写真山行記

飯田のM さん提供


北は善知鳥峠(うとうとうげ)から南は恵那山(恵那山神社コース)までの中央アルプス分水嶺全山縦走を,「つなぎ」で挑戦された,飯田のMさんによるレポートです。2006年の秋に,最後の「摺古木山〜奥念丈岳」間をつないで,完全縦走を成し遂げられました。これから縦走を考えておられる方には,ルートの状況などとても参考になるレポートです。

2005年 5月9日〜10日  初回

9−10日の1泊2日で、恵那山神社−恵那山−富士見台−南沢山−?−清内路峠と歩いてきました。恵那山神社から山頂に登るコースは、@恵那山のHPhttp://www.enasan.org/at_enasan/index.htm)によるとウェストンも歩いた歴史の道だそうです。昨年からずっと登ってみたかったあこがれのルートです。

今回は欲張って、山頂小屋に泊まった後、南沢山までの縦走と、さらに清内路峠までの藪ルートを歩いてみようと計画しました。

でも結果はさんざんでした。南沢山までは順調だったのですが、笹藪は思いの外厳しく、体力の限界を感じて、途中で沢に降りてしまいました。さらに残念なのは、藪こぎの最中にデジカメを無くしてしまったことです。まだ、使い始めて2年もたっていないのに・・・。

密かに?中央アルプス全山の稜線歩き(リレー)を狙っていたのに、最初からつまずいてしまいました。
5月17日  2回

牛首峠に自転車をデポし、善知鳥峠−大芝山−霧訪山−牛首峠と縦走してきました。石灰岩の山のせいか、大芝山ではニリンソウ群落やカタクリ(ほとんど種でしたが)、イカリソウ、ヒトリシズカ(これもほとんど種でした)などの花がたいへんきれいでした。

霧訪山からは藪と思っていたのですが、途中(1277ピーク手前)までりっぱな道標つきの登山道がありました。その先も三等三角点(1298)の南500mほどまで、しっかりした道と小野山林組合の杭があって、迷うことが全くありません。その先は、やや細くなってしまいますが、ササが無かったため、あっという間に牛首峠についてしまいました。

帰りは、旧中山道の宿場町をゆっくりとサイクリングしながら楽しみました。このあたりの集落はすばらしいですね。

時間は記録していませんので、かなりいい加減ですが。だいたいこんなところでしょうか。

善知鳥峠−1:20−大芝山−1:20−霧訪山−0:40−えぼし(尾沢峠分岐、1277Pの東北東250m)−1:30−1298三角点−0:40−1262P(この手前300mの、南北から東西への屈曲点まで小野山林組合の境界杭および道あり、ここからは赤テープとはっきりしない踏跡がつづく)−0:40−1338P(多くの石仏と社あり、石仏には火乃嶽神社?と書かれていた・・)−0:20−牛首峠への下降点−0:40−牛首峠

稜線自体は下草の少ない雑木林やアカマツ・ヒノキ・カラマツの植林地ですので、藪こぎすることもなく歩けます。現在地を確認しながら、稜線をはずさないようにすれば、問題ありません。

なお、善知鳥峠からの登り口は確認しませんでした。アカマツの斜面を適当に登ったら、すぐに塩尻市有林の境界杭のある小道が出てきました。

それから、とくに辰野側はキノコ山となっているので、秋の登山はやめた方が無難です。
5月25日  3回                 
5月25日に、牛首峠〜1782三角点手前(牛首峠−坊主岳の中間付近)まで稜線歩きをしてきました。ササが思ったほどひどくなく、ミズナラを主体とした雑木林やカラマツの新緑などを楽しむことができました。稜線のほとんどが樹林に覆われていましたので、展望はききませんでしたが、カラマツ植林地の上から御岳を望むことができました。

1782三角点手前から北北西へ延びる尾根を伝って林道へ2時頃には降りたのですが、石を見たり写真を撮ったりしてぶらぶら歩いていたせいか、牛首峠までもどるのに4時間もかかってしまいました。

次は坊主岳方面を考えていますが、こんどこそ笹藪が手強そうです。
前のデジカメでは手ぶれが多かったので、今回は手ぶれ防止機能のついているP社の“一番安い”デジカメを買いました。山で無くしたり、ハードな使い方を考えると、仕方ありませんね。

稜線はササが全くない場所から、写真のように膝下までの場所、胸まで密生しているところまでいろいろでした。でも多くは腰より低かったので、藪こぎは楽でした。また、赤テープや踏跡も、けっこうありました。ただ、熊棚、フン、ツメの跡?などの熊の痕跡が多いことと、ササダニがまとわりついてくることが難点でしょうか。

それから、このあたりは弱変成の美濃帯で、コノドントや放散虫が見つかっているようです。
この幹の傷は、たぶん、熊の爪痕だと思うのですが・・・。

旧奈川村の桑崎という廃村で見られたお地蔵様です。ずっと昔(30年も前)、鈴鹿山脈北部の峠にあった五僧という集落を訪ねたことを思い出しました。このときは、まだ人が住んでいましたが・・

