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PENALTY STAGE アイリス・イン・ワンダーランド
〜Iris Meel〜
 
 栄養失調。
 倒れたまま意識の戻らぬアイリスを診た医師は、そう告げた。
 確かに、アイリスはいつも一行の食事の心配をしてはいたが、用意だの後かたづけだのにかまけているばかりの彼女自身がきちんと食事をしているところはあまり見なかったようにも思える。
 この旅の発端からずっと、自分を気遣っていてくれたアイリスに比べ、自分がいかに周囲への思いやりに欠けていたかと思うと、レミットはひどい自己嫌悪に陥った。が、自分が今すべきことは落ち込むことではなく、お詫びをこめてアイリスの看病をすることだ。
 ちゃんと食事をとらなかったことによる低血糖と貧血が原因で意識を失っただけなのでしばらくすれば意識を取り戻すだろう。そうしたら消化に良く滋養のあるものを食べさせてあげるように。それが、医師の指示だった。
 レミットはそれを聞くやすぐに準備を整え、枕元でアイリスの目覚めを待った。
 しかし。
 医師の言葉に反し、アイリスは、翌日になっても一向に目覚めなかったのである。
 
「…いったい…どうしちゃったのよアイリス…」
 枕元の椅子に座りうなだれながら、力無くレミットはつぶやく。
「レミットさん…少し休まないとお体に毒ですよ」
 心配そうに若葉が言った。レミットは昨夜ずっとアイリスを見守り続けており、一睡もしていないのだ。
「アイリスが苦しんでるのに…私だけ休むなんてできるわけないじゃない…」
 アイリスの寝顔は安らかそのもので、別段苦しんでいる様子も見られない。しかし、栄養失調という診断を下されている以上、本当に心安かであろうはずもない。
「でも、無理しちゃダメだよ。メイヤーさんと戦ってから、レミットちっとも休んでないんだから」
 戦いで受けた傷そのものは若葉の魔法で治っている。が、魔法の助けがあるとはいえ傷の回復には体力が要るのだ。疲労は当然、いつもよりずっとたまっているはずだ。キャラットはそれを気遣うが、
「…いいから…!」
 レミットはそんな二人の心配りにも耳を貸そうとはしなかった。
 若葉とキャラットは顔を見合わせる。
 アイリスは、王宮で孤立していたレミットの唯一ともいえる味方だったのだ。当然、レミットは彼女にひとかたならぬ信頼を寄せているし、若葉やキャラットよりもずっとずっと強い絆を感じているだろう。そのアイリスが倒れたのに、ゆっくり休めと言う方が無理な話なのかもしれない。
 察した二人はうなづきあうと、レミットをそのままにして、そっと部屋を出た。
 
 もし、アイリスがいなかったら。
 静かなアイリスの寝顔を見ながら、レミットはそんなことを考えてみる。
 きっと、この旅に出かけることもなく、ずっと王宮の中でイライラしていたこどだろう。いや、それ以前に、前のあの旅にも出かけていたかどうか怪しいものだ。アイリスは、ときにレミットを諫めることはあっても、大抵の場合は王宮の口うるさい女官たちの小言から庇ってくれる立場だったし、レミットの「お忍び」に自らが同行することで彼女の気晴らしを助けてくれていたのだから。
 もし、アイリスがいなかったら。
 レミットは今頃、王宮の中でストレスのためにどうにかなっているか、諦めて人形のような型どおりの姫君になっているか、どちらかだろう。
 そんなアイリスが倒れているというのに、自分には何もできない。
「私が体調を崩したりしているわけではないんです」
 アイリスはそう言っていたが、かなり無理を押しての言葉だったのだろう。それを察することもできなかった。
 想いを諦めることはできないけれど、せめて、アイリスにお詫びと感謝だけは述べたい。だから…
「早く…目を覚ましてよ、アイリス…」
 微動だにしないアイリスの顔をのぞき込んだレミットの瞳に、自然と涙があふれた。それは彼女の頬を伝い、こぼれおちてアイリスの頬をぬらす。
 ・・・・・・
 静寂のひととき。
(私のことは…どうか気になさらないで。
 こんな私なんかのために、心を痛めたりなさらないでください、姫様)
「!」
 レミットははっ、となって上体を起こす。アイリスの、声?
 目を凝らしてみるが、アイリスの表情には全く変化がない。
(…気の…せい…?)
 耳を澄ましても、もう何も聞こえない。
「・・・・・・」
 落胆し、レミットは再び椅子に腰掛けた。深いため息をつく。
 泣いたせいか。気落ちしたせいか。それともやはり、蓄積した疲労には抗しきれなかったのか。
 レミットの瞼が、自然と下がっていった。
 
