1万年前~800

地質年代 氷河年代 世界 地球・世界 単位
万年前
暦年 日本 朝鮮半島 中国
ヤンガードリアス期(寒の戻り) 後期旧石器 後期(新人) ヤンガードリアス期(寒冷の戻り)
小麦の栽培開始
第4期完新世








縄文時代
草創期 1.29 10900 ヤンガードリアス バイカル湖からモンゴロイド人南下=ハプログループA
「北方民族説」(安田)旧石器・縄文人はバイカル湖→北海道、華北→朝鮮半島から移動した
伊藤俊幸 HP「日本人の起源」 日本人成立のモデル 
中石器 前期 ムー。アトランティス大陸消滅
割石器に大量の武器の製造
1.15 9500 華北人(古モンゴロイド、バイカル湖人の祖)南下→古朝鮮人→西日本へ  
バイカル湖人(古モンゴロイド)南下→北海道、東日本へ 『北ルート』
ハプログループN9a G(主としてアイヌ)北方ルート経由 Y染色体ハプログループC2 <日本人になった祖先たち>
シベリア原住民・日本・アメリカ大陸移動
N⇒R⇒J農耕(j小麦)
とともにヨーロッパへ
シュメール・クレタ文明
マンモス絶滅
1.0 8000 日本列島大陸から分離
N⇒R⇒B⇒B4 東南アジア 熱帯ジャポ
ニカ?
長江流域稲作開始
黄河流域アワ開始
中期 早期 9000 7000 竪穴住居に住む、動物、魚を捕る生活、貝塚できる。
石の包丁、弓矢が作られる
鹿児島上野原遺跡 (南方説)
インドに中東から農耕が流入<日本人になった祖先たち> 8000 6000 黄河・長江文明
海面上昇(縄文海進) 温暖化→海面上昇(縄文海進)
レバノン杉の伐採進行
7000 5000 関東平野再び海に 日本海 環日本海交流 長江下流域で稲作開始②
エジプト先王
サハラ砂漠は草原
6500 4500 磨製石器、土器
後期 メソポタミヤ文明
ノアの箱舟
ハプログループB・P・Q 太平洋の諸島に展開
前期 6000 4000
寒冷・乾燥 新石器 メソポタミヤ国家
ベーリング海峡水没
5500 3500 三内丸山遺跡
中部地方の山岳地帯に多くの人が住むー井戸尻遺跡 八ヶ岳の洪積台地に展開
かそり貝塚など大きな貝塚ができる
人口26万人

長江水田作
寒冷化=35度以上で乾燥、
大河のほとりに都市国家
エジプト文明
インダス文明
シュメール文明(メソポタミア、チグリス、ユーフラテス川)に都市国家
インド・ヨーロッパ語系民族の登場
ヨーロッパ新石器時代に
エーゲ文明
シュメール人都市文明
中期 5000 3000
エジプト王国(古国王bc2500~2000
セム語族(エジプト語系民族
4850 2850
4700 2700 寒冷化により人口減少 7万人に
東日本から西日本で住居跡増加
エスキモー文明
金石過渡期 バビロニア第一王朝 4100 2100 黄河都市文明
エーゲ海クレタ文明
エジプト王国 中国王(BC2000~1500 黒いピラミッド)
寒冷・乾燥化
アーリア人(インド・欧州語族、イラン・中央アジアステップの遊牧民)の侵入、
インダス文明崩壊。更にインドへ
インドに北方集団の流入、現地人(南方集団)との混血開始<日本人になった祖先たち>
後期 4000 2000 八ヶ岳西南山麓から東京湾岸の貝塚文化、千曲川など河川の流域に移行
夏 夏
長江文明 畑作牧畜民に追われる⇒漢民族の拡大
夏人=南蛮で、稲を作り船に乗って海洋や河川を航行する人々=長江民族が黄河まで遡って、突き当たったところ(洛陽)で都市を建設
青銅器 3900 1900 箱根新カルデラ形成
   メソポタミアでハムラビ法典 3700 1700          
エーゲ海ミケーネ文明繁栄「好戦的な文明) 3600 1600 殷 中国殷(商)王朝
江西省:呉越文化
スキタイ人の大移動
漢民族ポリネシア進行
  古代エジプト新国王(BC1500~1000) ツタンカーメン 古代エジプト第18王朝の王に 3300 1363          
ドーリア人によりミケーネ文明滅亡 3200 1200
釈迦誕生 3027 1027 周 周王朝
モーゼエジプト脱出(キリスト教誕生)
ポリネシア人の太平洋展開
3000 1000
無文土器,
水稲開始
鉄器 ソロモン
王フェニキア人
2900 900 九州に稲作(初期弥生との見方も)⑩
   中央アジア 最古の遊牧騎馬民族国家 スキタイ(BC8世紀~BC3世紀)<日本人になった祖先たち>
古代ギリシャ人 ポリス形成
  800           
都市ローマ ポリス
ローマ建国
753 中・南地域で水稲栽培、青銅器
石室、箱形石棺墓、支石墓
   イスラエルアッシリアに滅ぼされる⇒アッシリアオリエント統一   722          
古代灌漑農業(塩害の発生)
から天水農業(誰にも依拠しない、
私が一所懸命働けばよい
⇔井戸や水は私有財産)
700 東北地方で亀ヶ岡文化、遮光器土偶<日本史と世界史並列年表PHP以下⑪> 春秋時代 畑作牧畜民の退去して南下⇒春秋・戦国時代(晋・宋・秦・楚・呉・越)
660 神武天皇即位(日本書紀)
イスラエル国滅亡⇒バイロン捕囚 586 水田稲作技術渡来(菜畑遺跡)
汽水湖の出現、入り江の出現 渡来人 スサノウノの尊 八岐大蛇(原住民)の殺戮  武器としての鉄器の伝来 たたら⑩
釈迦誕生 563
アケメネス朝ペルシャ帝国オリエント統一  525
551 孔子誕生
老子(長江)誕生
   ペルシャ戦争~449⑪
490 マラトンの戦い
ペルシャ(フェニキア人)とギリシャ都市国家とのギリシャにおける戦い→都市国家軍の勝利=アテネの民主制の確立へ
オリエント専制に対するポリス民主制の勝利
    500          
晩期 496  呉人亡命 安曇族 福岡志賀島へ(安藤)
 