歴史が消えていくのはさみしいものですね。
6月8日  4回                 
蛇石→大滝沢→経ヶ岳→坊主岳→蛇石という計画だったのですが、大滝沢林道(全くの廃道)の通過に予想以上に時間がかかってしまったため、経ヶ岳→黒沢山→蛇石というルートに変更して、経ヶ岳に登ってきました。今回は飯田切石のK氏と二人で行きました。

三級の滝を通過する黒沢谷ルートは、昨年の台風23号の影響でだいぶ荒れているようです。黒沢山から林道に下りるまでは問題ありませんが、林道から下の谷沿いの道がすぐに途切れてしまったため、安全をとって私たちは林道を下りました。

大滝沢ルートは地形図には点線の道がありますが、現在は全く廃道です。尾根の取り付き点まで林道があったと聞いていたので歩くだけなら問題は無いと思ったのですが、崩れや灌木の繁殖などで、歩くのさえ結構たいへんでした。

さらに尾根の取り付き点からは赤布さえなく、笹藪の中を600mも登らねばならず、かなりのアルバイトを強いられました。結局7時半ころに蛇石を出発したのですが、経ヶ岳山頂に着いたのが14時を回っていました。

ところで、写真は大滝付近の様子ですが、滝らしい滝はありませんでした。巨石で埋まってしまっているのでしょうか?
ついでに横川林道の災害の様子を紹介します。

この写真は三級の滝入り口の橋(黒沢谷の出合い)で、右手に本流を遡る横川林道のゲートがみえています。橋手前で、林道の盛り土が崩れて通行不能となっています。かつては、3級の滝入り口まで車で入れたのですが、現在は蛇石から歩かなくてはなりません。

この写真は大滝林道に入って、すぐに本流を横切る橋(暗渠ですが・・・)から上流側を撮りました。このすぐ上流で、大滝沢と本流が分かれています。

ものすごい量の土砂が運ばれてきていることが分かります。ひどいのは、というか呆れてしまうのは、こんなに土砂が押し出すような沢に、暗渠の橋?をわたすという神経です。まるで、暗渠の橋が堰堤のような役割を果たしていました。
この写真は大滝林道終点から尾根に取り付いて半分ほど登った地点です。傾斜が緩やかになったので、一息ついて写真を撮りました。

下から見たときは、藪の少ない自然林のようにみえたのですが、実際はササが結構深くて藪こぎが大変でした。

ササ?(山野草?)ばかり食べていた熊?のフンです。ほとんど自然に戻った大滝林道でみつけました。黒沢谷へ降りるコースにも、同じようなササばかりのフンが、ときどきありました。

辰野町では、熊が里まで頻繁に降りてくるという新聞記事をみましたが、もしかすると、昨年の台風で谷が荒れたため、熊の好物の山野草が、少なくなってしまったのが、その原因かもしれませんね。

大滝ルートは廃道。黒沢谷ルートについては、山腹の林道から三級の滝までの間を歩いていませんので、はっきりしたことは分かりませんが、林道直下の様子から、かなり荒れていると思った方がよいでしょう。

大滝については、次のHPに写真が載っているのですが、地図上の位置には存在しません。
http://yokokawa.fc2web.com/toppage1.htm

地図上の位置が違っているか、崩れてしまったのか、どちらかだと思います。

次のHPには、すでに2000年の段階で滝が見つからなかったことが書かれています。http://www.big.or.jp/~arimochi/info.00.01.26.achp2.html

大滝の見事な写真を紹介されている、横川渓谷HPの管理者に尋ねたところ、国土地理院の地図の位置が大きく違っていることが分かりました。

実際の滝の位置は、地図上の印よりも直線距離で約1kmほど下流です。

林道を歩いていて、下流部の方が深い渓谷になっていると感じていたのですが、地図の位置が違っているとは思いませんでした。

6月13日  5回                 
今日は良い天気でしたね。私も平日からの山(月曜休みですから当然ですが・・・)で、摺古木山へ行って来ました。珍しく、娘が行くというので、シャクナゲの様子を見に行きました。

この写真は、三角点南の鞍部にあったシャクナゲです。3分咲き、といったところでしょうか。まだ、蕾の方が多く、来週がちょうど良い頃でしょうか。

山頂付近は、まだ雪が残っていて、ショウジョウバカマやバイカオウレンが、ミツバオウレンと一緒に咲いていました。イワカガミはちょっと元気がなかったけど、最盛期のようです。
山頂すぐ西側の岩塔の上からみた中央アルプス主稜線です。麦草岳−宝剣−南駒がよく見えました。

大平から摺古木登山口までの林道の状況は、車高の低い車ではちょっと厳しい感じですが、これはいつものことですよね。それでも、名古屋ナンバーの乗用車も来ていました。途中でマフラーを摺ったと言っていましたが。

