ハンガリーブタ゛ペストの旅


 今回は6人のメンバーで出掛けた  もう一日プラスしてプラハから周る計画であったが 帰った翌日の会議のこともあり ウイーンとブタ゛ペストとした。
 ウイーンはK氏の娘さんが何度も訪れている音楽と芸術の都でありとても素晴らしいとのことであり ポルトガル方面はやめてウイーンとなった。
 成田からミラノへ ミラノで3時間待って 150人乗位のちっこい飛行機に乗り換えてブタ゛ペスト フェリへジ空港へ  帰りはウイーンから更に小さい50人乗位の飛行機でミラノまで来たが 満席で燃料も少なくて効率が良さそうだ ミラノから成田までは客は少なく座席四つ使って横になって寝てきたが 大赤字になりそうな路線だ。
 ブダペストはドナウ川の西 王宮の丘のある山手地区ブダと 川の東ペストになっているが ブダの南駅近くの四つ星H ノボテル・ブタペスト・コングレスへ泊まったので 観光は南駅から地下鉄で地下180Mでドナウ川をくぐり 翌日のウイーンへ向けての国際列車ECの出る東駅へ移動した。 東駅でホテルからの移動時間と駅の構造を確認し 徒歩で市民公園 英雄広場へ移動  ここからはアンドラーシ通りを地下鉄で 町の中心部まで移動し 大環状通りをトラムでマルギッと島へ  昼近くになったのでどこか下町のレストランをさがして食事をしようということで 皆で探したが 休日につき開いてない店多く なかなか見つからなかった。 
 やっと見つけた中華料理レストランで 昼からビールしっかりいただいき 気持ち良く酔ったが 料理も旨くリース゛ナブルで しごくよかった。
 トラムでモスクワ広場へ移動し  王宮の丘へ裏門から登ったがけっこうな高台になっている。
 マチャーシュ教会 王宮地下迷宮  王宮 をみて くさり橋へ下り  夜のビューポイント 世界遺産の夜景を見るため ゲッレ−ルトの丘にある要塞へ登った けっこうな距離を歩いた。
 夕飯はホテル近くのレストランを予定していたが さんざ歩いて着いたら店は閉店していた。  近くの炉辺焼きみたいなレストランでまたしっかりビールをいただいた。 ワインも飲んだか忘れた。
 ホテルではY氏とS氏が ダブルべットの部屋へ案内されて いい加減なホテルマンが「両手を広げてホー」と言ってごまかしていたということで 旅の間の流行ポーズとなった。  


