているようなものが多い気がする。

数あるスキー関係のサイトの中で、「なるほど!これは分かりやすい」と思わせるものがいくつかあったし、優れた発想や着眼点には敬意を表したいと思った。しかしそれらの多くが次第にデテールにこだわるようになり、結局S○誌や○G誌、あるいはS○J発行の書物とたいして変わらない難解な「眉唾モン」になりつつあるのが残念だ。

そんな中で初心者から中級者までをターゲットにし、上級者と自負する人達にも技術系中心の記述でありながら、もしかしたらスキーの楽しみ方を再考させられるのではないかと思われるサイトを発見した。
私とは多少考え方が異なり、受け入れ難い部分もあるが、全体としては非常に良く出来ており、特に中高年の方にとっては一読の価値があると思う。

制作者に連絡が取れない為リンクすることは出来ませんが、興味のある方は私宛メールを頂ければご紹介します。


こに逝きたいの?S○J
2004/05/13
スノースポーツを取り巻く環境は最近益々悪化していて状況は深刻だ。
今シーズンは悪かった昨年に比て20%減という話も聞く。
原因は欲に目が眩んで節度を失った業界にあるのはトーゼンとしても、とりわけS○J、それも狂逝く本部の無能ぶりがスキーヤー減少に拍車をかけていると思えてならない。←八つ当たりだったりして(笑)

最近喧しい年金改革の話は、完了や○治家達自らの無策や度重なる失敗のケツ拭きを国民に押し付ける為の怪嚇であり、完了や与野党共に彼らの老後さえOKだったら、ホンネは「国民なんかドーなっても知らんもんね〜」と言った所だろう。

それが証拠に、景気良くわめいていた野党の投手でさえ未加入だか未払いだったらしいから大笑いだし、混迷党に至ってはなにおかいわんやだ。ついでに元斜眠倒投手もね。

彼らが自分達の都合を最優先するのはトーゼンだから、この問題に平民がゴタクを並べるのはナンセンスだし、ゼーキンやホケンという名目で小市民からゼニをまきあげることしか考えていないから、政治に何か期待していたとしたらまったくオメデタイのだ。

今回の騒動で「まつりごと」は決して国民の為などではないことが良く分かってとても勉強になった。
しかし、現在まで35年間納め続けた保険料で、民間にはとても不可能な豪華宿泊施設をしこたま作られ、同業の家業が圧迫されようと、これからもオメデタイ一小市民としてセッセと納め続けるだろう。お上のお達しに従うのだ。彼らの為にね。
この点ではエラソーなゴタクを述べていたセンセー方より誠実だと言える(笑)

公共の宿は建物内外共圧倒的に豪華でリッパだ。しかし経営者のポリシーを感じる施設は驚くほど少ない(天下り屋にそんなもん期待するホーがおかしいか^^)。
高名な建築家が潤沢な資金でやりたい放題やればある程度のものは出来るだろうが、「○○作って魂入れず」といったところだろう。

皇太子さまの悲痛な悲鳴とも思えるお言葉からも伺えるように、宮内庁の職員だって皇室に寄生してゼーキンを食い荒らす寄生虫みたいなものだ。

殿下の心中はお察しするに余りあるが、あそこまで言わせてしまった関係者は、即刻打ち首にされても文句は言えない位のものだ。

しきたりと伝統の名の下に、思い上がった連中が皇室に「お仕えする」という立場を忘れ、皇室を利用し保身に汲々としていた結果に違いない。その自覚の無さが皇室関係者のコメントに現れている。

どんな団体も多かれ少なかれ似たようなもので、S○Jだって勿論同じだ。
入門者を含むスキーヤー不在のなりふり構わぬ怪しげな技術論その他諸々は、執行部(爆)の哀れな保身の為の最重要課題になっているかのようだ。あの手この手のゼニ集めもしかり。

低レベルでゴミみたいな話で恐縮ですが、そもそも毎年変わる「研修会テーマ」によって、参加した指導者や普通のスキーヤーのイメージ統一などということは可能なのだろうか?、

スキーの黎明期ならいざしらず、これほど個が分散している時代にあって、すべてのスキーヤーに一つのイメージを持たせようとする行為が成功するとはとても思えない。

研修会、バッジテスト、指導員検定をはじめとする各種資格(笑)、欺術選等々をでっちあげ、そのイメージ操作によってS○Jのある種のブランド(カタガキ)が多くのスキーヤーの普遍的あるいは共有できる価値として認められる時代が続くとでも思っているのだろうか?

