国立長野病院循環器科
これからカテーテルアブレーションを受ける人のために
最終更新日:平成17年03月15日
 
国立長野病院
 
 
「Lifework」

何故循環器病学を志したか?と自問すると、内科学の中で、勝負が早く、切ったり、貼ったりする所謂外科的要素が多いとの理由であったと自答する。全くメスを持たない医者には、なりたくなかった。かといって、長い手術時間に拘束される事には、抵抗を感じ、その時間を、病気の病態や機序や原因を極めるためにも、本を読んだり、実験したり、論文を書いたりするのに当てたかった。

循環器病学は、簡単には、当時やらせてくれなかった。二足の草鞋を履かされた。内科学は広く、大学で長く教育させて頂いたことが、現在、全くのDilator, ablatorの循環器医になりきっている私には、非常にプラスになったと思っている。同僚の、はたまた若い循環器医よりも所謂一般内科的知識が豊富であると自負している。

循環器病学も幅が広い。医学領域は、今、遺伝子を中心とした生物学が花盛りである。そこで、何を今更、電気生理学なのだ!が、私にとっては、金華玉上なのである。金よりも女よりも地球上の何よりもすばらしいものなのである。ピカソの絵は何億円かもしれないが、私にとっては、ただの紙切れである。現在の心境は、上述の如くだが、それ程まで、私を熱中させる電気生理学との出会いは、はっきり覚えていない。そして、それを治療に応用したカテーテルアブレーションとの出会いは、1990年だった。Borgreffeの世界最初の高周波カテーテルアブレーションに遅れること3年後の1990年、信州大学で現在でも私淑している師匠の力を借りて、第一例目のカテーテルアブレーションを行って以来、2005年の現在までに、411例の方にアブレーションを行わせて頂いた。これからも、停年まで、老眼となって、カテーテルにガイドワイヤーが入らなくなるまで、やり続けようと、思っている。将に、Lifeworkである。

私のように弱い人間は、熱中するものをみつけると、強くなった気がする。将に、日韓サッカー戦の韓国サポーターの如くである。私は、カテーテルアブレーションに熱中している。赤を主体とした、韓国民族衣装を身に纏い、集団を組んで、アナウンスの音が、よく聞こえない程太鼓や鈴などの鳴り物を鳴らし、首領の導きに指揮され踊る民俗舞踊、それも、試合開始前から終了後までずっとである。これ程韓国サポーターを陶酔させるものは、何なのか?韓国の国技と言ってしまえば、みも蓋もない。それは、韓国という国の国威発揚か?Nationalismか?それとも、若者主体のサポーターの生き甲斐なのか?そんな邪推は、無用である。きっと、熱中するとは、そんなものなのである。理由は、いらない。若い頃の恋愛に似ている。

天命を知る事は、必要である。論語の為政第二章“吾十有五而志学、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳従、七十而従心所欲、不超矩”の知天命を私なりに解釈すると、もうこれから先の人生が見えてしまって、自分の人生における最高位が推察できることである。徒然草の吉田兼好法師の、生き様の様に、何の飾ることもなく、心のあるがままに、偽りもせず、欲張りもせず、人を蹴落とさず、自分の心に正直に生きて行きたい。しかしながら、波風はたち、波瀾万丈な今後の私の人生と想像されるが、枯渇してきたEnergy をchargeし、前向きに、生き生きと毎日を送りたいと思っている。

(松医会報 春平成17年号)

 

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