イシス神殿
訪問日  : 2009年11月11日 7:20-9:20
入場料 :50LE(900円)
建造年 :BC380−AD300年頃
所在地 :アスワンの南新フィラエ島
祭神    :主神殿 ー イシス神

  イシス神殿は古代代エジプト末期王朝から、プトレマイオス王朝、古代ローマ時代に建てられ、550年頃ローマ帝国により閉鎖されるまで、古代
エジプトの信仰が残った最後の神殿であった。
 アスワンの南ハイダムの北に位置するイシス神殿は、その名が示す通り女神イシスを祀った神殿である。エジプト神話によると、イシスはオシリ
スの妹であり妻であり、またホルスの母とされる。イシスの夫、オシリスは弟のセト神に殺され、身体をバラバラにされて川に流されるが、イシ
スがそれを拾い集め復活させた。復活したオシリスは冥界の王となり、古代エジプトの重要な神として崇拝され、又復活再生から、穀物の神とし
てもあがめられていた。
  女神イシスの子ホルス神は天空と太陽の神であり、強力な猛禽類の隼の頭をした男性神として登場。エジプトの王朝の初期においては、王はホル
ス神の化身とされ、ホルスとは即ち王を意味する存在であった。イシス神殿のあるフィラエ島は、女神イシスがホルス神を生んだ聖地でありその
為に神殿が築かれた。また、フィラエ島は、緑豊かな美しき島として「ナイルの真珠」と呼ばれていた。隣のビーガ島には夫のオシリス神が祭ら
れている。
  ただし、その美しき島フィラエ島は、アスワンハイダムの建設により水没する恐れがあるため、神殿を始めとする遺跡が近隣のアギルギア島へ移
され、島の形もフィラエ島に倣い変え、さらにその名前もフィエラ島と改められ現在に復活している。

イシス神殿へは、船で行きます。 約20分の船旅です。

船乗り場                                     ナイル川よりのイシス神殿                                  船着場

列柱がお出迎え。  壮観ですね!

第一塔門です。

正面の入口左右にライオンが。
日本流に言えば狛ライオン!
顔が破壊されているのがかわいそう!
第一塔門の左側レリーフ                                    右側レリーフ
   
              

第一塔門から景観
それにしても観光客の多いこと。私もその一人ですが。

      第二塔門左側のレリーフとハトホル柱。     第二塔門右側のレリーフ
 

様々な列柱の模様
 円柱や角柱の初期のものには巨大な1本石のブロックから造られたものもあったが、殆どの柱は幾つもの石を積み上げ、上から下
に成形されて磨かれ、あたかも1本石の柱のように造られた。カルナック神殿の第一塔門内側の未完成の円柱に、その製造工程が
みられる。又、初期の柱身は、木の幹やパピルスの茎を束ねた形状を模したもが多い。これは、古代エジプトにおいて、植物の
茎を縄で束ね、柱として使用していた事に由来する。そして、その際に結束した縄が、柱身と柱頭の接点に5本の帯として表わさ
れている。
 円頭の模様も、年代や場所等により、様々な種類がある。代表的なものとしては、「ヤシ柱」「パピルス柱」「ロータス(睡蓮)
柱」「ハトホル柱」(ハトホルはホルスの妻)などがあるが、時代が下がって、プトレマイオス朝やローマ時代になってくると、
複合型の柱頭が一般的になり、様式化された模様は本来の花形モチーフを失わせた。

     
列柱の美しい神殿です。      

ハトホル柱                                                                                     
       

レリーフ
左端は、イシス神が息子ホルス神に授乳している場面。ホルス神は裸の子供として描かれている。
顔の破壊は、キリスト教信者によって、キリスト以外の神を抹殺するため行われた。残念!

     
左がトラヤヌス帝のキオスク
右の神殿は手前から、至聖所、第二塔門、第一塔門


トラヤヌス帝(53-117)は、第13代ローマ皇帝で5
賢帝の二人目。生涯を遠征と戦争で費やした人物。
ちなみに、キオスクとは
日本風に言えば、四阿(あずまや)のこと。
トラヤヌス帝のキオスク

第一塔門側から神殿を観
るとこんな感じです。
ナイル川とフィラエ島からの帰り船


ディオクレティアヌスの門と船着き場。
門を潜り階段を下りるとナイル川にでる。
ナイル川の水に手をつけてみたが、
思ったより冷たかった。
帰り船の中から。
左がトラヤヌス帝のキオスク。最初で最後、再び来ることは出来ないだろうとの思いを胸に、
フィラエ島よ、サヨウナラ!