エジプトの旅    2015 ・ 1

 アッサラーム アレイコム

 今回旅行記は長尾博文氏にお願いした

                             作:長尾 博文

1日目  1月30日(金)

   10:15・・・・伊賀良バス停発   所要時間約4時間

   14:30・・・・新宿着

   14:45・・・・新宿リムジン発   所要時間約1時間30分

   16:15・・・・成田空港着

   22:20・・・・《空路ドーハへ》  所要時間約12時間15分

           カタール便QR-0807

《 記 》

伊賀良バス停では雪が舞っていた。バスは時間通り運行されているのか少し不安になりながらバス停に着くと、矢沢利夫さんがすでに来ていた。「さあ2人旅の開始」と、どこか力が入る。高速バスは回数券がお得という事で、4往復・人の分を購入する。(但し、これは矢沢さんが知っていたから買えたのでバス停のネイちゃんは勧めようともしなかった。少しムッとする)。諏訪までは雪が降っていたが、新宿に着くと曇り空ではあるが雨は上がっていた。一安心しながら京王ビル前のリムジンバス停へと急ぐ。成田バスまでの料金は、65歳以上2000円それ以下3000円と1000円も違うとは。(これは受付の人が年齢を聞いてきたから解った事。これと伊賀良バス停の知らないのに付け込んでしょぼい金を取ろうという交通会社の差はどこから来たのだ)。成田空港まで順調にリムジンバスは進む。空港に着くと阪急のツアーカウンターへ行きツアーガイドの女性に会って「申し込み 控え」と書いた紙を貰う。それをカタールの空港カウンターに行って搭乗手続きをする。まだ四時間もあるので上階に上り夕飯を食べ、それでも時間が余るので長いすで時間を潰す。離陸1時間前にゲートに入る。さあ、阪急の女性ガイド1人と三十数名の紳士淑女の旅が始まった。

2日目  1月31日(土)     (ドーバまでの時差:6時間遅れ)

   4:35・・・・ドーハ着  《乗り継ぎ》

   9:15・・・・ドーハ発  空路カイロへ 所要時間3時間45分

               カタール便QR1303

   12:00・・・カイロ着  (時差:日本より7時間遅れ)

   13:30  バスにて観光開始

    昼食は途中のレストランで食べる。その後、「世界遺産」カイロ市内観光

   *モハンマド・アリ・モスク         (オールド・カイロ地区)

   *聖セルギウス教会             (オールド・カイロ地区)

   *ベン・エズラ・シナゴク           (オールド・カイロ地区)

   *アムル・モスク

               《 記 》

ドーハの空港から夜明けの外を見た。遠くにぼんやりとビル群の影が見えたのみであった。ドーハ空港の内部は広いが、ここで4時間も待つのだ。空港内には、出店している店舗も多く有名化粧品店などもある。しかし、みな高い。人間はといえばアラビア人らしき男(頭にネジリはちまきのような物を付けている)、黒人でグルカを被った女、黄色人のグルカの女、カラフルなグルカを身につけたかっこいい女・・・色んな人種が行きかっていて見ていて結構楽しかった。

 ドーハを離陸してカイロへと向かう。シナイ半島の上空を通過したとき空は晴れ渡り窓下に地上がはっきりと見える。白色の、ところどころ赤みの砂漠の大地が眼下に広がっていて美しい。河のような水の流れた跡が地上を蛇行している。この川のような地形は有ってもが林のような緑はまったく見えない。眺めているうちにスエズ運河の東側の入り口上空にやってきた。通過を待っていると思われる大型船が数隻、運河の入り口の中央を空けるように両サイドに分かれて停泊している。その運河の長さは思いのほか短く地中海も近くに見える。思い返せば、このシナイ半島の上空の景色が今回の旅行で一番美しかった。又、この砂漠が白い理由もエジプトについて解った。

 カイロ近郊に近づいて飛行機は高度を下げるが地上に緑が見えない。草が無いので除草剤をまく必要も無いし草刈の必要も無い、すばらしい土地と思ってしまうのは、お百姓さんの発想だろう。カイロに到着する。空港を出るとバスが待っている。全員乗り込むと現地ガイドのハッサン氏が挨拶し、自己紹介から始まって今日の予定と観光中の注意点などを伝える。今日は、オールド・カイロ地区が観光のメインであるが、まずは、昼食を食べにナイル川沿いへ向かう。レストランは、船の形をした川沿いのレストランで鳥を開いて焼いた料理がメインで、ここではじめての大麦のエジプトパンを食べる。旨くも無ければまずくも無いといった感じのパンか。

