高  僧 (索引)

名前 別 名 宗 派 寺 名 生-没 享年 代表的著書等 行 跡
えかん
恵灌
- 三論 元興寺(奈良) ?-? - 625年(推古33年)高句麗より来日し、元興寺に住し、三論宗
を伝える。
どうぞう
道蔵
- 成実 - ?-? - 百済の僧。
ぎえん
義淵
- 法相宗 龍門寺
岡寺
?-728 - 吉野に龍門寺を開き法相宗を弘め、岡寺を開く。
弟子に行基、玄ム、良弁などを輩出。
どうしょう
道昭
-
法相宗
開祖
元興寺 629-700 72
-
653年唐に渡り、玄奘(げんじょう)に法相を学び、帰国後そ
の教えを広め、日本法相宗の祖といわれる。晩年は、諸国
を巡って架橋等の社会 事業を行なう。本人の意思により、
日本で 初めて火葬に付されたと言う。
ぎょうき
行基
行基菩薩 法相宗 薬師寺 668-749 82 - 道昭に師事。法相宗の教えを人々に広めると同時に、橋の
修築、池や堤の設置、道路の開通など社会事業を実践した
ため、行基の姿に菩薩を重ね合わせ、行基菩薩と呼ばれた。
僧尼令違反で禁圧されたが、後、大仏造営の勧進に起用さ
れ、大僧正位を授け られた。
がんじん
鑑真
かかいだいし
過海大師
とうだいわじょう
唐大和上
日本律宗
開祖
唐招提寺 688-763 76 唐大和上東征伝 入唐僧栄叡らの招きにより、753年、苦難12年目に来日
した時にはすでに失明し、日本の姿を見ることは出来なか
った。 東大寺に初めて戒壇をもうけ、聖武天皇以下に授
戒。後、戒律道場として唐招提寺を建立する。
どうきょう
道鏡
ゆげぜんし
弓削禅師
法相宗 - ?-772
- 女帝、孝謙上皇の黒幕として暗躍。宇佐八幡の信託と称し
て皇位の継承を図るが、和気清麻呂(わけのきよまろ)に阻止さ
れ、称徳天皇(孝謙 上皇が再度天皇になる)崩御後、左
遷される。
ろうべん
良弁
こんしょうぎょうじゃ
金鐘行者
華厳宗東大寺 689-773 85 - 華厳宗の僧として東大寺の開基、初代別当となり、興隆に
貢献した。2歳の時母と鷲にさらわれ、二月堂の下の杉(良
弁杉)に置かれたとの伝説がある。
さいちょう
最澄
でんぎょうだいし
伝教大師
えいざんだいし
叡山大師
天台宗
開祖
比叡山
延暦寺
767-822 56 けんかいろん
顕戒
さんげがくしょうしき
山家学生式
いひょうてんだいしゅう
依憑天台宗
804年入唐し翌年帰国。天台宗を設立。法華経の「一乗思
想」の教えを説く。晩年は比叡山独自の大乗戒壇建立を主
張し、南都諸宗と対立したが、没後に実現。
くうかい
空海
こうぼうたいし
弘法大師
へんじょうこんごう
遍照金剛
真言宗
開祖
高野山
金剛峰寺
774-835 62 しょうりょうしゅう
性霊
さんごんしいき
三教指帰
ひみつまんだらじゅうじゅうしんろん
秘密曼荼羅十住心論
804年入唐、806年帰国。真言密教を国家仏教として定着さ
せる。心身ともに大日如来と一体になる修行を実践すれば、
この身のまま仏になれる、と言う即身成仏の教えを説く。
えんにん
円仁
じかくだいし
慈覚大師
天台宗
山門派の祖
比叡山
延暦寺
794-864 71 こんごうちょうきょうしょ
金剛頂経疏
にっとうぐほうじゅんれいこうき
入唐求法巡礼行記
天台宗をさらに密教化、「台密」を大成させる。念仏を修行
の一環に取り入れ、後に山門派(比叡山派)となる。
えんちん
円珍
ちしょうだいし
智証大師
天台宗
寺門派の祖