平沢文博氏レポート

東ヨーロッパ旅行記

〈ハンガリー国ブダベスト〉
飛行機が地球の天辺の上空を飛ぶ意義がようやく理解できた。
伊のアリタリア航空ジャンボ機はややフオローの風に乗って一路ヨーロッパへ。
高度8,000〜10,000m、雲の合間に真っ白なジュータンに一面に覆われた、そこはシベリアのツンドラ地帯、真冬のロシアであった。
モスクワ上空を左旋回し、後1時間位のミュンヘン付近、右眼下に雲海の彼方から槍の様に突き出た山々「マッターホルン」「アルプス連峰」だ!と思わず叫んでしまう。
180度の壮大なパノラマに見入ってしまうひと時。
ミラノ着18時30分、12時間の長い飛行機旅であった。(時差6時間)
空港内でウインドショッピングして3時間を過ごす。
ミラノ発9時20分皆、長旅の疲れかビール等飲料水を飲んで即、ぐっすりと寝てしまう。
2時間後上空からのイルミネーションの歓声で目を覚ます。
ブタベストの街並みの夜間照明が鮮やかに我々を歓待してくれた。
ホテルに夜中の0時頃に到着し、まず無事到着の乾杯!
ホテルの勘違い?男同士のダブルベットが発覚!大丈夫?Kさん、Sさん大童。
ホテルマン肩をすくめ、両手を上に「アムソーリー」のジェスチャー振りで大笑い。
楽しい旅の出発点となった。
翌朝7時、洋食のフルコースと思いきや、和食コースもあり、ひと安堵。
周囲の外国人旅行者、ハンガリー・ユーゴ人、はたまた米国・英国人。
顔が小さくてかわいい女性ばかり、食事所ではない状況。
でも乳製品・ハムあり、また特産のカラーピーマン・トマト・キュウリの野菜ありで、結構贅沢なメニューであった。
農業国の一面を見た。
9時半頃明日の予定もあるので、ブタペスト東駅へタクシーで行ったが、丁度ラシュアワー時か、乗換えでごった返していた。
ブタペスト南駅でウイーン出発ホームの確認をして、「英雄広場」に向かう。
街並みがまるで中世の映画を見ているような、レンガ造りのゴシック建築の洋風建物を眺めながら、路面電車・トロリーバス併用の道路を行く。
「中央広場」「市民公園」はプラタナスの樹木、ピラカンサスの赤、黄色の庭木の中をザクザクと落ち葉を踏みしめて歩く。
日本の11月下旬から12月の初冬を思わせる光景、コート、オーバーを羽織り、犬の散歩、ジョキング、散歩とどこへ行っても同じ風景だ。
また、子供たちの歓声が聞こえる所、もうスケートを楽しむ親子連れもまた同様だ。
その向かいに目指す「英雄広場」がありました。
7人の英雄の白い像が広い広場に忽然と立っていた。
美術館を素どうりして路面電車で、ドナウ川マッギット島へ。
ドナウ川の中州に作られた公園で一服、ドナウ川のさざ波越しに、河の畔に国会議事堂、教会の立ち並ぶゴッシック建築のレンガの街並みを見渡す。
マルギットからまた市電に乗って、昼食を取るためブタ地区に入る。
そこはアパート・マンション及びオフイスのビルが立ち並ぶ、本日は休業で中々レストランが見つからない。
花屋、通行人T、Uに聞くも中々通じないか、場所が不明か、ようやく中華飯店が見つかり、6人ホッとして中に入るが、メニューが不明のため、絵を指して注文するも、ビールのつまみが良く理解されない。
幸い辛いキャベツの和え物、つまみに最高の折紙がつくほど美味しく、ラーメンを合わせて胞ばった。
今日のメイイベントの一つ「王宮の丘」へ向かうも、方向がY氏の磁石の威力で判るも、場所が不明。
通行人に聞いて即左を見ると、これまたレンガ造りの立派な要塞風の建物が続き、入り口が判らず、右往左往してようやく辿り着いた。
「マーチャシュ教会」を中心に映画の古代ローマを彷彿させる街並みを「漁夫の砦」に向かうが、色とりどりの老若男女が石畳道路を行き来している。
ネオ・ロマネスク様式の回廊からオーブダ、ブダ、ペスト地区が一望できる展望台は価値ある絶景であった。
ブダベストはドナウの宝石とはよく言ったものだ、確かにすばらしい庭園である。
有料トイレの経験もした、20フオリン(160円)。
砦を降りて、鍾乳洞に入る「王室地下迷宮」、市内は温泉が至る所にあり、この銅はその象徴か。
「国立美術館」、「歴史博物館」等数々の名所を横目に見ながら、王室砦を下り、「鎖橋」付近で記念写真を取っている間に夕闇で薄暗くなる。
いよいよ本日の夜のメイイベント「ゲレールトの丘」へ向かう、目指す丘は目立った出っ張りで辛くも判るが、行っても行っても麓近くに着くも登り口が判らないので、通行人並びにジョキング者に聞いてようやく登ろうとするが、丘と言うよりも山に登る感じで、階段坂道30分歩きどうしで辿り着いた。
世界文化遺産のオーロラビジョン、ドナウ川を挟んで見下ろす眺望は機内で見た光景と一味違う、夜のイルミネーション、街並みは何時まで見ても肌寒さも忘れるほど輝いていた。
恋人同士もキスしたり、愛撫したりの姿がよく見かけた。
夕闇の中、丘を降りてホテルに向かう途中、ヒッチハイク風の日本人学生に出会い、談笑しながら40分を要し、ホテル付近のレストランで乾杯。
8時30分頃ホテル到着、即、風呂に入るも余程疲れたのか、湯船の中で寝込んでしまう。



 
ブタペスト南駅                        ブタペスト市民公園内 ヴァイダフニャド城            英雄広場
  


ブタ゛王宮の丘からペスト地区を望む             お世話になったトラム                   東駅
  

王宮の丘の中心 マーチャーシュ教会           王宮地下の壁画                     王宮 現在国立美術館

  


