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道具 性能云々もいいんだけど 2003/05/12
あってはならないこと しこたまあるね 2003/04/26
カタクリの花 今年の初ツーリング 2003/04/25
国って? ボーダーレスの時代は来るんだろうか? 2003/04/24
人間って? 今度の戦争で思うこと 2003/04/20
回想 ・・って程のことじゃないんだけど(^^) 2003/04/06
温泉 マユツバではなかった温泉の効能 2003/04/03
戦争 2003/04/01
MJQ 久しぶりに聴いたMJQ 2003/03/28
野良歩き 雪の有り難味 2003/03/26
3回目の達人検定 スペシャルテストの持つ意味 2003/03/23
踵の捻り押し出し 役に立つと思うけどな〜 2003/03/19
道・・ ・・・ 2003/03/16
シンプルイズザベスト! ウマイことを言ったもんだ 2003/03/13
復活 Neo Conservative 2003/03/12
技○選その3 これでおしまい 2003/03/09
技○選その2 これでおしまいにしたい(^^) 2003/03/07
技○選が始まった 溜息が出るよ(;;)マッタク 2003/03/05
プルーク系 プルーク系技法の価値 2003/03/05
お気に入りの板 ウマが合う板について 2003/03/02
安全なスキー はいぶろーなスキーの為に(^^) 2003/02/28
ストレッチ 準備運動をしよう 2003/02/26


道具
2003/05/12
スキーを始めたのは3歳位からだと聞いているので、当然その頃のことは全く記憶にない。最初の板はおじいちゃん(大工)の手作りだったそうだが、高校入学までは板を含め道具を買って貰ったことはない。全て貸しスキーとそれ用のビニール?の靴とストックだった。

小学校3年の時お客様から割と新しい(買ったけど長すぎたのカモ)「アジア」の板を貰った時はやっとマトモなスキーが自分のものになって喜んだことを想い出す。
それは板を立てて手を伸ばしても先端までは30から20cmを余す2mだった。
昔のこととは云え、いくらなんでもこんな長い板を使っている友達は居なかったし、どう見ても9歳の子供が使うには異様なシロモノだったが、「これはヒッコリーで出来ていて良いスキーだ」とか「長い板で滑れるのはエライ」とかおだてられて使い続けたのだ。

近所の友達の多くは毎年新しい体に合った道具を買って貰っていたので、それがとても羨ましかった。
「買って欲しい」と要求はしたが、答えはいつも「勝ってからにしろ」(小学校や中学のスキー大会で)だった。この条件が如何に絶望的だったかはジャンプ用の板でスラロームするのに似ているかも。

体が大きくなるにつれ、2mの長さによるハンディは次第に解消していったが、友達は既にモールドエッジ+ポリエチレンソール+ラグリーメン(革紐でブーツを ガッチリ固定するビンディング)の最新の道具を使っていた。これに較べると「アジア」はインターロックエッジ(平板のビス留めエッジ)とセルタナ(プラスチックの類)ソール+カンダハービンディング(ワイヤーで踵を引っ張るタイプ)ではハナから勝負にもならない・・・・。

子供の頃は道具に恵まれなかった・・・ってなことを書いていくと収拾がつかなくなるのでこの辺でおしまい。
当時は私と同じような境遇のコドモもけっこう居たので別にドーってこともないのだが(^^)
後にも先にも親から板を買って貰ったのは2台(GS用ケスレーコンビ205cmとSL用ニシザワCM205cm)のみ。嬉しかったなー大切に使ったのは言うまでもない。スキースクールに入ってから自分の稼ぎで板を買えるようになった時も嬉しかった。

あるシーズンが終わり、スクールの片付けをしていて「ジュニアスキーチーム」の道具置き場に入った時のことだ。コドモ達には道具は家に持ち帰るよう指示があったらしく、薄暗い部屋の中は何も無いように見えたのだが、良く見るとかなりの数のスキーやストックが散乱していた。それもコドモには贅沢過ぎる程のまだ新しいものだ。それで済めば良かったのだがヘルメットが床に転がっているのを見た時は「アー終わってるな、親もコドモも○ーチも」これでジュニア育成なんてチャンチャラおかしいと思ったものだ。今はどーか知らないが、最近のスキー界を見ているとその頃の結果が表れているような気がする。

板の性能(性格)云々が最近のトレンドみたいだが、肝心なことはそっちのけでラディアスがドーした、タワミがドーしただの「アタマおかしーんじゃねーのか?」と思うことが多すぎる。
スキーなんて例え貸しスキーのボロボロでも、エッジが欠損していても、変形していても、木だろうと、プラスチックだろうと、長かろうと短かろうと、ゴミだろうと(^^)スキーの形さえしていればスキーは出来る。ただ調子よく楽しめるか否かだけだ。

しょぼい道具じゃスキーが楽しめないのなら50年前なんて誰もスキーなんかしなかった筈だし、日本じゃレルヒの時代からスキーをしているからきっとそれなりに楽しかったのだと思う。

例えば板を撓ませ、そのカーブに乗って曲がっていくのがコンポラ技術だというのであれば、一度スローモーションビデオで撮影した映像を良く観察してみればいい。板はきれいなカーブどころかベビのようにベロンベロンにのたうちながら進んで行くのが分る筈だ。

「板を撓ませて曲がる」・・・そういうイメージは大いに結構だし、主観的事実としては正しいかもしれないが、客観的事実は説明のつかないものになるだろう。

道具の性能に腐心し過ぎると醍醐味を曖昧にするのでは?

あってはならないこと2003/04/26


隣の国が既に大量破壊兵器を持っているんだって。
このことについて「害、無駄、威人」のコメントは「あってはならないこと」だそーだっ。
これを聞いた瞬間テポドンぶっぱなされた以上の絶望感に襲われたね。日本はこういうエライ人が仕切っているんだな〜。この期におよんで未だタテマエか。

一度でいいからMCで夜の名神高速を吹田から京都辺りまで走ってみることだ。それも雨の日がいいな。名神高速が世界の流れだとしたらその中で小さな、しかし高性能なMCをどう操ると安全に走れるかということを、一人が怖ければ「我意夢症ツーリングクラブ」でも創って皆で体験することをお勧めする。
「あってはならないこと」が多過ぎて世の中がどういうものかよーく分る筈だ。
他にも暴力やイジメや差別・・・「あってはならないこと」だ。そんなことは誰でも知っている。

「あってはならないこと」・・・高速で滑走中片方のスキーが外れることかな〜。生きているとこんなことはシコタマあるよ。

カタクリの花2003/04/25

先日日帰りのツーリングに行ってきました。

お気に入りのワインディングからは滑りたくなるような残雪の斜面が方々に見られ、引き返してスキーを持って来ようと思ったほどです。勿論スキー場ではないので徒歩で行くことになりますが、友人と来れば車で移動出来るのでツズラ折の道の頂点間を交代で滑ることは簡単に出来ると思いました。例え滑走距離が短くても整備されたスキー場と違い、全く自然の状態ですから新鮮な気分で滑られる筈です。


天気は良かったのですが、残雪が多いこともあり気温は低く、ちょっと山中に入るととても寒くて体が冷えるので「陽だまり」で暖をとりながら走りました。
「陽だまり」というのは本当にあって、そこだけポカポカしています。この有り難味はMCに乗らない人には分らないだろうな〜。
些細なことだけど芽吹き始めた若葉や枯れ草が陽に暖められて醸し出す春の香りに包まれ、体が温まっていくのを感じているだけでとても幸せな気分になります。


腰を下ろした脇にはカタクリの花が咲いており、今は寒くても又暖かい穏やかな季節がやってくるかと思うと気分も明るくなります。
日本も世界もいつの日か穏やかに過ごせる季節を迎えて欲しいものだと思いました。

国って?2003/04/24


スキーをしない人に「スキーしましょうよ」と勧めると、大抵「ケガをするからしない」という答えが返ってくる。確かにかつては骨が折れたり捻挫をしたりという話はよく聞いたのでその認識はある面で正しいし、実際私も脚の骨折や肩の脱臼(スンゲー痛い)を経験しているから、スキーをしなければそれによるケガもない訳だ。
しかしスキーをしない生活が安全か?といえばそんなことは無いし、日常生活でも危ない場面に遭遇することは時々ある。例えば都会で滅多に降らない雪が降ったりすると車のスリップ事故や転んで骨折したりケガをした話はニュースでもたまに取り上げられる。こんなことがニュースソースになるというのも平和の証なんだろうか。

・・・・以下はこじつけ(^^;・・・・

スキーに限らず何らかのスポーツをしている人であれば、転ぶことも、又例え転んだとしてもケガをする確率も低いのではないかと思う。勿論スポーツの経験者であっても雪道で転ぶことは珍しくないけど、雪国に住んでいると危なっかしい足取りで歩いていたり、転ぶだけなのにケガをする人の多さをとても不思議に感じる。

以前スキーは「筋肉を鍛え、しなやかにし、瞬発力や反応動作、集中力、状況処理の高速化・・」ということを書いたけど、滑って転ぶ経験を沢山していると瞬間の対応にも差が出ると思う。同じことがモーターサイクルにも言えるのでは?