呉越戦争
ソクラテス・プラトン
天水農業=二圃制農業
(2年に1回しか収穫できない)
⇒ヤギ羊の放牧⇒
農地の荒廃化進む
⇒エーゲ海は死海に
473 越呉を滅ぼす⇔北上し山東半島(現青島付近)を都とす
   431 ペロポネソス戦争 アテネデロス同盟とスパルタペロポネソス同盟との戦争スパルタ勝利、アテネ長期的に衰退   431          
384 アリストテレス
穀物の輸入
2400 400頃 北陸に稲作伝播、各地に環濠集落 戦国時代 戦国時代
359 ※鉄や青銅器の武器などを使った戦闘が九州北部を中心に起こる(恵美)
エジプト王国 末期(BC300~31)クレオパトラ 333 越人亡命 天つ神系(アマテラス)⇔国つ神系(縄文系)(太陽信仰) 
渡来人日本に水稲とともに渡来北九州で稲作はじまる(弥生人)
ミトコンドリアハプログループD4、Y染色体ハプログループO2(日本人の20~30%)=華南由来の日本への流入<日本人の祖先となった人たち>
北部から鉄器の使用 楚、越を滅ぼす⇒越人四散
     マケドニアのアレクサンドロス大王東征 アケメネス朝ペルシャ帝国滅亡⇒西アジアでの種族間の抗争へ 遊牧民の南下   334          
        300頃   九州北部と北海道に鉄器、九州北部に青銅器広まる

3~4世紀頃 吉野ケ里に大規模な環濠集落⑪
吉野ヶ里、唐津市宇木汲田遺跡から吉林省、朝鮮半島南部の遺跡と同じ「多紐細文鏡」(鉛ガラス)や甕棺の出土、⇒燕に朝貢し、下賜された鏡ではないか⇒戦国時代に渡来した倭人による朝貢ではないか
「倭人は呉の始祖呉大伯の子孫なり」(晉書))<古代倭王の正体>
       
     アウリヤ朝~前180   317           
     アショーカ王即位   268           
     ポエニ戦争 ローマとカルタゴ人(ポエニ:フェニキア人)との戦争 ポエニ滅亡 ローマの覇権→ローマの奴隷に   264          
     遊牧系アルサケス ペルシャの北に安息国建国⇒大月氏(休蜜:やすみしし大君=天皇家のルーツ?
銅鐸を持って中国江南に南下呉・越戦争後南九州に渡来東征しヤマトに?)<古代倭王の正体>
  224           
弥生小海進 221 秦 221 秦始皇帝 燕を征服し中国を統一
徐福伝説 万里の長城 郡県制度
人口 6千万人程度(岡田)
219
弥生 早期 2200 200 山口県土井ケ浜遺跡:背の高い人骨から朝鮮半島からの渡来人の墓(半農半漁)
「楽浪郡の海のかなたに倭人がいる。百余国に分かれていて、毎年、楽浪郡に朝貢の使者を送ってくる」(漢書:地理誌)奴国と伊都国の王?(恵美)
南部で鉄器の使用
貨幣(燕 明刀銭)
前漢 202 楚漢戦争・垓下の戦い、(四面楚歌)劉邦の勝利(楚敗北)
郷土に追われた月氏、安息国に侵入大夏を支配下に 195 衛氏朝鮮 衛満匈奴に敗北朝鮮に逃れる→衛氏朝鮮
                 
                 
      180          180 前漢(高祖劉邦:文帝)
      154          154 呉楚7国の乱諸侯の乱、鎮圧 一層の中央集権化
      141           141 武帝即位 全国統一 郡県制度
政府収入:祖(農産物現物)
皇帝収入:税(商人、通行税)
   クシャーナ朝 カニシカ王即位
ガンダーラ美術
  130          
      111          111 広州を首都に、越南欧国征服
108 原三国時代 前漢武帝 衛氏朝鮮を伐つ、朝鮮を定め4郡となる(史記)(楽浪・玄と・真番・臨屯)
原三国時代(楽浪郡、馬韓・辰韓・弁韓)⇒中国華僑により、日本への交易拡大(岡田)
*郡県制
県:蛮地に建設された中国人開拓者の橋頭堡(城壁に囲まれ、民は祖を収め、労働と兵役の義務を負う
郡:軍管区 「太守が司令官」
前期 2100 100 稲作と斤金属を使う弥生様式
      82  倭人 漢楽浪郡に朝貢
「倭人の住む島は楽浪郡の海中にある」(漢書地理誌八下)<古代倭王の正体>
   真番郡廃止、楽浪郡に編入 漢の直轄地は楽浪郡のみ~AC313<古代倭王の正体>    内乱により人口減少へ(6千万人から数百万人に)
   ローマでスパルタクスの乱(ローマ市場最大の奴隷の反乱)   73          
      50頃   九州に奴国(なこく)と伊都国        
   カエサル暗殺される⑪   44          
37 チュモン王 高句麗 建国
   オクタヴィアヌス、アクティウムの海戦に勝利する⑪ 古代エジプト滅亡     31          
        19  扶余族「騶」 漢の支配地である北九州を避けて出雲族(大物主・大国主・大穴持)を征服開始?<古代倭王の正体>        
中期 2000 0 大陸から鉄器が伝わり工具や農具が使われる
青銅器、銅鏡、銅剣
高床式、貧富の差
       8          王莽新を建国
       20  「楽浪の海中に倭人あり、別れて百国となる。歳時をもって来たりて献見す」(漢書、地理誌)        
23 長野県内に稲作伝播
北九州⇒濃尾平野から下伊那地方⇒松本平⇒善光寺平へ
北九州の「遠賀川式(おんかがわ)土器」が林里遺跡(豊丘村)、小沢原遺跡(木曾町)、松節遺跡(長野市)から出土(長野県歴史の舞台)
後漢 後漢(光武帝)
国力は徐々に回復し、人口は数百万人から年率2%で増加(岡田)
      25      高句麗王後漢に朝貢 冊封    
   30年頃 イエス イェルサレムで処刑される⑪   30          
57 「漢委倭国王」金印紫授
「倭の奴国(なこく)が貢物をもってきた、奴国は倭国の最南端である。光武帝は奴国王に印綬を与えた」(後漢書:東夷伝)
後漢の人口減少に対応し、楽浪郡の衰弱化
穂高神社(安曇族が入植地を斡旋。交易量拡大
吉野ヶ里遺跡 弥生前期から後期 中期には甕棺、高床倉庫穂高神社(安曇族が入植地を斡旋。交易量拡大島根県 荒神谷遺跡、加茂岩倉遺跡 銅剣・銅鐸が大量に埋設
四隅突出型墳丘墓
後漢の衰弱=楽浪郡の衰弱=伽耶の鉄器輸出、九州から北陸・瀬戸内海・近畿に拡大⑩→日本、出雲、吉備などの海運にたけた勢力の台頭(恵美9
            61   年代復元した場合の 神武即位 57年の倭奴国王を想定<日本書記の年代復元の要点>      
            97   日本書紀 崇神天皇      
            98   年代復元した場合 安寧即位      
寒冷化 古代 79.8.24 or 11(秋) ベスビオス火山が噴火 ポンペイ埋没⑪ 後期 1900 107 倭の奴国貢を奉り朝賀す」「安帝の永初元年。倭の国王師升(すいしょう)等、生口(せいこう)百六十人を献じ、請見を願う」((後漢書:東夷伝)<古代史講義以下⑬>
倭国は吉備⇒倭国大乱を平定 卑弥呼を盟主に近畿邪馬台国にヤマト王権を樹立、<激変日本古代史>
倭国王は伊都国王、東征(倭国大乱)して、卑弥呼が邪馬台国を形成<激変日本古代史>
104 黄巾の乱勃発
                   
