HOME
STAGE07へ
二次創作文庫メニューへ
STAGE09へ
STAGE 08 暗闇から目覚める光よ 〜Yang−Yun〜

「・・・・・・」
 自分に集まる驚愕の視線を気にする様子もなく、楊雲はゆっくりと一同に歩み寄っていった。そして、意識を失ったままのティナと、ぽかんとしたままのレミットを交互に見、両手をかざして静かに目を閉じる。
「ホーリー・ブレス」
 暖かく神々しい輝きがその場の全員を包んだと思うと、皆の傷は綺麗に消え去っていた。楊雲が若葉に勝るとも劣らない神聖魔法の使い手であったことを、一同はそれで思い出した。
「…ゆっくり、休まれてからでかまいません」
 ホーリー・ブレスは他の回復魔法と違い、魔力の波動や光で回復を促進するものではない。神の祝福で傷そのものを消し去る奇跡だ。だからそれによって体力を消耗させることはない。肉体的な休養はこれ以上は必要ないはずだ。だから楊雲はレミットらの体を気遣ったのではなく、彼女の頭の中身が混乱していることを見抜いたのだろう。
「貴女に大切なお話があります、レミットさん…」
 深い深い夜の闇のような、奥底の窺い知れないその瞳を、楊雲は真っ直ぐレミットに向けた。
 背筋にぞくり、と悪寒が走った。

 ティナだけはなぜか目を覚まさなかったため、一同はそのままフォインの家まで行くことになった。「話がある」と言っただけあって楊雲も皆に同行したのだが、そのためひどく気まずく重苦しい沈黙が部屋の中に満ちることになった。
「…ティナさんは…どうしたんですか?」
 怖々、といった風情で、アイリスが聞いてみた。楊雲はただじっと、眠り続けているティナを見つめたまま、アイリスの方を向きもせず…まるで独り言のようにつぶやいた。
「大丈夫です…。体には既に傷もありませんし…心も、『壊しては』いませんから…」
 心を…『壊す』?
 とてつもなく恐ろしいことをさらりと言われた気がした。ますます沈黙が重苦しくなる。その雰囲気を救うように、
「う…ん…」
 ティナが小さな声を挙げた。そしてそのままゆっくりと目を開ける。楊雲は今このときにティナが目を覚ますことがわかっていたかのように、眉一つ動かさなかった。
「…少し乱暴なことをしてしまいましたが…」
「楊雲…さん…?」
 二三回目を瞬かせて、ティナは周囲を見回した。そして心配そうに自分を見ているレミットに気づくと、気まずげに目を逸らす。
「貴女の『あの心』…壊しては、いませんから」
「・・・・・!」
「あとは、貴女の問題だと…思います」
「…はい」
 ティナは楊雲からも目を逸らし、うつむいた。それを見届けると初めて楊雲は顔を上げ、視線をレミットに移す。
「お話を…しましょうか」