MCに乗ることはスキー以上に危険視される、というよりMCに乗る奴はバカだと心底信じ切っている人もいるから、自分の子供には「絶対乗せない」という親が多いのも無理は無い。高校生100人が100人ともMCに乗りたいと思っているかどうかは知らないが、少なくとも乗りたいと思い、又MCを手に入れられる環境のコドモなら若いうちに道路交通法や正しい乗り方を徹底的に教えるべきだと思う。

好むと好まざるとに拘わらず、いずれ車社会に入っていく訳だからその社会での弱者であるMCの経験は他者への思いやりを育んだり、又危険予知や回避、あるいは発生した事態へ適切に対応する能力を高めるうえでも有効なのではないかと思う。
その中で法律とは何か?又それを守ることが自分の命や他人の命を守ることとイコールなのかを実践で理解できるようになる。

現実の交通では残念ながら道路交通法を完璧に守っている人が皆無なのは周知の通り。誰も守れない法律が遵法精神を希薄にしたり、あって無いようなルールを自分の正当性の根拠として現実の交通社会に求めるというのは自殺行為だということも、又ある程度信じても良いと思えるのは日本は左側通行ってことも理解できてくるだろう。

危険視されているMCの免許が16歳から取得でき、安全?な4輪が18歳からというのもよく分らないが、若い時からのMCの経験は交通の実態を早く知ることで、自分が歩行者の立場であっても注意力や身のこなしと言う面でも役に立つ時がくるかもしれない。

バイクはバカな子供の乗り物だと言い聞かせ、イイコは塾に通ってわき目もふらず勉強してトーダイに入って官僚になるんだと信じ切っている親の期待に応えてコドモは官僚になる訳だ。

日本が世界第一位のモーターサイクル生産国であることも、戦後の復興期に本田宗一郎氏をはじめ、この業種が大きく貢献していたことも知らないで他人を出し抜くことしか考えたことの無いこういうヤツが危険とは何か?他人の痛みとは何か?なんて分る訳はないし、今まで勉強したマニュアル以外の事態が発生すれば即思考停止して新しい発想なんか出来る訳がないのだ。

相変わらず高校での「三ナイ運動」は続いているが、事なかれ主義の日本社会を象徴しているようだ。
日本が他国から「チキン」呼ばわりされようと「便利な金ずる」程度の認識しか得られなかろうと、そんなことは彼らには一向に関係ないのだ。ただひたすら天下り先や生涯獲得報酬を勘定しながら無難に過ごすのだ。

そうと分っていても、今回の日本人拉致に関して「我意無症」の被害者家族に対してとった態度は唖然を遥かに超えるヒドイものだったし、それにワをかけた「害、無駄、威人」のバランス感覚の欠如したコメントにはめまいがして吐き気をもよおしたよ。アナタは人間の心を持っているのか?少なくとも言葉が通じる同じ日本人か?と訊きたかったよ。イラクで捕虜になったネーチャンの救出劇から彼らは何も学ばなかった訳だ。

「そうではない、深慮遠謀の末だ」と言うのならこれ以上国民を愚弄し、恥を掻かせない、辛い思いをさせないということを納得できる行動で示して欲しい。

語るに落ちた「斜眠倒投手」の態度など論外としても、このままでは「我意無症」のみならず「日本」という国のレゾンデートルさえ失ないかねない。


間って?2003/04/20


民主主義・・・・か、耳障りのいい響きだな〜。

民主主義の具体的内容については必ずしも基準が明確でないにもかかわらず、なんとなく政治的正当性を訴える手段として思想の差異に関係なく使われているのが実態だ。これは民主主義という言葉が国名に使われている国でも、その内容が大きく異なる事からも分る。

ある国の支配者は王制に支配され搾取に苦しめられている人民を革命?によって解放した(本当はドーだったか知らないし、もっと複雑な状況や思惑があったとは思う)ということでその地位に就いた。民意による民主的な選挙で代表者(支配者)を選ぶのが民主国家なら多数の得票を得た人の考えに従うことになる。世襲制度の王制から、その気になれば誰でも支配者になれる可能性という点でこのシステムは優れていると思うし、これを思いついた頭のいー奴には頭が下がる。

しかし一旦権力の座に就いた者の行動を見ている限り、大抵は保身に汲々とするのが常だから結局どっちも似たよーなものだ。会社や地域社会、行政や特殊法人、各種団体、およそ考えられる殆ど全ての組織、その中のスポーツ団体だって同じような気がする。
立場を利用して私腹を肥やす(肥やそうとする)のは珍しくないし、こういう組織で上司の悪口を言おうものならカタガキとコゼニ欲しさの茶坊主に密告されて冷や飯を食うのがおちだ。違いはどっかの国の様にしょっぴかれて処刑されないだけだ。

今度の戦争の意味は連日の報道を見ていても良く分らない。「大量破壊兵器云々」から「人民の解放」に変わってきた。
人民の解放が必要ならイラクよりも深刻な国はイクラでもある。開放されてある時期自由な気分になったとしても又同じようなことが繰り返されるに違いない。
もし9.11のテロが今度の戦争の原因だとすれば、遡ればその原因だって又その原因だって・・・だって・・・ある筈だ。でもなぜか鉾先はイラクだった。

常識的には実行犯の殆どの出身地サウジアラビアが怪しいと思うのが普通だろう。この国には国会も無く王族が仕切っている。その国王が親米だから今は手を出せない。しかし皇太子はアラブ民族派らしい。今は親米の国王が仕切っているが、いつ革命が起きてもおかしくはない状況の中で国王が倒れ、皇太子が実権を握るか革命が起きたりしたらドーなる?
石油埋蔵量世界第1位のサウジと2位のイラクが反米で手を握るかもしれない。そうなると厄介なことになると考えたのかもしれない。

早めに不安の芽の片方を摘み取るという点で民主化を理由に一般市民の犠牲なんてクソクラエ(これは捕虜になって救出されたネーチャンのアメリカメディアの扱いでも明らか)でイラクを攻撃した意図も理解できないことはないが、得体の知れない「民主主義」という言葉が利権争いに利用されたことになる。

戦争に反対を唱えた国が、だからといってイラクをアメリカから防衛するためになんらかの軍事的行動を起こしたか?反対を唱えながら内心舌を出している国もあるのではないかと思う。

犠牲になったイラクの市民や兵士、自由と平和を信じて戦い、戦死したアメリカの若者のことを思うとやりきれない気持ちで本当に心が痛む。
今度の戦争がブッシュにとって本心からの世界の自由と平和の為に取った行動であったと信じたい。そうでなければ双方の犠牲者がうかばれまい。

少しでも他者に優越して生きたいと思うのは人情だろう。例えそれが国のレベルであってもだ。
限りある資源をめぐって限りない欲望に線引きするのは人間の性として難しいことなのかもしれないが、人一人生きて行く上での必要な富はたかが知れている。
自由で平和で豊かな生活とは何かを具体的にイメージしないまま富だけを追い求めるとろくでもない結末が待ち構えている。
欲に線引きする勇気を持った時、初めて豊かな気分で暮らせるのかもしれない。
時々政府のとる態度が日本人として恥ずかしくなることがあるが、取り合えず勝手な事をほざけるだけ幸せだとは思う。

