南大門からみた金堂(99/4/4) |
薬師寺をそのまま北口へ抜けて歩くこと15分。 唐招提寺の南大門に出る。 中に入ると静かな落着いたいた雰囲気をたたえ る金堂が迎える。 鑑真和上が新田部親王(にいたべしんのう)の邸をも らいうけ、私立の学問所にしたのが始まりとか。 唐の国から来た鑑真和上の 「招提---み仏のもとに修行する人達の場」を寺 名としている。建築物や仏像等天平美術が濃縮さ れた寺。 鑑真和上を書いた井上靖著の「天平の甍」が有名 です。 |
| 前後五回、十二年に及ぶ苦難の末、東大寺に着いた時は、 その両の眼で日本の姿を見ることが出来なかった鑑真和上 の宗教心、意志の強さは何処から来るのであろうか。 今まで訪ねたお寺さんとの、境内における違和感は、ただ単 に、鑑真和上の苦労話の先入観だけでない、何かを感ずる。 煩悩の塊である私には、それが何か分かるほどには修行を 積んではいないが。 |
校倉作りの経蔵(99/4/4)![]() |
桜咲く金堂 − 最大の天平建築(99/4/4) ![]() |
講堂 − 地上に残る唯一の平城宮(99/4/4) ![]() |
| 宗 派 | 律宗 総本山 | 別 名 | 建初律寺 |
|---|---|---|---|
| 開 基 | 鑑真和上が、天武天皇の皇子新田部親王の旧廷地を賜り私立学問所に したのが始まり。み仏のもとに修行する人達の場 − すなわち唐招を 寺名とする。盛時には学僧3000名を数えたが、中世に衰え鎌倉時代 に覚盛(かくじょう)によって中興される。 |
創建年代 | 鑑真和上創建の年が759年(天平宝字3年)和上はその4年後の763年 (天平宝字7年)5月6日。76歳にて入滅する。 |
| 本尊 | 廬舎那仏 | 訪問日 | @1965(S40)年3月24日 A1999(H11)年4月4日 |
| 拝観時間 | 8:30 〜 17:00 | 休 日 | なし |
| 拝観料 | 600円 | 所在地 | 奈良県奈良市五条町13-46 |
| その他 | 新宝蔵拝観 : 春 3月20日〜5月19日 秋 9月14日〜11月3 日御影堂開扉 : 6月5日 〜 7日 |
問合せ先 | 0742-33-7900 http://www.toshodaiji.jp/ |
| 建築物 | |||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 名称 | 適用 | 制作年 | 素材 | サイズ | メモ | 指定 | |
| 金堂 | − | 奈良 | 8c後期 | 木造・本瓦葺 | 桁行七間 梁間四間 | 本格的金堂奈良期唯一の遺例。天平の甍でおなじみ。 2010年11月 平成の大修理完了 |
国宝 |
| 講堂 | 移築 | 奈良 | 761年頃 | 木造 | 桁行九間 梁間四間 | 金堂の後方に建ち、平城宮の朝集殿を移築した。 | 国宝 |
| 鼓楼 | 再建 | 鎌倉 | 1240年 | 木造 | 桁行三間 梁間二間 | 鑑真将来の舎利が納められていた為、舎利殿とも言う。 | 国宝 |
| 経蔵 | − | 奈良 | 8c | 木造 | 桁行三間 梁間三間 | わが国現存最古の校倉、寄棟造り。 | 国宝 |
| 宝蔵 | − | 奈良 | 8c | 木造 | 桁行三間 梁間三間 | 高床式の校倉造り。経蔵よりやや大きい。 | 国宝 |
| 彫刻 | |||||||
| 名称 | 場所 | 制作年 | 素材 | サイズ | メモ | 指定 | |
| 鑑真和上坐像 | 御影堂 | 奈良 | 763年 | 脱活乾漆造・彩色 | 81.8cm | 肖像彫刻としては最古 | 国宝 |
| 盧舎那仏坐像 | 金堂 | 奈良 | 8c後半 | 脱活乾漆造・漆箔 | 339.4cm | 光背に千仏光(釈迦仏)をつける。 | 国宝 |
| 千手観音立像 | 金堂 | 奈良 | 8c後半 | 木心乾漆造・漆箔 | 535.7cm | 大手42本、小手911本の手が現存。 | 国宝 |
| 薬師如来立像 | 金堂 | 平安 | 796-815 | 木心乾漆造・漆箔 | 336.5cm | 薬壷を持たない、古式の薬師如来。 | 国宝 |
| 四天王立像 | 金堂 | 奈良 | 8c後半 | 木造乾漆併用・彩色 | 185.0-188.5cm | ゆったりとし、動きに乏しい。 | 国宝 |
| 梵天立像 帝釈天立像 |
金堂 | 奈良 | 8c後半 | 木造乾漆併用・彩色 | 186.2cm 188.8cm |
天平期の宏大な気分あふれる像。 | 国宝 |