おんじょうじ
園城寺
(三井寺)
814-891 78 法華論記
大日経指帰
根本経典を天台宗の根本経典の「法華経」で はなく、「大
日経」とし、天台宗寺門派の祖 となる。後に円仁の山門派
との対立が激化。 天台宗を二分させる。
くうや
空也
こうや
弘也
こうしょう
光勝
いちのひじり
市聖
空也念仏
の祖
ろくはらみつじ
六波羅密寺
さいこうじ
西光寺
903-972 70 - 「南無阿弥陀仏」を唱え、踊り念仏をして念仏を広める。
自らを捨て、貧窮に喘ぐ者、病に苦しむ者に施し、他人の為
に働く。
げんしん
源信
えしんそうず
恵心僧都
天台宗 ひえいざん
比叡山
えしんいん
恵心院
942-1017 76 あみだぶつひゃくごうかんぽう
阿弥陀仏百毫観法
おうじょうようしゅう
往生要集
浄土教学の名著、「往生要集」を著したほか、膨大な数の
著作を書き続け、思索と執筆でその生涯を終える。
りょうにん
良忍
しょうおうだいし
聖応大師
天台宗 らいごういん
来迎院
1072-1132 61 なし 天台声明(しょうみょう)」の中興者。独りより多数の人が唱える
方が、お互いの念仏が融通しあって往生出来るとする「融
通念仏」の祖。後に一遍の時宗となり、また江戸時代に融
通念仏宗として、融観(ゆうかん)により完成される。
さいぎょう
西行
えんい
円位
だいほんぼう
大本坊
- - 1118-1190 73 山家集 北面の武士から出家し、すべてを捨てて漂白の旅に出、全
国を行脚する。僧としてより、放浪の歌人として花鳥風月を
詠んだ歌の方が有名。
ほうねん
法然
源空
円光
和順大師
浄土宗
開祖
- 1133-1212 80 選択本願念仏集 既成の仏教を捨て念仏修行に没頭し、凡夫も救済される道
を知る。「大原問答」で、専修念仏の大切さを説く。
えいさい
栄西
みょうあん
明庵
ようじょうぼう
葉上房
せんこうこくし
千光国師
臨済宗
開祖
しょうふくじ
聖福寺
けんにんじ
建仁寺
1141-1215 75 興禅護国論
喫茶養生記
天台密教と禅の思想を併せ持ち、鎌倉幕府の下で活躍。
臨済宗発展のため、権力を利用した策士家の面ももつ。
じえん
慈円
どうかい
道快
じちん
慈鎮
天台宗 比叡山
延暦寺
1155-1225 71 ぐかんしょう
愚管抄
関白・藤原忠道の子として生まれ、13歳で出家。16歳で法
眼、24歳で法性寺の座主、27歳で法印と出世街道を驀進。
僧侶ではあるが、地位や名誉を捨てきれなかった。
みょうえ
明恵
みょうけい
明慧
せいべん
成弁
高弁
- 高山寺 1173-1232 90 ざいじゃりん
摧邪輪
釈迦を慕い、高山寺を建立した栂尾をインドにある釈迦の遺
跡に真似てつくる。戒律を重んじ南都仏教の復興を図った。
しんらん
親鸞
しゃくくう
綽空
善信
見真大師
浄土真宗
開祖
- 1173-1262 90 きょうぎょうしんしょう
教行信証
たんにしょう                
歎異抄(唯円の著)
法然の思想を継承しさらに強く説き、阿弥陀仏を信ずるだけ
で成仏出来ると説く。仏教界最初の妻帯者としても知られる。
どうげん
道元
道玄
希玄
ぶつぽうぼう
仏法房
じょうようだいし
承陽大師
曹洞宗
開祖
永平寺 1200-1253 54 ふかんざぜんぎ
普勧座禅儀
しょうぼうげんぞう
正法眼蔵
ひたすら座禅をすることを説き他のすべてを否定する。読経
も念仏もただ田圃の蛙の鳴き声と同じと批判し、自らの宗派