ただ、大平街道の市ノ瀬橋の飯田寄りのところで、12日に巨石が落ちてきたらしく、通行止めとなっていました。しかたなく引き返して、鳩打峠越えで大平へ入りました。いつまで通行止めなのかは不明です。
6月19日  6回                 

梅雨なのに結構天気が良いので、そわそわしています。今週は休みが多かったのですが、丸一日空いている日がなくて、山に行けませんでした。

明日は日曜なのに、仕事が入っていません。天気もまあまあのようです。というわけで、中央アルプス縦走の続きをやります。次の行程を考えていますが、今日は夜の仕事があるので、明日の早起きがちょっと心配・・。

飯田(5時)→辰野町横川の蛇石に車を止める(6時半)→横川林道の主稜線へのびる支線を利用し、林道終点から山腹を適当に登って楡沢山(辰野側では瀬戸城跡:木曽義仲の隠れ城という伝説あり)に上がる(9時)→ここから坊主岳への主稜線歩き(13時)→坊主岳南の鞍部?から横川川源流の唐沢谷に降り、横川林道に出る(15時)→蛇石(17時)

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なんとか無事、坊主岳に行って来ました。膝がヘロヘロになっておりますが・・・。図はカシミール3DにGPSのトラックデータを載せたものです。今日歩いたルートです。

さて、楡沢山といったのは、蛇石西方の1754Pのことで、旧楢川村での呼び名です。辰野の方は瀬戸城跡と呼んでいます。

この楡沢山は、楢川村誌によると、山頂部に周氷河性平滑斜面と、線状凹地や小段地形が発達しているとされています。とくに、階段状の地形がみごとなため、伝説も手伝って中世の城址と間違われてものと思われます。

今回、林道の終点(地図でTERM1)まで歩き、ここから左岸側の小さな尾根を登りました。尾根筋には小さな踏み跡があり、ササも山頂付近にでてくるのみで、快適に登ることができました。
写真は、稜線歩きの途中でみつけたクリンソウです。

このクリンソウ自生地は、前回の牛首−楡沢山歩きの時に、見つけました。そろそろ咲いているかな、と思っていたところ、ちょうど良い時期でした。

ただ腕?が悪い。他の写真はすべてぶれていたり、ピントが遠くに合っていました。
今日は、午後に雷が来そうだったので、ちょっととばして歩いたら、坊主岳手前で完璧にバテてしまいました。おまけにササが深くて、すぐそばの山頂になかなかつけない・・

写真は坊主岳北側の、ササが低い場所から坊主岳を撮ったものです。これを見ると、山頂付近にそんなにササがあるように見えないのですが・・
坊主岳山頂のハイマツです。ヤマツツジ?が隣で咲いているのが不思議ですね・・・

どうして、こんな場所にハイマツが残ったのでしょうか?

楢川村からの道は、まずまずでしたが、主稜線の踏み跡は、非常に不明瞭です。ほとんど無いと思って計画を立てる必要があります。

下山ルートは、次のHPを参考にしましたが、このHPでは正確な位置がわからず、もっと経ヶ岳よりと思っていました。坊主岳−佛谷の看板が見つかったので良かったのですが、これを見逃していたらと思うとゾッとします。

http://www.tatsunomachi.jp/menu/yama/bozu.html

写真は坊主岳山頂付近から南東方向を撮ったものです。尖った山は佛谷です。下山ルートは、すぐ近くの笹原から左へのびる尾根だったと思います。赤テープなどがたくさんありましたので、なんとか降りられましたが、踏み跡ははっきりしていません。
7月24〜25日  7回           
24−25日と、奈良井ダム→坊主岳→仏谷→経ヶ岳への分岐→2000m地点でビバーク→権兵衛峠と、主稜線を歩いてきました。距離も長かったし、上り下りの高低差もあったので、日帰りは無理かなと思っていたら、案の定、時間切れで、途中でツェルトを張ることになりました。

今日は、昨日のハードな山行の後遺症で、足を引きずりながら歩いたのですが、2時間ほどの苦行?ですみ、権兵衛峠にデポしておいた自転車で颯爽と坊主岳登山口まで下りました。

坊主岳へは尾根筋を登るのですが、結構ササが茂っています。白髪神社から先は赤テープがところどころにありますが、私は右の巻き道に入ってしまって、結局途中から尾根筋まで斜面を適当に登りました。最初の写真は、坊主岳へ登る途中1700m地点の様子です。
坊主岳山頂付近の背の低いササ原です。
ちょうど、ササユリが咲いていました。他にも、いろいろ咲いていたような気がします。

前回訪れたとき、坊主岳山頂の看板の裏に「かもしか」と書いてあったので、かってに「沼津かもしか」の看板かなあと思ったのですが、よく見ると「辰野町共済会・・」と書いてありました。

昔、南アルプスの深南部に夢中だった頃、「沼津かもしか」は憧れの山岳会でした。

仏谷へ行く途中の稜線から坊主岳を振り返って撮りました。

坊主岳は左の山頂で、地形図をみると右のピークの方が1m高く表示されています。

山頂付近は東へもササが広がっていますが、南へ下る稜線沿いでは、西側へのみササが広がっています。なにか理由があるのでしょうか?

