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能舞台

 

 かつて能は、神社の拝殿や芝生の上や屋外の仮設舞台などで演じられていました。現在のような整った舞台での演能は、室町時代末期から一般的なものになったと考えられていますが、それでも正式な能舞台はすべて屋外に設置されていました。現存する最古の能舞台は、京都の西本願寺の北舞台です。西本願寺の北舞台の構造は、基本的には現在の能舞台とほとんど変わっていないところをみると、この形式になったのは、かなり早い時期であったと推定されます。

 近代になって生まれた「能楽堂」という劇場においては、能舞台は、かつては舞台とは別棟であった見所(観客席)や舞台と見所との隔てとなっていた白州ともども、すっぽりと建物の中にとり込んだような形、いわば屋外の能舞台を建物で覆った形に変わりました。これは、相撲の土俵を建物の中に取り込んだ国技館とも相通ずるところがあります。今日の能楽堂のように、舞台と客席とが一つの建物の中に収まった劇場形式になったのは、明治14年以降のことで、400年余の能舞台の歴史の中では、まだ新しいものといえます。                     

 

 

 

 能楽堂では、見物席のことを見所(けんしょ)と言い、見所を区画して、正面・脇正面・中正面と呼びます。見所から、能舞台を見ると四つの部分に分かれています。本舞台、地謡座(じうたいざ)、後座(あとざ)、橋掛リです。 本舞台は、三間四方(6m四方)の正方形の床面部分です。(ここでいう一間は京間寸法で、約2メートルにあたります。)床板は、縦に敷いてあります。四隅に四本の柱があり、一番奥にあるのが笛柱(ふえばしら)です。笛座(笛方が座る位置)に近い柱なのでその名があります。他の三本と違って、半ば羽目板の中に隠れているのが特徴です。笛柱の前にあるのがワキ柱です。ワキ座(ワキが座を占めることが多い場所)に近い柱です。ワキ柱と対角線上にある柱を、シテ柱と言います。シテの常座に近い柱から来た名称です。常座は、シテ、ワキなどが登場して舞台へ入ったとき、この位置に立ち止まって「次第」などを謡い出したり、また、シテが舞を舞うときや、大切な所作を始めるときには、この位置で始めます。留拍子も普通この位置で踏み、演出上、重要な場所です。四本柱のうち、もっとも見所に突き出て、笛柱と対角線上にある柱を目付柱(めつけばしら)と言います。他の三本の柱は近くに位置する役の名がついていますが、この柱は、演者、特に面をつけている役が、所作の目標とする「目をつける」「見当をつける」という効用から来た名称です。角にあるので角柱(すみばしら)とも言います。

 本舞台の向かって右側に、幅約1メートルの張り出し部分がありますが、能の地謡が列座するので、 通称地謡座と言われています。

本舞台の奥に、奥行き約3メートルの付帯部分があります。ここは、本舞台の後方の意味で、後座と称し、床板が横に敷いてあることから、横板とも言います。能のとき囃子方が、笛・小鼓・大鼓・太鼓の順で座ります。

横板の左側に、橋掛リが付きます。橋掛リの寸法には、特にきまりはありませんが、二人の人物が楽にすれ違えるだけの幅が必要で、長さは、十人ほど並んで立ってなおゆとりがあることが必要です。通常は、幅2メートル強、長さ12メートル強が、多いようです。橋掛リの床板は縦に敷かれ、その先端は、揚ゲ幕を通過して鏡の間の中ほどまで入っています。

 

壁面と出入り口

 

能舞台は、もともと四方吹き抜けの屋外建造物だったことから、本舞台には壁がありません。

横板の板壁は、板の継ぎ目を見せないようにはぎ合わせ、いわゆる「鏡板」の仕立てにしてあります。正面の鏡板には老松を描いてあるので、松羽目(まつばめ)とも言います。また、右側の鏡板には若竹を描いてあります。