先日中一の娘と二人で夕食を食べた。食べ盛りの子供には自分が食べなくても子供には食べさせたいと思うのが親心だし、美味しいものならなおさらだ。事実これまではそうしてきた。
この日のオカズにはアジの開きを焼いた。2匹共殆ど同じ大きさで特別好きと言う訳でもないのに何故か娘に悟られないように思わず大きそうな方を選んでしまった。もっともらしいことを言っていてもこの有様だ。姑息な行動を採った自分が自分に見透かされたようで恥ずかしい限り・・・トホホ

次回アジを食べる時は小さい方にしようとマジで誓ったのだ(^^;

想2003/04/06

以前デ○ンストレーター選考会(○モ選)に出ていた時の写真をある人から頂いた。随分昔のことなので記憶は定かではないが、この○モ選というのは「S○Jスキー教程の具現者」を選ぶ大会ということだった。

必然的に参加者は指導員(準指導員含む)に限られた。
滑り方が教程に使われている写真と同様なら良いと言う訳ではなく、そこに書かれている技術内容の具現化ということなのだが、誰かの考えた滑り方を他人の私が実際に表現するなどということは到底出来る筈のものではなく、正直言ってサッパリ分らなかった。
分らないまでも当時チーム監督やコーチから例えば手の位置をあと○○cm前だの上だの下だの後だの「アーセー、コーセー、ダセー、クセー・・・・」と指示されて滑っており、自分が快適にスキー操作が出来る体勢(構え)とは随分異なる滑り方を要求されたものだ。

本当は簡単な技術種目なのにわざわざ難しくして、普通のスキーヤーには「こんな事できないだろーなー、それに何よりナンセンスだしなー」と思いながら滑ったこともあった。でも以前書いたヨーに「道具をゲット」する為には自分をコロシて演技せざるを得なかった。だから今こうして当時の滑りを見ると、とても自分が可哀そうになる。これも深読みすれば ”主観的事実を教わる側にとっての客観的事実に近ずける為の方策” だったのかもしれないが・・・。

「ストックの平行度、脚の密着度、外向外傾の作り方等々・・・」神経遣い過ぎで今にも「ボキッ」と折れそうな滑り方だ。でも細かったなー、頭髪も長いし量も充分あったなー(^^;

この写真は1978年のデ○選の時のもの。多分中斜面パラレルだと思う。スキーの向きに対して上体はかなり早めに「外向外傾体勢」を取っているのが分る。「カッチカチ」で面白味の無いのが一目瞭然。窮屈そうだなー。


この写真は1997年のもの。コンベンショナルタイプ200cmの板で当時流行はじめたCARVINGっぽい滑り。股こそ開いていないが、右肩が下がり、スキーの向きより上体が先行してターン内側を向いている。いわゆる”昔”「アンティシペイション」と云われた状態だ。
この滑りも決して褒められたものではないが、少なくとも上の「教科書滑り」よりは無理が無いし、はるかにリラックスしている。


今年は随分滑った。そしてHPにも文字通り云いたい放題書いてきた。しかしそれが単に感情に流されたものであってはならない訳で、滑りに行く度に”自分にとって”それが本当に真実であり正しかったのかどうかを検証していたつもりだ。だから昨年にもまして真剣だったし、滑ることの楽しさの密度もより高いものだった。

温泉
2003/04/03
今シーズンはよく滑りに行った。顔が黒くなるほどではないが、ここ15年では一番滑ったのではないかと思う。
現役の時から腰痛の持病を抱えており、毎年春と秋には必ずお決まりの発作(ギックリ腰)が起きていた。スキーも2日連続だと腰に違和感を覚え始め、3日目にはゆっくりとした腰痛が襲ってくる。

この症状をもっと具体的に書くと「腰が痛くて靴下をうまく履けない。スキー靴のバックルを締められない」ということになる。
だから随分以前からコブや固い斜面は敬遠するようになっていたし、なるべく深雪の軟らかい部分を選んでいた。時間があれば滑りに行きたいのはやまやまなのだが、仕事のことを考えると自重せざるを得なかった。

スキーとは別に、いつも4月と10月は発作に襲われる時期であり、覚悟してその日が来るのを待っていた。そしてそれは必ず訪れた。律儀な腰痛だ。

ピチピチしていた現役時代は筋力もあり、体重も68Kg程度で安定していたのでコブ斜面を滑るのはとても楽しかった。持てる力を出し切っているような気がしたからだ。しかし体重が83Kgにもなった今では筋力も瞬発力も衰え、しかも腹の周りに15Kgものバラストを巻いて滑っているようなもので、腰にバクダンを抱えた自分にはもう コブをこなすのは無理だろうと諦めていた。

ところが数年前から恐る恐るではあっても徐々にコブも荒れた斜面も滑るようになっており、気がついたら腰痛持ちであることをすっかり忘れた生活をしていた。丁度アルピーヌに温泉を入れた時からだ。腰痛が完全に治ったとは思わないが、少なくとも発作は完璧になりを潜めた。連続3日間滑り倒し、しかも腰に負担の掛かる滑り方をしても絶好調を保っている。

発作が治まったのは温泉を入れた時期とリンクしている。これはもう温泉の効能以外考えられない。
何処の温泉に行っても大抵その効能書きの筆頭は「腰痛に効く」がお決まりで、その他多くの「マユツバもの」の能書きが記載されている。疑い深い私は自分の宿に温泉を引くまでこれらの能書きを全く信用していなかったし、実際効いた気もしなかった。が、これは誤った認識だったことが分った。
水で薄めたような循環式の怪しげな温泉は別にして、信用できる温泉地の100%掛け流しの温泉は1週間でその効果を実感できると思う。

八方温泉は確かに効果があるが、アルカリ成分が多量に含まれている為、一日に何回もの入浴は残念ながら肌には優しくない。「八方美人の湯(変な名前)」・・・(^^)・・と命名されている位なので、最初入った時は肌がつるつるして確かに「すっきり爽やかサラサラ」になる。これは皮脂とアルカリに依って 皮膚の表面が石鹸状態になるからだが、一日1〜2回の入浴を守れば腰痛を治し、肌も綺麗にするとても良い温泉だ。しかし2回目以降は過剰に皮脂が落ちて「サラサラ」 を通り越す恐れがある。つまり「ガサガサ」になり易い(特に冬季)。つるつるになるからといって「美人化」を急ぐとマズイことになる。

勿論他の温泉地には有名無名を問わず、もっと強烈に効果があり肌にも優しい温泉があるとは思う。いずれにしても「八方美人の湯」が再び心置きなくスキーを楽しめるようにしてくれたことに間違いは無い。

戦争2003/04/01

平和に暮らしたい。でも何かの理由で戦争が始まった。国の利害やエゴ、疑心暗鬼、あるいは他国の歴史や文化に対する差別的な優越感情等々。エライ人々はおくびにも出さないが・・・。

戦争は嫌だ。しかしだからといって単純に平和主義者を気取るつもりはない。
これに似たようなことは個人レベルでも自分の周りを見てみればゴロゴロ転がっているからだ。

地球上の人々全てがエゴを捨て他人(文化)を尊重し信頼し合い本当に平和を望むのであれば、およそおぞましい兵器など作りはしなかっただろう。
だが兵器はどんな国も持っている。平和を念仏の様に唱えている国でもだ。そしてそれがいつでも有効に使えるように兵士達は連日訓練している。だからこれが使われない保証は無い。

で、それが使われることになった。

かつて社会科の通信簿が ”2” 程度だった私に今度の戦争の本当の理由は分らない。だが戦争は反対だ。「ジャーどーするんだ?」と訊かれても ”2” の成績だった私は答えに窮するだけだ。

ドンキホーテの家来サンチョパンサは「警鐘を鳴らす奴はいつも安全な所にいる」と云っている。
戦争関連のテレビ番組に出ているコメンテイターや、それを見ている私のことのようでじくじたる思いがする。

戦争を始めるにあたっては終結までの期間を含め、綿密な作戦が練られたことだろうし、当然それまでの諜報活動も怠り無かった筈だ。にもかかわらずどうも思惑通りには進んでいないらしい。

