日本人の起源から」引用
旧石器文化からみた最初の日本人

 以上、04項、05項と日本列島の旧石器文化をみてきた。そして見えて来たことは、
 一つは、この日本列島(除く北海道)は、石刃技法の到来からナイフ形石器文化、半円錐型細石器文化、福井型細石核というように中国北部或いは華北の文化(黄河文化センター)と、絶えず連続して繋がりを持ってきたということである。
 二つ目は、それに分け入るように、安田喜憲の表現を借りれば、“バイカル湖を中心としたところからクサビ形細石刃石器群が日本列島へダッとやってくる”のである。
 その規模は、今推定したように、旧石器時代としては桁外れの7,000人という規模であった。

 すなわち、日本列島に残された旧石器人の生活の息吹、文化からみると、
 まずこの日本列島には、中国北部(華北・黄河文化センター)からの断続的流入に加え、 バイカル湖文化センターからの大集団の渡来というように北部アジアから「最初の日本人」はやって来たと考えられる。
華南文化センターの西樵山細石刃石器群に伴う彫器の一種が、北九州で認められるという指摘もある。そういう南からの影響も一部にはあったであろうことは想像に難くはないが
、二重構造モデルとは逆に、この時代、「人は北方から」という見方は変わらない。
 
 筆者なりに以上を纏めると、次のような時系列の文化やヒトの推移が見える。したがって、
 筆者は細石器文化成立の頃、北海道を含む列島の東地区には、バイカル湖文化系の「東日本人」と、九州、四国を含む列島の西地区には華北(黄河)文化系の「西日本人」という大枠が形成されたと考える。
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn1/001honnronn_05_1microbrade.html