仏谷の「幻の湿原」とされている場所。次のHP参照。
http://www.tatsunomachi.jp/menu/yama/hotoke.html

線状凹地がでてきて、さらにヤブをかき分けていくと、写真のように真っ平らな地形が現れる。

仏谷の標石?です。年季の入ったプレートが転がっているなあ、と思って拾ってみると、辰野町の方が昨年の5月につけたプレートでした。

地図をよく見ずに三角点と思っていたら、どうも三角点ではありませんでした。もっとよく見てくればよかった!

ちょっと、はずれますが、この標石は、霧訪山から牛首へ行く途中に見つけたのですが、なんと、防衛庁の基準点と書かれています。いったい何の基準点なのでしょう?

権兵衛峠への尾根は、昔の道が残っていましたが、ササの茂っているところでは、表面をすっかり覆ってしまって、探すのがかなり厳しい状況です。

この尾根道は北の方では自然林となっていて、ササ藪の中にときどきぽっかりと気持ちの良いところがあります。南の方へ行くと、カラマツの植林地となって、やはりササが繁茂していますが、ところどころ、ササの背が低くて、写真のようにきれいな花が咲いている所がありました。


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最初、日帰りのつもりで歩いていたので、雨具をつけずに藪漕ぎしてしまって、テン場につく前にすでにびしょぬれでした。以前、濡れた服とシュラフで長い夜を過ごしたことがありましたので、今回は、上下の上着を脱いで、ゴアテックスの雨具をつけ、同じくゴアテックスのシュラフカバーに潜り込みました。そしたら、結構快適でした。

GPSのデータは明日職場でパソコンへ取り込みますが、坊主岳までのトラックが消えていました。データを保存する容量が小さいのが難点です。

行程はこんな感じです。
イノコ沢出合いの登山口(5:45)→坊主岳山頂(着8:00、8:10発)→唐沢谷への下降点(8:35)→仏谷(着12:00、12:10発)→経ヶ岳への分岐(15:00)→2038m標高点(17:00)→2030mの広いピークから南へ下りたササ藪の中でビバーク(17:30頃)

テン場(6:00)→1968.9三角点(18:10)→1806m無線中継点(7:10)→(モノレールに沿って下り、林道へ下りる)→権兵衛峠北側のゲート(8:00)


ビバーク地点が間違っていました。修正します。

イノコ沢出合いの登山口(5:45)→坊主岳山頂(着8:00、8:10発)→唐沢谷への下降点(8:35)→仏谷(着12:00、12:10発)→経ヶ岳への分岐(15:00)→2038m標高点(17:00)→1968.9三角点(18:10)→三角点南西の1900m地点でビバーク(18:30)

テン場(6:00)→1806m無線中継点(7:10)→(モノレールに沿って下り、林道へ下りる)→権兵衛峠北側のゲート(8:00)

8月3日   8回               
8月3日、南箕輪村北沢から権兵衛峠へ登り、ここから、小黒川から登ってくる桂木場コースの合流点まで主稜線を歩き、横山にデボした自転車を使って、権兵衛峠登山口までもどりました。

北沢から権兵衛峠へ登る道は、昨年の台風23号の影響か、数カ所で道が崩れていました。小さな土石流で流されていた場所もありました。でも全体的には、馬が越えた峠道らしく、傾斜の緩やかな良い道でした(写真参照)。

権兵衛峠の水場で一休みして、主稜線を歩きました。稜線の東側はカラマツ林で、西側は奈良井営林署内の良い自然林です。しばらく遊歩道がついていて、その終点にジャンボカラマツがありました。

写真はジャンボカラマツから少し戻って、稜線をさらに南下する縦走路です。ササにかなり埋もれていますが、道の痕跡は分かりますね。
それほど密生していないササをかき分けながら登っていくと、1898mピーク付近にササが少なくて気持ちの良い空間がありました(写真)。

ここは主稜線を北上する場合、間違えやすい場所なのか、古い標識が落ちていました。
ここから烏帽子山(1916三角点付近の山?)まで尾根は単純ですが、カラマツやダケカンバの疎林の中のササがけっこう深くてたいへんです。
烏帽子山から桂木場コース合流点までは、ササが高く密生していて、しかも主稜線がジグザグに曲がっていて、一番困難なところです。
自然林が出てくると、急に歩きやすくなります。
写真は左のカラマツ林に密生しているササが、右側の自然林へは進入していない場所です。光の関係でしょうか。
写真は、桂木場登山道に合流したところにある、標識です。笹藪に覆われた小道を指す右への看板は、権兵衛峠と書かれていました。
この権兵衛峠コースは、かつては登山道として使われていたようですが、今は踏み跡が残っている程度で、その多くが笹藪に埋もれてしまっています。ほとんど歩く人がいないようですね。
日本山岳会の中央分水界の報告書は以下の通り
http://www.jac.or.jp/info/100/bunsuirei/12tok/tok14(E655-1890mP).pdf
http://www.jac.or.jp/info/100/bunsuirei/12tok/tok15(1890mP-E656-E657).pdf
この写真は、桂木場コースから分岐する横山コースを示した標識です。もちろん、はっきりした道が桂木場コースの道で、右前方へつづくササに没した道(ほとんどわかりませんね)が横山への道です。
自転車をおいてしまった関係上、再びこのササの中を歩きました。でも、途中からササが刈ってあって、何とか無事自転車のデボした鳩吹山の西の鞍部までたどり着くことができました。
時間配分などは、GPSデータとともに後ほどご連絡します。管理人さんは、今頃は甲斐駒山頂でしょうか?それとも、赤河原から石室へ登っている最中でしょうか?報告を楽しみに待っています。