この戦争の是非は分らない、しかしこれは山登りを連想させた。
困難な登山の最右翼はチョモランマだろう。この頂上を極めるのは容易ではない筈だ。登山も又綿密な作戦(登山計画)の下に行われる。
テレビの報道を見る限り、大量の物資と共に麓に到着した登山隊が現地のシェルパを雇おうとしたら協力を得られず、天候の急変や雪崩で隊員の命が奪われ、クレバスに架けた橋が落ち、充分な物資が最終キャンプに届けられないまま「アタックしろ!」と ”安全な所にいる” 隊長が叫んでいるようなものだ。

愚かではない登山隊の隊長はこういう場合大抵登頂は断念して引き返し、必ず訪れるだろうチャンスを待って再アタックを試みるのが順当だと思われるが、どうもアメリカの隊長は違うらしい。残念ながら少なくとも現時点では登山を知らない人だと思う。

登頂の成功/失敗にかかわらず、多くの登山隊が捨てたゴミの山でチョモランマは汚れてしまっている。
当事者はもとより、反対にまわった国も含め、ある種の「欲」の張り合いで人類だけのモノではない地球が”急激に”汚されていくのを見ているのは辛い。

MJQ2003/03/28

久しぶりにMJQ(モダンジャズカルテット、結成当初はミルトジャクソンカルテット)のラストコンサートのレコードを聴いた。20年以上ぶりかな。1974年11月25日にニューヨークのアベリー・フィッシャーホール(元フィルハーモニックホール)で演奏されたライブ録音だ。


30年前の録音にしては音は良い方だと思う。ラストコンサートでの演奏は他のMJQのどのアルバムにもまして圧倒的で濃密な音の世界を構築している。
ミルトジャクソンの他メンバーとのインタープレイは勿論、躍動感に適度な抑制が効いたジョンルイスのピアノは、同じブルーススピリットを根幹に据えているとは云え、もう一人私の好きなピアニスト、オスカーピーターソンのそれとは又一味違うインテリジェンスに満ちたものだ。これはルイスのヨーロッパ古典音楽(バッハ等)への憧憬に因るところが大きいのだと思う。
そしてこのレコードのライナーノーツを読むまでもなく、パーシーヒースの力感溢れるベースワークには圧倒される。他のアルバムでは常に控えめなサポート役に徹していたから、ことさらその感が強い。

パーシーヒース同様、ミルトジャクソンやジョンルイスの影に隠れ、あまり目立たなかったコニーケイのドラムスは22年間を締めくくる最後の演奏にも拘わらず、ここでも決して節度を失うことなく、パフォーマンスとは無縁の淡々とリズムを刻む姿勢は、MJQの音楽の何たるかを教えてくれた。

解散はミルトジャクソンが「退団したい」と申し出たのが発端だったのだが、理由は22年間MJQで地道に音楽活動を続け、それなりの評価を得て来たにも拘わらず、新進のロックミュージシャンに較べ報酬が少ないことが不満だったようだ。
もっとも原因はそれだけでは無く、本来ブルージーなブロウスタイルのミルトジャクソンと、ジャズを芸術としてとらえ、ヨーロッパ古典音楽とブルーススピリットの融合を模索していたジョンルイスとの間に方向性での確執があったのではないかとも思う。

とにかくMJQは解散した。本当に残念だった。しかし解散ということでこの鬼気迫る演奏が残ったことが唯一の救いでもある。

後日ジョンルイスが語っていた
「ミルトがいうロックスター達はエンタテイナーであり、私たちはミュージシャンなのです。両者を比較するのは妥当とはいえません」と・・・・。

私はジョンルイスに同感する。スキーでも思い当たる節があるからだ。

但しこのことでミルトジャクソンの演奏が嫌いになるということはない。ミルトのバイブなくしてMJQはあり得なかったし、又MJQなくしてミルトもなかったと思う。これはミルトのソロアルバムを聴くと解る。

野良歩き2003/03/26

今年の降雪は平年並みでしたが、3月に入って寒い日が続いています。昼間晴れて融けた雪が夜の放射冷却で凍り、田圃や畑に積もった雪が一面キラキラ光る白いアスファルト舗装をしたようになっています。

子供の頃この時期は学校に通う時「野良が凍みている」ことを毎朝期待したものです。
普段は歩けない田圃や畑、灌木の中を突っ切って最短距離で学校に行けるからですが、いつも見慣れている景色も見る角度が違うことで新たな発見があったりして、子供心にも「小旅行」の気分を味わえたからではないかと思います。
落ちている木の実、小動物の足跡、小川の畔のネコヤナギの膨らみ具合が妙に気になったりしていました。

犬を飼わなければ自分の周りにこんな素敵な環境があることを忘れたままの暮らしが続いたのかも知れません。歩くだけで幸せな気分になれることに驚きました。

3回目の達人検定2003/03/23

「For those few who can appreciate the finst Motor Sports has to offer.」
これは私のモーターサイクル RC30のシリアルナンバープレートに刻まれている言葉です。

「モータースポーツの粋を知る人のために」といったような意味ですが、この「Motor Sports」を「Snow Sports」と置き換えると、達人のエンブレムはこういうスキーヤーにこそ相応しいのではないかと思いました。

”粋を知っているスキーヤー”・・・・それなりの場数を踏まないとなかなか出せない味ですね。

以前スペシャルテストに触れた時、フリークという言葉を使いましたが、今回3回目シーズン最後の達人検定を 終了して感じたのは、この言葉やマニアという使い方はやはり不適切であったということです。思慮深さが足りなかったと反省しています。
使うなら”Enthusiast”でしょう。

個人的に「達人とはどういうスキーヤーなんだろう?」という疑問は初回も2回目も持っていました。
”でっち上げた”にもかかわらずです。
今回達人の認定者はありませんでしたが、前回までの認定者4名はそういった意味において、やはり達人に相応しいスキーヤーであったと確信出来ました。

踵の捻り押し出し2003/03/19


世界情勢は怪しい雰囲気になっている。多くの人命が失われるかも知れない悲劇が起ころうとしている時に、呑気にスキーの話をしている場合でないのは百も承知。
日本は(自分も)マジで平和ボケしているのかも知れない。「ボケていれるだけ幸せジャネーカ」という人もいるけどね。本当はかなりヤバイ所まで来ているのカモ。

「踵の捻り押し出し」・・・なんのこっちゃ?と思われても仕方ないけど。ヨーするにどっちかに曲がって行こうとした時、その方向につま先を向けるのが「捻り」、踵が動いた方向にさらに押すのが「押し出し」。誰でも出来る簡単な事。

押し出しっていうのは踵が動いた(向きを変えた)瞬間から「押し出す感じ」がする訳で、これはある程度自動的に「そういう風になる」と言ってもいいでしょう。 押し出すことが出来ると言う事は、押し出される反対側に何らかの支えがある筈で、これがプルークボーゲンやシュテムだったら「内足+僅か遠心力」、パラレルだったら 「遠心力」。

「遠心力」っていうのはいつも思うんだけど怪しい力だな〜。

「踵を捻る」と言うのは、可動範囲が狭く又動かそうとしても力の弱い踵や膝の関節を捻るという意味ではなく、可動範囲が大きく、又力も大きい股関節を動かすという事です。
これで「踵を捻ったような気がする」のと、膝を曲げる事に依ってより大きな力で捻ることが出来るという訳です。

もう一度書きますが、これは「誰でも出来る簡単な事」。勿論初めてスキーを経験する人もです。
ただ「そういう風にした」後ドーなるかは知りません(^^;
その後に必ず起こるだろう問題に対処したり、その事態を未然に軽減する為に様々な技術論があるのだろうと思います。

「踵の捻り押し出し」で向きを変えようとするのは自分の意思にダイレクトであり、又その変化量もコントロール下にあるということです。しかしサイドカットとタワミに「乗る」のは「向きを変える」のでは無く、「向きが変わる」のであって、意思に直結しているとも、ましてやコントロール下にあるとも言い難いです。

「向きを変える」ことをおろそかにした結果、何台も板を履き替えないとまともに滑られなくなったのでは?。技○選が証明してますね。



こんな滑り方は今じゃ時代遅れも甚だしい「ダッセー滑り」の典型だモンなー。何しろ板だって200cmと気が遠くなる程長い竹槍だしね。
「板に乗っていく」とか「乗せて頂いております」なんてチャンチャラおかしいし、金輪際ゴメンコームリタイ。そんな感覚はこれっぽっちも無いし、第一そんな平和ボケカマしてる暇なんか全然無いワケ。(注:こういう斜面状況では)