 外に出ると、周囲は真っ暗闇だった。月も星も分厚い雲に覆われ、一筋の光も見えはしない。街の光も届かぬこの山の上は、それこそ鼻をつままれてもわからないほどの暗闇に包まれていたといっていいだろう。であるにもかかわらず、先に立って歩く楊雲の姿だけははっきりとわかった。「見えた」わけではない。「わかった」のだ。
 アイリス以外の皆は、押し止めるまでもなくついてこようとはしなかった。ただ黙っていただけであったにもかかわらず、楊雲の「お話」の邪魔をする気にはとてもではないがなれなかったのだ。アイリスもそれを感じてはいたのだが、レミットへの忠誠心の方が勝ったらしく、気まずい表情で二人の少し後ろを歩いていた。
 やがて、二人に先立っていた楊雲が唐突に歩みを止める。木々のとぎれた、開けた場所だ…と気づいたとたん、空を覆っていた分厚い雲に切れ間が生まれた。降り注いだ月光はかすかだったが、目が暗闇になれていたため、それだけでも充分に周囲を見渡すことができるようになった。
「ここで…いいでしょう」
 月光に包まれた楊雲が振り返る。その動きに合わせてさらりと揺れた黒髪はしかし、月の光を浴びてなお、ぬばたまの暗闇をたたえ続けていた。
 早速話が始まると思いきや、楊雲は何も言わない。ただ黙ったまま、じっ、とレミットの瞳をみつめた。その眼光に心の奥底どころか魂までも見透かされそうな気がして、背筋を走る悪寒を感じたレミットは、
「な…何よ…っ」
 気圧されながらも何とか一言、そう言った。
「…本気…なのですか…?」
 楊雲は視線を外すことなく、つぶやくように言う。
「…え?」
「貴女が何をしているか…そして、何のために、そうしているか…、知っている、つもりです…。
 あの人に…会いに行く、つもりなのでしょう…?」
「…そっ…そうよっ! わ、私だって知ってるのよ! 楊雲、あんたが『黄金の左腕』を持ってるって!」
 すっかり楊雲に呑まれていたレミットだったが、主導権を握られたままではいけないと、大声を張り上げた。しかし、楊雲は表情一つ変えない。
「はい」
「あんたは魔宝を集めて、どうするつもりなの?」
「・・・・・・」
「まさか…あんたも…?」
 メイヤーのことが脳裏をよぎる。しかし楊雲は静かに首を振った。
「…あの人のためだ…ということは…否定しません…。
 ですが…私は…メイヤーさんとは…違います…」
 レミットの脳裏を覗いたかのように楊雲は答える。確かにあのときのメイヤーとは違い、楊雲には取り乱した様子はまったくない。
「ですから…貴女に、聞いてほしいのです…。
 どうして、私が魔宝を持っているのか…そして…、
 あの人が、何を望んでいるのかを…」
 楊雲の言葉に、レミットはぴくん、と小さく身を震わせ、硬直した。リラと会ったときにも、メイヤーと話したときにも、感じたあの気持ち。…私の知らないあいつを、知っている、楊雲。
 複雑な想いを抱きつつも、あいつが楊雲に何を言っていったのか、そのことへの興味が勝った。
 レミットが話を聞く気になったことを見て取ると、楊雲は一度目を閉じ、再びレミットの瞳を見つめ直してから、口を開いた。
「レミットさんは…あの人が、どこから来たかご存じですか?」
「それは…別の世界から…」
「それがどんな世界だか、ご存じですか?」
「そ…それは…」
「そうです。私たちは、あの人がいた世界を知らない。
 それはあの人も同じこと…。あの人は、実際に来るまで、この世界がどんなところか、まったく知らなかったのです」
 そこで楊雲はいったん言葉を切る。レミットもアイリスも口を挟まないことを確認すると、楊雲は更に続けた。
「…そんなあの人が、突然、何も知らないこの世界に来て、何も大変な思いをしなかったと思いますか?」
「それは…やっぱり、いろいろと…大変だったんだろうな、とは…思うけど…」
「それでも、あの人には、貴女や、メイヤーさんや、フィリーさんやロクサーヌさん…。
助けてくれる人が、たくさんいました…」
 初めて、楊雲が視線をそらした。そのまま目を閉じ、ただでさえ静かな声を更に低く落とす。
「あの人から…聞いたことがあります。
 あの人の世界には…そんな風に、助けてくれる人などいないと…」
「・・・・・・」
「だから…あの人は、別れる少し前、私に、頼んでいったのです…。
 もし、興味か何かで、あの人の世界に来たがる人が誰かいたとしたら…思いとどまらせてほしい、と。
 あのときは、あの人は、メイヤーさんのことを考えていたようですが」
 それが、メイヤーが彼に寄せていた想いに気づいてのことなのか、それとも、単純に知的好奇心の権化であるメイヤーを警戒してのことなのかは、今となってはわからない。
「あの人は…貴女も…いえ、貴女は私よりも…よくご存じだと思いますが…、
 とても…とても…優しい人です…」
 再びレミットと向き合う楊雲。
「そんなあの人は…私たち、こちらの世界の者が、あの人の世界に行って…あの人と同じ苦しみを味わう羽目になることを…とても、心配していました…」
「そんなこと! わかってるもん!
 でも…でも私…あいつといられるなら…っ!」
「・・・・・・」
 楊雲の目がすうっ…と細くなった。
「…貴女は…。やはり、わかっていません…」
 冷ややかな楊雲の言葉に、大きくかぶりを振って抗するレミット。しかし、反論の隙を与えず、楊雲は言う。
「…確かにあの人は優しい人です…。ですが、聖人君子ではありません…普通の、人間なのです…。
 心変わりくらい、して当然なのですよ…。そのときには…貴女は、何も知らない世界で、ただ独りぼっちになるのですよ…」
 そして楊雲は、レミット同様固唾を呑んで聞いていたアイリスに、ちらりと視線を移す。
「そのときには…アイリスさんすら、そばにはいてくれないのですよ…」
「…っ!」
「…そのときに、こちらの世界が恋しくなっても…もう、戻る方法はないのですよ…」
「・・・・・・」
『友達や家族…その他にもいろいろ…向こうの世界に残してきたものがあまりにも多すぎる…』
 レミットの脳裏に、別れのあの夜の彼の言葉がよみがえる。あのとき、あいつには3人の仲間達をはじめ、知り合いだって大勢いたはずだ。そうでなくても、一年以上旅を続け、この世界にも馴染んでいたはず。それでも『向こうの世界に残してきたもの』は捨てきれなかった。
 あのときのあいつでもそうだったのに…自分だったらどうだろう…。
 自分の中のその疑問に、レミットは気づいてしまった。
「…ッ!!」
 しかし、それを認めるわけにはいかなかった。強く頭を振り、それを追い払う。
「…もう聞きたくないッ!」
「レミットさん…」
 楊雲は嘆息する。そして表情を曇らせながら、苦しそうに言った。
「聞きたくなければ…もう聞かなくてもかまいません…。
 ですが、どのみち…『黄金の左腕』は、お渡しできません…」
「くっ…」
 楊雲の言葉を受け容れるのなら、ここですべてを諦めるしかない。である以上、選択肢は一つしかなかった。
 剣を抜くレミットを見て、楊雲はもう一度、ため息をついた。
「…争いは避けたかったのですが…聞き入れてはくれないのですか…」
 口でそうは言っても、楊雲は戦う姿勢を見せなかった。武器も何一つ、構えようともしない。
「かなりの荒療治になりますが…。貴女でしたら、壊れたりはしないと信じます…」
 ぞくッ。
 楊雲の言葉と視線に、アイリスは悪寒をおぼえた。
「ひっ…姫さまっ」
「アイリスは黙っててっ!」
 興奮しているのか、気圧されているのか。それとも恐怖しているのか。剣を構えたレミットの手は小刻みに震えていた。対する楊雲は動揺するそぶりもなく軽く目を閉じると、静かにもう一度レミットに目を向けた。
 そんな光景を見ていたアイリスの脳裏に、あのときティナを刺し貫いた、魂まで凍り付くような楊雲の視線が蘇った。あの視線を、楊雲がレミットにも向けたとしたら。
「姫さま! 楊雲さんの目を見てはいけません!」
「!」
 アイリスの言葉を耳にしたレミットもまた同じ光景を想起した。反射的に楊雲の正面から飛び退く。楊雲は慌てる素振りも見せず、ゆっくりと頭を巡らせた。
 ダメだ。いかに素早く動こうとも、楊雲の目にも留まらぬほどの速さでいつまでも動き続けることはできないだろう。であれば道は一つだ。
「エネジー・アロー!」
 楊雲の動きは決して素早くはない。今のレミットにとって楊雲の背後を取ることは造作もなかった。死角から襲い来る魔法を、楊雲は受けるいとまもなかった…が。
 ぱしッ!
 鋭い音と共に、魔力が楊雲に弾き返される。信じられない光景にレミットは目を見張った。
「な!?」
 楊雲はかすかに眉根を寄せている。まったく効いていないわけではないようだ。が、魔法が直撃したとは思えないほどそのダメージは軽いようだ。
「今までの戦いで姫さまは以前とは比べものにならないほど強くなっている…けれど、楊雲さんの魔力はそれを上回っているというの…?」
 純粋に魔力の強さ、という問題であれば、おそらく楊雲よりはメイヤーの方が上だろう。が、魔力は精神力に強い影響を受けるため、動揺していたあのときのメイヤーは本来の魔力を出し切れていなかった。だから、今の楊雲はレミットが今まで戦った誰より、大きな魔力を持っているといえる。加えて、楊雲はその魔力を一切攻撃に向けず、防御に専念していたのだ。レミットの魔力が競り負けるのも無理はない。
 攻撃が通じず怯むレミット。が、楊雲はそんなレミットにも攻撃をしようとはしなかった。
「く…っ!」
 そんな楊雲の態度に、少なからずレミットは動揺を覚えた。
「魔法が…効かないなら!」
 剣を構え直し、レミットは真っ直ぐ楊雲に斬りかかる。
「姫さまいけない!」
 アイリスが叫ぶが、遅かった。
「・・・・・・」
 自分に向かってくるレミットを視界に収めるのは、体術においてはレミットに数段劣る楊雲にとっても容易いことだった。
「…しまっ…!」
 周囲の気温が一気に下がったようなあの感覚。自分を真っ向から貫くような楊雲の視線。レミットは焦りのあまり自分が判断を誤ったことに気づいた。