 世界遺産の夜景の中心鎖橋                             世界遺産の夜景
             


   世界遺産だ                                       王宮前で
          


モスクワ広場

オオストリアウィーンの旅

 ブタ゛ペストからウイーンはユーローシティーで3時間位かな  車窓から地平線まで農園が広がり 木々も紅葉で染まりつつあり。
 国境では走る車中で両国の検察官が入れ替わりに出国 入国手続(パスポートへスタンプを押す)を行った。
 ウイーンは西駅へ到着 地下鉄でホテルのあるピリグラガッセへ移動 泊まりはオオストリア最大級534室の四つ星H アナナス。
 ウイーンは初日地下鉄でシェーンブル宮殿へ 別荘ににしては大変規模の大きなものだ ハプスブルク家の先祖はスイスとドイツの国境地帯を支配した小貴族でありルドルフ1世が1273年ローマ皇帝に選出されてから結婚政策で勢力を伸ばし第1次世界大戦へ突入するまでの650年間中央ヨーロッパを支配した。
 女帝マリア・テレジアの生活や一族の華やかさと苦しみ 今の庶民がより幸せかなと思える宮殿であった。
 カールスブラッツ駅からオペラ座へ ケルントナー通りから市中心部のシュテファン寺院へ シュテファン寺院の塔へ登ったが 上から見ると世界遺産の旧市街は 歴史の街としてきわだっている。 風も強かった。  夕暮れ時ペーター教会からミヒャエル広場を回って待ち合わせ場所のケルントナー通り中華レストランへ行って またまたしっかり飲みあげた。 今回の旅は酒を飲む旅でもあった。
 王宮のシシイ博物館や銀器コレクションも見たが 金の燭台か銀の皿でも価値はどの程度か見当もつかんが一つほしいものだ。
 3日目は朝から市庁舎を回って美術史博物館へ  フリューゲル  ラファエロ  ベラスケス  フェルメール  などなどの代表作をチェックしながら回っていたら 午後1時半 後ドナウ川の辺を散策し ベンヴェデーレ宮殿へ移動 夕方7時集合ホテル近くのリーズナブルレストランで飲み上げたー。 
 ホテルの朝食は旨かった 幾種類ものパン ジャム バター チーズ ハム  ソオセージ ベーコン 卵 ヨーグルト 果物  ミルク コーヒー お茶 などなどであり  調理したものはあまり無く人手はかからないがけっこう旨いので食べ過ぎになる。  ある外人の老夫婦は朝食の後パンにチーズとハムを挟み込み 紙ナプキンでくるんで 昼食まで作っていた。 