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北沢のトンネル工事ゲート前6:45→登山口6:55→8:20着権兵衛峠8:30発→ジャンボカラマツ8:50→1898ピーク9:50→10:40着1928ピーク11:00発→烏帽子山(1916三角点西)11:55→1927ピーク12:50→馬返し(登山道合流点)13:15→林道終点(自転車デポ地点)14:40

8月29日   9回              
8月は天候も不順でしたが、体調も不良で、山にはほとんど行けませんでした。やっと回復?したところで、稜線歩きの続きを行いました。
今回は、小黒川の信大演習林コースから主稜線に上がり、将棊頭−西駒−宝剣と登って、ロープウェイで下山しました。その後、例によって菅の台にデポしてあった自転車で小黒川の登山口までもどりました。
今回、一番苦しかったのが、最後の小黒川沿いの550mの登り(自転車)でした。これは、最初から予想していたことでしたが・・・
さて、最初の写真は、小黒川上流の写真です。河原の石は、黒いのが泥質変成岩で、白いのが花崗岩です。黒い石はたぶん小黒川の名の由来ですね。
将棊頭の登りで、振り返って写した写真です。

雲が少しかかっているのが経ヶ岳で、左へ伸びる稜線の末端に、ポコンと丸い頭を出しているのが坊主岳です。坊主岳から経ヶ岳が一番たいへんでした。

道のある山はいいですね。しばらくは高山景観を楽しめそうです。

将棊頭はどこがピークなのか分かりづらい山ですね。
山頂付近の南端に、天水岩というのがあります。2*4mほどのテーブル状の岩の上にポットホールのような穴があって、いつも水があるそうです(ちょっとぎもんですが・・・)。
この穴は、たぶんグマナというもので、凍結・融解によってできた穴です。手前にもちょっといびつですが、2つの穴があります。
さらに、西駒方面へ行くと、有名な遭難記念碑(写真左)があります。これは、もともとあった岩塔に彫られたものです。

ところが、最近新しい「遭難記念碑」が立てられました。この設置をめぐって、中央アルプスを愛する会の方からクレームがついたりして、もめたりしました。
新しい石碑の岩石は、中央アルプスのものでなく、砂岩(たぶん南アルプスの岩石)です。新しくつくるなら、そこにある石を使うべきと、私は思います。
将棊頭から西駒にかけての稜線には、このような階状地形が発達しています。一般には、周氷河作用によってできたものと解釈されています。

でも、この付近のものは登山道沿いの荒廃に伴って、マサ(花崗岩が風化した砂)が流れ出し、その砂が植生によってコントロールされたものだと思います。

以前、仙丈ヶ岳などでハイマツ枯れが話題になりました。空木や西駒周辺でもところどころで葉っぱが茶色く変色していました。

今年も、写真のようにちょっと黄色くて、正沢川側の急斜面のハイマツが、黄金色に見えました。

伊勢谷のU字谷(氷食谷)です。中央アルプスではピカ一の氷河地形ですね。
この写真の左隅に、濃ヶ池があります。氷河湖として有名ですが、もう水が僅かしかありません。管理人さんの研究では、排水口が登山者の踏みつけによって下がってしまったことに原因があるそうです。登山道を付け替えて、排水口に人が入らないようにすることは可能かもしれませんが、排水口を塞ぐことは、議論が出てきそうですね。
でも、何とかしてほしい。
宝剣岳を極楽平方面へ怖々と下りるときに、撮しました。この写真が最後です。

岩塔が斜めに倒れているところを歩くわけですが、あまり気持ちの良いものではありませんね。

兵庫県南部地震のとき、六甲山で岩塔が壊れたとか、北アルプスの群発地震でも登山道の崩れなどがありました。宝剣岳の岩塔も、震度5以上になれば、あちこちで倒壊するでしょうね。