「・・・・・?」
 違和感に気づく。
 楊雲の視線に貫かれたとき、「あの」ティナでさえ一瞬で無力化した。その正体は不可解だけれど、恐ろしいものには違いない。
 そう思っていたのに。痛くもなければ苦しくもない。見つめられた瞬間にはあった悪寒もすぐに消えて、今は気持ちの悪い感じさえない。楊雲じゃない他の誰かにじっと見つめられたのと、別に何も変わらなかった。
「何…?」
 つぶやく言葉に楊雲は答えない。ただ先ほどと変わらない視線をずっと向けているだけ。 …何かおかしい。
 心の中からそんな声がする。確かに不気味だった。でも、いつまでもずっとこうしてただにらめっこしてるわけにもいかない。楊雲に見つめられても何も起きないのなら、恐がることはない、それだけのこと。
 改めて振り上げた剣を楊雲に振り下ろす。
「つうっ…!」
 拍子抜けするほどあっけなかった。
 確かに、前の旅で戦ったときも、はっきり言って楊雲は弱かった。使う神聖魔法が強力で厄介だったからと攻撃すればすぐに戦闘不能になっていたっけ。今でもそのままだとは思ってなかったけど。
 ほとんど反撃らしい反撃もしないで、しばらくしたら楊雲はもう倒れていた。
 それでもまだ何か説得でもしてくるかと思っていたけれど、詰め寄ると楊雲は、何も言わず「黄金の左腕」を引き渡した。

