ルクソール神殿
訪問日 :2009年11月14日 17:20-18:30
入場料 :50LE(900円)
建造年 :BC1500年頃−AD1300年頃(モスクの建築まで)
所在地 :ルクソール東岸
祀神    :主神殿 − アムン・ラー神
          :礼拝堂 − ムト女神(アメン・ラー神の妻)
                         − コンス神(ムト神の息子)

  エジプト神殿の発展と拡大に関する好事例としてのルクソール神殿は、約3000年以上(モスクの建築も含め)にも及ぶ歴史が有る
と言われてる。
  第18王朝のハトシェプスト女王(在位DC1473-1458)がかなりの建築を行ったことが判明しているが、後のファラオ等によって
変えられてしまった。今日現存する神殿の核の部分は、新王国時代第18王朝の偉大なる「太陽王」アメンヘテプ3世(在位BC1390-
1352)によって建築された。が、しかしアメンヘテプ3世の息子であるアメンヘテプ4世(アクエンアテン)(在位BC1352-1336)
は、強大に成りすぎた神官達の権力を削ぎ、或いは打倒する為に、彼ら神官たちに支配されたていたアメン神信仰を嫌い、テーベか
らエル・アマルナに遷都した。その為神殿の工事は中断し、その後の再開と完成は、メンフィスに遷都しテーベにおけるアムン神崇
拝を公式に復興した、トゥトアンクアムン王(ツタンカーメン)(BC1336-1327)の時代になってからであった。
  それから更に半世紀を経て、第19王朝ラムセス2世(在位BC1279-BC1213)が登場。中庭、及び塔門(第一塔門=現在の入口)を
造った。その中庭と塔門は、3km先に有るカルナック神殿のアムン神殿に揃うように角度を変えて造られ、ここルクソール神殿とその
カルナック神殿を、長大な参道で結んだ。尚後に、この参道を数百体の人頭スフィンクスで飾ったのは、第30王朝のネクタネボ1世
(在位BC380-362)であった。
 その後も、アレクサンドロス3世(アレキサンダー大王)(在位BC332-323)が改装を加えたり、6世紀にはラムセス2世の中庭にキ
リスト教により教会が建てられたり、13世紀には、その同じ建物の上に、アブ・エル・ハッジャージのモスク(現在も使われている)
が建設されたりして現在に至っている。

夕闇せまるルクソール神殿。
神殿への観光は、夜のライトアップのみでしたので、夜景しか有りません。
勿論、美しく幻想的な夜景に何の不満も有りませんが、昼間のルクソール神殿も
見てみたかった。特にスフィンクス参道へは行ってみたかった!

第一塔門(ラムセス2世の塔門)
高さ24m、幅65m。
ラムセスさんは、信じられないくらい、顕示欲が強かったのですね。
ここの神殿にも、ラムセスさんの像が、いっぱい! しかもデカイ!

ラムセス2世 (左)
ラムセス2世 (右)
顔が!可哀そうに!

ラムセス2世の中庭
右側も左側も
 
み〜んなラムセス2世さん。
一体、中庭だけで何体有るのでしょうか?
でも、首から上のない像が結構多いです。
 
第二塔門前の坐像。これもラムセス2世さん!

第2塔門前右のラムセス2世。
これは、威厳が有りますネ。

アブ・エル・ハッジャージのモスク
13世紀に造られたモスクです。建築当時、神殿は砂に埋もれていて分
からなかったので、知らずに造ったドアががとても高い所に有るのが、
ドラえもんの 「どこでもドア」 みたいです。

まさに列柱廊
高さ17mの柱が  7本×2列=14本。
 

 

タンカーメンとアンケセナーメン夫妻
大列柱廊へ入るとすぐにこの像が目に入って来ます。
二人は幼馴染で、アンケセナーメンの方が2歳年上の姉様女房。この像のように、「仲が良かった」 との
説が一般的ですが、そのほかに、ツタンカーメンが18歳で亡くなった後の再婚相手で次のファラオのアイ
と共謀して暗殺したとの説が。でも、ここではそんな嫌な説は忘れて、「二人は相思相愛の中で、とても
仲が良かった」 説を採用しましょう。

  ツタンカーメンについてエジプト考古学チームから新事実の発表が有りました。(2010年2月17日)
父親は、アメンホテプ4世(アクエンアテン)、母親は名前は不明だがアメンホテプ4世の姉妹で、当時
は一般的だった兄弟の間の子供との結論です。また死亡は骨折にマラリアが重なった事が原因で、暗殺
説を否定する内容ですね。DNA鑑定やCT撮影を駆使しての調査結果とのことですので、これでツタンカ
ーメンの謎の一部が解明さたことになります。(2010/2/17追記)
 

アメンヘテプ3世の中庭
左は大列柱郎。正面のミナレットは、アブ・エル・ハッジャージのモスク
壮観です! 感動します!
 

皇帝崇拝の場

この写真を見ただけで
あ〜。あのローマ皇帝の崇拝の場ネ。
と、思った人は、かなりのエジプト通。
何せ、撮った本人が分からずに、しばらく悩んだ位ですから。
上の、右側の写真の正面の奥に見えている場所ですね。ローマ
時代ここに駐屯していたローマ軍の軍隊の祭儀の為に造られた
「皇帝崇拝の場」 が正解でした。
ご存じコブラの神様。
何処で撮ったのか、思い出せません。
撮影時間の流れからは、皇帝崇拝の所か、
その先の至聖所ですが。

レリーフ
エジプトのどこの神殿へ行っても、必ずレリーフにお目にかかれます。
 
この表は、何でしょうか?   
 
  一部をアップすると、こんな感じですが?
最初に見たときはビックリして、目の錯覚かと!
その後あちこちでお目にかかることになる、
豊穣の神ミン神。
後ろに並んでいる牛は、神への捧げものですか?
    アップです。脚が縛られていますが。
 

再び第一塔門に戻って来ました。
かつてここ、ラムセス2世の塔門の正面には、ラムセス2世王の坐像2体と立像4体の計6体と、さらに左右2基の
オベリスクがそびえ立っていました。が、残念ながら19世紀に、1基のオベリスクと2体の像がパリへ運ばれてしまった。
(オベリスクについては、下記及びオベリスクを参照してください)
ラムセス2世像

ラムメス2世のオベリスク
高さ25m。現存する、世界第5位の高さ。
対となっていた右側は、パリのコンコルドにある。それは1831年に取り外され、セーヌ川を遡り
1836年コンコルド広場に建てられた。そのお礼として移築を許可したムハンマド・アリに対し、
フランス国王ルイ・フィリップから大きな時計が送られたが、その時計はおくられた時から故
障して動かず、今日まで時を刻んだことはないという。ちなみにその時計は、シタデル内の
ムハンマド・アリモスクの中庭に有ります。(写真右側の時計)

暗闇に聳えるオリベスクのビラミディオンから、神のパワーが伝わってくる。
と、そんな気にさせる!