壇上伽藍とは、 空海が真言密教の思想を具現化した聖地で、根本大塔を始め、金堂、 御影堂、不動堂など諸堂が立ち並ぶ、高野山中核の地。奥の院と並び高野山の二大聖 地です。 空海がこの地を嵯峨天から賜ったのは、弘仁7年(816)の時で、それ以後栄枯盛衰 紆余曲折を経て、今日見る様な大伽藍に発展した。(和歌山県) |
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根本大塔(07/5/22) 四方 :各25m 高さ :48.5m 空海が最初に開いた壇上伽藍の中 心的建物。過去の建築物は、幾度 となく落雷に合い消滅してしまい、 現在の塔は昭和12年(1937)の 再建。 |
内部は、胎蔵界大日如来を中心に 金剛界四仏が安置された珍しい配 置となっている。真言宗の根本経 典である「大日経」と「金剛頂経」 は本来根本的に同じものである、 という空海の思想を表したもので、 根本大塔の名前もここからきてい る。 |
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ライトアップ(07/5/21) 空海は、嵯峨天から賜ったこの地 に伽藍の建立を行ったが、交通不 便の山中で有り、なかなかはかど らなかった。、 |
空海の死後、真然が20年かけて 伽藍を整備したが、正暦5年(9 94)の落雷火災により消失。荒 廃した高野山を再興したのは定誉 (じょうよ)で長和5年(1016) の頃であった。 以後、高野山は平安時代にかけ現 世の浄土として信仰を集め栄かえ、 幾多の変遷をしながら、真言仏教 の聖地として現在に至っている。 |
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六角経蔵(07/5/22) 別名荒川経蔵 昭和9年(1934)の再建。 鳥羽院の菩提を弔う為の紺紙金泥 一切経3560巻(重文)が収蔵され ている。基壇上に把手が有り回す 事が出来る。(魔尼車) これを廻すことで経典を読んだの と同じ功徳が得られます。 |
金堂(07/5/22) 昭和9年(1934)の再建。 高野山の総本堂。主な法要は此処 で行われる。 |
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不動堂(07/5/22) 国宝 元々は建久9年(1198)鳥羽院皇 女八条女院の発願で行勝上人が創 建した一心院の本堂をここに移築 したもの。ただし解体修理により 現在の建物は鎌倉時代後期の再建 と考えられている。 右の朱塗りは、根本大塔。 |
蓮池(07/5/22) 明和8年(1771)慈光法師が持 念仏の龍王像及び仏舎利7粒を安 置されたことが始まりと言われて いる。 |
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蓮池 この橋を渡ると、善女竜王を祀る 祠があります。 |
女人堂(07/5/22) 高野山への入口は七つある。 明治5年に女人禁制がとかれるま で、その女性の為に作られた参籠 所が女人堂である。現在、この 不動坂口が唯一残っている。 高野七口 大門口・不動坂口・龍神口 大滝口・大峰口・黒河口 相の浦口 |
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大門(07/5/22) 高野七口の西の門。高野山の表玄 関とでも言いましょうか。ここか ら入山し、反対側の東の最奥が奥 の院となります。 |
大門 現在の門は宝永2年(1705)に 完成した再建門。昭和61年(19 86)の全面解体修理のとき、表 面を白木から、往時の朱塗りに戻 した。 |
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高野山霊宝館(07/5/22) 従来不動堂に安置されていた八大童子を 始めとした、高野山内の貴重な文化財を 保護、保、展示する施設。 但し、全てが常設ではありませんので、 見たい文化財が有る時は、問い合わせを。 |