 その後はとんとん拍子だった。
 手がかりがなくてどうしようかと思っていたカイルは、こっちにある魔宝の話を聞きつけ、何もしなくても向こうからやってきた。まあ他の誰よりも話の通じにくいカイルのこと、結局は戦いになった。バカとはいえ実力は折り紙付きのカイルだったけど、激闘の末最後には倒すことができた。

 魔宝さえ全部揃えてしまえば、後はもうどうということもなかった。魔宝が再び世界中に散っていることから予想はしてたけど、イルム・ザーンの結界や守護者も復活してはいた。しかし復活した守護者なんて、今まで戦ってきた皆の足下にも及ばなかった。1人で容易く蹴散らせたくらいだ。

 暁の女神も、ここまでたどり着いた私の願いを断ったりはしなかった。
 こうして、私の願いは叶うことになった。

 もう一度会えるとはこれっぽっちも思ってなかっただろう私を見たあいつは、それはもう驚いた。けれどすぐに、あの懐かしい笑顔で、私を迎えてくれた。

 そして私達は一緒に暮らすことになった。
 とても、幸せだった。

 …本当に?

 脳裏にふと疑問の声が過ぎる。

 あいつの住む世界。
 私のいた世界とは全然違う世界。
 私の、全然知らない世界。
 私は、なかなか馴染むことができなかった。

 あいつはそれでも根気よく私に付き合ってはくれた。
 けれど、日に日に疲れていっていること、私への態度が少しずつだけど冷たくなっていっていることが、私にもわかった。

 そうして、しばらくして。
 あいつは私を置いたまま、姿を消してしまった。

 待って、待って。ずっと待ったけど、あいつは帰ってこなかった。
 こっちに来てからあいつ以外に知り合いもできてない。
 あっちではずっと一緒にいてくれたアイリスも、今はいない。