               105    105 官官蔡倫製紙法を発明・改良⑪
96~180ローマ帝国5賢帝⑪ 終末 150 倭国乱れる(倭国大乱)
寒冷化により人口減少 7万人に 疫病・飢餓→戦乱→調停者としての卑弥呼⑩
「その国、本また男子を以て王となし、とどまること7,80年。倭国乱れ相攻伐すること暦年、すなわち共に一女子を立てて王となす。名付けて卑弥呼と曰う」[鬼道にるかえてよく衆を惑わし、年すでに長大なるも夫婿なき」(三国志魏志倭人伝」
*鬼道:陝西の南部から四川の東部にかけて宗教共和国を建設した五斗米道教団の神々⇒卑弥呼は単なる倭人の女シャマンなどではなく、中国商人が日本列島に持ち込んだ秘密結社組織の祭司(岡田)

国譲り神話?(恵美)タケミカヅチ(高天原)、タテミナカタ(出雲)を投げたばす。タテミナカタは諏訪に逃げる「もうこの諏訪から一生出ませんのでどうかお許しください。地上世界は神々(髙天原)に献上いたします=ヤマト王権に服従する地方豪族の典型
「国に轍を出し、韓・倭はみな従いてこれを取る。もろもろの市買(しばい)みな銭を用いること、中国の銭を用いるがごとく、またもって二郡(楽浪・帯方)に供給する
(魏志東夷伝辰韓)
150年頃 大乗仏教起こる⑪
150 唐卓の専横政治始まる
         鳥取県青谷上寺地遺跡 ほとんど(36/37)が弥生人のミトコンドリア遺伝子をもつ弥生人(中国)、頭に矢じりの跡。鉄製品も出土⇔多数の渡来人の可能性、倭国乱れるとの関連性、出雲地域における渡来人による侵略?        
      184   天竜川水系 中島式土器(回転台使用)、打製石器←硬い河岸段丘での農作業
千曲川水系 箱清水土器(回転台なし) 木製農具←沖積地での農作業(長野県歴史の舞台)
   半島の中国人は南方の真番群に避難⇒華僑に  三国 黄巾の乱 太平道の教祖張角が起こした農民反乱⇒三国時代
「蒼天はすでに死せり、黄天はまさに立つべし、歳は甲子に在り、天下大吉ならん」
      189   倭国王に代わり卑弥呼と公孫度と交易

纏向遺跡(180年~220年)<石野博文、wikipedia>
福岡県糸島市 平原遺跡 
   南満州遼東半島の軍閥公孫度(こうそんたく) 楽浪郡を接収、    五斗米道共和国(~215)
      204       公孫康(こうそんこう)漢口の渓谷(現ソウル)に帯方郡を新設⇒半島の中南部から日本に通じる貿易ルートの開拓      207 
      207          三顧の礼 劉備諸葛孔明を軍師として迎える
      208           赤壁の戦い
      209      高句麗 丸都城に遷都    
                 
220 小国21(吉野ヶ里遺跡) 曹操死亡
魏建国 3国時代に⑪
      221          劉備職の皇帝に
       222          劉備、関羽の共来合戦で孫軍に大敗
       223         劉備死去 
       227          孔明 魏へ遠征を開始
      228          劉備 泣いて馬謖を斬る
226 ササン朝ペルシャ建国
      229          大月氏(クシャン)王(波調:カニシカ王の二代あと)の使者来魏 親魏大月氏王を冊封 
      229          呉の孫権 皇帝を称する
      232        
      234 ※北九州、出雲、吉備、機内(邪馬台国・卑弥呼)、東海に広域にクニをまとめた連合体が形成される        五丈原の戦い 諸葛亮孔明死亡 「死せる諸葛が生ける(司馬懿)仲達を走らす
239 卑弥呼(邪馬台国=秦王国=長州付近(岡田)に居住) 帯方群を通じて魏に朝献、新魏倭王の称号と金印・紫綬、銅鏡壱百枚を拝受⇒親魏大月氏王とのバランス措置 
銅鏡を「三角縁神獣鏡」に着目(1950年小林行雄)<足立倫行:激変日本古代史>→同范鏡が500面以上出土2級品であり、方格規矩鏡などに着目すべき<中央公論編:日本史の論点>
「原の辻=三雲貿易」 伊都国には諸国を検察を任務とする「一大卒」が置かれ、糸島地域を中心とする港湾の交易秩序の維持
諸国は「一大卒を畏たんした」<⑬>)
出雲山持遺跡でもぬくと式,三韓式に加え、楽浪土器が出土、韓半島との一大交易拠点<⑬>
魏 楽浪・帯方郡を接収 魏(明帝)司馬懿に公孫淵討伐を下令⇒楽浪・帯方郡を征服⇒東北アジアは司馬懿の地盤に
      246       高句麗 魏との交戦 平城に遷都    司馬懿 高句麗征服 卑弥呼の大夫難升米に黄どう(軍旗)を授ける
      247 卑弥呼死去→卑弥呼死亡後再び国乱れ、壱与再び平定    高句麗 新羅と対魏同盟→以後高句麗百済への南下政策に    
    ⑩崇神  248  崇神即位<日本書紀の年代復元の要点>
神武東征<記紀><古代倭王の正体> 
       
      249          司馬懿クーデター 全権掌握
   ササン朝エディッサの戦いでローマ皇帝を捕虜とする=ローマ軍人皇帝時代の弱体化   260          
      263          魏 蜀を併合
265 晋 晋(司馬炎:武帝)の中国統一
          266  「倭の女王」台与(とよ)帯方郡を経由し使節団洛陽に<古代史講義>        
古墳 前期 渡来人 秦氏
Y染色体ハプログループO1b(日本人の30~40%)、朝鮮半島、華北のタイプの流入?<日本人の祖先となった人たち>
                 司馬炎 晋を建国 魏滅亡
      270  日本書紀 応神即位        
278 安曇連の祖大浜宿禰 三国志東夷伝(魏志倭人伝)陳寿(司馬昭の秘書官)
      300  博多湾を中心とする韓半島との貿易最盛期(3~4世紀)その後衰退博多湾に依拠しない交易体制に移行(古代史講義)