 昼食を終えて、ムハンマド・アリ・モスクへと向かう。道すがら左手にスラム街のような町並みが続く。ガイドの説明では、これはすべてイスラム教徒の墓。彼らは、土葬で家族が入れる大きな墓を作るとのこと。モスクに着く。中には入れなかったが、城壁の壁に繋がって作られた美しいモスクだった。観光客は多かった。次に聖キルギウス教会へと向かう。この教会は、コプト教(キリスト教の一派)の教会で、伝説では、マリヤが幼いキリストを連れてローマの追求を逃れて隠れていたとのことで、内部に入ると、祭壇の後ろにその隠れていたと言う地下室もあった。もちろんこの話は真実とほど遠いが伝説は伝説。ハッサンの話ではコプト教徒はエジプトの15%で、見分け方は女性が顔や頭を布で覆っていないこと。この日は、多くの女性教徒が見学に来ていた。次にベンエスラ・シナゴーグへと向かう。これはユダヤ教の教会であるが、中東戦争後にエジプトのユダヤ教徒は全員イスラエルに移住してしまったとのことでエジプトにユダヤ教徒はいない。キリスト教会のシンボルといえば十字架。ユダヤ教では何がシンボルか?中に入るといきなり十戎が刻み込まれた伝説の石盤(モーゼの石版)のレプリカが並んでいて、祭壇にもこれよりも大きな十戎の石版が並んでいた。そうユダヤ教のシンボルはモーゼが神から貰った十戎の石版だったのだ。次はアムル・モスクへと向かう。到着すると棺おけを内部に運びこぶ場面に出会った。これから葬儀を行うと言うガイドの話。靴を脱いで靴を持ち、靴下のまま内部に入る。広い広場のような建物で中央に手洗い場がある。手を洗ってからお祈りするためのみそぎ用に有る。これを中心にジュウタンを敷いたお祈り用のスペースが取り囲むように広がっている。一番奥には、ミラフーブという壁の窪みがありメッカの方向を示している。イスラム教徒はこのミラフーブの方向に頭を下げてお祈りする。イスラム教のシンボルは何だろうか?そうか、メッカそのものと言うことになる。私は、3宗教の3連立方程式の解が見つかった気がしてなぜか満足する。先ほどの葬儀の一団(約15名程度)は、礼拝所の一角に集まっている。その上座の人(ミラフーブの方向に立っている人)はイスラム僧らしき服装をしていて身内の人たちと棺おけに向かって祈りの言葉を述べ、周りの親戚の人たちは立ったまま頭をたれて聞いている(イスラム後が解らないのでそう解釈した)。約15分程度でこの式は終わり出棺していった。きわめて簡単な葬儀であった。モスクにある搭(ミナレット)は、礼拝の時刻を知らせるために呼びかけの人が上って大声を出して時刻を知らせるためのもの。イスラム教では鐘で知らす事はしないらしい。イスラムの礼拝は1日5回、1回目は、5時15分、2回目10時ごろ、3回目12時、4回目5時ごろ、5回目7時ごろだったかな?

 この日連れて行かれたみやげ物店は装飾品店だったが、買う人はほとんどいない。ホテルに向かう。ホテル名モーベンピック・ホテル・カイロ・ピラミッド。バンガロー形式のホテルで、レストランやキャッシュ・カウンター、両替所のある母屋から離れた建物群の一室の2人部屋に矢沢さんと同室する。夕食はバイキング形式で昼食よりはましな料理が出る。部屋では矢沢さんが密輸して来た焼酎を水割りにして2人で乾杯して飲んだ。矢沢さんはいびきをしないのでしっかり眠れた。

3日目  2月1日(日)