9月8日〜10日  10回          
台風一過の晴天を期待して、8〜10日に千畳敷から奥念丈、さらに本高森山を通って、高森カントリーまで歩きました。今回は、植物が専門のHさんに同行してもらいました。
初日はロープウェイで千畳敷に上がり、極楽平から南下し、木曽殿山荘へ泊まりました。比較的天気は良かったものの、風が強くてたいへんでした。2日目は越百小屋の宿泊が断られてしまいましたので、しかたなく念丈岳北東の水場まで行ってテントをはりました。この日は朝方はまあまあでしたが、すぐにガスが出てしまい、近景しか楽しめませんでした。3日目は本高森山経由で下山しました。
さて、最初の写真は極楽平から檜尾へ向かっていたときに、気がついたものです。登山道の侵食によって露わになったハイマツの根と、その下の土壌にできた半円形の模様です。ところで、この模様は何だと思いますか?
もう一つ、半円形の模様の、接写の写真です。
これを見てもよく分からないかもしれませんね。
これは、同行のHさんが解読しました。

写真上から左下方へ木の根が下がっています。この根が前日の台風の強風によって、揺らされ、その先端部が土壌をコンパスのように削ったというわけです。

強風の翌日しか残っていない微地形?ですね。

熊沢岳手前の池ノ平カールです。

これは管理人さんが、以前研究していたフィールドです。前日の雨の影響か、きれいな池ができていました。

曽殿越へ下りる途中、崩壊地源頭の裸地になにやら人工的なものが見えました。近づいてみると、裸地化した斜面にムシロを引いて、周辺の植物の種を植え付けて植生復元をしている現場でした。

山荘の主の話では、植生復元をはじめて3年目だそうです。中央アルプスでは、ここが最初の実験地でしたが、ある程度成功したということで、その他の地でも行われつつあるそうです。ところで、もともと、この地が裸地化したのは、登山道からの排水のようです。排水がまた、この斜面を流れれば、再び侵食されてしまうでしょう。高山という厳しい環境だけに、植生復元は難しい事業と感じました。

木曽殿山荘の主人から、木曽駒花崗岩と伊奈川花崗岩の境界を示す露頭を教わりました。山荘のすぐ北側の登山道沿いでしたが、表面に風化したマサ(花崗岩の風化生成物)が覆ってしまっていたので、はっきりしませんでした。

その後、山荘の石垣をみたら、二つの花崗岩が並んで使われていました。左が木曽駒花崗岩で、粒が細かく、黒いレンズ状の岩石を取り込んでいます。右が伊奈川花崗岩で、全体に白っぽくて、粒が粗いのが特徴です。山荘付近がやっぱり境界だったのですね。

2日目はガスが出てしまい、景色をあまり見ることができませんでした。

でも、きれいなブロッケンが見えたのは収穫でした。よく見ると、外側にも虹があります。

摺鉢窪カールの避難小屋です。百間薙の先端の崩れがすぐそばに迫っています。

崩れの断面をみると、大きな礫がつまっているのが分かりますね。カール氷河が残したモレーンです。

今回は、時間がなくて寄ることができませんでした。

越百山から中小川へ下りる分岐を過ぎると、道が細くなります。歩く人が少ないせいか、マサに、見事な条線土がありました。これは、凍結融解作用でふるい分けられた、構造土の一種です。

ハイマツは越百山をすぎても、ササと混在しながらしばらく見ることができます。

ハイマツが残っているのは、どうも風が強いところらしく、尾根の頭とか、鞍部のようです。

写真は、少し見づらいですが、鞍部にハイマツ群落ができています。

奥念丈岳の山頂です。ここから右へのびる道が安平路山へ行く道、左の道が、今回歩いた念丈岳へ行く道です。

今回のルートでは、奥念丈から念丈までがササが深くて、とくに鞍部近くではほとんど踏み跡をたどることができませんでした。

左が与田切川源流、右が飯田松川の源流です。これが最後の写真です。

最低鞍部は、飯田松川から吹く風が強いせいか、松川側がササ原で、風倒木がたくさん見られます。それに対して、与田切川側は、樹林帯となっています。

ところで、ササ原の中に道がついているのが分かりますね。でも、実際その場へ行くと、ササの背が高く、道を見つけるのがたいへんです。

10月1日  11回          
天気が今一歩でしたが、久しぶりに中央アルプス稜線歩きを楽しみました。今回は、日帰りで南の清内路峠から大平峠県民の森まで北上してみました。

清内路峠から直線で600mほどの間と、岩魚越峠から直線で400mほどの間が、ほとんど踏み跡がなく、背丈より高い笹藪を漕ぐはめになりましたが、それ以外は、作業道や登山道が整備されていて、けっこう快適に歩くことができました。

写真は、トンネル開通後、ほとんどだれも訪れることがなくなった清内路峠です。

笹藪の中には、布団のように笹が敷き詰められた、直径2〜3mほどの空間がときどき見られます。たぶんクマの寝床なんでしょうね。

この付近は、山腹はほとんど植林され、稜線や急傾斜地だけに雑木林が残されているようなので、クマもえさ場が少なくなっているのではないでしょうか?
もう一つ、クマの話題。落ちていたプラスチックの杭を見ると、穴がいくつもついています。たぶんクマの牙の跡ではないでしょうか? 牙の跡だとすれば、角の部分を何度もかじっていますね。