「オメー(板)はオレの言う通りにしてりゃイイんだよ」ってなもんよ。
但しサイドカットやタワミのお世話になってる部分があることは認めます。

道・・2003/03/16


自分の人生ってはっきりした道を歩いている訳ではなく、おぼろげに見える道のようなものの上を歩いている様な気がする。それがまた途中で三叉路や四叉路、時には五叉路になっていたりしてややこしい。

小さい頃から宿屋を継がなければならないような雰囲気があり、その意味では割と進むべき道は分りやすかったかもしれない。これは生きる為の道だ。
一方、それとは別の意味の道もあった。その道も紆余曲折があり、途中で三叉路になっていたりする。しょっちゅうそんな状況になる訳ではなく、ここ20年はけっこう分り易かった。

丁度30年前どちらに進むべきか悩む三叉路があった。其処であった出来事が何故か懐かしく想い出される。「今」にとって大きな意味があった場所だ。
振り返っても歩いてきた道は既に消えている。あるのは「今」と、相変わらず一方通行の道だけだ。引き返して見に行くことは出来ない。
しかしその三叉路は記憶の中で鮮明に存在する。出来る事ならもう一度そこに戻ってみたい。

高村光太郎の「道程」の様にはいかなかった。僕の後に道は出来なかったし、僕の前に道は見えている。

ナ〜ンちゃって

シンプルイズザベスト2003/03/13


滑りに行って来ました。お天気も良く冷えていて絶好のスキー日和。3月とは思えない粉雪を充分楽しみました。こうしてスキーが出来ることを神に感謝したい位です。
悲観的なゴタクを述べた後だったので尚更でした。

今日は気持ち良く滑るだけでは無く、久しぶりにスキーの向き変えを確認しました。
フェルゼンドレシュープ(踵の捻り押し出し)。
「スキーはこれに尽きる」と改めて実感しました(勿論強弱はありますよ)。これ以外の諸々は単なる「オカズ」ということです。

シンプルイズザベスト!

簡単なスキー   余計なことは考えずに楽しみましょう。

復活2003/03/12


スキーヤーの減少は深刻だ。とユーより今やスキー場はスノーボーダーなくしては成り立たない。
かつて・・・と言っても僅か数年前だが、ボードが今ほどの占有率になるとは恥ずかしながら私も想像していなかった。隣のIスキー場などは90%を越えていると思われる。

当時スノーボードを受け入れるか否かで喧しい議論があったが、双方にとっての安全性というより、むしろコンサバティズムが異質文化に対しての拒絶反応だったと言うのが正解だろう。
全面的にスノーボードを受け入れ、且つその人々によってスキー場が支えられている現実があるにも拘わらず、尚スノーボーダーに対して拒否反応を示しているスキーヤーや受け入れ側は少なくない。確かにスノーボーダーに関するあまり良い話は聞かないが、さりとてスキーヤーはどうかと考えた時、中には五十歩百歩といった人もいるだろう。これは何もボードとかスキーというスポーツに限ったことでは無いし、単純にパーソナリティーの問題だ。

自分達が面白いと思うスキーをより多くの人々に知って頂き楽しんでもらえることで、我々スキー業界は成り立ってきた。しかし現在その構図が大きく変わってしまった。
新しい文化を受け入れた以上、スキーというスノースポーツの楽しみを提案してきた我々としても、逆にスノーボードが一体どんな物であるか一度位は経験しておく必要があるだろう。体験することでしかスキーの優位性を語る事はできないだろうし、事実3シーズンのボード体験でスキーが如何に優れたスノースポーツであるかを理解出来た。ただしスノーボードも楽しいには違いないし、どちらを選ぶかは好みの問題だ。勿論両方楽しむ人もいるかもしれない。

だが今考えなくてはならないのは、私の場合に限って言えば、たった3シーズンでスノーボードには「飽きた」ということだ。今はまだスノーボーダーがスキー場を支えてくれている。しかし数年後もこの人達が続けているのだろうかと考えた時、とても悲観的にならざるを得ない。

すでにスキーはゲレンデにおいてマジョリティーではなくなった。
かつては自然に、そして映画「私をスキーに連れてって」の影響で爆発的に増えたスキーヤーに胡坐をかいていれば良かったS○Jも、今こそ真価を問われる時に来ている。スキーをいかに復活させるかはその双肩に掛かっていると言っても過言ではないだろう。もしそのコミットメントがタテマエでなく本当だとしたらだ。
しかし無能なカタガキ命が居座り続ける限り再生は不可能だろうな。

何故か。
カービングスキーの台頭により技○選に見られるような極めて特殊な滑り方をヨシとしているからだ。
若者はボードに取られ、若干の若者と中年、そして年配者がスキーの中核を占め、その人々がなんとかスキーを支えてきたにも拘わらず、彼らが培って来た技法を否定するかのように「従来のスキー」と言って憚らず、ちょっとエキセントリックな形状のスキーが現れただけで意味不明な用語の氾濫とそれを弄んでいるとしか思えない怪しげな技法と難解な解説の数々。それを無批判にありがたがる一部の進歩的文化人スキーヤー。

こういう難しそうで堅苦しい印象を与えるスキーに嫌気がさして若者はボードに向かったのではないか。今していることは若者も、そして又中高年スキーヤでさえも排斥する行為だということを知るべきではないだろうか。

そう言えば技○選では使う斜面の事を「コート」なんて言ってたな。意味はネットで囲われているからテニスコートの「コート」と同じなんだって。 日本語で言えば「中庭」のこと。初耳だった。カルチャーショックを受けたよ(笑)。「バカバカしさもここに極まれり」って感じかな。
以前スノーボーダーがそうであったように、ゲレンデの一部を渋々貸してもらい、そこで遊ばざるを得なかったボーダーの気持ちが分る気がする。近い将来「コート」の中でしか遊ばせてもらえないスキーを暗示するようでマジで泣けた(笑えた)ね。

かつて「ホットドッグ」と呼ばれたフリースタイルスキーのニューウェーブに対し強烈な非難をしたS○J普及部(教育本部)があった。 しかし今はドーだ?

ネオ コンサバティブ(Neo Conservative)・・・・・・期待?・・・薄だな(^^;

技○選その3
2003/03/09

技○選の感想・・・見て無いけど(^^;
自分のホームゲレンデで行われた大会にもかかわらず一度も見に行かなかった。昨年と一昨年は用事で通りすがりにちらっと見ただけ。すでに向上心を失っているので、わざわざ見に行く気にはならないのだ。

ファンを含め関係者に言わせれば「ンジャー他人の楽しみ事にケチ付けるなよ」となりそうだが、ソーはイカナイ。
興味は無いけど、残念ながらこの大会はスキーに入れ込んでいる人々や、普通?のスキーヤーにも与える影響は大きいと感じるからだ。
ある程度のボリュームのスキーヤーが居ないとスキー場関係は維持できなくなる、とユーことはつまり自分の遊ぶ場所さえ失ってしまいかねないし、カタガキ命にしたってイバレル環境を失うかもしれないのだ。
もし方向性さえマトモになれば、これはこれでスキーというスポーツの啓蒙イベントとしてはまだまだ可能性があると思う。

お客様が撮ったビデオを見せて頂いた。

大回り系種目はダウンヒルレースの縮小版。小回りのカービング種目は理解不能。冷静に客観的に見たらナンセンスだと思う人だってけっこういるだろう。
まー面白そうなのはダウンヒルレースの縮小版だったが、ウエーブというよりコースの途中に土手みたいな凸部を数箇所作って、そこを通過する時にチョコッと飛ぶんだけど、ホンモノに較べれば速度が遅く全く迫力に欠ける。でも「一般スキーヤーのお手本」なんて解説がある(2002技○選ビデオ)くらいだから、この種目にしたって一般スキーヤー向けの滑りなんだろう。でも選手がワンピース着てるってのも不可解だな。