 …ま…。
 …め…ま…。
 …ひめ…ま…。
 馴染みのある声が聞こえたような気がして、レミットはゆっくりと目を開いた。
「・・・・・?」
 そこは、まったく見覚えのない場所だった。何か光るものがあるだけで、他には何もない空間。
 ひめさま…。
「ア…アイリスなの…?」
「はい、姫さま」
 突然、ぼんやりとしていた呼び声がはっきりと聞こえた。空間にただ一つある光るものの向こうに、小さなアイリスの姿がある。その姿はすぐに、普段のアイリスの大きさになる…否、普段のアイリスよりも一回り大きい気がする。
「?」
 不思議な光景に首を傾げるレミット。そんなレミットに、アイリスはにっこりと微笑みかけた。その微笑みに微かな違和感を感じるレミット。
「先に申し上げておきますね。
 ここは、私の夢の中です」
「夢の中…?」
「姫さま。
 私のために泣いてくださるのは嬉しいのですけれど…。
 本当の私を知っても、姫さまはまだ、泣いてくれますか?」
「本当の…アイリス…?」
 言われたレミットはぎくりとする。言われてみれば、自分はアイリスのことをどれだけ知っているだろうか。
 アイリスは元々市井の出だ。どこで生まれて、王宮に上がるまで何をしていたのか、レミットは知らない。生まれも育ちも知らないから、本当はどんな考え方をするのかもちゃんとわかってはいないのかもしれない。
「ここは、夢の中です。
 夢は心が直接見せるものですから、夢の中では本心を隠すことはできないんです。
 言いたくても言えなかったことを遠慮なく言う私が、見せたくても見せられなかった私が、今の私なんですよ、姫さま」
 その言葉を聞くと、レミットは急に不安になった。先刻自分で考えたとおり、アイリスはあらゆる面でレミットを助けてきている。それは、とりもなおさずレミットがアイリスに多大な迷惑をかけてきたということに他ならない。アイリスが、密かにレミットのことを疎ましがっていたとしても無理はないのだ。
「アイリス…私のこと…」
「姫さまのことは、大好きですよ」
 違和感を含んだ笑みのまま、アイリスは優しく言った。
「ねえ、姫さま。
 私、以前、姫さまに申し上げましたよね。
『一番好きな人と一緒にいるのが』…」
「…『一番幸せで、一番自然なこと』…」
 恐る恐る、といった風情で、自分の言葉の後を続けるレミットを見て、アイリスの顔から笑みが消えた。
「ですが、姫さま。
 一人の人を、二人の人が『一番好き』になってしまったら、どうしたらいいんでしょうね?」
「え?」
「『一番好き』な人たちが、みんな、一緒にいられるわけじゃ、ないんですよ」
 アイリスの真意をはかりかね、戸惑うレミット。
「メイヤーさんも、きっと、あの人と一緒にいたかったでしょうね」
「!」
「『一番幸せ』になるには…時として、他の人の幸せを、邪魔しないといけないこともあるんです」
「・・・・・・」
「私は、そんな争いを、大好きな姫さまとしたくはなかったから…夢の中に、閉じ籠もったんです」
 複雑なアイリスの表情を見て、レミットはようやく、彼女の心を察することができた。
「…アイリス…あなたまさか…!」
 ただ黙ってうなづくアイリス。
「姫さま。もう一度、お願いいたします。
 私のことは…どうか気になさらないで」
「…アイリスを…このまま、放っておけっていうの…?」
 低い、押し殺したような声で問うレミットに、アイリスは無言でうなづくことで答えた。
「そんなことできるわけないでしょ!」
「…それなら、どうします…?」
「どうしたって、アイリスをここから連れ戻してみせるわ。
 アイリスの気持ちをほったらかしのままじゃ、私だって納得いかないもの!」
「そうですか…」
 さらにアイリスの姿が一回り大きくなった。
「私の目を覚まさせる方法は簡単です。ここで私が意識を失えば、私の意識は夢の中に居所を失って、嫌でも現実に戻ります。ですが」
 ただでさえレミットよりも背の高いアイリスが、今はいつもより大きい姿となり、レミットを見下ろしている。
「夢の中は、心の強さが直接現れる世界です。
 迷いがあれば、それだけ力も落ちますよ。
 それに、意識を失えば否応なく現実に戻るのは、姫さまも同じです」