   8:30・・・・出発  ギザ、サッカラ、ダハシュール、メンフィスの観光に向かう

   *ギザ   ・クフ王のピラミッド     BC2500年頃

         ・カフラ王(クフ王の子)のピラミッド スフィンクス

         ・メンカフラ王(カフラ王の子)のピラミッド

   *サッカラ ・ジョセル王  階段ピラミッド BC2600年頃

   *ダハシュール ・スネフェル王(クフ王の父) 屈折ピラミッド

           ・スネフェル王(クフ王の父) 赤のピラミッド

   *メンフィス  ・野外博物館

                  《 記 》

 今日は本命のピラミッド見学と意気込む。まずは3大ピラミッドへ。カイロ郊外から直線で2~3kmしか離れていない。近い。ピラミッド エリアに着くと一面石灰質の石と砂混じりの砂漠の中に3個の巨大ピラミッドが並ぶ。壮観である。クフ王のピラミッドの中へ入れるとのことで、ピラミッドの地面から数メータ上に開けられた盗掘口に向かって歩く。ピラミッドの石は、高さ1m50cm程度、幅2m程度。石の間の道を通って盗掘口へ入る。狭い道を頭をぶっつけながら入っていくといきなり上り坂で天井が高い空間になる。登りの歩道は、日本の工事現場にある板で作った通路と同じ作りでしっかりした手すりが付いている。この上り坂これが石の回廊で、以前、世界不思議発見というテレビ番組で吉村先生が死者の霊がこの回廊を上下に往復しながら力をためて天に昇ると言っていた場所だ。この回廊を上りきった場所に玄室があった。玄室は部屋の片隅に石棺が1個あるのみの横8m高さ8m奥行き10m程度の四方の空間だったが、壁は大きな岩で組み立てられていて隙間はまったく無くぴったりと組み合わされている。ピラミッドの内部は、熱がこもり湿度も高い。外部は20℃程度で有ったが玄室内部は28℃程度と高く蒸し暑く感じる。ここはピラミッドパワーの中心地。お祈りをしなくてはいけない。もちろん願いは「使い尽くせないお金をお授け下さい」ということになる。これが叶うのはアラーの神の思し召しか又は、太陽神ラーの思し召しになるのか。外に出ると矢沢さんが体調不良で内部に入らなかったと残念そうであった。次回の訪問時には入ってみて下さい。その度、メンカフラ王のピラミッド(三大ピラミッドの端の一番小さい)の隣の「展望台」とガイドが言っている見晴しの良い平地で集合写真を撮る。この場所から、サッカラ、ダハシュールのピラミッドがかすかに見える。直線では10km程度しか離れているようには思えない。その後、大スフィンクスを見に行く。大スフィンクスは、カフラ王のピラミッドに至る参道に位置していてピラミッドを含む墳墓施設の一部になっている。ピラミッドの顔は元々はピラミッドの主に似せて作ってあるとのことである。スフィンクスは今では全身掘り出されているが以前は首と頭だけ地上に出ていたとのことで、約10mほど砂に埋もれていた事になる。スフィンクスは、胴長のライオンといったところであるが狛犬のご先祖であることはこれも見た人は確信するだろう。

 昼食を食べにレストランに行く。野菜サラダと鳥料理とパンと先日と同じ質素な物。レストランを出てバスの止めてある駐車場に向かうと、途中にパンを焼いているかまどのある小さな小屋があったので入っていった。1人のグルカを着たおばさんが土のかまどの中の板(石の板か?)にエジプトパンを並べて焼いていた。1~2枚写真を撮り1エジプトポンドをチップとして渡す。うれしそうな顔が印象的。このパンは、焼いたばかりはやわらかくておいしいが、冷えると硬くなり旨くない。昼食後は、スネフェル王(クフ王の父)の赤のピラミッドと屈折ピラミッドを見学する。屈折ピラミッドは、傾斜角度が急すぎたので途中から設計変更して傾斜角度をなだらかにしたとのこと。それが気に入らなかったのかこの王様はもう一つ赤のピラミッドを作った。2個ピラミッドを作ったのはこの王様のみとのこと。次にバスに乗り野外博物館を見に行く。博物館には、大きな建物が1個だけ有って中にラムセス2世の巨像が横たえて展示してある。この像は本来は立像でこの近くにあったが地震で倒れてしまったのでここに運んで展示してあるとのことであった。建物の外は外の展示場になっている。ガイドの後を歩いて行くと石の像がいくつも置かれている。一番大きな展示物にアメンヘテプ2世のスフィンクスがある。これは高さ3m幅3m長さ5m程度の小さな物であるが、大理石で出来ているとのことで表面が滑らかである。(大ピラミッドは石灰岩のブロックでピラミッドと同じ材料)。このファラオは女性であったとのことで顔が女性のように優しい顔をしている。当事、ファラオは男しかなれないが神官を買収して男としてファラオになった。権力欲がとても強かったとのことであった。その他、たくさんの何千年も前の石像が無造作に並べてあるのには少し驚かさせる。

