150.身延山久遠寺 2010.7.10(H22) | |||
御廟 | |||
諸堂宇からはずれ、暫くあるくと 歴史を感ずる石段が上へと伸びて いました。 (山梨県) |
流れゆく清水と苔むす岩、そして この静寂さは、生前の日蓮上人の 気迫からは無縁ながら、御廟には ふさわしい。 |
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拝殿 その階段を登りきった所に日蓮宗 開祖の日蓮聖人のお墓が有ります。 |
祖廟 日蓮上人入滅時に建立された五輪 の塔を収め、地下の龕室には御霊 骨の一部が安置されているという。 |
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その祖廟の左には日蓮上人の直弟 子の檀廟が。 左から 法寂院日円上人 日得上人 常日尼 白蓮阿闍梨日興上人 |
御草庵跡 身延山に入山後9年間過ごされた 庵の跡。毎年6月中旬に身延山開 闢会の際。法要が営まれます。 |
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その他 | |||
信行道場 立派な冠木門の道場。 ここで、日夜修行に励んでいるの でしょうか? |
日親上人像 室町時代の日蓮宗の僧で、「不受 布施義」(法華経以外の信者から 施しを受けず、法華経以外の教え を広める者には施しをしない)を 初めて唱えた僧とされている。 |
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奥の院 | |||
奥の院 思親閣 日蓮上人が故郷房州(千葉)の両 親を偲び、折に触れて登って回向 した、標高1153mの身延山山頂。 日蓮滅後堂宇が建立された。今は ケーブルカーで7分程で登れる。 |
思親閣仁王門と仁王像 | ||
思親閣祖師堂 加賀藩3代藩主前田利常公の母、 寿福院お千代の方の寄進。 寛文5年(1665)完成。 |
祖師堂の左手隣には、釈迦如来が。 | ||
本堂〜参道 最初奥の院へ行ったので、通常とは逆コースで、三門が最後のゴールです。 |
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本堂 昭和60年(1985)再建。 間口 :32m 奥行 :51m でかい!一度に2500名の法要 ができるとか。見事な天井画の墨 龍は、加山又造作。本尊は日蓮上 人の真筆大曼荼羅本尊を木造形式 にしたもの。 |
棲神閣祖師堂 明治8年(1875)焼失後明治14年 (1881)建立。一部用材は江戸に 有った寺院のものを移築。 |
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御真骨堂拝殿 明治14年(1881)建立。 拝殿の後方の八角形の御真骨堂に、 日蓮上人の御真骨が安置されてい ます。 左が御真骨堂、右が拝殿。 |
仏殿 昭和6年(1931)建立。 仏殿は仏像を安置し礼拝する建物 であったり、伽藍の中心で本尊を 安置(禅宗)し礼拝する所ですが、 ここの仏殿は少し違うようですね。 一日3回の勤行や、特別法要等が 営なまれています。 |
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五重塔 高さ38.2m。 2008年の3回目の再建。 2代目は明治8年(1875)焼失。 初代は奥の院祖師堂を寄進した、 寿福院による建立。 大鐘 左端が寛永元年(1624)鋳造の 大鐘。鐘楼は明治15年(1883) 建立。 |
五重塔 400年前の元和の塔(初代)を復 元・再建。国産の木造建築。 |
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菩提梯 三門から本堂まで、287の石段。 逆コースでしたので帰りで良かっ た!石段は、南無妙法連華経の7 文字になぞらえ、7区画に分けら れている。菩提梯迄の杉並木は日 朝上人お手上。 |
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三門 空・無想・無願の三解脱から三門。 中に入ると、杉並木の先に、287段の菩提梯が待っています。 (菩提梯を通らない、男坂、女坂のルートも有りますが。) |