大袈裟なジャッジ台とセパレートネットの脇に立ち並ぶ贔屓選手のノボリ旗、応援の笛、流される音楽と軽薄そうなDJのMC(モーターサイクルではありません)。只のバッジテスト大会をなんとか権威付けようとしているみたいであまりにも滑稽だ。

2002技○選ビデオを見た時は収録されているスキーヤーが「只者では無い」ということは分かったが、今回のビデオからはごく普通の「割と上手なスキーヤー」という印象しか得られなかったし、特に急斜面のヴェーデルン(小回り)は、とてもじゃないけど権威ある?大会で鑑賞に堪るようなものでは無いように感じた。前に書いたような「見世物」にもならない。

悪天候で急遽競技バーンが変更され、本当は黒菱ゲレンデで行われる大回りが名木山ゲレンデに移された。200mも無い距離と斜度も16°程度の緩斜面、しかも雨の中では速度も乗らず、迫力とは程遠い滑りにならざるを得ないが、高得点が期待される方法、つまりこれもマタ大股開きのゴキブリスタイルで滑っていた。

選手自身だって歯痒かっただろう。

この感想を一言で言えば、初心者のプルークボーゲンに似ていた。違いはパラレルというだけだ。
この種目に何らかの意味があり、そしてそれが求める技術内容を表現出来ないような斜面コンディションなら、常識的には「キャンセル」だろう。
もしこの競技にTDがいたのであれば、彼はそれをしなかった。だから万事がダサく感じるのだ。

初日のダウンヒルレース縮小版での相次ぐ転倒も、トップレーサーの極限でのリカバリーシーンを真似たかドーかは知らないが、インサイドスキーの有効活用?なんて言って半端な速度で内足に乗ってるからリカバリー能力が低下してたんじゃないのかな。
ダウンヒルレーサーのリカバリー状態をカッコいいからとコピーして滑ってたんじゃ最初からセフティーマージンを使い切っている訳だし、転んでトーゼンだな。
そんなこと位シドーインだったら分かりそうな気がするんだけどね。

下に落ちて行くしかないスキーの山側(内側)への転倒リスクを減らすには外足荷重しか無いということを再認識したホーがいいと思う。出来る限り内足の荷重を減らし、セフティーマージンを大きく取ることだ。それでも尚内足に乗ってる気がするのは、安定して滑っているように見えても、スキーって多かれ少なかれ常にリカバリーの連続だからだ。

技○選はさしずめ「能書きいっぱい超過剰包装の有名日の丸弁当」ってとこかな。

整地以外では楽しめないような、ゲレンデの状況やごく普通のスキーヤーと乖離したものではなく、来年こそシステムも滑り方も競技内容も全て洗い直して「サスガS○J」と言われるようにして欲しい。

アッ、そうそう。
ついでに言えば技○選に参加出来た位で舞上がったマナー知らずの勘違いバ○の教育もしたホーがいいな。
何しろ「一般スキーヤーのお手本」だっつー位だからな。でもこればっかしは望み薄だな、上が上だから。思考停止が「顰蹙を買う行為は何か」なんて考えた事もないだろうし、「顰蹙」の意味さえ知らないと思うよ。

このままだとスキーがダメになってしまいそうです。
滑り難い斜面=(エッジを緩めても横滑り出来ない、エッジを立てても止まりにくい)でやると本当の上手さが分かるような気がします。

技○選その22003/03/07


学連からの出場ということもあり、先月1級を取得して予選に臨み、付け焼刃の技○選出場となった姪は滑り方が殆ど分らない。
そこで彼女が持ってきた2002年度技○選のビデオを見ながら滑り方の研究をした。本当なら見たくもない。

収録されている選手の誰もが、”この斜面”を滑るのにこれ以上一体何を望むのだろうと思えるほどの滑りをしていた。流石に一般スキーヤーの頂点に位置している人達なんだと納得したし、得点に多少の差はあるもののいずれも優劣付けがたく、当然とは言え私などとても真似が出来る様な滑りではなかった。

と・・・ここまでは良かったのだが、選手個々の滑りについてのコメントは勿論、圧巻は最後の総括審判長(ナンノコッチャ?)の講評が折角の選手達の演技に水を差すものだった。
これ程”良い乗り方”をしても尚文句があるらしい。滑っているのは少なくとも厳しい予選を通過してきた人々だし、殆どがS○J公認の指導員だ。それなりに上手いにきまっている。差があるとすれば些細なニュアンスだけだ。

コンポラスキー(Contemporary Ski)の風潮に否定的な私でさえ彼らが並みのスキーヤーでないこと位は分かる。

この総括審判長の講評は、竹○元内閣総理大臣も”タジタジ”の言語明瞭意味不明。でもコイツは彼らが「スキーというものを分かっていない」という意味のこと言いたいらしい。
これにはいくら何でも「じゃテメーの滑り見せてみろや」と言いたくなるのがマトモな神経のスキーヤーだろう(でも彼らは言わない)。私はイカレタジジーだから尚更思うのだ。

取るに足らない些細なニュアンスの、又その重箱の隅の、その又外側を突付く様な話を理解できる筈がないのだ。
この宇宙語を解読し、日本語で理解しようと努力したスキーヤーは沢山いると思う。しかしついに挫折して去っていったスキーヤーのことを考えると、彼らが真面目に取り組もうと していただけに不憫に思える。「まだスキーなんかやってんの?」という気持ちは痛いほど分かる。

今この宇宙語を理解出来るのは「バッジが欲しい」、「いつかは自分もこの舞台に立ちたい」そしてできれば「宇宙語で講評カマシてみたい」と切望している人々だけだろう。
しかしどこまでやってもカタガキ命は認めない、そしてカタガキ命でさえ具現出来ないスキーとは一体何なんだろう。

仮に一人二人が理想に到達したとしても、姪でさえ5台もの板を準備し(正気かよ!)、少なくとも3台を履き替えなければならない演技内容が、一般スキーシーンにとってどんな意味があるのだろう。
只のスキー、それも基礎と呼ばれるカテゴリーで板を履き替えなければならないほど重要な理由とは一体何なのだろう。いくら上意下達に慣らされた思考停止でも この行為がオカシイとは思わないのだろうか?シドーインだったら。
アルペンレース並にチームキャプテンミーティングがあるらしいから、「使う板は一台にしようよ」というような提案は出来ないのかな〜。

小回りは短くてRの小さい板、大回りは長くてRの大きい板を使わなければ評価の高い滑りが出来ない、そしてそれが一般スキーヤーの求めるべき滑りなら、スキー技術は根底から崩壊していると言っていい。まさしくスキーとは

乗って行くだけのモノ

になってしまうからだ。
これなら遊園地のアトラクションの方が100倍マシだ。簡単ににスリルを味わえるしね。

沢山滑って慣れることでしか上達しないし時間も掛かるスキーとはいえ、その過程でほんのちょっとしたヒントさえあれば、又更に楽しみが広がるスポーツなのに、例えばストックの使い方一つについても一冊の技術書を作ってしまえる程の団体だ。スキーエンスージャストならまだ微笑ましいが、冗談抜きのスキーフリークやマニアを作ろうとしているのかもしれない。だとしたらだれも好んで狂人にされる恐れのあるスポーツを やろうとは思わないのだ。

事あるごとにこの団体について書いて来たのは当事者としてスキーヤーの減少が切実だからで、そうはいってもスキー界で最大の組織が考え方を変え、その気になれば少しはマシな状況になるかもしれないと、私でさえアワイ期待はしていたからだ。でもこのビデオを見て失望したね。

いつまでこんな馬鹿げたことを続けるつもりか知らないが、もう勝手にやるから邪魔だけはしないで欲しいな・・・いろんな意味でね。

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以前(デ○選だったか基礎○だったかス○ー学○対抗だったか失念)制限滑降のタイム計測の係りをしていた時のことだ。旗門のセットも済み、すべての準備が完了してからカタガキ命がノコノコ現れて 「テーデーだが何したらいいんだ?」

(・・; アゼンという言葉がこれ程相応しいシチュエーションはこの時以来経験していない。これには私を含め同僚全員がズッコケたね。

TD(ティーディー)とは簡単に言えば使用コースの設定から始まり、旗門セットの状況等々、その全てを責任を持って仕切る「技術代表」のことだ。
TDの最大の任務は何よりも安全性の確保で、レースが危険と判断した時はTDの権限でキャンセル出来るし、競技成立の可否でさえTDのサインで決まる。