「…わかったわ…」
 レミットがアイリスと一戦交える決意をすると、彼女の手の中には一振りの剣が現れた。形はいつも使っているものとそっくりだが、大きさは一回り小さいように見える。それを見たアイリスはかすかに眉根を寄せた。が、すぐに視線を剣からレミットに戻すと、静かに告げる。
「いきますよ、姫さま」
 自分を見つめるアイリスの表情は、ひどく複雑だった。悲しいようにも、怒っているようにも、何かを愛おしんでいるようにも見える。一体アイリスは、どんな気持ちでいるのだろう…。レミットが、ふとそんなことを考えた、そのときだった。
 何かを捧げ持つかのような形に胸の前に構えたアイリスの両手の間に光の粒子が結集し始め、ビーチボール大の光球を形作った。
(ヴァニシング・レイ!?)
 光球の正体を悟った瞬間、それは弾け飛んでいた。
「!」
 衝撃は声にならなかった。今までも、V・レイを受けたことはもちろんあったが、今のものはまるで違う。普通、V・レイのダメージは全身を叩きつける爆風の衝撃なのだが、アイリスのそれは爆発の瞬間、十本の光の槍となって十方向に飛んだのだ。そのうちの二本が、レミットをまともに貫いたのである。
「な…なに…」
 大きく吹っ飛ばされ虚空をさまよいながら、レミットの口から出たのは疑問の言葉だった。
「V・レイですよ。爆発に指向性を持たせただけの」
 こともなげに、アイリスはその疑問に答える。が、その内容はとんでもないものだった。V・レイはその性質上、エネルギーのロスが非常に多い魔法だ。が、そこに指向性が備わったとなれば恐ろしいことになる。普段は無関係な方向にただ飛んでいっている爆風のエネルギーまでもが、攻撃力となって襲いかかってくるのだから。
 だが…それにしては、威力が弱すぎるようにも思えた。本当にV・レイの威力を集結したものであれば、その一撃で戦闘不能とはいかないまでも、それに近い状態になって不思議はないはずだ。が、そのことを深く考えている暇はなかった。「諦めてください、姫さま」
 ゆっくりと、アイリスはレミットに近づいてくる。普段後ろでおろおろしている姿からは想像もつかない威圧感が、アイリスからは感じられた。
「…っ!」
 その威圧感に恐怖すら覚えたレミットは、立ち上がりざまアイリスに斬りかかった。
(…アイリス…)
 しかし、迷いがその切っ先を鈍らせる。その次の瞬間、レミットの腹部で青白い火花がはじけ、彼女は再び吹っ飛ばされた。
(どうして…? 間合いが、全然取れない…)
「ずっと…見ていたんですよ、姫さま。
 私は、他の誰よりも長い間、姫さまを見ていたんです。
 姫さまの癖やお気持ちくらい、わかります」
 恐ろしいほどの…そう、メイヤーのそれさえ凌ぐ早さで放たれたライトニング・ジャベリンの余韻である青白い火花を右腕にまとわりつかせながら、アイリスはあの複雑な表情のままつぶやくように言う。
「私のことは気になさらないで…」
 何度めかの同じ言葉を口にしながら、アイリスは左手から、ボールでも放るように光の弾を放った。それはふわふわと、レミットの方に漂ってくる。
(メイヤーと同じ、超低速エネジー・アロー?)
 それなら、対処の仕方も同じでいいはず。そう思ったレミットは、すかさず呪文を完成させる。
「エネジー…!」
 しかし、それが発動する寸前に、アイリスは指をぱちん、と鳴らした。とたんに光の弾は四つに弾け、超高速で真っ直ぐにレミットを襲った。その速度差に対応しきれなかったレミットに、四つの矢はまともに突き刺さる。
「あ…く」
 耐えきれず、その場に両膝をつくレミット。
 見上げると、今度のアイリスはとてもわかりやすい表情をしていた。今にも泣き出しそうな悲しそうな表情。悲しさと寂しさのたった二色だけに塗りつぶされた瞳。
「…さようなら、姫さま…。
 姫さまに出会えて、私は、本当に幸せでした。
 もう今の姫さまなら、私がいなくても、きっと大丈夫。
『一番幸せ』に、なってくださいね。
 私の分まで…」
 またも、アイリスの胸の前に光が結集する。指向性を持ったV・レイ。もはやそれを防ぎきるだけの余力は、レミットには残されていなかった。
 