も、禅宗と呼ぶことさえ許さなかった。
えいそん
叡尊
しえん
思円
こうしょうぼさつ
興正菩薩
真言律宗
開宗
西大寺 1201-1290 89 かんじんがくしょうき
感身学正記
大和国の生まれ。興福寺の学僧慶玄の子。他の鎌倉新仏
教(浄土宗、臨済宗、浄土真宗、日蓮宗、等)などとは意を
異にし、戒律を重んじ復活させ、奈良西大寺を復興する。
又、文永4年(1267)般若寺を修復、飢者数万人を救い、非
人救済にも尽力する。
にちれん
日蓮
れんちょう
蓮長
りっしょうだいし
立正大師
日蓮宗
開祖
身延山
久遠寺
1222-1282 61 立正安国論
開目抄
勧心本尊抄
天台宗をから出発し、法華経こそは最高の経典で他はすべ
て邪教と決め付ける。現世の幸福を追求し、折伏(しゃくぶく)
よばれる相手を屈服させる強烈な布教方法を実践する。
そげん
祖元
むがく
無学
ぶつこうぜんし
仏光禅師
えんまんじょうしょうこくし
円満常照国師
臨済宗
仏光派
円覚寺 1226-1286 61 - 北条時宗のよる招請に応じ、1279年中国から来日。円覚寺
で鎌倉武士を教化指導する。数年の滞在の予定であったが、
政情不安もあって生涯を日本で終えた。
いっぺん
一遍
ちしん
智真
しょうじょうだいし
証誠大師
えんしょうだいし
円照大師
時宗
開祖
- 1239-1289 51 なし 「南無阿弥陀仏」と記した札を配り歩き(賦算(ふさん))、踊
り念仏を加え諸国布教をする。教団も弟子も持たず一切を
捨てた遊行の僧。
かくにょ
覚如
そうしょう
宗昭
ごうしょう
毫摂
浄土真宗 本願寺開創者 1270-1351 82 親鸞聖人伝絵
口伝抄
親鸞の曾孫(ひまご)。親鸞 ― 如真(親鸞の孫)― 覚如の
系譜が嫡流であることを表し、親鸞廟堂を寺院化して本願
寺とする。
むそう
夢窓
  そせき ・ しょうかく
疎石・正覚
しんしゅう ・ ふざい
心宗 ・普済
げんゆう ・ ぶつとう
玄猷 ・仏統
だいえんこくし
大円国師
臨済宗 天竜寺、西方寺
恵林寺、等の庭園
1275-1351 77 夢中問答集
夢窓国師語録
中央の権力と結びつくことを嫌い、甲斐や美濃などの山中
で修行を重ねたが、意に反し時の権力者から多くの指示を
えた。また、庭園を造った造園家としても有名
いっきゅう
一休
そうじゅん
宗純
きょううんし
狂雲子
臨済宗 大徳寺 1394-1481 88 狂雲集(詩集) 禅院の堕落を嫌い奇行が多く、形式や虚偽を拝し反逆児と
してあるがままに生き、禅の本質に迫ろうとする。とんち話の
一休さんとはかなり違った風狂の人。
にっしん
日親
くおんじょういん
久遠成院
なべかむりしょうにん
鐺冠上人
日蓮宗 本法寺 1407-1488 82 立正治国論
はにやしょう
埴谷抄
でんとうしょう
伝燈抄
しゃくぶくせいぎしょう
折伏正義抄
「立正治国論」著して幕府に捕らえられ過酷な刑を受けるも
法華経の信仰を曲げなかった。が、その主張が他宗を激しく
攻撃するものだったため至る所で迫害を受けた。
れんにょ
蓮如
けんじゅ
兼寿
えとうだいし
慧燈大師
浄土真宗 本願寺 1415-1499 85 しょうしんげたいい
正信偈大意
おふみ
御文
浄土真宗中興の祖。比叡山宗徒の襲撃に遭い、越前吉崎
に赴き北陸地方を強化。その後京都山科に本願寺を建立
し、八世として本願寺を強大な宗門に成長させた。
せっしゅう
雪舟
とうよう
等楊
ようしか