「帰りたい…」
 その方法は何もない、ということは、わかっていた。
 取り返しはつかない。
 本当に、独りぼっちなんだ。

「あ…あああ…ああああ!!
 嫌…嫌あああっ!!」
「ひっ…姫さま!? 姫さまっ!!」
 楊雲に見つめられた途端頭を抱えて叫び始めたレミットを見、アイリスが血相を変える。
「楊雲さんっ! 姫さまに、姫さまに一体何をしたんです!?」
 楊雲は小さく頭を振った。
「私がしたのは…お手伝いだけです…。
 レミットさんの心の中にある不安…レミットさん自身、それがあることに気づいていながら、目を逸らしていたもの…。
 それに、目を向けるお手伝いを…」
「そんな…姫さま!」
 楊雲にくってかかっていたアイリスがレミットに目を向ける。楊雲も静かに視線を巡らせた。
 レミットは未だ頭を抱え、目を見開き、言葉にもならない叫びを上げ続けている。
「レミットさんが見たものは、幻覚でしかありません…。
 ですが、その幻覚は、レミットさん自身が恐れ、心の中に封じていた不安そのもの。
 どのみち、打ち勝たなければレミットさんの旅もこれで終わりです…。
 もし、自分自身の不安に潰されるようなことがあれば…レミットさんは…。
 そこまで弱い人ではないと、私は信じますが」
『かなりの荒療治になりますが…。貴女でしたら、壊れたりはしないと信じます…』
 楊雲が戦いを始める前にレミットに言った言葉の意味を、ここに来てアイリスは悟った。
 人間は誰も、自分の心の中に、直視したくない部分を持っている。
 普段はそれを心の奥に追いやったり、何かで蓋をしたりして、自分の心と自分自身を守っている。
 楊雲はそれを暴いたのだ。
 ただ、レミットが目をそむけていたそれは、彼女がこの旅を続けることさえ諦めれば問題ではなくなる。こちらの世界では、彼女には、キャラットが、若葉が、そしてアイリスが、それにほかのみんなが一緒にいてくれる。
 受け容れられない不安、1人になる不安、見知らぬ世界に放り出される不安、得たものを失う不安。
 別の世界に行くなどと言うことさえ止めれば、そんな不安とは縁がなくなる。
 しかしそれでもなお、レミットが固執したのなら。
 この不安を乗り越えるしかない。それができないのなら…、「壊れる」ことさえあり得る。
「楊雲さん! もう、もう止めてあげて下さい、このままでは姫さまが…っ!」
 アイリスが楊雲にすがる。しかし、楊雲は静かに首を振った。
「ここで幻覚を見せるのを止めることは簡単です…。
 けれど、もし、レミットさんがこの不安をなおざりにしたまま、彼のいる世界に行ったりしたら…。
 今度レミットさんを襲うのは、幻覚ではなく、厳然たる現実なのですよ…」
「でも…姫さま…っ!」

 ・・・・・・。
 いつしか、周囲を包むのは、光も差さない一面の闇。
 すべてを失い、どうすればいいのか。
 どうして私は、あいつと、ほかの全てを引き換えにしたりしたのか。

 …だって、好きになったから。

 好き? どうして。

 そんなのわからないし、別にわからなくたっていい。
 理屈じゃないもの。「好き」だってことに理由があるんだったら、その理由がなくなれば「好き」じゃなくなるってこと。
 そんなことはないもの。
 私、あいつのことが好き。あいつのことが好きな私が、今の私。
 この想いは、もう今の私の一部。

 顔を上げる。
 相変わらず一面の闇。
 でも。

 これは私の迷い。弱さ。
 私は今、一番大切なものを手に入れようとしているんだもの。
 そのために、何かを失うのは仕方のないこと。
 ・・・・・・。
 ううん、違う。
 アイリス、キャラット、若葉にカレン、そしてほかのみんな。
 あいつへの想いが、今の私の一部であるのと同じように。
 みんなとの出会いも、みんなから今までもらった全部も、今の私の一部。
 それを、失ったりはしない。

 例えこの先何があったって。
 あいつから、みんなから、もらった「私の一部」をもうなくしたりはしない。
 だから…もう、迷う必要なんてない。怖がる必要なんてない。
 むしろ、ここで諦めれば、私は私の想いを、大切な一部を、失うことになる。
 …その方が…ずっと、イヤだ!

