「ルート66、66のストーリー」から抜粋
プロローグ
USハイウェイルート66は、イリノイ州シカゴから、
カリフォルニア州ロサンジェルスまでの約4千キロをつなぐ、夢のハイウェイだった。
あえて過去形で書くのは、この道はもう、国道としては地図上には載っていないからだ。
20世紀初頭、ヘンリー・フォードが大衆車のT型フォードを大量生産し、アメリカの車社会は急速に発展した。
それと共に、車で走る「良い道」を造ろうと計画されたのがルート66である。
この道の計画者たちは、当初「ルート60」というロードナンバーを希望していた。
しかしそのナンバーを得るためには、大陸横断道路でなければならない。
すったもんだの末、シカゴが基点のこの道に与えられたのは、「ルート66」という名前だった。
1926年から1984年の58年間、ルート66はアメリカの物流を支えるメインストリートとして活躍した。
やがて時が経ち、車の性能はますます上がり、人々は「より早くより快適に」走ることのできる道を希望した。
小さな町をひとつひとつ繋ぎ、曲がりくねって造られたルート66は、時代のニーズに合わなくなったのだ。
幾度となくルート変更を施し、応急処置をしてきたが、人々はさらに高速で移動できるまっすぐな道を希望した。
ルート66のロードサイドに暮らし、ルート66と共に営んできた住民の生活を犠牲にし、
効率のみを追求したハイウェイ、州間高速道(インターステイト)の出現である。
ルート66は東から、インターステイト55、44、40、15、10の5本の高速道路に塗り込められ、その役割を終えた。
数多くの小さな町はバイパスされ、ルート66と共に生きてきたガソリンスタンド、
ダイナー(食堂)、モーテル(宿)などは廃業し、ゴーストタウンとなった。
新しく造られたインターステイトの、ルート上に選ばれた町は生き残ることができた。
しかし、ルート66沿線ならではの、心温まるファミリービジネス(個人経営)のモーテルやショップは、
大手チェーンのホテルやモーテル、量販スーパーなどに客足を奪われることになる。
道が付け替えられることにより、人生の明暗が否応なしに決められるのだ。
やがてルート66は、ロードサイトに暮らしてきた人々や、
多くのファンの熱意により、歴史街道として蘇ることになる。
僕が初めてこの道を走ったのは、ヒストリックルート66と名を変えてからのことだ。
この道が現役だった当時の面影を求めて、僕はひたすらに走り続けた。
草木に覆われて、車での通行が不可能な区間は歩いてトレースした。
ルート66を5往復すると、地球をおよそ一周したことになる。
地球をどれだけ回れる距離を、ルート66で走ったのかは定かではない。
地図を頼りにするのではなく、勘と思い込みでオールドルートをトレースしたので、
間違った道を走った距離も、かなりのものだろう。
ルート66を横軸に、あちこちと旅をして、出会った人や出来事などを、徒然なるままに書いてみた。
行程順ではないし、年代もさまざまだ。ルート66からかなり離れた場所のことも書いた。
どの章から読んでいただいてもいいので、しばしの間、ルート66寄り道の旅にお付き合いのほどを。
第6話 たかが66、されど66
ルート66をこよなく愛する者にとって、66という数字は特別な魅力に溢れている。
66という数字に取り付かれてしまうと言っていい。
車のナンバーを66に変えるのは至極当然であり、コインロッカーや風呂屋のゲタ箱なども、ついつい66番を探してしまう。
たまたま覗いた時計が6時6分ならハッピーだし、
買い物代金の下2ケタやつり銭が66円なら、思わず声を上げて店員さんに驚かれることもある。
1966年生まれを自慢する人もいるし、6月6日を特別視するファンも多い。
実際、全世界のルート66ファンクラブの多くも、6月6日に様々なイベントを行っている。
地元である長野県の県道66号線や、岐阜県恵那市にある県道66号線は走破したし、日本全国の66号線を走りたいとも思っている。
だからルート66生誕100周年にあたる2026年に66歳になる僕は、