アルペンレースはタイムの短さを競う単純且つ客観的な競技だけに、開催側でのリスクコントロールは簡単だが、見世物的要素の強いモーグルや欺術選は、技(笑)の難度が高くなる程ウケるから、益々エスカレートするのは避けられない。
つまり、より高得点を狙うにはより負荷の大きい危険な技が求められるということだ。

この時点ですでに「生涯スポーツになり得る安全なスキー」とは方向性が異なる。

何の変哲も無いカービングでも、緩斜面の低荷重ならいざ知らず、中急斜面の高速高荷重領域で、万一正しいカービング状態にはまったとしたら、そしてそれがコンプレッション(斜度が緩くなる部分)に向けてのものだとしたら、普通のスキーヤーであれば恐らくコントロールを失うだろうし、身体に深刻なダメージを受ける可能性は高い。そして本人だけならまだしも、他人へ危害を及ぼす危険性だって高まる。

以前も書いたが、アルペンレーサーのある瞬間が美しいと感じるのは、「タイムを詰める」という明確な目的の上で必然的に現れた結果であって、決して見栄えを意識したからでは無いのは明白。
タイムを詰める訳でも無いのに、それを真似て他人に対して自分がどう見えるかに腐心するのは本末転倒というものだろう。

技術の練磨は、より難度の高い状況でも「自分自身が自由に振舞える為に」であって、決して見栄えなどでは無いし、ましてや他人の評価なんかクソクラエだ。

例えば斜面のコンディションをかこつ人が居る。
ターンは板の性能に左右されたり、雪が回してくれると思っている限り、そういったグチはついてまわるだろう。

言うまでもなく、スキーイングは板や雪が自動的に回してくれるのでは無く、自分の意思と技と力が回すのだ。だから雪質や斜面状況によっては手強くて敬遠したくなる場合だってある。

今更「スキーは落下運動に因るもの」などともっともらしく言われると、あたりまえすぎて「あんたショーキかよ」と言いたくなる。その落ち具合を自分の思い通りに調整するのが愉しいのだし、それには技も力も要るということだ。

技と力と気力を兼ね備えているのが理想だが、技が未熟なら力に頼り、力が無ければ(衰えれば)技を駆使すればいい。いずれにしてもスキーは老若男女楽しめるスポーツであることに変わりはない。

某かのプライズを取得するのが練習の励みという人もいる。しかし、それは技術の練磨によって自分自身の潜在能力を発見するという驚きに満ちた旅の為などでは無く、社会的評価を得たいという陳腐でセコイ欲求と同レベルでしかないということだ。

30年程前奥利根スキー場で指導員検定に行った時のことだ。各地から受検に来た準指導員の技術レベルのバラツキの凄さに驚いたことがある。
この時以来スキーに限って言えばカタガキなんか○ソの役にも立たないと思っているし、これまで様々な局面で似たような経験をしている。まったくアフォらしいかぎりだ。

これが噂に聞く「某○連の準指検定では、帰りの検定員サマの車が受検者からの貢物で満杯」の結果か?と思った。今は知らない。

理念無き技術論はいかなる手法をもってしても、継続的な成功を収めることはできないに違い無い。
「スキーとは何か?」いたいけで純真なスキーヤーから搾取し、保身に汲々とするだけの、いまだ語るべき理念をもたない(行動が証明している)狂逝く本部は一体どこに逝こうとしているのだろうか?