「…はっ!」
 がばっ、と跳ね起きた勢いが激しすぎ、レミットは椅子ごとひっくり返った。無様に尻餅をついたまま辺りを見回す。
「え…あ」
 寝入っていた時間はあまり長くなかったのだろう。陽の傾きはほとんど変わっていなかった。部屋の中の様子も変わらぬまま、アイリスも静かに横たわっている。ただレミットだけが、まるで水でもかぶったかのように寝汗でしとどに濡れていた。
「ゆ…め?」
 確かにアイリスが言っていた。これは夢、と。今の状況からして、夢であったことは間違いないのだろう。が、レミットにはそれが「ただの」夢であるとは到底思えなかった。
「…アイリス…」
 立ち上がり、アイリスの寝顔をのぞき込んだレミットは息を呑んだ。閉ざされたままのアイリスのまぶたから、一筋の涙がこぼれ落ちていたから。
(間違いないわ。今のはただの夢じゃない。私とアイリスは同じ夢を見てた…ううん、夢の中のアイリスが言ってた通り、私はアイリスの夢の中に行っていたんだ!)
 それに気づいたレミットは、再びアイリスの枕元に座った。
(だったら…)
 先ほどと同じ姿勢できつく目を閉じるレミット。が、まとまらぬいろいろな考えが頭から離れず、どうしても寝付くことができない。
「・・・・・!」
 そもそもあまり堪え性のないレミットはやがて身を起こし、いらいらとながら室内を歩き始めた。足音も次第に高くなっていくが、やはりアイリスは目を覚ます素振りすら見せない。
 さすがのレミットも途方に暮れた、そのときだった。
「あの…レミット?」
 恐る恐る、といった風情で、部屋のドアが細く開けられた。
「何よ」
「お客さん…だよ」
「お客さん?」
 レミットは首を傾げながら、キャラットの後に続き、階下へ向かった。
 
