国立長野病院循環器科
これからカテーテルアブレーションを受ける人のために
最終更新日:平成16年4月11日
 
国立長野病院
 
 
「知天命」
己の意志とは無関係にこの世に、生を授けられ、そんなことは、全く考えもせず、親に尻を叩かれ、ただひたすら頑張って生きてきた少年時代、青雲の志を高く掲げ、よく遊びよく学んだ青年時代。黄昏となって来た今日この頃は、少し考える余裕が出来てきたのかもしれない。

BeatlesのJohn Lennon が創った“Let it be” が最近の私の心の中に何の違和感もなく入ってくる。

When I find myself in times of trouble, mother Mary comes to me, speaking words of wisdom let it be. And in my hour of darkness, she is standing right in front of me, speaking words of wisdom let it be, Whisper words of wisdom let it be. And when the broken-hearted people living in the world agree there will be an answer let it be. For tough they may be parted there is still a chance they will see there will be an answer let it be.“  [Let it be XP10-2072 1970年3月発売(英)から引用 ]

何の飾ることもなく、心のあるがままに、偽りもせず、欲張りもせず、人を蹴落とさず、自分の心に正直に生きて行きたい。John Lennon がNew Yorkで狂弾に倒れた時、何を思っただろうか。さりげなく、歌詞の意味する内容を理解して“Let it be”が歌えるようになった。Great Britain王朝では、Johnは、Franceとの100年戦争で、元々領有していたFranceのNorman die地方をFranceに奪わた失地王の名前として有名であり、その後、Great Britain王室には、Johnと名付けられた王の名前は存在しない事を過日のGreat Britain訪問で知った。

“美空ひばり”が歌った”川の流れのように“生きて行きたい。 彼女は、晩年Alcohol過剰摂取による大腿骨頭壊死にて歩行が出来なくなったと言う。医師にAlcohol摂取を禁止されても、寂しさに我慢できず、飲酒したと言う。彼女の息子に対する肉声は、痛々しく、聞くひとの心に涙させる。 ああ、父親は、男、雄で馬鹿であり、母親は偉大である。カラオケで”川の流れのように“を歌っても、心がこもっておらず、所謂、猿まねで終わってしまう。 孔子の人生は不遇だったと言う。論語は孔子が弟子に語った彼の哲学を弟子達が纏めたものであり、その為政第二章にかの有名な

我十有五志学、三十立身、四十不惑、五十知天命、六十耳従、七十

がある。これは、人間の発達過程をよく表し、各年齢での人生哲学がよく現れている。これを私に当てはめて解釈してみると、知天命とは、もうこれから先の人生が見えてしまって、自分の人生における最高位が推察できることであり、耳従とは、反論、叱る、喧嘩するのに必要なEnergyがchargeできず、従ってdischargeできなくなってしまったと解釈する。所謂、経験で十分通用する年代であるが、Dog-yearの進歩がこれだけ早い現代においては、日々、最新情報の医学を修得し、対応して行かなければ、人生の落伍者になってしまう。しかしながら、脳細胞は日々死んでおり、肉体的、精神的Energyは衰えつつある。

我が恩師“古田精市先生”の退官時の著書に“さりげなくあらまほし”がある。恩師の65才で到達した心境“さりげなく”は、現在考えてみると“Let it be”、”川の流れのように“、“六十耳従”と似ている。まだまだ、波風はたち、波瀾万丈な今後の私の人生と想像されるが、枯渇してきたEnergy をchargeし、前向きに、生き生きと毎日を送りたいと思っている。(上田医師会誌1/10/2002)

 

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