テーデーがペーペー(私)に向かって「何したらいいんだ?」はないだろう。

技○選・・・か。・・・・初日の転倒連発や怪我人生産しただけで「オシテシルベシ」。
変にカッコつけるからオカシーんで、見世物にはTDなんかイラネーっつーとこだな。

技○選が始まった2003/03/05


初日から転倒者続出。救急隊のボートに乗せられて病院行きが分っているだけで3人。他には女の子なのに顔切って血流してたのも痛そうです(居たそうです)。
急遽出場することになった、これは姪からの報告。

ギャラリーネットに仕切られ、障害物の何も無い例によって一般のスキーヤーは絶対経験出来ない程最良の仕上げが施された斜面(ウエーブ有り)で行われたので、大小ターンのフリー滑走(「自由に滑っていいですよ」という種目)にもかかわらず、興奮のあまり心身共に御し切れない速度に達した結果だろう。

ギャラリーネットに突き刺さって動けなくなった様子は、まるで魚網の刺網に引っ掛かったゴキブリっつーとこかな。殆どがシドーインらしいから驚きだ。

「安全で楽しい生涯スポーツの普及と発展」を目的とする団体の教育本部に依る、これは年に一度の最大の行事だ。
一生懸命練習し、各地の予選をクリアし、漸く参加出来る技○選。出場する選手達は皆上手いに決まっている。
彼らが頂点と信じ、教育本部も又一般スキーヤーの頂点と自負している(勝手にしてろや)技○選が・・・・・これだ。
大会前練習していた選手があっちこっちで衝突していた話も聞いていたし、「ヤッパリね」といったところ。

「危険で怖い障害スポーツの普及と発展」の間違いじゃネーのか?

但し見世物の興行としては最高だろうな。
特に転倒シーンはSLのFISポイント70点台(レーサーとしてはそこそこ)の姪が 「あんな転び方見た事無い」という位ハデだったようで、さかんに「スゴイ!」と言っていた。
「スゴイ!」の意味が違うヨーな気がするんですけど〜・・・モシモシ?
ちなみに初出場の彼女の初日成績はイマイチ。

今年もアブナイ滑り方見せびらかして真似させて怪我させて(怪我だけで済めばいいけど)スキー離れ加速させるんだろーなー。悲しいなー。スキーってこういうことだけじゃないんだけどなー。

ギジュツセンとは以下のどれを言いますか。
正解者にはアルピーヌ宿泊券を差し上げます・・・・・・・・・・・・・・・・ウソ(^^;

1偽術選
2戯術選
3疑術選
4妓術選
5蟻術選
6欺術選
7擬術選

初日なのにもう怒りがこみ上げてきて、マジでどれだか解からなくなってきたぞ。
この大会を主催する団体の存在意義であるところの「もっともらしいコミットメント」とはかけ離れた方向(矮小な価値観の世界)に向かっている様に思えてならない、と言うより完全に忘れているかのようだ。

スキーって考え方一つで、とっても愉快で安全で人生観さえ変える程楽しい「生涯スポーツ」になり得る。これは本当だ。

このあいだテレビで三浦ケイゾウさん(99歳)がモンブランのバレーブランシェを滑り切ったという番組をやっていた。標高差2000m近い滑降だ。
番組の最後のインタビュー部分しか見れなかったのは残念だったが、その表情と淡々とした語り口からは功名心も驕りも高ぶりも感じられなかった。
この企画が好奇のメディアの仕掛けか否かは関係無しに、スキー好きな翁が滑りたかった場所を滑った。ただそれだけのことなのに妙に心に迫るものがあった。
仙人を通り越して妖怪に見えた。

この人の前では、現在のスキー界の技術論はじめ、その他諸々なんてきっとゴミにも値しないんだろうな。そう考えるとこの技○選の関係者が哀れに思えてきたよ。

プルーク系
2003/03/05

スキーの技術を習得する際、コンテンポラリー マテリアル(^^)の特性もさることながら、事を急ぐあまりこのプルークスタンスの有用性を充分理解しないままパラレル系に移行しがちですが、プルークボーゲンとシュテムターンのプルーク系技法の習得はとても重要だと考えています。

プルーク系の優位性を単に初心者向け技法として捉えるのではなく、「言いたい放題Uー2001/01/20カービング?スキーその4ーバランス面積」で述べた通り、バランス面積を広く取れる云々の他に、もう一つ重要な操作感覚の練習には必要なのです。

プルークスタンスでターンをすると、意識するしないにかかわらずそのターン弧(シュプール)はある程度時間を掛けて描かれていきます。つまりその場でスピンするようなターンは難しく、スキーがある距離を進みながら徐々に向きが変わって行くということです。

この「序々に向きを変える」ということが、後のスキーイングに重要な意味を持ってきます。
ターン初期からCARVING状態に持ち込んでも「序々に向きを変える」ことは出来ますが、曲率半径が限定されてしまうのでこれは例外。

ターンを開始するとスキーは斜面下側に向かって落ちていく為、当然加速します。この時の増速と恐怖心をプルークスタンスは和らげてくれるのは勿論ですが、何より「スキーはあせらずにゆっくり時間を掛けてフォールラインに向けていけば良いのだ」という感覚を培うのに最適な技法なのです。

「ゆっくり時間を掛ける」ということは、つまり過剰な捻りや押し出し操作をせずに向きを変えて行けるということであり、悪条件の斜面(雪質が重くて 板の自由が利かない等)でもキックバックが過大にならず、例えあったとしても吸収出来るだけの余裕を保てるということです。

「ゆっくり時間を掛ける」と大きなターンになるのでは?と思われますが、そういう意味ではなくあくまで相対的なものであって、 ある曲率で曲がる場合、谷回り:山回りの配分を例えば50:50に近ずけるということです。

この配分を調整したり、ベクトルの指す位置(荷重点)に板の理想部分を持って来るのがスキー操作であり、このコントロールこそがスキーの醍醐味なのだと考えていますので、前に書いた「板を力でねじ伏せる」というのは、外乱に依って板が激しく動揺させられることも当然ある訳で、それをガッチリ押さえ込む「力」も必要になるという意味です。
(これをドーゆう体勢でドーゆう方法で「アーダコーダドーシタコーシタ」というのは他の技術書等で研究してください。但し中にはこのHPのヨーに怪しいものもあるので、取捨選択は慎重に(^^;・・・。)

つまり
ベクトルの指す位置板を持って来る(下肢を主体とした板の進行方向に対する角度調整)のと、
ベクトルの指す位置板に持って行く(上半身を主体としたバランス調整)のとは、結果が同じであっても、似て非なるものと考えます。

板に落っこちないように乗って行くのは後者なのは言うまでもありません。そして前者のように調整が出来るということは、例え僅かでも”ズラシている”ということになります。

グルーミングされた斜面では上手く滑られるけど、荒れた斜面は苦手というのはこのあたりの”考え方”にも原因があるのではないかと思います。


”考え方”のイカレタジジーはこんな場所が大好きなのだ。カッ飛ぶだけのアブネーやつは誰も来ねーしセーセーするぜッ

お気に入りの板2003/03/02


「リニアリティー」
これは「ある入力」に対しての結果を「体感で直線的に得られる」という意味に勝手に解釈しています。正しく?は「Linearly Proportional」とでも云うんでしょうか(^^;ゞ

Volkl P20もP40もこの「リニアリティー」に関しては抜群で、自分の意思以上にも以下にも動かないというものです。これは只の板っ切れという意味ではなく、このように感じさせる為の絶妙なチューニング(本体の構造と各種ディメンション)は凄いと思います。

どういう事かと言えば、例えば自動車の運転をしていてブレーキを踏んだ時、減速の感じが踏力に比例して得られるのに似ています。もし軽く踏んだだけで強力に減速し車輪がロックしたり、踏力を強めてもその後の減速が僅かだったり、あるいは軽く踏んだだけでは殆ど減速せずに、思い切り踏んではじめて効くといったブレーキではとても運転し難いものです。これはステアリングの操作時にも云えます。