「もう! いつまで待たせたら気が済むのよ!」
 階段を降りたレミットを待っていたのは、鼓膜をつんざくような怒鳴り声だった。しかし、その声の主を探して周囲を見回しても、それらしい「客」の姿はない。どこかで聞いた声のような気はするのだが…。
「どこ見てんの! ここよ、ここ!」
 声は、若葉がついているテーブルから聞こえてきた。しかし、あの若葉がこんなにはしたなく大声を上げるとは考えにくいし、何より若葉が今更「客」のはずはない。もう一度よくよく見てみると、若葉の横、隣の椅子があるあたりから、ピンク色のものがのぞいていた。それが彼女のかぶっている帽子だと気づくと、レミットはようやくその声の主に思い当たった。
「あんた…フィリー? どうしてここに?」
 フィリーはそれでも精一杯椅子の上で背伸びをしていたのだが、彼女の身長ではやはりレミットの視界にうまく入らなかったようだ。そのことに気づいたのか、フィリーは飛び立つと若葉の肩に座る。
「どうしてとはご挨拶ね。この間リラにことのいきさつを聞いて、いいこと教えてあげようと思って来たのに」
「そう…。ありがとう」
 待たされたことと気づかれなかったことへの怒りで怒鳴り散らしていたフィリーだったが、それに対するレミットのリアクションがあまりに予想外だったため、さすがに毒気を抜かれる。思わず若葉とキャラットに、
「どうしたの?」
 と聞いてみた。二人とも首を振る。
「…そういえばアイリスさんは? いないみたいだけど…」
 ぴくん、と身を震わせるレミット。そんなレミットを心配そうに見る若葉とキャラット。ただならぬ気配を感じ取ったフィリーは、もう一度同じことを聞いた。
「どうしたの?」
 
