つい先日の9月にウイーンで開催された欧州心臓病学会に出席後、プラハとブタペストを訪れた。中学、高校時代に教科書で習った、私の以前のImage、知識からは、それら地方は、東欧であった。現在では、中欧と言うのだそうである。英国首相チャーチルの言う”鉄のカーテン”が欧州を東西に分断していた時代には、使用したくとも、使用できなかった言葉の復活である。それぞれの国が、その歴史的背景を基に、Identityを模索している。まさに、質問に立った時に、”identify
yourself”と座長から言われる如くである。 欧州心臓病学会の発表内容の学問的levelが、高いとの印象は受けなかった。只、常々感ずることだが、language
handicapのためにposter presentationとしてしか内容が通じさせられず、所謂シンポジウム、パネルディスカッション等
English debateが必要な分野には、日本人はいなかった。しかしながら、演題application率は5%で米国より多く、全体で7番目であり、日本人出席者も数千人に及んでいたと思われる。因みに、不整脈session数が全体で30%代と虚血session数より多く、米国学会とは異なっていた。日本循環器学会も米国と同様であり、病気からも日本は米国的なのかもしれない。
ウイーンはオーストリアの首都であり、同国ではドイツ語がmother languageである。オーストリアの正式な呼称は、オストリッヒ(オストはドイツ語では東を意味し、リッヒはそれを形容詞にした形である)共和国である。又、ナポレオン崩壊後のウイーン会議が開かれた街(有名な”会議は踊る、されど、進まず”の言葉を残した)、オスマントルコに2回包囲されながら、陥落しなかった街である。ドイツ語文化圏(神聖ローマ帝国)の東の端に位置し、ブランデンブルクから出たプロイセン帝国も東(北東)の端に位置している。両者(オーストリアのハプスブルグ家とプロイセン)は、マリアテレジアと熱血宰相ビスマルクとの争いとも言えるが、神聖ローマ帝国の後継、新たなドイツ統一をめぐり争い、オーストリアの大ドイツ主義は敗れ、同じドイツ語を話す民族ながら、別の国として、歩んで行かなければならない運命となった。現在のウイーンは、将に中世そのものであり、時間がゆっくり過ぎてゆく。昼から通りに張り出したカフェで人々がビールをワインを楽しんでいる。お城が、教会が、道が、人々が、全てが、100年、200年前そのままの様に存在し、そこに現代人がoverlapする形で生活している。そんな中に、身を置くと、日本での生活が、嘘のようであり、将に、私にとって、ウイーン滞在は命の洗濯であった。2年前に訪れたドイツのベルリンは、歴史的にウイーンよりも若い都市であり、機能的であった。日本に例えれば、ウイーンが、京都であり、ベルリンが東京に相当するのであろうか。
ボヘミアはドイツ語圏であり、その王様は、神聖ローマ帝国王を兼ねたこともあり、現在の西部チェコ地方の呼称である。フラハはチェコ共和国の首都である。東京オリンピックで活躍した体操選手チャフラフスカの名前をお年寄りのタクシー運転手に聞いても、知っているとの答えは返って来ないし、陸上三冠王選手エミールザトペックの名前も同様であった。私のpoor
Englishのなせる故なのか、それとも、彼らがスロバキア出身の故なのか。当時のチェコスロバキアは、現在二つの共和国として、独立している。チェコ人は、スラブ人でありゲルマン人ではないらしい、従って、自らのidentityをはっきりするためにも、民族意識を高めるためにもチェコ語を現在は使用している。アルファベットは全くドイツ語と異なる。カレル(英語ではCharles
となる)橋も、かの有名な自由広場(1987年のチェコへのソヴィエト軍の侵攻で話題となった広場)もやはり中世そのものであり、時間がゆっくり過ぎていった。
ブダペストはその中央を流れるドナウ川の両側に発達したブダとペストから成り立ち、ドナウの真珠とも言われ、ハンガリー共和国の首都である。過去のハプスブルグ家が支配したオーストリアハンガリー二重帝国の面影を残し、そのルーツは、マジャール人とのウラル山脈東方に住んでいたフン族(アジア人)らしいが、顔立ちからはとてもその面影はない。町は、ウイーン程優雅、華麗でなく、こぢんまりと纏まっていて、アジア的なロシア的?(現在の旧東欧諸国のロシア離れは強く、親米的であるー将に、資本主義国であり、平等生活から転換できないでいる人々?町で物乞いする人々を見かけた)なにおいがした。ブダペストへは、フラハから列車でスロバキアを経由して7
時間かけて到着したが、同じCompartmentに座った米国人4人組は、ブダペストに建てた教会のこけら落としに行くのだそうである。米国人は何処でも幅を利かしている。米国人のルーツはそのほとんどが、欧州人であるが、私の過去に会った米国人は、全て、米国と言うIdentityに誇りをもっており、その多くは、Republicanであった。
長々と駄文を披露したが、来年は、ギリシャにまた一人旅したいと思っている。
(上田医師会誌10/10/2003)