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以下の文章は、2000年3月に、佐野元春デビュー20周年の特別企画に投稿しようと
思って書いた文章です。
もう少し直そうと思って保留してたら、結局送らずじまいになってしまった。
30周年企画があれば、その時に送ろうかなぁ…



自分は、高校を卒業して大学に行くため上京して、そのまま東京で就職、結婚、
その後、長野に移り住み、結局、実家に帰る(住む)ことはなかった。

大学では寮に入ったので、カバンの中に着替えとラジカセとカセットテープを
数本だけをつっこんで上京した… そんな話です。



2000年3月のある日…

 長年愛用している目覚まし時計の「目覚まし」の音がおかしくなり、修理しようと分解を
始めた。それを見ていた息子、小学1年生の次男が、

 「新しいの買えばいいじゃん!!」 と、一言。

そういうわけにいかない。

 「この目覚まし時計は、おとうさんが持っているものの中で、一番むかしから使っている
ものなんだ… そう、何年になるかなぁ?」と、記憶をたどってみる。

 「この目覚まし時計を買ったのは、おとうさんが高校2年の時だ。おとうさんのお母さん
が死んじゃったから、自分で起きなきゃならなかったんだ」

 脳溢血で倒れ、半年あまり意識不明の状態が続いたのち、昭和54年3月21日(5、
4、3、2、1)に、母親は息を引き取った…。
 高校を卒業。生まれ育った町を離れ、東京の大学へ進んだ。それから約20年、大学
を卒業、就職、結婚、子供ができて、転職、37才になった。
 故郷に一人暮らしさせてしまっていた父親も2年前に亡くなり、自分の育った家は今は
空き家となっている。

 「(大学に進むために)東京に行くとき、おとうさんはカバン一つかかえて、新幹線に乗
った。そのカバンの中に、この時計が入っていたんだ」

 大学の寮に入ることになっていたので、とりあえずの身の回りのものとフトンさえあれば
何とかなる。フトンは向こうで買えばいい。カバンの中には、着替えと、目覚まし時計と、
当時使っていたラジカセ。ラジカセはいつか壊れてしまったし、カバンもどうしたか記憶に
ない。
 20年の間に、何度も引っ越しをし、いろんなものを手に入れては、そのたびまた、いろ
んなものを捨ててきた。今は…、故郷から300qほど離れた街で、妻と息子3人と、おも
に彼らのために購入した物たちいっしょに、彼らのために建てたマイホームに住んでい
る。
 その時計は、幅15p高さ8p奥行き5p、ちょうど大人の手のひらに乗るくらいのコン
パクトサイズ、何の変哲もない長方形、色は黒、目覚ましのオン、オフのスイッチだけが
赤という、ごくシンプルなデザイン。目覚まし音が、チャイム・ピピピッという電子音・メロデ
ィの3つを切り替えられ、そのボリュームも調整できることだけが特徴だった。
 雑誌『ポパイ』に載っていたその時計になぜか一目惚れし、田舎町の時計屋を何軒か
回ってやっと手に入れた。以来その目覚まし時計は、枕元で鳴り続けていたが、数日前
からその音が小さく、かすれかすれにしか鳴らなくなった。あれこれいじってみると、どう
やらボリューム調整つまみの部分の接触不良のようだ。

 慎重にネジを1本1本はずし、分解していく。そのネジをいたずらに触ろうとする4才の
三男を叱りつけながら、そんな思い出話になった。

 「そのカバンの中に…」
  (もうひとつ、そのカバンの中に入っていたものを思い出した)

 「そのカバンの中に…、佐野元春も入っていた!!」

  (そのカバンの中には当時好きだった他のアーティストに混ざって、
   「バック・トゥ・ザ・ストリート」や「ハートビート」のカセットが入っていた)


 「THE 20TH ANNIVERSARY EDITION - his words and music」を買いにいった時、小学
5年生になる長男が、
 「お父さんはずるいよ! ゲームボーイはちっとも買ってくれないのにさッ、サノのCDは
このまえも買ったじゃん!!」
 長男はクルマの中でいつも聞かされている「サノ モトハル」を認識している。パーフェク
TVを見ていて、佐野元春のライブ映像が流れると、
「あっ、サノじゃん!」なんて言いながら、いっしょに見ている。

 目覚まし時計 と 佐野元春 …


 佐野元春がデビューしたのは確か、高校3年の時(Moto's Web Serverで確認してみた
ら高3直前の1980年3月21日、偶然にも母の一周忌の日だった)、「アンジェリーナ」
「ガラスのジェネレーション」「ナイトライフ」、サザン、ツイスト、YMOが全盛の当時、まだ
僕の周りに佐野元春のファンはいなかった。

 東京に来て大学の寮でラジオから流れてくる新曲「サムデイ」を聞いて、「どーだッ!」
って思ったのを憶えている。

 「ナイアガラトライアングルvol2」や、アルバム「サムデイ」ですっかりメジャーになり、僕
の周りのみんなも元春を聞くようになると、何だか悔しいような変な心境になった。

 始めてライブに行ったのは、「ロックンロールナイトツアー」だった。

 代々木競技場での国際青年年のイベントでは、ユーミンやサザンも参加していたの
に、元春が大とりをつとめたのが、うれしかった。

 横浜スタジアムでは、入場の列に並んでいたら、オープニングのアンジェリーナが始ま
ってしまい、まわりの客が「うっそー!」、いっしょにダッシュした。

 元春が、「彼女の隣人」で、感極まって唄えなくなってしまった横浜アリーナのSee Far 
Miles ツアー には、長男を親戚に預けて行ったっけ。
 ハートランド最後の横浜スタジアムには、長男と次男を連れて行った。雨模様で、途中
でビニールの合羽を買って行ったけど、ステージが始まる頃には雨はすっかりやんだ。
子供たちは、後ろにいたお兄さんといっしょになって踊っていた。

 「経験の歌」をテレビCMで始めて聞いたときには、言葉を失った…


 デビューからちょうど20年、母親代わりとなった目覚まし時計と同様、佐野元春はいつ
も僕を勇気づけてくれたり、つらいときが去るのをいっしょに過ごしてくれた。
 これからも…、きっと、そうだ。

 「この目覚まし時計と、佐野元春。 お父さんの大切なものだから…」

 時計を分解し、ボリュームの軸に油を差して、つまみをしばらく回していると…

 「ピピピピッ ピピピピッ」

 「なおったッ!」と子供たちが口をそろえる。

 「もしも、お父さんが死んだら、この目覚まし時計をカンオケの中に入れてくれ…
  サノモトハルは…
  お前たちにやる」



(本当に偶然だけど、この話はフィクションではありません)

(1980年3月21日元春デビュー、3年後の1983年の同日に卓治デビュー)



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