 事情がわからないのは若葉もキャラットも同じことだった。今までずっと自分に協力してきてくれた二人に、そして、わざわざ来てくれたフィリーにも、このことは話しておかなければならない。そう思ったレミットは、三人にことの一部始終を語った。
 レミットの言葉を聞いた三人は皆一様に驚きの表情を浮かべた。アイリスが夢の中に閉じ籠もってしまったこと、そしてなによりも、あのアイリスがレミットを拒絶したということが信じられなかったのだ。
「じゃあ、アイリスさんは…」
 かすれた声で、うつむいたままのキャラットが言う。
「このまま…夢の中に閉じ籠もったままで…
 ずっと、ずっと目を覚まさない…」
 若葉の声もうわずっていた。二人は困惑した表情で、話を終え口をつぐんでいるレミットを見る。
「ちょっ…ど、どうするのよ、このままアイリスさん放っておくつもり!?」
 雰囲気の重圧に耐えられなくなったフィリーが怒鳴り声を上げた。即座にレミットが、それに倍する大声で怒鳴り返す。
「放ってなんておけるわけないじゃない! アイリスは、アイリスは私の、大切な…」
 そこまで言って、レミットは言いよどんだ。そして力無く肩を落とす。
「…でも…。でも、どうしたらいいかわからない…。
 アイリスを放ってなんておけないけど…でも、アイリスの夢の中にもう一度行く方法もわかんないし、行けたところで、私、もうアイリスと戦うなんてできない…。
 私、どうしたらいいんだろう? どうしたらいいの!?」
「レミット…」
 三人とも呆然と見ていることしかできなかった。レミットがここまで、心の弱さをさらけ出して取り乱すところなど見たことがなかったから。そして…、
 あのレミットが、人前で、涙をにじませていたから。
 若葉もキャラットも、そしてフィリーもまた、何とかしてあげられるものであればなんとかしてあげたかった。が、打つ手がないのはレミットと同じ…否、夢の中のアイリスと実際に遭遇していないぶん、レミット以上にどうしようもない。
 三人ともがレミットを直視し続けられず、目をそらす。かける言葉もなく、辺りは重苦しい沈黙に包まれた。
 その沈黙を破ったのは…、
 ポロロン…
「おやおや皆さん、どうなさったんです? 何か、困り事でも?」
 覚えのある弦楽器の音と、無闇に明るい声。四人は一斉に顔を上げ、そちらを見た。そこに立っていたのは言うまでもなく、年齢も性別も正体もまったく不明の吟遊詩人…ロクサーヌ。
「お久しぶりですね、皆さん。
 フィリー? まだあのことを教えて差し上げていないんですか?」
「あ…うん…。どうも今、それどころじゃないみたいなのよ」
「?」
 首を傾げるロクサーヌのそばに飛んでいき、フィリーは事態をかいつまんで耳打ちした。何度も同じ話題を繰り返し、レミットをまた沈ませるのは避けたかったからだ。
「ほう…」
 聞き終えたロクサーヌは腕を組み、そのまま黙り込む。再び訪れる沈黙。真っ先にそれに耐えられなくなったのはフィリーだった。
「で、どうするつもりなのよ? ここでずっと頭抱えてたってしょうがないでしょ!」
「…うん…」
 力無いレミットの答え。
「ああっもうっ!」
 じれったくなったフィリーは頭をかきむしる。が、だからといって彼女にもこの状況を打破する妙案があるわけではない。
「…レミットさん」
 閉塞した状況のなか、ロクサーヌが静かに口を開いた。
「アイリスさんは、どうして、こんなことをしたんだと思います?」
「・・・・・・」
「質問を変えましょうか。
 貴女は、アイリスさんのことが好きですか?」
「え…?」
 質問の方向がかなり変わり、一瞬虚をつかれるレミット。しかし、気を取り直すとすぐに迷いなくうなづいた。
「では…。
 アイリスさんは、貴女のことが好きだと思いますか?」
 今度はレミットは目に見えて狼狽えた。何か言いかけて口を閉ざし、そのまま俯いてしまう。
「…わからない…」
 ようやく、何とか口を開くレミット。
「この間まで…そんなこと、考えたこともなかったから…。
 一緒にいてくれるのが、あたりまえだったから…。
 アイリスが私のこと、どう思ってるのかなんて…」
 うつむいたまま瞳を閉ざすレミット。その思い出の中には、笑顔のアイリスと同じくらい、困った顔のアイリスもいる。
 ずっと、アイリスを困らせてばかりいた私を。
 ずっと、ワガママばかり言っていた私を。
 そして今も、アイリスを振り回している私を。
 アイリスが、好きでいてくれるかなんて…。
 目をぎゅっと閉じ、唇をかたく引き結ぶレミット。そのまま身を固くしている彼女を、
「あんた! アイリスさんをバカにすんのもいいかげんにしなさいよ!」
 ぽかっ。
 激しい声と同時に、軽く殴る者がいた。目を開けて見上げるとフィリーが肩を怒らせて、厳しい目でレミットを睨んでいる。レミットが何か反論するよりも早く、フィリーは続けた。
「いい? アイリスさんは市井の出なのよ。しかも仕事も自分のこともきちんとできる、れっきとした大人なの。あんたを放り出して、王宮から出てって、街に戻ったってちっとも困らないのよ。あんたのワガママにさんざんつきあわされて迷惑かけられたアイリスさんが、どうしてそうしないと思うの!」
「え…あ」
 確かに今まで、そうした侍女も大勢いたのだ。レミットは答える言葉を持たなかった。
「アイリスさんも、あんたのことが好きだからに決まってんでしょ!」
 絶句するレミットの肩に手を置いて、今度はロクサーヌが優しく語りかけてきた。
「フィリーの言うとおりですよ。
 さて、レミットさん。では考えてみてください。
 あなたのことを好きなアイリスさんが、どうして貴女を拒むのか。貴女と別れようとするのかを」
「・・・・・・」
 ロクサーヌの声を聞いていると、不思議と静かな気分になってくる。
 レミットは今度は静かに目を閉じた。
『もう今の姫さまなら、私がいなくても、きっと大丈夫』
『私のことは、どうか気になさらないで…』
 そうか。
 そうだったんだ。
 アイリスは…私のこと、大事に思ってくれてるから…。
 だから、あいつとのことで、アイリスを蹴落としたなんて、私が思わなくてもいいように…わざと、私に嫌われようと…。
 そこに考えが至ったレミットを見て、頃やよしと思ったのか、ロクサーヌがさらに続けた。
「…それで、いいんですか?」
「いいわけないでしょ」
 決然としてレミットは顔を上げ、立ち上がった。
「それでこそです」
 微笑んだロクサーヌは、傍らのリュートを担ぎなおした。
「行きましょうか、レミットさん。
 夢の中へ行く方法でしたら、私が知っています」
「お願いするわ」
 