能舞台は、鏡板と貴人口のほかには隔壁はありませんが、鏡ノ間は陰の仕事をするところなので、見所に面した部分を、橋掛リへの出入り口である幕口以外は、すべて板壁で囲ってあります。

なお、幕口の左側には、縦の桟を取り付けた窓があります。窓の内側には御簾を掛けてあるので、外からは鏡ノ間は見えませんが、中からは舞台や見所の様子を確かめることができます。この窓をアラシ窓とも奉行窓とも言います。

能舞台に出入りする口は、三つあります。鏡ノ間から橋掛リへ出る幕口、横板の右側の竹の鏡板の奥にあけた切リ戸口、地謡座の奥の突き当たりの貴人口の三つです。

幕口を仕切る揚ゲ幕は、色の違う緞子の布を、縦に数枚並べて縫い合わせたもので、裾が床に1メートルほど引きずる程度の丈になっています。色は五色のものが多く見られますが、三色、二色のものもあり、色の種類も配列も特にきまりはありません。総白木造りの能舞台にとって、揚ゲ幕は、鏡板の松とともに、欠かせない彩りとなっています。なお、揚ゲ幕の裾の両端に竹を結びつけ、この竹で幕を上げ下ろしします。

切リ戸口は、横板右側の奥にあけた小さな出入り口で、ここは引き戸になっています。高さが1メートル弱なので、身をこごめて出入りすることになります。切リ戸口を入ったところは、舞台より一段低い板の間になっている単なる控えの間で、鏡ノ間のように特別の使い方はしません。

貴人口というのは、地謡座の突き当たりにある開き戸の出入り口ですが、この戸は、奏演中に開けることがないので、ただの板壁と思っている人が多いようです。最近の能舞台では、外見は同じでも開けられない造りにしたものもあります。貴人口という名称は、切リ戸口のように頭を下げなくても通れるところから、貴人の出入り口という意味でつけられたようです。

橋掛リの後方にも、ふつう、板壁が見えますが、これは楽屋の外壁が見えているだけのことで、能舞台の一部ではありません。したがって、ここを築地ふうにしたり、石垣ふうにしてあるところもあります。

  

床と床下

 

能の演技の根幹は、擦リ足の運びにあります。したがって、床材の吟味は厳しく、極上の檜材を用意し、何年もかけて材質の変化が止まるまで調整します。本舞台の床板は、六メートル継ぎ目なしのもので、幅はできるだけ広いものを使います。幅の広いものは60センチメートルほどあります。厚さは3センチメートル以上で、釘などで固定せずに、根太の上に敷き並べ、小さな鎹で裏からとめてあります。

能舞台の床は、ちょっと見ると水平のようですが、実は少し傾斜がついています。横板の床は水平ですが、本舞台は、正面先に行くにしたがって、わずかに低くなっています。橋掛リも同様に、幕口へ向かって低くなっています。この傾斜は、演技しやすいことと、観客が見やすいことがねらいで、工夫されたものと思われます。

能舞台の床下は、ごく近年まで、土のまま固めてあるのが普通でした。その地面に数箇所穴を掘り、そこに直径1メートルほどもある焼き物の大瓶を置くのがきまりとなっていました。穴の数は本舞台に七つ、横板に二つ、橋掛リに三つまたは四つが標準とされていました。この床下の瓶は、足拍子を始めとして、舞台上の音響を共鳴させるものだと言われてきましたが、先年NHK放送技術研究所が測定した結果によると、瓶が余分な周波数成分を吸収するために、よい音が得られるのだと言われ、残響を適度に保つための仕組みは、瓶ではなくて、地表を目の細かい土で覆い固める、鏝叩キの技法が相当するのだということです。

近年建造された大能楽堂では、床のコンクリート面の上に、能舞台を直接組み立ててありますが、コンクリート面のままでは、響きが強すぎるので、それぞれ床下の構造に工夫をしてあります。

  

柱・勾欄・屋根

 

