90.高野山壇上伽藍・女人堂・大門   2007.5.21〜22(H19)
壇上伽藍とは、 空海が真言密教の思想を具現化した聖地で、根本大塔を始め、金堂、
御影堂、不動堂など諸堂が立ち並ぶ、高野山中核の地。奥の院と並び高野山の二大聖
地です。
空海がこの地を嵯峨天から賜ったのは、弘仁7年(816)の時で、それ以後栄枯盛衰
紆余曲折を経て、今日見る様な大伽藍に発展した。(和歌山県)
根本大塔(07/5/22)
四方 :各25m
高さ :48.5m
空海が最初に開いた壇上伽藍の中
心的建物。過去の建築物は、幾度
となく落雷に合い消滅してしまい、
現在の塔は昭和12年(1937)の
再建。
内部は、胎蔵界大日如来を中心に
金剛界四仏が安置された珍しい配
置となっている。真言宗の根本経
典である「大日経」と「金剛頂経」
は本来根本的に同じものである、
という空海の思想を表したもので、
根本大塔の名前もここからきてい
る。
ライトアップ(07/5/21)
空海は、嵯峨天から賜ったこの地
に伽藍の建立を行ったが、交通不
便の山中で有り、なかなかはかど
らなかった。、
空海の死後、真然が20年かけて
伽藍を整備したが、正暦5年(9
94)の落雷火災により消失。荒
廃した高野山を再興したのは定誉
(じょうよ)で長和5年(1016)
の頃であった。
以後、高野山は平安時代にかけ現
世の浄土として信仰を集め栄かえ、
幾多の変遷をしながら、真言仏教
の聖地として現在に至っている。

六角経蔵(07/5/22)
別名荒川経蔵
昭和9年(1934)の再建。
鳥羽院の菩提を弔う為の紺紙金泥
一切経3560巻(重文)が収蔵され
ている。基壇上に把手が有り回す
事が出来る。(魔尼車)
これを廻すことで経典を読んだの
と同じ功徳が得られます。
金堂(07/5/22)
昭和9年(1934)の再建。
高野山の総本堂。主な法要は此処
で行われる。
不動堂(07/5/22)
国宝
元々は建久9年(1198)鳥羽院皇
女八条女院の発願で行勝上人が創
建した一心院の本堂をここに移築
したもの。ただし解体修理により
現在の建物は鎌倉時代後期の再建
と考えられている。
右の朱塗りは、根本大塔。
蓮池(07/5/22)
明和8年(1771)慈光法師が持
念仏の龍王像及び仏舎利7粒を安
置されたことが始まりと言われて
いる。
蓮池
この橋を渡ると、善女竜王を祀る
祠があります。
女人堂(07/5/22)
高野山への入口は七つある。
明治5年に女人禁制がとかれるま
で、その女性の為に作られた参籠
所が女人堂である。現在、この
不動坂口が唯一残っている。
高野七口
  大門口・不動坂口・龍神口
  大滝口・大峰口・黒河口
  相の浦口
大門(07/5/22)
高野七口の西の門。高野山の表玄
関とでも言いましょうか。ここか
ら入山し、反対側の東の最奥が奥
の院となります。
大門
現在の門は宝永2年(1705)に
完成した再建門。昭和61年(19
86)の全面解体修理のとき、表
面を白木から、往時の朱塗りに戻
した。
高野山霊宝館(07/5/22)
従来不動堂に安置されていた八大童子を
始めとした、高野山内の貴重な文化財を
保護、保、展示する施設。
但し、全てが常設ではありませんので、
見たい文化財が有る時は、問い合わせを。