高句麗の南下→博多湾~山陰交易ネットワークの解体→機内主導の交易システムへ。機内ヤマト王権と伽耶地域を中心とする交易<古代史講義>」
       趙王・倫の乱、八王の乱⇒晋実質的に崩壊(岡田)
西ローマ帝国 301 10代崇神天皇 ヤマト王権初代(日本書紀)
304 5胡十六国 五胡(5種の胡人=西北騎馬民族)十六国の乱 人口の減少(5千万人から5百万人に)
      311          匈奴軍、洛陽を占領
   ミラノ勅令(コンスタンティヌス帝 ローマキリスト教公認)   313     中国内乱により朝鮮半島から撤退(楽浪・帯方郡の消滅)⇒高句麗建国     
      317          晋滅亡、司馬えい東晋を起こす
318 崇神天皇没(日本書紀)
  グプタ朝~550
ヒンズー教 
  320          
  ニケーア公会議 アタナシウス派の考えを正統とする⇒後三位一体(父なる神、戸なる神、聖霊の三者を同一とする説として確立    325          
346 漢字伝来(古事記) 百済建国(近仇首王)(←馬韓)
350 300~350 ヤマト王権(大和朝廷)統一←「古事記・日本書紀の記述により王権の正統性が担保された国家組織」(恵美)⇔伽耶(加羅)との交流大⇔弥生人
「氏姓制度」 氏=血縁、姓=豪族の地位、政権内の序列を示す称号。臣=中央有力豪族、=軍事、特定の仕事を持つ豪族、君=地方の有力豪族
三国時代
356 新羅建国(奈勿王(なこつ)(←辰韓)
弁⇒伽耶諸国)
362 仲哀天皇九州王朝と戦い敗北(日本書紀)
皇后=神功皇后(日本書紀)
363 高句麗楽浪郡を滅亡させる
369 日本軍新羅を破り、朝鮮半島の南部を支配(任那の成立)? 仲哀天皇=仁徳王(岡田)
神功皇后三韓出兵神話(住吉の三神を守り神として新羅を内に船団を組む。→新羅王戦わずして降伏、百済・高句麗王も降伏。この戦いで応神が生まれる)(恵美)
      371      百済 高句麗平城に侵攻(故国元王戦死)(恵美)    
372 河内王朝仁徳王(岡田)百済王から7支刀を授かる(書紀では252:神功皇后52年)⇒倭の5王は中国内乱のため百済と連携(岡田)
奈良県石上神社から発見
鉄を求めて伽耶へ(古代史講義)
百済 東晋と冊封
対高句麗南下政策として河内王朝を公認(岡田)
374

西ゴード人ドナウ川を越境
第一次ゲルマン民族大移動
~568ランゴバルト建国
376 ヤマト王権の関与のもと)宗像沖ノ島の祭祀始まる(ヤマト王権による交易の活発化)<古代史講義>
大和東南部の大型の前方後円墳を頂点として列島各地に古墳が続々と築造、倭人伝から倭国伝に<古代史講義>
高句麗に仏教伝来、律令体制
      377      新羅 前秦に朝貢    
      380  大和から河内にヤマト王権の拠点移動
韓半島との交易の利便性を求めて大阪に<古代史講義>
       
384 百済に仏教伝来
      386          北魏建国
    ⑮応神  390  応神即位<日本書紀の年代復元の要点>        
ローマ帝国キリスト教以外
の宗教禁止
ローマ帝国東西分裂
391 朝鮮出兵(大和朝廷からの傭兵として
大和朝廷伽耶(任那に日本府?
結核流行
渡来人多く、百済から織物・彫刻などの技術伝来(高松塚古墳)
加耶諸国を占領?(鉄器を求めて)
「倭国鉄を出ず、韓濊(ワイ人)倭 皆従って之を取る」
      392      広開土王即位(恵美)    
   ローマ帝国 東西分裂⇒カトリックと東方性正教会に分裂     395          
        396  森将軍塚古墳(4世紀末)前方後円墳 中国製三角縁神獣鏡 箱型石棺、埴輪円筒棺 ヤマト王権とのつながり、~6世紀まで政治の中心 更埴条理遺跡 屋代遺跡群(天竜川の自然堤防)   高句麗広開土王百済侵略 
   
        399      倭と百済が新羅侵攻、新羅高句麗に援軍要請    
中期 400 ヤマト王権(「河内」)の勢力衰退→筑紫・吉備・丹波の地方勢力と伽耶諸国との結びつき強化(ヤマト王権独占体制の弱体化)(恵美) 広開土王新羅の要請により倭人と安羅人を攻撃
      404  旧帯方郡に侵攻、高句麗により撃退される   海上で倭人と交戦     
     ⑯仁徳 405  仁徳即位<日本書紀の年代復元の要点>        
      410      東扶余侵略    
      413 東晋(南京)に高句麗長寿王、倭王讃(応神or仁徳or履中)連れ立って朝貢 冊封     高句麗 東晋に朝貢    
5王 414 倭の五王(讃・珍・済・興・武))(仁徳から雄略天皇?)~502
旧豪族による合議制)
北方民族(扶余:高句麗)の南下
高句麗・広開土王碑建立
温暖化 420 ※倭は南宋から冊封(中国皇帝の臣下となること)を受ける  東晋の光武帝宋を起こす→南朝(南京) 5胡により漢民族が中原を追われ南京に都を移す
    ⑰ 履中 421  倭王讃(応神or仁徳or履中)中国南朝宋に遣使<世界史と日本史並列年表>(411?)        
427 仁徳天皇没(古事記) 高句麗 平城に遷都
  エフェソス公会議 ネストウリス派(イエスの人性節)の主張を退け、三位一体説が強化される。   431          
433 新羅・百済同盟成立
      435     高句麗 北魏に朝貢    
      438  倭王珍(反正or仁徳)中国南朝宋に遣使「安東将軍倭国王」となる<⑭世界史と日本史並列年表>(431?)        
439 南北朝時代       北魏華北を統一 南北朝時代
  アングロサクソン族 移住開始    449        
   中国の僧法顕インドグプタ朝へ
グプタ朝
サンスクリット語、ゼロ、10進法の発明
  450        
  フン族アッティラ王、カタラウヌムの戦いに敗れる 
フン族アッティラ大王はドナウ川を渡河し、西ヨーロッパに侵入、対して西ローマ帝国・西ゴード王国などゲルマン諸国連合が迎え撃ち撃破。
フン族の移動がゲルマン民族の大移動を誘発⇒中世前期へ=ゲルマンが侵略した暗黒時代
 ⑱允恭 451  倭王済(允恭)「使持節 都督倭・新羅・任那・加羅・泰韓・慕韓6国諸軍事安東将軍倭国王」となる<⑭世界史と日本史並列年表>(443?)      
456 雄略天皇(天皇独裁制) 地方豪族の排除
(親大加羅政策)
高句麗、百済漢城を陥す 北魏(→北朝
⑲安康 462 南朝に使者(宋書倭国伝)
倭王の世子興(安康)「安東将軍倭国王」となる<⑭世界史と日本史並列年表>
道教
      463     高句麗 宋に朝貢   
      471 雄略天皇(埼玉県稲荷山古墳の剣から判明)(恵美) 
「おおはせのワカタケル大王」の銘が刻まれた鉄剣
巨大古墳群の出現→大王権力の確立<古代史講義>
     