 次に階段ピラミッドを見学に行く。このピラミッドの周りには、本来、有ったと言うピラミッドの周りをぐるりと取り巻いていたという石の城壁の壁の一部が残っている。とりわけて大きい城壁の一部の大きな壁の入り口からピラミッドが有る敷地の中へ入っていく。このピラミッドは、最古の物で約5000年前の物と言う事であった。痛みが酷いらしくピラミッドの周りに足場を組んで大幅な修復をしていた。この階段ピラミッド、赤のピラミッド、屈折ピラミッド、黒のピラミッド(壊れかけたピラミッド)はそう離れていない。全て一望できる距離にある。

 今日の土産店は、パピルス店。パピルスは、繊維を重ねて重石を置いて紙にしたものでよく寝かした物ほどしっかりした紙になるが色は黒っぽくなるとのこと。白色のパピルス紙は安いらしい。帰りのバスの中でガイドが、ヒエログリフ(象形文字)で名前(アルファベット)を刺繍したポロシャツ又はT-シャツの注文書をくれたのでポロシャツ2枚注文した。

 夜は、ナリル川のディナー・クルーズに行く。夕食後、エジプト語の音楽が始まる。どこと無くイスラム風のメロディーだ。船の外の様子を見るため3階のデッキに出た。風は寒くなかったし心地よかったので、イスに座り夜風に当たりながら湖畔の景色をボーット見て楽しんでいた。30分位たった頃、ガイドが呼びに来た。テーブルに戻るとベリーダンス(女)の真最中で、踊りの合間に客と写真を撮る。写真は後で客に勝って貰う。もう一つ、ダンサー(男)のスカートに電飾を施してスカートを広げながら踊るという出し物があった。このダンサーもテーブルを回って客と一緒に写真をとる。どこと無くのんびりしたクルーズではあるがまあまあ楽しめたか。

4日目  2月2日(月)

   8:30 出発  エジプト考古学博物館へ

   13:00 昼食  昼食後、土産店へ

   14:00 ショッピングセンター「シティ・スターズ・ショッピング」へ

   18:40 カイロ発 《空路 ドーハへ》

         QR-1302  所要時間:約3時間

   22:40 ドーハ着  《その後乗り継ぎ時間まで待機》

《 記 》

 エジプト考古学博物館は、ピンクの建物で見栄えはするが、内部は古めかしい。展示方法はジャンル別が主流。ミイラ、戦車、石棺、像、といった具合。例外は、ツタンカーメンの墓の埋葬品で、これは一箇所に有った。ただし、ツタンカーメンの黄金のマスクは1階の玄関の近くに分厚いガラスの容器に入って展示されていた。博物館は、歴史に詳しい人は見飽きないかもしれないが、類似品が多いので我々凡人は飽きてしまう。1番の展示物はと問われればもちろんツタンカーメンの黄金マスク。これは、ダントツ。2番目はラムセス2世のミイラ、これは壊れていないし顔も人間らしい威厳のある顔つきだった。3番目は戦車で二頭立ての戦車。王様は戦争が始まると先頭に立って突っ込まなければならなかったそうなのでこの様な戦車に乗って敵の前に突っ込んで行ったのだろう。4番目は王座。なぜか王妃と王が仲良く手も組んだり、王妃が王に油を塗ったりと、日本では同祖神のモチーフと思われるレリーフが王座の背もたれに彫られていた。以外にもエジプト王家はカカア天下だったかも知れない。この博物館の展示品は、2年後には日本の援助で建てられる新しい博物館に移るとのこと。

 昼食は、この博物館の敷地内の本館の隣にあるレストランで食べた。100人以上は入れる大きいレストランであったが、100%日本人客だった。料理は、たいした事無い。

 この博物館の隣に10階建てぐらいの政府の建物があるが、ビルは火を放たれたとのことで、内部や窓は黒焦げになっていた。先回の政変の際に証拠隠滅のため火を放ったとのことであった。腐敗の大きい政権だったと聞いていたのでそういうことも有ったのだろうと思った。