楊知客
禅宗 しょうこくじ
相国寺
うんこくあん
雲谷庵
1420-1506 83 山水長巻
破墨山水図
天橋立図
禅僧としてよりも、画僧として有名。1467年明に渡り、中国
の自然と水墨画を習い、69年帰国。山水画、人物画のほか
花鳥画もよくした。
かいせん
快川
しょうき
紹喜
だいつうちしょうこくし
大通智勝国師
臨済宗 えりんじ
恵林寺
?-1582 - 武田信玄に師と仰がれ、息子の勝頼も帰依。大群を率いて
攻め込んだ織田信長は天目山で武田一族を滅ぼすが、こ
の時恵林寺にいた快川は屈せず、山門の楼上で焼き討ち
にあう。燃え盛る火の中で、快川は「心頭滅却すれば自ら
涼し」と言葉をのこし、寺と運命を共にした。
てんかい
天海
南光
ちらくいん
智楽院
じげんだいし
慈眼大師
天台宗 かんえいじ
寛永寺
1536-1643 108 大蔵教(天海版) 徳川家康の知遇を受け、内外の政務に参画。延暦寺の復
興と日光山の整備にも尽力。家康の死後、東照大権現とし
て日光に祀る。
もくじき
木食
おうご
応其
こうざんしょうにん
興山上人
真言宗 高野山 1536-1608 73 - もとは武士で高野山で出家し、穀断ち、すなわち木食して修
行。豊臣秀吉の庇護のもと、各地に寺社を建立。秀吉死後
は、徳川家康ににらまれる存在になり、故郷の近江に隠遁
する。
えけい
恵瓊
ようほ
瑤甫
臨済宗 安国寺
東福寺
1538-1600 63 - 毛利輝元の代表として秀吉との講和に奔走。が本能寺の変
で毛利側を抑えて秀吉に恩をうり、重用される。が、関が原
の合戦で西軍に属し、徳川方に捕らえられ斬首される。
すうでん
崇伝
いしん
以心
えんしょうほんこうこくし
円照本光国師
臨済宗 南禅寺
建長寺
1569-1633 65 異国日記
本光国師日記
徳川家康の側近としてつかえ、内外に渡って暗躍。公家、武
家、諸寺諸宗の法度を制定。「黒衣之の宰相」といわれ、天
海とはライバル関係としてしのぎを削った。
たくあん
沢庵
そうほう
宗彭
ふこうこくし
普光国師
臨済宗 大徳寺
南宗寺
東海寺
1573-1645 73 不動智神妙録 紫衣事件で幕府と抗争。3年間出羽に配流される。帰京後、
徳川家光の帰依をうけ、品川に東海寺を開く。辞世の偈(げ)
はたった一言。「夢」
いんげん
隠元
りゅうき
隆g
だいこうふしょうこくし
大光普照国師
黄檗宗
開祖
万福寺 1592-1673 81 - 明の福建省に生まれ、1654年日本に渡来。万福寺で本格
的に布教活動に入る。隠元豆は、隠元和尚が明よりもたら
したものと言われる。
りゅうこう
隆光
えいしゅん
栄春
新義真言宗 護持院 1649-1724 76 - 関東で新義真言宗の最盛期をもたらした僧。徳川綱吉の信
任あつく、「生類あわれみの令」を勧めたといわれている。
はくいん
白隠
えかく
慧鶴
しょうしゅうこくし
正宗国師
臨済宗
中興の祖
妙心寺 1685-1768 83 おらてがま
遠羅天釜
やせんかんわ
夜船閑話
京都妙心寺の第一座となった後も諸国を遍歴教化、多くの
信者を集め、臨済宗中興の祖と称された。
りょうかん
良寛
たいぐ
大愚
えいぞう
栄蔵
曹洞宗 五合庵 1758-1831 74 はちすのつゆ              
蓮の露(歌集)
諸国行脚後、越後の国上山の中腹に五合庵と呼ぶ居を構
え、托鉢により日々の食を得、座禅をし、詩歌を読み、子供
達と遊ぶ毎日を過ごす。