      475      百済漢城陥落 高句麗に併合(高句麗長寿王)  
     ㉑雄略 476  雄略即位<日本書紀の年代復元の要点>      
中世へ ゲルマン人の大移動⇒傭兵隊長オドアケルにより西ローマ帝国滅亡
カトリックの権威を政治に利用⇒暗黒の中世に(魔女狩り
476 前方後円墳天竜川水系に移行
善光寺平 積石塚古墳群(大室など)⇒ヤモト王権の政治的主導のもと信濃に渡来人(高句麗)が多数配置され、牧を経営(長野県歴史の舞台)
百済熊津(ゆうしん)(光州市)で復活→九州北部から傭兵

         479  倭王武(雄略)宋に遣使し、「使持節 都督倭・新羅・任那・加羅・泰韓・慕韓6国諸軍事安東将軍倭国王」となる<⑭世界史&日本史並列年表>      宋滅亡し、斉建国
   フランク王国建国

ゲルマン民族の建国
西ゴード人:イベリア半島
東ゴード人:イタリア
ブルグンド人:南西フランス
フランク人:北西フランス
アングロサクソン人:ブリテン島
    481        
   フランク王国クローヴイスキリスト教正統派アタナシウス派に改宗⇒ローマカトリックとの関係性強化     496        
メキシコティオティワカン文明最盛期<⑭> 後期 500
      503  男大迹(おおどの)王(継体)百済武寧王から鏡が贈られる      
㉖継体 507 継体天皇(越出身)(親百済) ⇒越前王朝(岡田)河内樟葉宮で即位
越=長江水郡で滅亡
日本書紀の年代
  フランク王国~750年
(ゲルマン系フランク人のサリー・フランク族が建てた王国) メロビング朝 カール大帝(大ピピン)パリを首都に
  508        
      512  ヤモト王権 百済中国文化導入の窓口として仏像・儒学者・易学者、医師、薬剤師、音楽家を招へい(恵美)
北魏へ朝貢 安東大将軍取得
   百済 ヤマト継体王に働きかけ 伽耶の西半分(任那4県)を割譲→百済の親日政策→東半分は新羅が吸収(532)  
522 百済聖明王(日本に5経博士を送る)
      52   継体王大和に拠点を移す<nhk男達の選択>      
東ローマ(ピザンツ帝国)ユスティニアヌス1世即位
「ローマ法大全」編纂
527 地方首長(国造)筑紫君 磐井の乱(ヤマト政権、九州を平定、安積族衰退)←九州に屯倉(直轄地)を置く⇔大和中央集権体制の確立<NHK男たちの選択>
ヤマト=新羅に領有された任那を復興するため挙兵、対して岩井・九州連合軍と新羅が結び氾濫
国造制の確立<古代史講義>⇔国造の成立は7世紀<⑭>
         宣化 530 宣化天皇      
          532     新羅 金管国を併合  
          534       北朝 北魏・東魏・西魏に分裂 
          536 蘇我稲目 大君に 
 見瀬丸山古墳(奈良県最大)
     
飛鳥 538 武蔵国造りの乱 ヤマト政権、国造りの争いに介入→「屯倉」を」設置、地方支配が一層確実に<古代史講義>
百済聖明王が仏像・経典を伝える仏教公伝(元興寺縁起、上宮聖徳法王帝説) 
百済扶余に遷都
    欽明   539  欽明天皇(蘇我の娘を妃に)      
550頃 インドのグプタ朝滅亡→606年バアルダナ朝の統一まで小国に分裂

ピザンツ帝国蚕卵がもたらされシルク製品の製造始まる<⑭>
552
ヤマト政権の伽耶に対する影響力の低下<古代史講義>→大伴連金村非難され失脚=蘇我氏と物部氏との対立へ
仏教伝来(日本書紀)(蘇我 欽明天皇に金銅性の仏像を贈り、仏教導入を進言)
仏教を巡り廃物論争起こる<⑭日本史&世界史>→物部守屋 廃物派の勝利