 昼食後は、本日の土産店のジュウタン店へ行く。ジュウタンの織り手を教育しているとのことで13歳程度の子供も習いに来ていた。マスタークラスになるには10年以上の経験が要るとのこと。その後、時間を潰すのと最後のお土産を買うためショッピングセンターに行った。この店は、郊外の外資系大手ショッピングセンターといったもので、かなり大きい。中には色々の店が入っていたが、結構、値段は高く日本とはそんなに変わらない。ハンバーガーの売店、スポーツ店見に行ったが値段はエジプト人には高いと思う。私は、食品売り場で紅茶を3箱買った。紅茶の種類はエジプトは多い。ショッピング後、空港へ向かう。

5日目  2月3日(火)

   01:10 ドーハ出発  《空路帰国の途へ》  所要時間 約9時間45分

         QR-0806

   10:55 成田空港着

   ~以降  ・成田から新宿  JR成田イクスプレス  約3000円

        ・新宿から新大久保  環状線

        ・新大久保  ホテルに宿泊  約3500円

                 《 記 》

 ホテル(駅から300m)と言っても以前は連れ込みホテルらしい。部屋に大きなシャンデリアがあった。値段が安いし、周りは飲食店街なので旅人には便利。外は韓国飲食店がいっぱい有ったので一番忙しそうな店に入った。ここで、韓国料理を食べながらわらじ脱ぎを2人でやった。

以上にて、エジプト旅行は終了したが総括として少し書き足す。

《 エジプト旅行の総括 》

長年一度は訪れたいと思っていたが、今回、矢沢さんからお誘いを頂いてエジプトに行けたことは喜びであった。

 砂漠の国とは、このように砂漠に囲まれた国なのか。土地は無限だが何も生えていない。日本人である私には頭で理解する以上に違和感があった。シナイ半島が上空から見て白く美しかった理由は、エジプトの砂漠が石灰岩の砂漠のためである。ピラミッドも石灰岩をナイル川上流で切り出して作った物。ピラミッドの周辺も石灰の小石や砂石であった。エジプトには大理石もあるが、人物像などの芸術性の高い物に限って使われているように思えた。私は記念に石灰岩の石を1個持ち帰ってきた。意外に良い記念品だ。

 エジプト国家は何で食べているのか。この旅行の間に工場は一軒も無かった。この国の収入はスエズ運河の上がり、観光収入それと農業以外には有りそうもない。農業は、ナイル川の流れ沿いの灌漑施設のある限定された場所のみであるが、エジプトの百姓は勤勉で休耕地はない。エジプトはナツメヤシの木を林のようにたくさん植えてあるが、ナツメヤシの木の木陰には大麦、野菜を作り、家畜なども飼っている。ナツメヤシを植える理由は、一つには、砂漠の防風防砂のため、もう一つは、ナツメヤシの実を食べるため、もう一つは、樹皮から篭のような物を作るためとのこと。野菜の種類は豊富。肉は、圧倒的に鶏、次に羊、少しだけ牛。

 エジプトの車両用の専用道路はゴミだらけ。ガイドが言うにはゴミ収集車が荷の上に風防止のカバーを使わないためエジプトの強風で飛ばされてゴミが路肩にたまるとのこと。エジプトのトイレは、お勤め後、左手でケツを洗うとのことで水の出る水道パイプ(約40cm)が備えてある所もある。栄養環境は決してよくないが、砂漠で乾燥してるので日本みたいに病原菌が増えないので汚くても安全だと言う人もいるようだ。

 エジプトの宗教は、キリスト教(コプト教)15%、イスラム教85%。その他、今は信者がいないユダヤ教(中東戦争後イスラエルに移住)と古代エジプト教。今回これらの宗教めぐりをさせて貰ったわけですが、他の宗教と共存するには互いに相互の宗教に対するリスペクトが無いと難しいと感じる。ローマ法王と私の考えは一致している実際はそう簡単でないでしょうが。あの世へいったらどうなるかは知らないが、せめてこの地上では何とか折り合いをつけて頂きたいと思います。

 今回の観光中に見た観光客の団体は、韓国人、日本人のみ。西欧人はいない。治安が悪いためか?カイロ周辺(ピラミッド)よりルクソールのほうがすばらしいとのこと。ルクソールは、カイロから500km離れているが宮殿など大きな遺跡が残っているのでぜひ行ってくださいとのガイドの話。