66歳の誕生日をルート66の路線上で迎えると心に決めている。66に懲りだしたらきりがない。
たかが66、されど66なのである。・・・ 続きは本、電子書籍にて
第14話 荒野のメイルボックス
アメリカの田舎道を走っていると、道路沿いに郵便箱が幾つも並んでいる光景を見かけることがある。
車を停めて目を凝らし遥か彼方まで見回しても、家はおろか生活の匂いすら感じられない。
ましてやそこが、最寄りの町まで車で飛ばしても1時間以上はかかるような、砂漠の真ん中を横切る1本道ならばなおさらである。
舗装された幹線道路から砂漠の奥に延びる地道は、轍が深くて四輪駆動車以外はとても走れない状態だ。
郵便箱が数個並んでいる場合なら、少なくとも何世帯かがこの地道の先に暮らしていることが想像できる。
郵便箱が1個だけポツンと立てられていたら、
こんな辺鄙な場所にいったいどんな人が暮らしているのだろうかと考えてしまう。・・・ 続きは本、電子書籍にて
第33話 マイアマーの少年
オクラホマ州マイアマー。避寒地として有名なフロリダ州のマイアミと、まったく同じスペルの町なのだが、
こちらはマイアマーと発音する。知識としては知っているのだが、地図を読むたびに、どうしてもマイアミと発音してしまう。
その日は夕方になってマイアマーにたどり着いた。
オクラホマシティから東に走るオールドルート、州道66号線は見どころも多く、時間があっという間に過ぎてしまう。
いつもは何軒かのモーテルをあたって、料金や設備を確かめてから、その日の宿を決めている。
しかし今日はあまりに疲れているので、最初に目についたモーテルで決めてしまおう。
そのモーテルのフロントには白人の女性が1人いて、
横に置いてあるくたびれたソファに、小学生の男の子が坐って本を読んでいた。・・・ 続きは本、電子書籍にて
第34話 ジェニーの食品店
オクラホマ州ハイドロは、人口が千人を少し超えるくらい小さな町だ。
オクラホマ州を貫くルート66からは、少しだけ北に位置する町なので、ルート66トラベラーが必ず立ち寄る町ではない。
この町には、他の町ではめったに見ることができないパーキングシステムが今も受け継がれている。
ハイドロの100メートル足らずのメインストリートには、7軒ほどの店が軒を連ねている。
中略
メインストリートにあるフードマートは、この町唯一の食料品店だ。
冷え込みの厳しい朝早くから、店員さんが店先の掃除をしていた。
歩道や車道には、踏み潰されたマシュマロや、カボチャを投げつけた跡が残り、ごみが散乱していた。
「そうか、昨日はハロウィンの夜だったんだ」町外れのモーテルに宿泊し、
いつものようにCMTでカントリーミュージックのビデオクリップを観て過ごした僕は、昨夜のお祭り騒ぎを知らずに過ごした。
掃除をしていたのは、この店の経営者であるジェニー・ピースさん。
40年近くこの店を経営している。彼女の笑顔に促されて、中を覗いてみた。
人口千人の町にしては、広い店内だ。3〜4人の客が買い物をしている。
客足が途絶えるのを待って、「店の前、トリック(いたずら)されましたね」と彼女に話しかけた。
「そうね。たくさんのトリート(優遇するという意味だが、ここではお菓子をあげること)と少しのトリックね」とジェニー。
レジ前のボードには、家族やペットの写真が貼り付けられている。
「これが私の子供たちで、この写真は町の人たちよ。そうそう、このウェディングドレスの子も今では2人の子持ちよ」と、
1枚ずつ解説が始まる。この店がファミリービジネスである証拠だ。・・・ 続きは本、電子書籍にて
シカゴからロスアンジェルスまで続く、全長約4,000キロのオールドハイウェイ、ルート66。 古き良き時代のアメリカの原風景が残り、ハートフルな人々が暮らすこの道の旅が大好きです。 急ぎ足の旅ではなく、ゆっくりと何度でも、気に入った小さな町に泊まり、人々との会話を楽しみに。 ルート66に関わり、この道を愛する人のことを、 「シックスティーシクサーズ」と呼びますが、僕もそうなりたいと、願っています。 |