このページのネタを提供してくれた「オタク理論」は、当初の予想どおり結局マトモなスキーヤーからは相手にされなかった。

その他貴重なネタ提供の関係各位にお礼申し上げます(笑)

春の
2004/04/07

今年は降雪に恵まれたにもかかわらず、滑りに行ける時には既にお気に入りの美味しい斜面はことごとく先客に荒らされていて、オフピステクルージン(整備の手が入っていないという意味で、バックカントリーではありません)を楽しむ人達が大勢いることを嬉しいと思う反面、正直に白状すれば「ガッカリ」してばかりだった。

今シーズンもバージンスノーを滑るのは不可能だろうと諦めていたものの、4月に入ってから思いがけない降雪に恵まれてその願いが叶った。

この時期に降雪があっても、大抵は春一番、二、三・・・・(^^)の強い風によってウインドクラスト状態になるのに、先日のコンディションはとても穏やかな表情の新雪だった。

春の雪なので新雪とはいえパウダーとは呼べないのかもしれないが、それでも自分にとっては最良のノートラック斜面を滑られたことが何より嬉しかったし、こんな天国のような斜面を滑ったのは最近では記憶に無い。

紺碧の空の下、北向き斜面のパウダーラン、春の陽光を浴びて水気たっぷりのツリーラン、どちらも極上のスキーだ。
滑り終わって誰もいない林の中で一息いれると、耳が痛くなる程の静寂と幸福感に包まれた。

「これでオレのシーズンは終わりだな」・・・・・・・・・と思ったら無性に寂しくなった。

春はいつもこんな気分でやってくる。


ラスラン?
2004/04/05

4月5日快晴










パウダーラン







ツリーラン






やりたい放〜題!!!!

・・・・・幸せっ!・・・・・







ここもやったかって?・・・・・

ノーコメント(^^;


コ○ドー
2004/04/03
テコ○ドーの有力選手がオリンピックに参加出来るか出来ないかでマスコミを賑わわせてるネー。

テレビではこの話題にけっこう時間を割いているものの、そのスポーツがどういうものか詳しく解説しているのを見たことが無いから、報道する以上コメンテーターの感想は程々にして、内容やルール位は説明するのが親切というものではないだろうか。

JOCの言い分は複数の競技団体があるから派遣出来ないのが理由らしいが、それならO選手が所属している団体を日本を代表する唯一の団体と認めれば良いだけの話だと思う。

スポーツ関係の団体がするべきこととは何か?それはハッキリしているにもかかわらず、下衆な思惑があるからかどうかは知らないが、この関係者には理解出来ないらしい。
それにしても会見に現れるJOCや狂怪や憐拷の面々はドー見てもスポーツ関係者とは思えないのですが・・・・(^^)。

一般の人がテコ○ドーというスポーツがあるというのを知ったのも、その多くが前回のオリンピックでO選手が活躍したからであって、関係団体の努力の結果でないことは明らか。

以前スキーノルディックコンバインド競技(ジャンプとクロスカントリーの複合競技)が荻原選手のワールドカップ活躍で注目され、ファン?も激増したことは以前にも触れた。

ジャンプは一般の人が嗜むには現実的では無いだろうが、クロスカントリーはその気になれば誰でも出来るし、やってみれば実に爽快なスポーツだから、はまり込む人も多いと思う。

ところが、オリンピック以降このスポーツの人口が増えたという話は聞かないし、競技の見学者も以前のレベルに落ち着いてしまって、かつて熱狂した人々の記憶からは「ノルディックコンバインド」という文字は綺麗さっぱり消えてしまったかのようだ。

オリンピックという絶好の機会を得ながら、それを普及に生かせなかった関係者の無策ぶりを責めるのは、日本人の国民性から云って酷だとは思うが、それにしても今回のことでJOCはもとより、スポーツ団体の存在理由とは一体何なのか考えてしまった。

かの有名な?S○Jも、魑魅魍魎の棲む世界という意味では似たり寄ったりたかりだってか(笑)

テコ○ドーのO選手にはオリンピック参加の可否にかかわらず、その奥義を窮めて欲しいと思います。