国立長野病院循環器科
これからカテーテルアブレーションを受ける人のために
最終更新日:平成17年05月08日
 
国立長野病院
 
 
「Formosa紀行」

Formosa と言っても、わかる人はいないであろうから、 Formosa についてちょっと述べることにする。 1966 年頃、横須賀の溝板通りの所謂アメチャンの家に、私は自分の希望もあり、母親に連れて行かされた?連れて行ってもらった。理由は簡単。私の、英会話が上手になるために。鬼畜米英の時代に、英語は、母は教えてもらわなかったそうである。そんな、彼女の Handicap を乗り越えるためにも、連れて行って?もらったようである。そこには、 Jimmy Fourstar なる米海兵隊員の黒人兵がいた。彼に、横須賀米軍海軍基地内を一緒に案内?連れて行ってもらった。そこで、彼が言った言葉が、まさしく Formosa である。彼は、日本に来る前に Formosa にいたようなのである。辞書を引いて、 Formosa が台湾であることを覚え、爾来、少年時代の記憶は、私の頭の中に、しっかり残っている。

今回、ある人の案内で、念願の台湾-あのFormosaである-へ旅する事となった。有難い、先達は、あらま欲しきことなりである。しかしながら、Formosaなる言葉は、どこにも書いていない。Taiwan なのである。Formosaは、死語なのか、差別用語なのか。いずれにしても、近松門左衛門の浄瑠璃“国せんや合戦”に登場する鄭成功、温泉、医療事情、中国語会話に期待し、旅立った。

蒋 介石が、台湾に、移住して半世紀が経過したが、現在の台湾の経済成長、活気は、台北しか見てこなかったが、日本よりすばらしい。現在の中国本土も同様と考えられる。 1995 年に、とある研究会で、北京、上海、西安を訪れたが、あの頃の中国本土は、日本より 30 年遅れていた。日本のオリンピック開催が 1964 年、北京が 2008 年であるから、高度成長、追いつき追い越せの右上上がり政策施行に 44 年の隔たり、遅れがある。日本は、良い意味では、安定期、悪くは、老年期に入っている。私見だが、金はなくとも、夢、将来への希望、自国への期待があるほうが、素晴らしい充実した人生が送れると考える。鄭成功の名前を知る人は、殆どいなかった。日本国内でのみ有名なのかもしれないし、各国の歴史教育が poor なのかもしれない。チェコ共和国を訪れて、東京オリンピックの女子体操個人総合で優勝したチャフラフスカを現在のチェコ人が知らないのと同様である。

温泉文化は、東アジアから東ヨーロッパと幅広く広がっている。ハンガリーの温泉は、所謂サウナであったし、ウズベキスタンの温泉もサウナであり、浴槽はなかった。Taiwanには、大衆浴場はあったが、裸ではなく、水着をつけて、露天風呂に入った。国、風土が文化を変えるのかもしれない。政治、教育という国の方針を介して。

Taiwanの医療制度は、私が見てきた現場の循環器医療レベルから判断すると、日本より、アメリカ合衆国に近い。具体的には、保険制度内では、カテーテルによる治療においては、バルーン1本、ガイディングカテーテル1本、ガイドワイヤー1本までの治療までは、保険制度内でまかなえるが、ステントは、自由診療?所謂自費診療である。そのステントも日本では厚生省の認可がおりていないものが使用されている。勿論、合衆国では、認可されているものである。そんな、ある意味では、最先端のものを、自費で、お金がある人が、受けられ、そうでない人は、使ってもらえない。勿論、そんな新しいものが、後年、素晴らしい物であると、必ずしも判断されるとは思わないが、どうであろうか?保守的な事は、ある意味では、良いことであるが、最先端医療には、乗り遅れる事となる。医療技術レベルに関しては、少なくとも、私の方が進んでいると判断した。

中国語会話の本とCDを聞いて、少しは勉強したつもりだったが、あまり役には立たなかった。北京方言と台湾方言の違いなのかもしれないが、私の旅行の目的の一つに、現地の人の生業、生活を直接肌で感じることがあるので、Language handicapを少しでも縮めたかったが、やはりpoor Englishに頼ってしまった。

(2005年6月 上田医師会誌)
 

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