個人的に良い(合う)板だと思うのは
1)直滑降時、常識的な速度域でふらつかないこと
2)エッジングの角度に対するズレ具合が常に比例していること。
3)板に捻りの力を加えた時、エッジングの強弱にかかわらず素直に反応し向きを変えるもの。
4)捻りでは無く、荷重調整である程度向きを変えられ、且つ進行方向の見当がつくもの。
5)その性能が雪質に左右されないこと
6)板が部分的に雪に接触している場合でも1〜5に大幅な変化が無いこと(例えばコブ斜面)
7)この特性が長期間保たれるもの

随分勝手な注文ですがP20SLとP40RCは理想に近い性能を持っています。
実は購入する前スクールの板や友人の板を何台か試乗し、それぞれ個性があって面白いとは思いましたが、同僚は「スゲーいいだろ」という同意を求める感想の訊き方でしたので、きっと本人には相性が良いのだろうと思います。
しかしどれも私には個性が強すぎと感じました。

VolklにしたのはP10RSもP20SLも良かったので、怪しい今風の形状をしているP40も きっと大ハズレにはならないだろうということと、どんな板でも大抵慣れれば癖は気にならなくなるので、自分の買った板が良いと思うしかないという単純なものです。
とは言っても昨年の○○100には慣れなかったな〜。
P40は人で例えれば「妙に落ち着いていて面白み無し・そつ無し・趣味無し、でも欲無し・下心無し・嘘つかない・信頼感抜群・力持ち」といったところです(^^)。

別にVolklの回し者ではありません念の為 。

安全なスキー2003/02/28


最近スノーボーダーが関係する事故が2件新聞で報道されました。1件は八方尾根(オフピステ)での雪崩誘発です。
同じスノースポーツを楽しむ一人としてとても残念です。
「心の中」でも書いたようにここ数年、以前では考えられない重大な事故がゲレンデ内でも起きています。
反論を承知で書けば、その原因の多くが「コントロールを失い易い道具と、コントロールを知らないこと」それに「自分自身の心をコントロール出来ないことに依るもの」と思えます。

以前は危険を感じたら自ら最後の手段の転倒により事態の悪化を防げたのですが現在では転倒状態でも尚危機的状況から脱せない道具も中にはあります。
以前に比べ簡単に滑られるようになる(上達とは違う)のと引き換えに、「スキーを操作する能力」ということがないがしろにされ、如何に「上手く乗っていくか」が関心事なった影響かもしれません。

例えば「軸を倒す(腰から上の軸のことかな?)」ということ一つ取って見ても、これは強い遠心力に耐える為の対処法であり、スキーイング全体から見れば特殊なある瞬間とも云え、「従来の技法」ではご法度だったように思います。
この状態からエッジを外すのには若干の時間が掛かるし、またリカバリー能力の低下も避けられないので咄嗟の対応をする必要が生じた際には疑問があります。
「従来の滑り方」は通常軸を立てている(懐が深い)ので、あらゆる条件に対して適応能力が高いし、スキーがCARVEする状況は「従来の板と滑り方」でも究極的には現れるもので、特別CARVINGーSKIを使わなくても技術の向上により体験することは可能です。

スキーの操作を充分習得しないまま特殊な現象を手っ取り早く作り出せるということは、その状態の何たるかを知らない危険な滑り方ということにもなりかねません。
ブレーキ成分を少なくし、板を走らせることを主体にした現在の道具と技法は、それはそれでスピード感溢れる魅力的なスキーイングを楽しめるのかもしれませんが、極限でのコントロールに自信を持てた時(どんな状況であろうとスキーの進行を自分の意思でブレイクさせられる)に味わって頂きたいものです。

このことについてHP開設以来くどいほど書いてきましたが、「従来の滑り方」という言われ方でフェルゼンドレシュープ系の滑りは残念ながら今では古めかしい時代遅れの技術ということになってしまったようです。
しかし簡単に云ってしまえば「力ずく」で板をコントロールする様々な技法を学ばない限り楽しめる環境は狭いものとなり、なにより危険回避の能力が培われないのではないかと思います。
雪と名の付く場所であれば、例えそれがどんな状況でもこなせる方が楽しいにきまっているし、セフティーマージンを充分にとった上でのスキーは醍醐味(角川新国語辞典によると:物事の真実のよさ・味わい・妙味)のなんたるかを教えてくれます。
これは今風の板でも問題なく習得出来るものなので、是非「力で板をねじ伏せる」練習もして頂きたいと強く希望するものです。


何十年前のものかは知りませんが、全日本スキー連盟の「スキー安全十則」なるものをコメントを加えて紹介しておきます。

一)準備運動忘れずに
  最低でもストレッチしてから

二)無理なスピード事故のもと
  何時でも安全に止まれ、他のスキーヤーを避けることが出来るスピードで滑ること。道具に頼ったオーバー スピードは最も危険

三)自信過剰は事故のもと
  恐怖心は上達の妨げですが、さりとて自信過剰は自分はもとより、他人にも怪我をさせる可能性があります。

四)睡眠不足は怪我のもと
  仕事の都合や安く上がるとの理由で夜行日帰りというスケジュールでは心配。

五)止まるな休むなコースのなかで
  特にクニックの下辺りで上から見えにくいところで止まるのは絶対にやめた方がいいです。衝突されるのが嫌なら止まるのはコースの脇でしかもコースに背を向けないこと。

六)割り込みや無理な追い越し止めましょう
  下にいる人を追い越す場合、全責任は自分にあります。

七)安全締め具も調節次第
  今では大抵大丈夫カモ。

八)服装整え安全第一
  きちんとした服装が良いのは当然。

九)もう1度、そこがスキーの止めどころ
  「もう1本滑ろうかな」と思った時は既に疲れています。そのまま帰るか、気持ちを引き締めて直前より注意深く滑ること。

十)事故なら無理をしないこと
  パトロールを呼んでもらい、おとなしく待つこと。同行者は怪我人がショック症状に陥らない様最低でも保温に努める。


技術的なこと以外に安全に楽しむ上でのルールやマナーを知らなかったり、又それを教えてくれる知識や経験が豊富な先輩友人が居なかったりで戸惑うことがあるかもしれませんが、そんなに堅苦しいものでは無く社会生活での常識をわきまえていれば多分大丈夫です。でも自然の雪山については少し勉強しておくことをお勧めします。

昔は「転んだ穴は埋めましょう」なんてものもありましたが、そういう気持ちが大切なのでは・・・・。

ストレッチ2003/02/26


スキーはヤッパリ過酷なスポーツだし、無意識にしても筋肉をはじめ肉体に掛かる負担は相当なものですから、滑る前にストレッチ位はしておいた方がいいと思います。
そこで腰痛専門医のDr.Matumoto氏から腰痛やケガの予防にもなる効果的で簡単なストレッチを教わりましたので紹介します。

スキーに出かける前(ブーツを履く前)にするストレッチ

1:腰周りのストレチ
足を肩幅に開き、軽く膝を曲げ、腕を脱力し、顔は正面に向けたまま肩を水平に±90度位まで回して戻すを繰り返す。
脱力した腕は肩の動きに追従出来ないようなブラブラの状態にしておく。
恋人を見つめて「別れるなんてイヤイヤ」の大袈裟なのを5分位続ける感じかな〜。

2:アキレス腱のストレッチ
いわゆるアキレス腱のストレッチ運動の体勢をとり、アキレス腱と膝の裏の筋を伸ばすようにして40秒から60秒静止する。
従来のように動かしてはいけない。これを左右1回行う。

ゲレンデに到着してからのストレッチ

3:体側のストレッチ
スキー場まで少なくとも5分以上(出来れば息ずかいが少し速くなる位)歩き、ゲレンデに到着したら スキー板をバーベルを持ち上げる要領で肘をピンと伸ばして頭の上で支え、そのまま左右に倒して体側のストレッチをする。
これは左右とも7〜10回行う。

その後いざリフト乗り場へ・・・と言う段取り。

「言いたい放題T」でも書いたように準備運動は必要だし整理体操も必要だと思います。
このストレッチをするだけでつまらないケガの可能性が少しでも低下すれば幸いです。

スキーから帰ったら「別れるなんてイヤイヤ」ストレッチをもう一度しておくと明日も
ゼッコーチョ〜
請け合いです(^^)

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