本舞台の四隅には柱があって、屋根を支えています。柱の太さは25ないし30センチメートル角が標準とされています。柱は、その存在によって、舞台全体の立体感が保たれるという意義があります。

横板の奥の左右にも柱があります。これは、横板の上に本舞台から流れ出している庇の軒を支えています。鏡板はこの柱の間にはめこまれています。

橋掛リの左右にも柱があり、橋掛リの屋根を支えます。幕口の柱と、横板に接する部分の柱は、本舞台の柱よりやや細くなっています。その他の中間の柱はかなり細めで、20センチメートル以下です。

橋掛リの左右と、地謡座の後方には勾欄(欄干)があります。地謡座のほうは普通の勾欄で、地覆という横木の上に束を立て、中間に貫を通し、上に架木をかぶせてありますが、橋掛リの勾欄には、地覆がなく、床に直接束を立ててあります。これは、役者の足の運びを充分見せるためと考えられます。

屋根の形式は、江戸時代以降の公式舞台が入母屋造りだったために、明治以降の屋内舞台でも、それにならうものが多かったのですが、桃山時代から江戸時代初期までは、切り妻造りが普通でした。最近の能楽堂では、尊大な入母屋造りの屋根をさけて、切り妻造りにする例が多くなっています。また、寄せ棟造りにしたものも見られます。

本舞台の屋根裏は、いわゆる船底天井で、和船の船底を逆にして見上げるような形に仕上げられ、天井板は張ってありません。したがって中央の最高点には、前後に通る棟木が見えています。棟木のやや後寄りに、大きな滑車が取り付けられています。またこれに呼応して、笛柱(本舞台右奥の柱)に大きな環が取り付けてあります。これは、「道成寺」を演ずる際に、鐘の作リ物の紐を滑車に通して釣り上げ、そのあいのやねか先端を環に通して結びとめるためのものです。

横板の上には、本舞台の屋根から庇が流れおりていて、その先端が鏡板の上端に接しています。本舞台の屋根裏から横板の庇を経て鏡板に至る一連のつながりは、反響板の役目を果たしています。能舞台は、音響的にもよく工夫された建物で、全体が楽器の役目を果たしていると言ってもいいくらいです。

 

白州・キザハシ・松

 

能舞台の床面以下の部分は、柱や束の間にいたをはめて、床下を隠しています。その外周は、白い小石を敷きつめて白州(しらす)とします。現在の能楽堂では、この部分が観客席となっていますが、最前列の席と舞台の間には、白州部分が残してあります。舞台が観客席に突き出していることで、舞台と観客が一体化するのは、能の長所のひとつですが、それと同時に、舞台上に別世界が展開されるということも重要なので、白州の面積はある程度広いことが要求されます。

本舞台の正面先には、白州との間にキザハシ(はしご段)が掛けられています。江戸時代の公式の演能で、将軍が臨席するような場合は、最初の「式三番」が始まる直前に、このキザハシから奉行が舞台に登り、橋掛リの付け際で幕に向かって片膝をつき、「お能始めませい」と声を掛けることになっていました。現在でも、特別な公演でこの儀式をまねることが、まれにあります。なお、面を掛けている役にとっては、キザハシが正面中央を見定める助けともなっています。

橋掛リの両側の白州には、若松を植えます。観客席に面した側は、松の数が三本ときまっています。後ろ側の数は不定ですが、現在は二本がふつうになっています。この松は、単に風情を添えているというだけでなく、演技上の位置の目安になっています。

能舞台を囲む観客席を見所といいます。白州にはふだんは観客を入れませんでしたが、将軍宣下などの祝いで、町人達の陪観が許される際は、白州を竹矢来で囲って中に町人を入れました。また、勧進能(有料の興行)でも、舞台から隔たった屋根のある席だけが本来の桟敷でしたが、舞台と桟敷の中間が、大衆席となりました。

 

 各部の名称

 