538年の説もある<古代史講義>
倭国との同盟関係を切望 柔然、部族連合である突厥可汗国(突厥帝国などと呼ばれることもある)を建て、モンゴル高原中央ユーラシアの覇者となる
   ビザンツ帝国ユスティニアヌス1世 東ゴード王国(イタリア)を滅ぼす   555        
562 天皇家百済との親交を深める
任那4県の割譲など、百済とヤマト政権の結びつきを強化するも、新羅に吸収される<古代史講義>
 加耶諸国新羅に吸収→3国時代に
   ゲルマン人 北イタリアにロンバルト建国
第一次ゲルマン人移動終了
 568          
      570  ヤマト政権と長年対立してきた高句麗との間で通交始まる<古代史講義」>      
敏達 573 敏達天皇(反蘇我親物部) 蘇我馬子
574
577 王興寺建立
      581       隋   文帝
当初仏教と道教を平等に再興。次第に仏教に熱中する
      582          突厥帝国東西分裂
      583  天然痘の流行→守屋 馬子を責め、仏像を難波の堀江に廃棄、仏塔も焼失        長安に遷都 群生を廃止、科挙開始
用明 585 用明天皇(蘇我稲目の娘堅塩媛=欽明天皇の皇后の子)
物部守屋 仏殿を焼き仏像を捨てる
疫病が流行 仏教に反対した物部により蘇我稲目の寺を焼き 仏像は難波の堀江に廃棄=廃仏派の勝利<⑭>
崇峻 587 崇峻天皇(藤木古墳=渡来人?)(蘇我稲目の娘小姉=欽明天皇の皇后の子)
丁末(ていび)の乱 蘇我馬子、厩戸 物部守屋を滅ぼす<⑭>
用明天皇後継者紛争
蘇我馬子大臣に合議制の頂点に⇔物部守屋を大連から排斥、権力を掌握<古代史講義>
大臣蘇我氏(神武系:仏教擁護、百済渡来人との関わり大)が大連物部氏(旧豪族:出雲系)を滅ぼす
588 法興寺(現飛鳥寺)(鳥仏師:渡来人:釈迦飛鳥大仏) 曽我氏により建立
      588  百済に善信尼を戒律をまなぶため派遣        
589 扶余陥落
      589  東山道、東海道、北陸道に蘇我同族の堺合部を送り、境界を確定→東日本への国造り制度の導入
蘇我氏、宮造りと屯倉制度で実権を掌握<古代史講義>
      南朝、陳北朝隋(鮮卑)に併合し中国再統一(首都:揚州) 
  グレゴリウス1世ローマ教皇に<⑭>
ゲルマン人への布教
グレゴリア聖歌 
  590          隋書
592 馬子(国際派・親新羅) 崇峻天皇(新羅を打ち伽耶再興)を暗殺
「この猪の頸を断るがごとく、朕が嫌しとおもふ所の人を断らむ」と崇峻が言ったことへの制裁(書記)。天皇を殺害したのは史上之だけ=蘇我逆臣節の元<佐藤古代史講義>
推古 593 推古天皇(額田部皇女)(蘇我稲目の娘堅塩媛=欽明天皇の皇后の子)
厩戸王子(聖徳太子)を皇太子・摂政に⇔推古の主体性、馬子の発言力を評価などから�厩戸王子との表現見直しも(聖徳太子の表記は751「懐風藻」に<日本史・世界史並列年表>)
小 治田 宮 に 宇御 す 天皇 の 世 に、 上宮 厩 戸 豊聡耳命、 嶋 大臣 と共に 天下 の 政 を 輔 け て、 三宝 を 興隆 し、 元 興・四天皇 等 の 寺 を 起て、 爵 十 二級 を 制す」(上宮聖徳法王帝説)⇔推古・厩戸・馬子の3人が権力の中心を構成したと理解するのが妥当<佐藤古代史講義>
594 推古天皇 仏教の詔(三宝隆盛の詔)⇔仏教をめぐる対立に終止符公的受容の宣言
飛鳥寺の建立
新羅 隋の冊封を受ける
600 第一回遣隋使「日出づる処の天子、書を日没する処の天子にいたす。恙なきや・・・」←馬子(全方位外交)主導
倭王阿毎多利思比孤(あめのたりしひこ)が髄に遣使する(隋書)、日本書紀には記述なし<⑭>「隋の皇帝に従属しない」「対応の外交関係を外交の基本方針<日本史の教科書>
煬帝「蛮夷の書に、無礼なものがあれば、今後は上聞するなかれ」と命じる
      601 斑鳩(いかるが)宮         
      602 聖徳太子 新羅出兵を計画→欽明天応の遺言「攻撃型強行外交) に   高句麗から対新羅対策として僧恵慈渡聖徳の仏教の師     
602 本田善光 難波の堀江で釈迦三尊を拾い、麻績の里(坐光寺)に安置 日野出天使・・
      603  冠位十二階を定める 徳・仁・礼・信・義・智*大小で個人の能力に応じて授与
厩戸と蘇我馬子は授与する側で、大臣には紫冠、従来の合議制の議長として王権を代行できる特別の地位に→蘇我以外の従来の群臣層の相対的地位の低下→蘇我氏の孤立化へ<古代史講義>
氏姓制度から冠位制へ、豪族(世襲制)から官僚(個人の能力主義・人材の登用)<日本史の教科書>
       
604 聖徳太子17条の憲法
      606 法興寺 釈迦如来像完成         
607 倭王多利思比孤(アマ・たらしひこ(彦)・オホキミ)の使い小野妹子遣隋使」「東の天皇が、謹んで西の皇帝に申し上げます」「海の西の菩薩天子が仏法を再興していると聞いたので、使いを遣わして朝礼に参加させる」(日本書紀)→朝貢のみで、冊封受けず 
→
法隆寺
      608 小野妹子に随伴して隋の使人裴世清(はいせいせい)(裴清) 来日、倭王多利思比孤を謁見(隋書)→男性の王→馬子⇔推古        
ムハンマドによりイスラーム教成立 610
      612      隋高句麗へ出兵    
618 唐 唐建国←隋 高句麗侵略戦争に敗退し国力衰退
      620 馬子 「天皇記」「国記」編纂         
                 「周書」
7.16 遷都(ヒジュラ)ムハンマド メッカからメディアへ移住←メッカのクライシュ族など大商人から迫害を受け(多神教と唯一神、偶像廃止で対立⇒イスラーム教団「ウンマ」~「イスラム教でつながる社会」の形成 622 聖徳太子没
      626  馬子没、蝦夷大臣に        唐太宗李世民 貞観の治
     舒明 628  推古没 蝦夷は敏達の孫の田村皇子を推挙し、厩戸王子の息子の山背王子の擁立した堺部摩理勢(さかいべのまりせ)を殺害 
舒明天皇 飛鳥岡本宮
       
629 万葉集(第一期)
630 第一回遣唐使
                 玄装のインド旅行
  630 ムスリム(イスラム教団)軍、メッカ奪還⇒カーバ神殿の像をすべて破壊イスラム教の聖地に     630          モンゴル高原にて突厥帝国(チョルク)を征服
      631  百済皇子豊璋が人質として来日<⑭>        
  正統カリフ時代~661    632          
  634 イスラム教徒メソポタミアに侵攻 ササン朝ペルシャ滅亡 ウマイヤ朝     634          
  第二代正統カリフのウマルがイエサレムを征服    636          
639 百済大寺建立 弥勒寺建立
  イスラーム勢力がエジプトを征服    641          
ニハーヴァンドの戦いでイスラーム軍がササン朝に勝利する=ササン朝の滅亡 皇極 642 皇極天皇 飛鳥板葺宮 麗済同盟 高句麗と百済が新羅を攻撃するために軍事同盟
皇極天皇の勅命により、尊光上人芋井の里に善光寺を開山
643 蝦夷大臣紫冠を入鹿に禅譲<古代史講義>
入鹿(全方位外交派) 聖徳太子の息子山背大兄皇子(加羅再興派)暗殺、斑鳩宮、上宮王家を抹殺
      644  入鹿 甘樫丘に私邸建設、蝦夷館を「上の宮門(みかど)」    644 唐 高句麗へ出兵  
      645  6.12 乙巳(いっし)の変
 
