比叡山延暦寺・東塔

根本中堂
東塔は、最澄が比叡山で初めて草庵を
むすんだところといわれている。

この東塔が延暦寺の中心で、さらにその中核を
なしているのが、国宝根本中堂です。

この根本中堂を中心に大講堂、文殊楼、そして駐
車場近く の国宝殿と、東塔のみのお参りで比叡山
詣でを済ます人がほとんどです。
徳川家光により再建された根本中堂は、丹塗りの大伽藍
で大きな柱をめぐらせた回廊と,重々しい本堂でからなる。

堂内には、最澄自作の秘仏薬師如来が安置されている。
如来像は、一 段低くなった内陣に置かれ、1,200年間絶
やさず点されている不滅の灯明がこの堂内を照らす。
根本中堂入り口
文殊楼
根本中堂を後にと思った時、雅楽の音と共にお上人様
の行列が、スロー プを下り中堂の中へ。
理由もわからないまま再び中堂へ引き返し暫時待つ と、
堂内からは読経の声。
時に低く時に高く、また小さく大きく、独の声が全員の
共鳴を呼びょうびょうたる響きが胸に迫る。

亡き姉が生前にもら した「比叡山」の言葉に引かれ、
七回忌の約束に来た最後の一瞬に聞いた 荘厳な響きは、
天の仏の、姉と私達への橋渡しの声として、胸をうった。


最後に、比叡山延暦寺の高僧全員による、感動的な
姉への鎮魂歌を聞 き、2泊3日の奈良、比叡山の旅
を終えた。

  かねてから一度は行きたいと 思った「飛鳥」また、
久し振りの「斑鳩」そして最後、感動の「延暦寺」と、
自分自身の楽しみと共に、姉への素晴らしい供養が出
来たものと勝手に思い(天国の姉がクシャミしている
かも)この記念旅日記のフィ ナーレとしたい。
次回 チャンスを作って、再び尋ねてみたい。


(蛇足ながら高僧の読経は、「御衣加持御修法」で、
4月4日から11日 まで行われていました。全くの偶然
でしたが、素晴らしい体験でした)
御衣加持御修法

宗派 天台宗山門派総本山 別名 東塔、西塔、横川、の三塔をさらに細分化し、「三塔十六谷二別所」
を総称して延暦寺という。
開基 伝教大師(最澄) 創建時代 785年 現在の根本中堂辺りに一乗止観院という庵を建て、
薬師如来を安置したのが、始まりと言う。
本尊 薬師如来 訪問日 @1965年3月 A1999年4月5日(月)
拝観時間   3月 〜 11月    8:30 〜16:30
       12月         9:00 〜 16:00
  1月 〜   2月   9:00 〜 16:30
休日 なし
拝観料 1999年4月    850円(東塔・西塔・横川・国宝殿の共通券)
2010年3月  1000円(東塔・西塔・横川・国宝殿の共通券)
所在地 滋賀県大津市坂本本町4220
その他 東塔の根本中堂(国宝)が有名だが、時間を作って、是非、
西塔、横川へも訪れることをお勧めします。
問合せ先 0742-22-5511
http://www.hieizan.or.jp/

建築
名称 形式 制作年 素材 サイズ メモ 指定
根本中堂 入母屋造 江戸 1642年
再建
木造・銅板瓦棒葺 桁行11間 梁間7間 本尊厨子前の釣灯篭には、
最澄の時代からの「不滅の法灯」が灯る
国宝
文殊楼 江戸 1668年
火災再建
木造  二階建ての門 階上には、文殊菩薩が安置されている。
他の寺院における山門にあたる。
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大講堂 - 江戸 1634年  木造   もとは東麓・坂本の東照宮の讃仏堂であったものを
1964年に移築。旧講堂は、1951年焼失。
重文
戒壇院 - 江戸 1678年
再建
 木造    - 重文
浄土院 -      木造   15分程離れたところに、宗祖最澄の廟があり、
山内で最も神聖な場所とされている
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工芸品・その他
名称 場所 作者 制作年 素材 サイズ メモ 指定
金銅経箱   - 平安 - 銅金鍛造 鍍金 30×12×8.3cm 横川より発掘される。 国宝
宝相華蒔絵経箱   - 平安 - 黒漆塗 蒔絵 33×12×17cm 国宝
羯磨金剛目録   最澄筆 平安 - - 27.9×37cm 最澄自筆の将来目録 国宝
伝教大師将来目録 国宝殿 最澄筆 平安 - - - 最澄が唐から将来した経典類の自筆目録 国宝
七条刺納袈裟   - - - - 最澄が持ち帰った、唐時代の染色遺品 国宝
刺納衣   - - - - 国宝
天台法華宗年分縁起 国宝殿 最澄筆 平安 - - -  - 国宝
六祖恵能伝   - - - - 最澄が持ち帰った、唐時代の写本 国宝
伝教大師入唐牒 国宝殿 - - - - 最澄の唐での通行許可書 国宝
嵯峨天皇宸翰光定戒牒   嵯峨天皇 平安 - - - 三筆の一人、嵯峨天皇の筆 国宝