【本舞台】 ふつうは単に舞台といいます。

【地謡座】(じうたいざ) 本舞台に向かって右側の張り出し部分。

【横 板】(よこいた) 本舞台の奥の張り出し部分。板が横に敷いてあるのでこの名があります。アト座ともいいますが、横板というほうがふつうです。

【橋掛リ】(はしがかり) 横板の向かって左側に付く登退場路。世阿弥の書などでは、「橋」と呼んでいますが、現在では単に橋とは言いません。

【鏡ノ間】 橋掛リの突き当たりの板の間。姿見の鏡があるので、この名があります。

【幕口】(まくぐち) 鏡ノ間と橋掛リの境となる出入り口。揚ゲ幕が掛けられるので、この名があります。

【揚ゲ幕】 幕口に掛ける幕。ふつうは単に「幕」と言います。

【横板口】(よこいたぐち) 橋掛リが横板と接する部分。ここを「太鼓座」と言うこともあります。

【切リ戸口】 横板の右側奥の出入り口。引き戸がはめてあるので、こう呼びます。単に「切リ戸」とも言います。

【目付柱】(めつけばしら) 本舞台前方の向かって左側の柱。舞台上の人物が所作をする際の目当てにするので、この名があります。「見付柱」とも言います。

【ワキ柱】 本舞台前方の向かって右側の柱。ワキがこの柱の近くに着座することが多いので、この名があります。

【笛柱】 本舞台奥の向かって右側の柱。笛方の着座する定位置の近くの柱なので、この名があります。

【シテ柱】 本舞台奥の向かって左側の柱。シテがこの柱近くの位置に立ってワキ座のワキと対応することが多いので、この名があります。

【後見柱】 橋掛リの取り付け部分にある横板口の二本の柱のうち、一本はシテ柱ですが、もう一本の奥の方の柱を後見柱と言います。後見の着座する定位置の近くの柱なので、この名があります。

【幕柱】 幕口の左右の柱。

【一ノ松・二ノ松・三ノ松】 橋掛リ前面の三本の松には、本舞台に近い方から、一ノ松・二ノ松・三ノ松という名称がつけられています。

【囃子座】 横板の最前方。個別には、笛座・小鼓座・大鼓座・太鼓座ですが、このうち小鼓座と大鼓座という名称は、使われることがありません。

【後見座】 鏡板の直前で後見柱に接した位置を言います。能および狂言で、立チ方の後見が着座する定位置です。

【アイ座】 橋掛リの奥で後見柱に近い位置を言います。語リアイが登場後にまず着座する場所なので、この名があります。

【ワキ座】 本舞台前方の向かって右側の部分を言います。ワキが多く着座する位置は、この部分のワキ柱に近いところですが、その付近一帯を含めてワキ座と称するのがふつうです。

【地ノ上】(じのかみ) 本舞台中央の向かって右側の部分を言います。地謡の上座の意味です。

【笛座】 本舞台奥の向かって右側の部分を言います。本舞台の位置の名称としては、笛前のことです。

【大小前】(だいしょうまえ) 本舞台中央の奥の部分を言います。大鼓・小鼓の座の前の意味です。大小座とは言いません。

【正中】(しょうなか) 本舞台の中心部分を言います。単に真中(まんなか)または中(なか)とも言います。

【正先】(しょうさき) 本舞台前方の中央部分を言います。正面先の意味です。

【目付】(めつけ) 本舞台前方の向かって左側の部分を言います。見付(みつけ)とも角(すみ)とも言います。

【小角】(こすみ) 目付より少し正中の方へ寄った位置を言います。

【脇正】(わきしょう) 本舞台中央の向かって左側の部分を言います。脇正面の略称です。

【常座】(じょうざ) 本舞台奥の向かって左側の部分を言います。「定座」とも書きます。シテの常座の意味ですが、シテ座とは言いません。シテが出ノ段の謡を謡うときや、ワキなどと応対するときに、この位置に立つときが多いので、この名称があります。

【名宣座】(なのりざ) 常座のやや前方の位置を、特にこう呼び分けることがあります。

 

 

 

【能舞台】

 

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