他にも、ヒノキの植林地では、クマはぎの跡がたくさんありました。

この写真は岩魚越峠のすぐ南で撮したものですが、稜線の左右でまったく雰囲気の違う場所です。

稜線と川が南北に平行しています。川は稜線の東側にあって、北へ流れていき、峠で直角に東へ曲がっていきます。一方、稜線の西側は、侵食が激しくて崩壊地となっています。

川底と稜線との落差は1m程しかありません。西側の崩壊が進めば、川の上流部は西の谷へ争奪されてしまうことでしょう。
岩魚越峠から稜線沿いの様子です。笹が密生していて、たいへんでした。

そこで、しばらく笹と格闘した後、小黒川から禿岳へ登る川沿いの道まで下りて、沢づたいにこの道をたどることにしました。道ははっきりしていて、快適でした。でも、もともと古くからの作業道のようです。笹がすこしずつ進入し、木で渡した橋も危うくなっていました。

花崗岩の風化と侵食の違いによって、表面に凹凸ができています。

よく見ると、細粒の部分が飛び出していて、粗粒の部分は凹んでいます。また、表面についたコケをみると、粗粒の部分に多くついていることが分かると思います。これは、粗粒なほど物理風化を受けやすく、割れ目がたくさんできるため、コケがつきやすくなるからです。

コケが表面の風化した粒子と一緒に落ちれば、凹んでいく、というわけです。この推理は正しいでしょうか?


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昨日歩いたルートトラックをカシミールの地図に落としてみました。

清内路トンネル南に車をおいて、清内路峠−岩魚越峠−大平峠−県民の森の奥石山?と、ほぼ稜線を歩きました。県民の森からは、デポしていた自転車で車まで戻りました。自転車のトラックは、かなり途切れています。

時間配分は、次の通りです。
清内路峠−1:00−1474三角点−0:40−1434ピーク−0:50−岩魚越峠−0:50−小黒川登山道−1:00−禿岳登山道−0:15−大平峠−0:30−夏焼山−0:50−奥石山−0:30−県民の森

10月19日  12回       
仕事が空いてるときは雨、天気の時は仕事・・
しばらく、ジレンマが続いていましたが、今日やっと、摺古木山から県民の森まで歩きました。

行程が長いのと、道の様子がよく分からなかったので、場合によってはビバーク覚悟で行きました。

行程は、県民の森へ自転車デポ−摺古木山登山口−アザミ岳−県民の森。ただし、最後は、間違って少し手前で支尾根に入ってしまい、県民の森よりかなり東の沢へ下りてしまいました。

今回は、幸いなことに、アザミ岳と県民の森の中間付近で、作業道があったので、なんとかビバークせずにもどることができました。

写真は一番のハイライトの摺古木登山道からみたアザミ岳です。
摺古木山の西のピーク手前にこんな踏み跡(写真)がありましたので、ついつられてここから稜線へ入りました。

というより、以前西のピークから稜線を見たとき、密生した針葉樹の幼木やシャクナゲなどが道を塞いでいたことが、頭にあったんですね。結局、ここはパスしてしまいました。

先ほどの道を、しばらく歩くと、ササと湿地がつづき次第に稜線へ登っていきました。

稜線は、テントが晴れそうな気持ちの良いところでした。ところが、写真のように、またしても針葉樹の低木とシャクナゲが道を塞いでいる。この上の山はアザミ岳です。

結局、稜線の東側を巻いていていたら、いつのまに沢を下りるはめに。500mほど下ってから稜線のササ原へもどりました。

写真は、1/2.5万図でもササのマークの付いている場所です。風が強いせいか、立ち枯れの木々がめだちます。

でも、もともとは樹林があったのではないでしょうか。ササに埋もれていますが、伐採した株らしきものがありました。

このあたりのササは腰から胸までですので、どこでも歩けます。


写真はササ原の西斜面です。左のピークはアザミ岳です。

谷頭侵食によって、崩れができています。
白い砂ザレとそれを取り囲む草地、そしてササ原となっています。これはササ原に崩れができた後、崩れの周囲のササが枯れて、草地になったように見えます。

草地は、崩れを押さえているようにも見えます。でも、近くへ行くと、草地を含んだ土壌ごと、少しずつザレ場の方へ下がっているように見えました。

写真はアザミ岳手前から振り返って摺古木山を撮ったものです。

こうしてみると、摺古木山は針葉樹林がよく残っていますね。一方、アザミ岳の方はというと、手前にカラマツ植林、伐採後?のササ原、そして、帽子のように山頂だけが針葉樹林帯です。

写真はアザミ岳の山頂です。奥に見えているのは木曽駒ヶ岳です。

でも、標柱の文字は読めませんでした。
三角点も探してみましたが、見つかりませんでした。

No.1053の写真の撮影場所が違っていました。

アザミ岳から2時間くらい南へ行った場所から撮影したものでした。この写真では、アザミ岳は写真中央の日陰になった尾根を左へ延長したところにあります。

ついでに、作業道を見つけて、ホッとした場所の写真を貼り付けます。ササが茂りはじめていますが、密生したササの中では快適な道でした。

さらに、もう一つ、紅葉のきれいな写真を貼り付けます。

右奥の山は風越山です。


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最後に、GPSのトラックデータに、時間等を書き込んだ地図を貼り付けます。

