ムハンマド・アリ モスク と
シタデル

訪問日 :2009年11月15日 10:10-11:30
入場料 :50LE(900円)

ムハンマド・アリ モスク
   建造年  :1824−1857年
   所在地  :カイロ イスラーム地区
                  モカッタムの丘のシタデル内

ムハンマド・アリ モスク

  1824年、ムハマド・アリ(1769?−1849年没)が建築しはじめ、1857年、息子のサイード・バシャによって完成。オスマン様式
のモスクで、外壁にアラバスターを使用したため、「アラバスター モスク」とも呼ばれている。
  ムハンマド・アリは、オスマン帝国(現在のトルコのイスタンブールを首都として一大帝国を築いたが、1922年滅亡)の属州だっ
たエジプトの支配者で、半独立政権を樹立し、専制支配のもとで富国強兵政策をとり、近大エジプトの基礎を築いた人物。ちなみに、
日本語でモハメド・アリ モスクとも表記されるが、米国のプロボクサーのモハメド・アリとは全く関係がない。

シタデル
  カイロのイスラーム地区のモカッタムの丘に築かれた、城砦都市。1176年に十字軍(キリスト教)を阻止する為、サラーフ・アッデ
ィーン(サラディン)(1137-1193没)が建設した。その後19世紀のムハンマド・アリの時代まで城砦として使われていた。内部に
は、モスクやガウハラ宮殿等様々な建築物が残っている。

ムハンマド・アリ モスク
アズハル公園からみた、モスク
トルコの「ブルーモスク」をモデルにして造ったそうな。
ミナレットは、鉛筆型で複数有るトルコ式。
ガイドさんいわく、「ベストポジション」です。
それで、観光客の皆さんが、
ここで記念写真を撮ります。
順番ですから、押さないでくださ〜い!

何処にありますか? 上の右側の写真で探して下さい!
日本と違って、両方とも、阿像ですね!
 
中庭です。泉亭と言うんですって! 知らなかった。
お参りする前に、身を清める所です。

今は使われていないと聞きましたが。
刻印模様が細かいですね。
泉亭の天井絵です。
中庭は、集団礼拝や宿泊など、
色々な使い方をする様です。

回廊の中は、涼しくて良いですよ。

これが、ルクソール神殿のオリベスクのお礼にフランスから贈られた時計ですね。
ガイドさんの説明によると、最初から壊れて動かなかったそうです。
この工事の足場は何でしょう。修理? それとも?
ガイドさんが「日本のセイコー社に直してもらいた」(笑)と言っていましたヨ!
ムハンマド・アリの廟
入口右手に有りました。
グリーンは、照明の関係でしょうか。
戸が開いた瞬間です。
フラッシュ撮影ですので、
こちらの色が正しいと思います。
祈りをささげる場所です。
広い部屋に、ランプが美しい。昔は煤が出ないオイル照明だったそうです。
シルエットが幻想的。

壁に彫られた窪みを「ミフラーブ」と言って、
メッカのカーバの方向を示しています。
このミフラーブの方を向いて、礼拝するわけですね。
私も、形だけで申し訳ないが、お参りしてきました。


説教台の階段部分です。「ミンバル」と言います。
模様が美しい。

アラバスター製の柱

ドームは、装飾的な意味のほかに、
屋根の重さを分散させる効果があるとか。
それによって、柱の少ない、広いスペースが確保できます。

ドーム天井とランプ

方向感覚が狂っていますが、入口とは逆側の表と思います。
 

左の写真が正面向かって左側面で、右の写真が正面ですね。
そうすると、入口は正面向かって右側面になります。
 

カイロ市内です。
天気が良いと、ギザの3大ピラミッドが見
えると聞きましたが、この日はダメでした。

シタデル (城砦都市)
ムカッタムの塔
シタデル最大で、高さ25m 幅24m 厚さ7m
銃撃戦にも耐えられるように壁が厚い

16世紀、オスマントルコ時代の塔です。
重量感と同時に、砲撃にも耐えられる安心感が有ります。
 

シタデル内の建物ですが、何でしょう?

バス停へ

シタデルの要所々々に塔が有ります。しかも名前付きで。
殆どの塔はサラーフ・アッディーン(サラディン)の時代の塔です。
この風景をを見ると、
城砦が実感できます。