 アイリスの寝室。レミットはベッド脇に跪くと、祈りを捧げるように両手を組み、アイリスの枕元にうつ伏せた。その光景を見たロクサーヌはうなづいて、静かにリュートを爪弾き始める。
 静かな、静かな旋律。心の波が凪いだ海のように消え失せていく。先ほど同じようにしたときの焦燥感が嘘のように、レミットは自然に眠りに落ちていった。
「…レミット…」
「今度は大丈夫なんでしょうか…。レミットさんも、それにアイリスさんも…」
 心配そうなキャラットと若葉に対して、フィリーは立てた親指を上に向け、握り拳をつきだして見せた。
「レミットがどれだけ強い心を持ってるか、あんたたちの方があたしよりもよっぽどよく知ってるでしょうが。
 レミットとアイリスさんが、どれだけ強い絆で結ばれてるかも、ね」
 
「姫さま…」
 悲しみと寂しさの入り混じったアイリスの表情は前と変わらなかった。ただ何故か、アイリスの姿が以前よりも一回り小さくなっている。
 今のレミットにはわかる。
 この世界は…夢の世界は、思いの強さに左右される世界。
 前に来たときレミットの剣が現実より短かったのも、思うように戦えなかったのも、レミットの心がひどく動揺していたからだ。
 そして、今のアイリスの姿が小さいのも、そのせいだ。放っておいてほしいと突き放したはずのレミットが再びこの世界を訪れたことで、今度はアイリスが動揺しているのだ。
「どうして…姫さま…」
「私は…。
 確かに、あいつのこと好きだけど…。忘れられなくて、追いかけていこうとしてるくらいだけど…。
 でも、でもね、アイリス。
 アイリスのことも、大好きなのよ。あいつのとは違う『好き』だけど、ホントに、ホントに好きなんだよ。
 アイリスのこと嫌いになって放っておくなんて、絶対できない」
 レミットの言葉にふるふると首を振るアイリス。
「姫さま…。
 でも、私がこのままお側にいたら、姫さまはきっと、幸せになれません」
「…どうして」
「姫さまは、お優しい方だから。本当に、お優しい方だから…。
 どうしても、私のことを、気にしてしまうでしょう?」
「…そうね。アイリスのこと、気にならないわけない」
 アイリスの言葉に、レミットは優しく微笑みながら目を閉じた。
「でもね、アイリス。私、それでも辛くなんかない」
 レミットの言葉に、アイリスはもう一度、より強く首を振った。
「私は、姫さまの邪魔をしたくないんです!」
 言うなり、アイリスの両手の間に光の粒子が集結していく。が、レミットはもうそれを見ても動じなかった。ただ静かに、アイリスに向かい歩みを進めていく。
 炸裂する光の奔流。しかし、それにまともに貫かれたはずのレミットは、少し顔をしかめただけだった。
「…姫さまっ…」
「前にここで戦ったときにも思ったの。
 V・レイの威力を束ねたにしては、ダメージが少なすぎるって。
 …手加減、してくれたんでしょ?
 アイリスがそうやって、私のことを思いやってくれるから…私も、それに答えたい」
 レミットの言うとおりだった。
(私に、本気で姫さまを攻撃することなんて、できるわけがない。
 でも…このままだと、私は姫さまのお邪魔になってしまう)
 その思いだけで、アイリスはレミットに向け稲妻を放つ。しかし、迷いだらけのそれはレミットをひるませることもできなかった。
「アイリス」
 アイリスのすぐそばから、レミットが声をかけてくる。アイリスはそんなレミットの顔を直視することもできず、ぎゅっと目を閉じた。
 金属音が聞こえた。
 続いて、身体を包む柔らかい感触。
 ゆっくり目を開けたアイリスは、レミットが剣を投げ捨て、しっかりと自分を抱きしめていることに気づいた。
「ひめ…さま…」
「独りだった私の側に、いつもいてくれたよね。
 そんなアイリスを、夢の中で一人きりにしておけるわけ、ないでしょ?
 私は…アイリスのこと、大好きなんだから」
 そうだ…。
 そうだったんだ…。
 姫さまは、私のことを好きでいてくれて…私も、姫さまのことが大好きで…。
 だから、私は、いなくなるんじゃなくて…。
 お側にいて、大好きな姫さまが「一番幸せ」になるのに力を尽くして…それを見届けないと、いけなかったんだ…。
 姫さまが幸せになることが、私は、何より嬉しいんだから。
 