中大兄皇子(後天智)と中臣鎌足(大化の改新で藤原鎌足)、蘇我入鹿を殺害
 古人大兄皇子を擁立する入鹿勢力と軽の皇子・中大兄皇子を擁立する勢力との皇位継承クーデター<古代史講義>
 豪族政治に戻った蘇我氏を王族を親政を目指す中大兄皇子らのクーデター<日本史の教科書>
 飛鳥板葺宮三韓進調の儀で中大兄皇子+中臣鎌足(藤原不比等の父百済皇子?:天皇親政)が蘇我入鹿(親新羅、国際派:中国式律令体制の構築))を殺害、蘇我氏を滅ぼす
「お前(入鹿)は皇子(聖徳太子の息子)を殺して天皇家を乗っ取ろうとしている」(中大兄皇子:日本書紀)
→天皇家による上宮家を抹殺した蘇我への復讐⇔皇極跡目争い(馬子の娘を母に持つ古人大兄皇子(息子)と軽皇子(叔父))→中大兄皇子が軽皇子を操ったクーデター⇔軽皇子(後孝徳天皇)が中大兄皇子(後天智)を使ったクーデター
小山田遺跡(2007。8.25発掘)飛鳥最大級の方墳・石室 蝦夷の墓では
古事記 国譲りの神話の元 大国主=蘇我入鹿、建御雷(たてみかずき)=中臣(藤原)鎌足 王朝の交代
       玄奘、インドよりとうに帰還
     孝徳 645  孝徳天皇(軽皇子:皇極の弟)即位→皇極天皇の息子→中大兄皇子が首謀者であったため皇極から生前禅譲し、隠ぺいした
左大臣;安倍内麻呂、右大臣:蘇我石川麻呂(いずれも、娘を孝徳に嫁がせている)
元号を「大化」に=初の元号
       
646 大化の改新
改新の詔
①公地公民制、②班田収受の法 (6年毎に口分田を班給、良民は2段、条里)③郡司を置く
評=中央から任命され地方官吏に専念する官吏、仕丁=評の下部組織として50戸単位に出すことを義務図けられた雑役夫
旧豪族から天皇制、律令制の画期に、
改新の詔は後大幅に改変されており、大化の改新の存在が疑問視されている<古代史講義>
「大化」の元号が意味する「大いなる風化」とは、「徳の教えを以て、すべての人心を善導する」ことであるhttp://rarememory.justhpbs.jp/abe/abe.htm()
難波の宮への遷都⇔朝鮮半島の緊迫化への対応<古代史講義>
皇極天皇から幸徳天皇に
郡評論争 日本書紀には地方行政組織として「国・郡(こおり)・里」とあるが、大化の改新以前の木簡には「評」とあり、書き換えたと考えられる
年号としての「大化」も「大宝」以後書き加えられている<日本史の論点>
      653 第二回遣唐使、第三回遣唐使(654) 
中大兄皇子、孝徳天皇を難波において、飛鳥に戻る(皇子と天皇の分裂)<古代史講義>)
       651 イスラーム使節がとうに入貢、イスラーム教が伝来
斎明 655 斎明天皇(皇極天皇)
  656 第三代正統カリフウスマーン暗殺    657         西突厥帝国を征服し、シルクロードを支配下に 
      658  阿部比羅夫(征夷大将軍) 磐舟の柵を拠点に蝦夷征伐(恵美)        
660 朝鮮半島から渡来人多数 唐 新羅同盟より 高句麗・大和・百済同盟に対して大艦隊を百済へ派兵 百済滅亡
661 第4代正統カリフアリー暗殺
ウマイヤ朝に
天智 661 斉明天皇百済出兵の為九州へ そこで死去
阿曇比羅夫 百済王子豊章(中臣鎌足?)を伴って百済へ(5,000人)⇒皇極=斉明天皇=神功皇后(岡田)
      662 安曇比羅夫を百済に派遣、余豊璋を王位につかせる         
663 8月 第二次百済出兵(27,000人)→白村江の戦い→日本軍全滅敗戦(安曇族没落)
「ときの間に官軍敗れぬ」(日本書紀)→多くの百済王族・官僚が日本に亡命⇒唐が日本に侵略するのを対抗するため、都を大津に引き下げ、統一国家を建国するとともに、瀬戸内海の防備を固める
      664  甲子の宣 
①官位を26位に拡大
②氏の中から氏上の認定、大刀・小刀を与える
③氏の民部・家部を定める<古代史講義>
   
668 天智天皇(中大兄皇子)即位 大津京
近江令(初の律令)=日本建国(岡田)
「明神御宇日本天皇(あきつみかみとあまのしたしらすやまとのすめらみこと)」と自称することを規程
※大阪府南河内郡国分町松岡山古墳から「船首王後墓誌銘に天皇の王号あり
高句麗 唐・新羅連合軍により滅亡⇒北緯38度以南を新羅王国が統一
      670 安曇連頬垂(あずみのむらじつらたり)を新羅に遣わす(日本書紀) 日本の使者と名乗る
庚午年籍(日本初の戸籍) 
   唐のきび支配に対する新羅の反乱  
      671 大海人 天智からの即位要請を断り、吉野に逃れる 「虎に翼をつけて放したようなものだ」→=息子大友皇子を太政大臣に、天智崩御
「法度・冠位の名は、つぶさに新しい律令(近江律令)に載せてある」(日本書紀、天智天皇記)
       