 今の政権はシシ大統領の政権だが、先の大統領はムスムリ同胞団のモリス氏だった。ガイドの話では、モリス政権は、当初期待が大きかったが統治能力が無く混乱が続いたため1年で失脚したとのこと。わが国の民主党鳩山政権とよく似ている。今のシシ政権は人々の支持も高く治安も良くなってきたとのこと。2月20日にNHKテレビでエジプトは言論の自由がないと言っていたが、今のエジプト人の生活から見れば自由よりも治安と安全が優先するのではないだろうか?我々は知らなかったが、1月30日シナイ半島でテロが有ったとのこと。そのせいか、空港、博物館、ショッピングセンターには装甲車とライフル銃を持った兵士がいた。その他、観光エリアには、複数の警備兵が、バスには、拳銃を持った私服の警官が1人添乗していた。

 エジプトの人々は、外国のことを知らないのであろうか?少なくともヨーロッパのことは知っていると思う。すべてのアパート、個人の家からパラポナアンテナがヨーロッパの空の方向を向いて乱立している。エジプト人ではないがアフリカ難民が地中海を小船で渡ってヨーロッパに行くのも、ヨーロッパの生活を知っているから憧れて命がけで行くのかも知れない。

            以上で終わります。思い返してもう一度、回想旅行でエジプトに行かせて頂いた気分でした

                                             


 シュクラン      矢澤利夫   長尾博文


カタール


ドーハの空港

  


エジプト(ミスル)

   シナイ半島            砂漠だー

   



カイロの空港                                        カイロ国際空港ターミナル

  




ムハンマド・アリ・モスク                                     モスクは対十字軍用の城塞(シタデル)の中                ナイル川に面したレストラン
   



美味くない昼飯 ビールはまあまあ                   近くにはナイトクルーズの船
  



コプト博物館(コプト=2世紀のエジプトを中心としたキリスト教一派)         聖セルギウス教会(エジプトに逃れてきた幼いキリストと聖母マリアが身を隠した地下室あり)
  




セルギウス教会入り口  修理中                      近くのモスク                         アフリカで最初のイスラーム寺院 ガーマ・アムル・ブヌル・アース
  



 ガーマ・アムル  モスク                                 正面                               中庭
  



         内部正面 メッカの方向にある  階段の上の演台
  




パピルス店                                         パピルス紙の作り方説明                               
  



カイロ街外れのピラミッド                                      クフ王ピラミッド入場券売り場                          クフ王ピラミッド
  



真ん中正規の入り口だが 右下盗掘の穴ここから90Mの石室まで登る           ポールの先が崩れる前の頂上                 ピラミッド駐車場の下はゴルフ場
 俺下痢でトイレへいってて登れなかった 一生の不覚だ
  


メンカウラー王ピラミッド           カフラー王ピラミッド      クフ王ピラミッド
   高さ20m  一辺長さ103m    高さ20m  一辺長さ215m     高さ146m  一辺長さ230m            おっさん達もサハラ砂漠へやっと来た
 



ラクダの兄ちゃんも楽じゃないねー
 



ピラミッド近くの神殿は 命を生み出す力「カー」の宿るためのミイラの加工やお祭りの場所                                                    スフィンクス  高さ20m  長さ57m
  



                                                  サッカーラのレストランでめし
 



ナイル川から水を引いて両岸は農業地帯                    ナツメヤシは砂嵐の砂防林となる
  



ダフシュール    スネフル王(クフ王の父)の屈折ピラミッド                         赤のピラミッド 
  



メンフィス                      メンフィス博物館




ラムセス2世の像                                                    大理石製のスフィンクス
 



                                                                                   阿部首相になってから日本人旅行客危なくなった
メンフィス博物館庭
  



階段ピラミッドの入場券売り場                               ピラミッド近くの神殿                          神殿の回廊
  


階段ピラミッド  修理中                                   神殿から入場した正面
  



ミイラ加工の地下室                            地下への入り口                                カーペットスクール
  



子供が訓練して親を助ける                             ベテランの黒い姉~ちゃん       一本一本1~2cmの長さの糸に切って模様を作っていく 気の遠くなる作業だ
  



泊まってたホテルモーベンピック                               果物は豊富                                    ベリーダンスの伯母さん
  



                               エジプト考古学博物館                                        博物館横レストランの今日の昼飯
  




シティースターズショッピングモールでお土産゜買って                             6670キロエジプト内1200キロのナイル川ともお別れ