 そして世界は、白い輝きに包まれた。
 
「ん…」
 先に身を起こしたのはレミットだった。
「どうでした?」
 言葉こそ問いかけだったが、ロクサーヌにはすべてわかっているようだった。
 満面の笑みとともにうなづくレミットの横で、ゆっくり、静かにアイリスが目を開く。
「…おはよう、アイリス」
 微笑みかけたレミットに、アイリスは、ややぎこちなくではあったが、優しい笑みを返した。
 そんな二人を見ていたロクサーヌは、再びリュートを担ぐと、静かに部屋を出ていった。
 
「…申し訳ありません、姫さま…」
 先ほどまでも二人で一緒にはいたが、今は現実の世界だ。レミットも剣を持ってはいないし、無論アイリスにも戦意はない。
「アイリスは…あいつのこと…」
 夢の中にアイリスが閉じ籠もりきり、という状況は打破したものの、その元々の原因となった事項についてはまだ解決したわけではなかった。が、そのことを問うレミットに、アイリスは、少しの寂しさを含んではいたものの、それでも晴れやかな笑みで答えた。
「…私は…もう、いいんです」
「アイリス?」
「姫さまのことが、大好きだから…。
 それに、あの人のことも、好きだから。
 大好きなお二人に幸せになって頂くことが、私には何よりの幸せです。
 だからね、姫さま。
 絶対に、絶対に、幸せになって下さいね。
 姫さまが私のことを好きでいて下さるのなら、それが私のためだと思ってください」
 アイリスの中ではもう結論の出たことなのだろう。その笑みに迷いはなかった。
 レミットもまた笑顔でうなづくと、アイリスにそっと抱きついた。
 アイリスもまた、そんなレミットの背に、優しく腕を回した。
 
<To Be Continued>
 

 
PENALTY STAGE あとがき
 
 どーも、もーらですー。
 書く前から私自身楽しみにしていた「アイリス・イン・ワンダーランド」をお届けします。
 アイリスasヤガランデということで、今回のお話はいわゆる「夢オチ」にしようというのは最初から決めていました。が…こーゆーの、夢オチって言うのか?
 このお話における「夢の世界」は、「異世界セフィー□(←あまり伏せ字になってない)」あるいは「アストラル界」のような世界になっています。だからアイリスさんの強さはあの世界だけのものであり…現実のアイリスさんがどのくらい強いのかは、未だ謎のままなのです(笑)。
 今回の再現ポイントは、「コンティニューするとちっちゃくなるアイリスさん」これを再現するためには姫さまには負けて頂かなくてはならなかったわけですが…うぅん。1コインクリアもさせてあげたいなあ。これからどうしよう。
 あと、アイリスさんの心情についてはかなり消化不良です。好きな人がレミットとかちあったら譲るだろう…くらいの目標点はあったのですが、うまく持っていけたかどうか、自分でもかなり疑問なのです。でも、納得行くまで書き直してるといくら時間があっても足りないし…という妥協の部分が結構あるのですが、ご容赦下さい。
 さて、次回ですが…予告はなしです。なぜなら、このあとがきを書いてる時点でSTAGE6はもうできてるから。予告はキャンセルして、すぐ本編をどうぞ。
 

 
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