トラックデータを見てはじめて気がついたのですが、摺古木山西ピーク手前から稜線へ向かったとき、えらくスムーズに稜線に着いたなあと思った場所が、実は一つ東の尾根だったんですね。まだまだ、修行が足りません。
2006年 10月3日〜4日   13回    
昨年中にすませてしまおうと思っていた「中央アルプスのつなぎ縦走」ですが、10/3-4に、大平−摺古木−安平路−奥念丈−念丈−烏帽子−小八郎−鳩打峠を歩いて、やっと終わりました。

今回は、前日(10/2)に自転車を鳩打峠へデポしておいて、初日は大平の駐車場に止めて林道を3時間ほど歩き、摺古木山に登って安平路小屋(泊)まで行きました。翌日は曇り時々小雨(霧)という悪い条件でしたが、稜線を北上して奥念丈岳まで行き、鳩打峠まで歩いて、最後は自転車で自宅まで帰りました。その後、大平へ置いておいた車を回収しました。  

今更という感じがしますが、途中で見てきた自然を紹介しますね。最初は林道でみた花崗岩の風化の妙です。これはタマネギ状風化とか球状風化とか呼ばれています。
これも林道でみた花崗岩の風化の妙です。中央のつきでた花崗岩は、洞門のように穴が空いています。恵那に笠岩という国の天然記念物がありますが、笠の部分が崖とつながっていて、柄の部分が侵食して空洞になったようなものです。

でも、いずれ崩れてしまうでしょうね。
摺古木山の頂上です。ここには一等三角点がありますが、写真のような御料局三角点もあります。御料局三角点の右にある道が、今回歩いた稜線の道です。
これは、たぶん熊はぎの跡だと思うのですが、今回はそれほど熊の痕跡は見ませんでした。

亜高山帯には、この時期には熊はいないでしょうね。最近では、山地帯のドングリのなる広葉樹林が少なくなって、熊は里に下りてしまっているようです。
しらびそ山の山頂です。この山の名前は誰が付けたのでしょう。

高森のM先生は、すり鉢山と教わったそうです。尖った山が「すりこぎ」で、お椀を伏せたようなこの山が「すりばち」というわけです。
この付近の亜高山帯の森は、一度伐採されたようです。ところどころ大きな切株がありました。パルプ材にでもなったのでしょうか。ササが多いのは、伐採のせいかもしれませんね。
安平路小屋と安平路山(左)です。

安平路小屋はいい小屋ですね。7年前、小学5年の息子と一緒に訪れて以来、ぜひ泊まってみたい小屋の一つでした。

小屋からは飯田の町並みが見えます。飯田市立病院や松川をわたる国道153号線の橋梁などが確認できました。
安平路山頂の三等三角点とササに埋もれた登山道です。三角点の名前は「二ツ薙」です。どこのくずれから付けたのでしょう?

ここまでは、ササが茂っていても道はけっこうはっきりしています。でも、ここから北への稜線は、ササが道をほとんど覆っていて、踏み跡をたどるのがかなり困難です。まず、最初にここから東北東への稜線をたどるのが難しい。すぐに道をはずしてしまいました。
ササに埋もれ、のっぺりとした浦川山の山頂です。

ササに覆い尽くされていますが、ササはせいぜい胸までの高さですし、踏み跡もけっこう残っています。踏み跡をきちんとたどれば、藪漕ぎはそれほど困難ではありません。
松川乗越です。このころから霧や小雨となってしまい、展望はきかなくなってしまいました。

この付近に昔の小屋があるはずなのですが、確認できませんでした。

奥念丈岳の山頂です。ここが念丈岳への尾根の分岐点です。

昨年の秋も同じ写真を撮って投稿しましたが、比べてみるとササが少し伸びて、標柱がちょっと傾いたような気がします。

ここから念丈岳までが最後の藪漕でした。
最後に枯死した林の白と常緑針葉樹の緑と紅葉のコントラストのきれいな写真です。念丈岳の直下の様子です。

面白いのは林が枯死した後、ササ原になってしまうところと幼樹が一斉に茂っているところが帯状にならんでいることです。なんらかの理由があるのでしょうね。

さて、これで中央アルプスつなぎ縦走のレポートを終わります。途中、稜線をはずしたところがありますが、恵那山から善知鳥峠までなんとか歩くことができました。背丈を超える笹藪に苦しんだり、熊の生々しい痕跡に恐怖を覚えたりしましたが、美しい景色や自然のすばらしさに感動することがたびたびでした。

今回のつなぎ縦走では、木曽駒ヶ岳から越百山までの間で、人に会いましたが、それ以外の地域では誰にも会いませんでした。もっと、周辺の山に注目してほしいですね。

(完)



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