 思いがそこまで至ると、胸の裡から淡く微かで、しかし確かな光が生じた。

「…それでこそです、レミットさん」
「えっ?」
「…アイリスさん。心配は無用です…。
 この幻覚は、何も直接レミットさんの精神を壊す攻撃、という訳ではありません…。
 結局は…レミットさんの心の強さを…試す試練でしか、ないのですから…」
 心なしか、楊雲の表情が軟らかい気がする。
 そのまま楊雲は、傍らのレミットを見た。
 いつしか、レミットはしっかりと立ち上がり、強い意志に満ちた目で楊雲を見ていた。
「姫さま!」
 アイリスの声に頷くレミット。
「諦めるなんて、できないわよね…。もう、私だけの想いでもないんだから。
 メイヤーに、それに…」
「姫さま…」
 複雑な表情で口を噤むアイリスを見て微笑むレミット。そして、その顔を楊雲に向けた。
「もう、私は迷わない」
「・・・・・・」
 楊雲は黙ってただ頷いた。
「…ですが、その決意がまた別の迷いではないか。まだ、私は確かめなければなりません」
 目を閉じると、楊雲は表情を引き締め、もう一度レミットをにらみつけた。しかし。
「私は、もう迷わない!」
 真っ正面からその視線を受け止めるレミット。もう、怯む素振りすら見せなかった。
「…やはり。さすがです」
 再び表情を崩す楊雲に、レミットが一歩近づいた。剣を構え、真っ向から楊雲の瞳を見据える。
「止められるものなら止めてみなさい!」
「…いいえ。もう、止めはしません」
「え?」
 突然の楊雲の言葉に、レミットもアイリスも耳を疑った。
「あの人に頼まれていたことは、本当です。
 けれど私は…あの人と、貴女と…両方を知っている私は…。
 もとより、貴女があの人を追うことに、反対ではありませんでした」
「あ…はあ」
 毒気を抜かれて、レミットが剣をおろす。
「けれど、私にも迷いはありました。それに、あの人の言葉を無碍にもしたくはありませんでした。
 ですから、試させてはもらいました。ですが、こうなることはわかっていました。
 今までの貴女の旅もしばらく、影ながら拝見致しておりましたし」
「楊雲…」
「『自分の運命を覆そうとする努力もできない人が、覚悟だなんてお笑いよ』。覚えておいでですか?」
「あっ…」
 そうだ。あれは楊雲が「黄泉の口」を閉じるべく、自らの身を犠牲にしようとしていたとき、つい反射的に言ってしまった言葉。…思った通りの本心ではあったけれど。
「別の世界の相手を追うなど、それこそ普通は無理なことです。『世界』に引き裂かれたら、別れるのが『運命』でしょう。
 けれど、貴女はあのときから、それを覆す強さを持った人でしたから。
 ただ…」
 おだやかだった楊雲の表情が再び引き締められた。
「忘れないで下さい。
 アイリスさんにも申し上げましたが、先程貴女が見たのはただの幻覚ではありません。あり得べき『現実の可能性』なのです。
 だからこそ、貴女はあれほどの不安を感じていたのですから…。
 覚悟だけは、くれぐれも忘れないで下さい…」
 楊雲の言葉に、レミットも表情を引き締め、頷いた。しかしそれに対する楊雲はまた表情を崩し…それどころか、はっきりと微笑んで言った。
「…私が貴女に覚悟を語るなど…おこがましいことでしたね…」
 そして楊雲は、どこからか「黄金の左腕」を取り出して、レミットに手渡した。
「私も…」
 しかし、レミットがそれを受け取り、楊雲が何かを言おうとした、その瞬間だった。
「ハーッハッハッハ! ついに! ついに見つけたぞ貴様ら!」
「! 誰っ!」
「姫さまあそこ!」
 びっ! とアイリスが指さした先…レミット達がいた広場を見下ろせる高台だ…にはいつの間にか月が浮かんでおり、それをバックにして一つの人影が仁王立ちしていた。
「しかも見たぞ! 『黄金の左腕』を手渡すその決定的瞬間! さあ、ほかの魔宝もこのオレ様に渡すがいいっ!」
「誰が! あんたこそ『赤の火輪』を大人しく渡しなさい!」
「フン…やはり剣で語るしかないと言うことか! とうっ!」
 その何者かは剣を抜き、高台から飛び降りると…、
 ばきべきごしゃ。
 皆の期待を裏切らず、着地と言うよりは墜落した。
「…なにしてんのよバカイル…」
「フッ! オレ様の意表をつく登場に度肝を抜かれたようだな」
「ええ、まあ…。確かに驚きました…」
「…相変わらず…頑丈な方ですね…」
 恐らく彼自身の言葉とは全然違う意味だろうが、確かに度肝を抜かれていた三人に剣の切っ先を突きつけ、その男…言うまでもなく魔族の青年・カイル=イシュバーン…は意味もなく偉そうに言った。
「戦いの前に聞いておく。
 ガキんちょ。貴様が持っている魔宝は何だ?」
「…あんたなんかに教えてあげる義理はないけど。
 あんたの『赤の火輪』さえ手に入れれば、揃うわよ」
「…何…」
 返事を聞いたカイルの視線が鋭くなった。
「そうか…。では、魔宝収集ももう大詰めと言うことか…。
 よかろう! ならば決着はこのような辛気くさい場所ではなく! 相応しいところでつけようではないか!」
「相応しいところ?」
「そおぅだっ! 相応しいところといえばあそこしかあるまい!
 閉鎖遺跡イルム・ザーンで待っているぞ!」
 言いたいことだけ言って身を翻し、森の奥に駆け込むカイル。
「あ」
 それを見た楊雲が、小さく声を上げた。
「…そちらは…崖…」
「んのわぁぁぁぁっ!?」
 間の抜けた悲鳴と、木々をへし折る音、そして、「何か」の落下音。
「あー。姫さま?」
「はあ。行くしかないでしょ? どっちにしろ、目的地はあそこなんだし」
 疾風のように現れて疾風のように去っていったバカイルのことを思うと、何だか頭が痛くなってきた。が、楊雲がそんなレミットに言う。
「油断は禁物ですよ…。
 貴女が今乗り越えた悩み…カイルさんはあれでも、前の旅の時点で、とっくに超越していたのですから…」
 …言われてみれば確かにそうだ。あのカイルが何かに迷っているさまなど想像もできない。何も考えていないだけという気もするが。
「ともあれ、実力だけはある方なのは間違いありません」
 アイリスが言う。レミットもそのことにだけは異論はなかった。
「いずれにしても…次で、バカイルで最後、ってことね…」
「はい」
「よしっ。行くわよアイリス!」
 駆け出そうとしたレミットだったが、ふと足を止める。そしてその場にたたずんだままの楊雲を振り返った。
「ありがとう、楊雲。おかげで…本当の覚悟が決まったわ」
「いいえ。それはもともと、貴女の中にあったのです」
 そう答える楊雲と頷きあって、レミットは今度こそ、アイリスを伴い駆け出した。