弘文 671 弘文天皇(大君は神にしませば赤駒のはらばう田井を都となせり) 大友皇子
天武 672 6月 壬申の乱 (大海人皇子(天武)(百済支持)が大友皇子(天智の子)(新羅支持)殺害←天智天皇後継争い
大和武尊は天武がモデル(岡田)
信濃の騎兵が大海人皇子側で活躍→騎馬を軸とした律令制度の基礎を確立→「国牧」へ
      673  天武天皇即位 飛鳥浄御原宮 現人神に 大臣を置かず「皇親政治」<日本史の教科書>        
673 万葉集(第2期)
      675  国司の整備 中央の官僚である国司により評官人を統制へ<古代史講義>        
676 新羅  統一新羅(~935)
      681 日本書紀編纂開始⇒720年完成       
      683 富本銭       
      684 八色の姓制定       
      684  白鳳巨大地震      
687 フランク王国メロヴィング朝の中ビビン二世(カロリング家)実権を握る 持統 686 9月 天武天皇死去
10月 大津の皇子が謀反の嫌疑で自害(大津皇子の変)<日本史&世界史>
      689 飛鳥浄御原令 庚寅年籍 60余国に編成 「科野国」      
      690  持統天皇即位(天武の后)
庚寅年籍の作成
     則天武后 武周建国 
  692 イェルサレムで岩のドームが完成    691  朝廷が大和の竜田風神、信濃の須波・水内などの神をまつらせた(日本書紀)(長野県の歴史)      
694 藤原京へ遷都(橿原市・明日香史)
律令制に対応する都の建設、唐長安をモデル、天子南面 条坊制
697 イスラーム勢力が北アフリカをほぼ制圧
ヴェネツィアが総督を選出し、ビザンツ帝国の直接支配を脱する
文武 697 文武天皇即位(持統天皇草壁皇子の子軽皇子15歳に禅譲)  持統は太上天皇として補佐
         700  律令制に基づく「国牧」(管制牧場)設置      渤海(~926)
高句麗の遺民とツングース系靺鞨(まつかつ)人により建国
奈良 701 大宝律令 郡里制
 律令制の基軸は①官職と位階による官人制②戸籍に基づく公民支配<古代史講義>
      702  遣唐使派遣 「天皇」の名を公式に使用 この後20年間隔で遣唐使派遣<古代史講義>      
      704   国印の制定 科野国から信濃国へ
 10郡「伊那、諏訪、筑摩、安曇、更級、水内、高井、埴科、小県、佐久」(木曽は飛騨国) 
 7街道の整備 東山道 信濃の国は美濃国坂本から神坂峠・阿智・育良・堅錐~長倉~上野国坂本まで
 口分田 稲種は「出挙稲(すいことう)」として貸与。租庸(麻)調雑の税負担
 東山道 神坂(美濃国岐蘇山道)を開く、古事記「科野之坂」、日本書紀「信濃ノ坂」、和同「神坂峠」、鎌倉時代「木曽の坂」
「ちはやふる かみのみさかに ぬさまつり いはふいのちは おもちちがため万葉集巻20防人の歌<上片桐村誌>
     
元明 707 元明天皇即位
      708 和同開珎(わどうかいちん又はかいほう)       
711 ウマイヤ朝 西ゴードを制圧 イスラーム勢力がイベリア半島に進出⇒キリスト教徒による国土回復運動(レジンキスタ)へ 1492年 グラナダが陥落しナスル朝が滅亡し運動は完結する 710 平城京遷都
宮殿が都の真ん中にある藤原京から唐の長安のように都の北にある都を造営<日本史の教科書>
万葉集(第3期)
712 古事記 玄宗即位、開元の治が始まる
イスラーム勢力インドに侵入
     元正 715  百万町歩の開墾計画      
718 養老律令(藤原不比等)
720 日本書紀
       721 信濃国から諏訪国独立(~731)      
723 三世一身の法(親・子・孫までは私有地、その後は天皇領に、良田開発計画)
人口増加→口分田の不足→百万町歩開墾計画失敗→三世一身の法(開墾地について一代~3代の私有地を認める)→墾田永年私財法へ=公地公民制の崩壊へ
聖武 724 聖武天皇
藤原不比等の子宮子の子、同じく不比等の子光明子が妻→乙巳の変以後天皇家の親政が続いたが、皇族でない人を母とする天皇の誕生
  726 ピザンツ帝国のレオン二世、聖像禁止令→キリスト像を破壊    726        
      729 21xczs 長屋王の変 長屋王 藤原不比等の子 四子(しし)により自殺に追い込まれる      
731 信濃国統一
  732 フランク王国の宮宰カール・マルテルウマイヤ朝軍を破る(トウール・ポワティエ間の戦い)→イスラームとカトリックとの闘い ⇒イベリア半島にはイスラム勢力が残る            732 
737 疫病(天然痘)の流行 藤原4兄弟など死亡
741 国分寺・国分尼寺の建設、鎮護国家思想
     天平15 743  墾田永年私財法  
 貴族・豪族による開墾、小作人を扶養→「初期荘園」~「公地公民」から私有財産、「余裕のあるものは副輸入を得てますます豊かになり、余裕のない者は土地を手放し、雇われ人になって貧苦に苦しむ」貧富の差の拡大へ<日本史の教科書>
「律令制が徐々に崩壊する過程」として捉える⇔「貴族・寺院や地方豪族たちの私有地拡大を進める」一方「政府の掌握する田畑(租を収める輸租田として)を増加させ土地支配の強化を図る積極的な政策<詳説日本史B、日本史の論点>
     
  744 ウイグルがモンゴル高原でに建国             
               
749 行基没(668年~)百済系
750 イスラム帝国アッバース朝成立~1258) 孝謙 750 橘諸兄朝臣に(藤原衰える)吉備馬備・玄昉が補佐
      751    新羅仏教 仏国寺建立    
752 東大寺
      754   艦真 正倉院      
      755         安史の乱(~763)安禄山ら(地方の節度使たちを軍閥が反乱
      757  橘奈良麻呂の変 藤原氏(仲麻呂)の勢力拡大を阻止するため、奈良麻呂が大伴氏と挙兵するが計画段階で漏れ失敗=仲麻呂独裁的権力を掌握<日本史の教科書>      
757 養老律令施行
     淳仁 758  淳仁天皇即位 藤原仲麻呂が後見孝謙上皇 藤原仲麻呂天皇から恵美押勝の名をもらい太政大臣に実権を掌握→光明子の死去により孤立化<日本史の教科書>      
759 万葉集発刊
道鏡(唐派)⇔ 吉備真備(きびまきび)(高句麗派⇔高麗神社)
      764   藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱(唐派) 道鏡=孝謙上皇の台頭に対抗するため挙兵、失敗      
称徳 764 称徳天皇(孝謙天皇)即位
769 道鏡 太政大臣禅師・法王に 神託「道鏡を天皇にすれば世の中はおさまる」を利用して皇位を狙う 「宇佐八幡神託事件」 →和気清麻呂の反対神託によりとん挫
    光仁  770  天武系から天智系の天皇に 奈良時代最後の天皇に      
   ノルマン人四方を荒らす(バイキング)
カロリング朝フランク王国 カール1世(ヨーロッパに父) フランク王国の単一統治へ
  771         
桓武 781 桓武天皇
      786 信濃の国に16の「御牧(勅使牧)」設置(伊那郡に平井手、笠原、宮処、諏訪郡に山鹿、塩原、岡屋、筑摩群に埴原、大野、安曇郡に猪鹿、高井郡に大室、小県郡に新治、佐久郡に長倉、塩野、望月)(長野県の歴史)       
788 最澄延暦寺創建