国立長野病院循環器科
これからカテーテルアブレーションを受ける人のために
最終更新日:平成18年6月4日
 
国立長野病院
 
 
「古への誘い」

“智にはたらけば角がたつ、兎角この世は住みにくい”かの有名な夏目漱石著“草枕”の書き出しである。現実からの逃避を試みると、何も言わない“古”への“あくがれ”が眼前に広がって来る。自然は、動物は、物を言わず、こちらから手を差し伸べれば、反応してくれる。自然を理解してあげるこちらの知識がないと、それは本当の“物を言わぬ自然”になってしまう。自然は、我々に語りかけてくれているのである。自然は、何年もの月日が流れ、上田城の尼が淵や川中島古戦場のように往時とはずいぶん変わっているのであろう。
最近、何処かに旅する毎に、自然の写真をとるようになった。自然をその風景として見せている土地や風土には、そこにその歴史が存在する。

縄文時代には、氾濫する川のそばではなく、比較的小高い丘の上に写真右の様な住居を創り、生活していたと言う。中に入ってみると、中央に暖炉、竈があるだけで、雪の冬にはさぞ寒かったろうと想像する。縄文時代には、間宮海峡はなく、樺太、北海道、本州は陸続きで、キルギス、アムール川流域に住んでいた人々が、北から倭国に南下して来た。一方黒潮に乗って、ポリネシアにまで至った人々の一部が、沖縄、九州に漂流?、到着し、両者が混血し、縄文人が形成されたと言う。従って、所謂、アイヌ、蝦夷とオキナンチューは、毛が濃く、骨太でがっちりしている点では似ている。又、キルギスに生活している人々は日本人ともよく似ている。

時は流れ、弥生時代になると、中国大陸や朝鮮半島からその土地にいられなくなった人々が、将に、移民の如く、西日本、倭国に移り住んでくる。秦の始皇帝に命ぜられ、不老不死の薬を求めた徐福のように。

当時、少なくとも倭国は、汎東シナ海諸国、汎日本海諸国地域の一員であり、港湾国家であったという。厳密な煩わしい国境など存在せず、朝鮮半島や現在の沿海州から、直接、出雲や北陸にやって来た人々もたくさんいたという。現在でも、大阪や関西国際空港や博多に行くと、すぐ隣で中国語、ハングル語が聞こえてくることの何と多いことか。彼らが、稲を、先進文化を、そして戦争をも結果として倭国にもたらした。


更に、時間が流れ、所謂古墳時代になると、奈良県“まきむく”に集結した人々の中から王が生まれ、彼ら王の中から大王、即ち倭王が生まれてくる。所謂、ヤマト朝廷、政権の誕生である。千曲市にある森将軍塚(写真右上)は、5世紀の科野(古くは信濃ではなく科野と書いたと言う)の国の支配者の墓だそうであり、ヤマト朝廷に従った影響力が及んだためか、前方後円墳をしている。実際に塚の頂上に登ってみると、千曲川や善光寺平が一望でき、王様になった気分にもなる。立地条件としても、すばらしい。塚の麓には、写真上の如く、古墳時代当時の集落、建物が再現されており、庶民の生活が想像できる。

私は、穂高町に13年間住んでいたが、同市に八面大王という大きな飲食店があり、時にそこで食事をした。先日、八面大王の写真右を同町の他の場所で見つけた。八面大王とは、5から7世紀にヤマト政権の支配が安曇野にも及んで来た時、中央政権に反抗、抵抗した勢力の総称、抽象?であり、非常に興味深かった。将に、温故知新である。

現人神としてカリスマ的に日本及び天皇の名称をつくり、記紀の編集を命じた倭大王天武の兄である倭大王天智が難波に遷都し、造ったのが難波長柄豊崎宮であると言う。写真Eは、同宮遺跡にあった高床式建物である。過日、大阪城を訪れた際、その隣に、難波長柄豊崎宮があることを発見した。当時、大阪は、えぐられ湾、潟(ラグーン)を形成し、大阪城、難波宮周辺が高台で、湾へ突出していたという。ラグーンは、古くは、出雲の国の松江の様に国内、国外交易を行うために船の停泊地として重要であり、そのため交易港周辺に文化、国が生まれたと言う。

奈良時代となると、中央権力が、さらに東北地方にまで及び、かの有名な征夷大将軍坂上田村麻呂が岩手県にまで遠征したと言う(写真左)。岩手県人は、これを侵略と記載しているが、長野県では、勢力が及んだと柔らかく表現している。征服されて、結果としてそれをプラスと考えれば、征服国に同化し、従うと考えるし、マイナスと考えれば、アイヌ独立国や沖縄独立などと言う考え方もなりたつのかもしれない。昨年、欧州を旅行した時に、日本をpurifyされた国と英国人が、私に言った。島国であるため、数百年に渡り、血が交じり合って、単一の民族になっているという意味らしい。大量の移民を抱えた首都ロンドンを中心に英国と考え、日本と比較すれば、そうかもしれないが、はたして、日本は本当にpurifyされているのだろうか?

引用文献などと硬い事は言わずに、写真でもゆっくり眺めて頂く事を望みながら、筆をおく事とする。

   

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