〈To be continued...〉

STAGE8 あとがき

 どーも、もーらですー。
 一部からは「私の書く楊雲は万能過ぎ」という声もありますが。はい、今回も例に漏れず万能楊雲です。
 でもこの役はそんな万能楊雲にしかふれないところだったんですよ。最初は「楊雲ビーム→ライデン」という安直な配役だったんですけどね。
 帰還EDで主人公君が言っている、「君は向こうの世界の人間で…こっちから戻る手段は…無いんだぞ…!」っていうセリフ。ほとんどのキャラは「わかってる」と答えますが、これは本当に覚悟決めてわからないといけないと思うのです。このお話も行き着くところはレミット帰還EDですから、姫さまにも覚悟を決めてもらう必要があると。で、そのお手伝いができるのは、楊雲くらいのものだと思ったのですよ。ほかのキャラなら説得くらいしかできないと思いますが、楊雲なら幻覚という仮想現実体験くらいさせてあげられそうだと思ったもので。まあ、そこまでやってレミットの覚悟と気持ちの整理をちゃんと書けたかというとまたいつも通り疑問なんですけれど。
 というわけでライデンレーザー=楊雲ビーム=楊雲幻○拳(笑)ってことでした。ハイ。
 あと今回判明したのは、主人公パーティは楊雲のダンジョン2・「生命の価値は…」でレミットに負けてる、ってことですな。あのときのレミットもなかなか格好いいこと言ってますんで、採用した次第です。
 さて。では、いよいよ長かった旅も終わり。次回が最終回です。
 今回は本編が重かったので、軽い(程度も内容も)顔見せでしたが、彼は最強の相手なのです!

 …ときに、今回の幻覚シーン。打ち切りのためのマキかと思った人、いました?

STAGE 9 “想いと野望と” & Epilogue
LAST ENERMY
 Cail−Ishbahn
 Unknown
STAGE07へ
二次創作文庫メニューへ
STAGE09へ
HOME