平沢文博氏レポート

オーストリア国ウイーン

朝7時出発ホテルタクシーでブタペスト南駅へ(料金1,200コリンズ)日本とほぼ同じ。
南駅から地下鉄で東駅へ急ぐ。
昨日購入した10枚チケット綴りで改札を潜った。
途中のエスカレーターの速度が速く、(日本の2倍)まるでスキージャンプの30度斜度、その角度でなければ、降りるも登るも安定した体勢が取れない。
東地上駅は4ホームがあり、皆で8番の電光掲示板に断たずを飲んで見つめるも、中々、表示が出ないでいると、同じ日本人の団塊の世代夫妻もウイーンに行くと一緒になった。
我がチームのK夫妻と似ているね。
時間があり、駅構内を散策するも東京とは比較にならない程、整然としていた。
トイレは60コリンズと聞いていたが、試しに20で入ろうとするも、門番ならぬ便番に固くお断りをされた。
さあ、いよいよ出発!全てのコインをユーロに換え、水等を購入して列車に乗り込んだ。
2等車らしいが、片側6人掛けの3人づつ向かい合い、片側通路の構成で、列車自体は揺れもなく、車両音も気にならない、静かな小奇麗な車両であった。
また、列車は10両編成で、前3両は一般の会い向き合いの列車、後6両は私達の車両と同じで、また真ん中に食堂車があり、Y・S氏らの専用車として活用をしていた。
そのおこぼれのビールを飲みながら、列車ならではの老若男女が行き交い、また席を通る際は一言挨拶をしていくので、和やかな雰囲気の3時間であった。
「T am a sony」「YOU are a nikon」の一幕。
途中、案の定国境付近で軍隊?警察?姿の検察官から簡単に検察を受けた。
車窓からは丘陵地あり、野菜・飼料畑あり、小さな村・街並みがありと見ていても、飽きさせない光景に見とれ、ハイドンのゆかりの地ブレケンランド高原を通過したのを忘れる位の楽しい3時間余りの列車の旅であった。
さあ、ウイーン駅に到着し、72時間フリーキップを購入して地下鉄でプログリス駅へ。
3晩お世話になるアナナスホテルは駅のそば、2分と掛からない、交通至便で拠点としてはなかなか良い所、またホテルも高級感があって恵まれすぎ。(Y氏談)
ホテルチェックインして中心地カールスブラッツ駅へ地下鉄で直行。
ここは「オペラ座」「シユテフアン寺院」「ホーフブルグ王宮」等、ウイーンの有名の観光地が集まって、薄暗くなっても賑やかさが残っていた。
ケルントナール通りを北へ向かい、途中ウインドショピング、音楽家風の道化師をからかいながら、シェテフアン寺院へ到着した。
ツーンと聳える塔、大理石と瓦で細かい芸術を施した教会はお祈りをする人、天井を見上げる人等観光客でごった返しして、ついに仲間と離れ離れになってしまった。
Y氏と一緒にエレベータで、寺院の塔のてっぺんに登りウイーンの中心市街地の世界遺産を360度旋回一望した。
夕方4時過ぎになり風も冷たく早々に塔から降りて、「ピーター寺院」経由で「ホーフブルグ王宮」の裏側ヨーゼフ広場を眺めて、待ち合わせ場所の中華料理屋へ急いだ。
また例によって、ビール・ワイン・日本酒で乾杯、中華料理で満腹!満腹。
地下鉄で帰路、今日も疲れたのか、ベッドで9時頃ダウン熟睡に入る。
朝、Y氏も3時頃目が覚める。
本日の行動日程をY氏は旅行ブックより選抜し、私は地図帳を探して、より効率、より楽しく行程が進むよう作戦を開始し、コース及び場所の選定をした。
朝食は6時頃レストランへ行ったが、仲間4人とも既に食事中、世界各地より旅行団、仲間連れ、家族親戚集団等100人近い人が入れ替わり洋風バイキングを楽しんでいた。
ホットミルク、ヨーグルトが大変美味しかったが、ブタと違ってご飯・味噌汁はなかった。
9時半ホテルを出発し、世界遺産「シェーンブルン宮殿」に向かった。
地下鉄U4より4番目のピグラムガス駅で降りたが、街並みの木々はプラタナス等広葉樹の落ち葉で、踏みつける足元がガサガサ、風も冷たく、晴れ間もなく、正に初冬を感じた。
さて、門へ着いて驚いた、整然と2百mの両翼に広がった威容な建物、広大な広場、
ハプスブルグ家の別荘と聞くから驚きだ。
ロココ調大理石、岩石等で造られた、建物の中は幅10m,縦30m、天井にはガラスを散りばめたシャンデリア、壁には中世の絵画等絢爛豪華な式典室を筆頭に、王様の執務・応接・家族・寝室、バス・トイレ等も目を見張るばかりのモノばかりで圧倒された。
案内は日本語訳のハンドテープレコーダーで部屋ごとの歴史、機能等の説明があり、学校での世界史を学んでいる錯覚に陥るのは私だけではないと思う。
栄華を極めた王妃「マリー・エリザベート」を中心とした伝説、家系は中世ヨーロッパの歴史物語の再現であり、ナポレオン、ルイ13世、マリーアントワネット、フランス革命等絢爛豪華な重要な名前、ポイントが伺える。
更に、裏庭へ行ってまた仰天、1km近くも続く庭園、左右の横に広がる林・森…中央噴水の前には銅像、またその後方の小高い丘には門構えの大きな建物と気の遠くなる広い館、広場に圧倒された。
小高い丘陵地帯から遠くを望むと、ウイーンの街並みが青い空に映え、なかなか素晴らしい眺めであった。
あ!時間がない、驚いてばかりでは約束の時間に遅れてしまうと、K夫妻と玉砂利をザクザクと蹴って小高い丘の頂上から戻る。
当時の王様の別荘でも、またモーツワルト等数々の音楽家、画家等芸術をこよなく愛いしていたとは言え、栄華の誇り?スケールの大きさを実感した。
蔦、楓、野葡萄の絡み合うアーチの下を潜り抜け、やっとこ入り口へ着いた。
もう、さっきのごった返した人たちは去り、3人が笑顔で待っていてくれた。
地下鉄で昨日のカールスブラッツ駅へ行く途中、ホテル経由近くの中華レストランで昼食。
ブランドショッピングのYさん、Sさんと別れた。
ホーフブルグ王宮の前庭、ブルク公園内にあるモーツワルト像を探しても、なかなか見当らない。
右手に威容を誇る宮殿、左側は公園、やや進むとあったあったと思いきや、通行人「それはゲーテ像、あちらはスーザーよ」ときたもんだ。何だか判らなくなってしまった。
宮殿の至る所に銅像がある、その銅像は一山、二山位の大きな銅像だ。
しかし、いちいちチェックして写真を撮っている手間もない。
それでも、モーツワルトには是非対面をしたい。
そんな中、日本人らしき人がカメラをパチリしていたので、よくよく見たところあったあった音楽の天才「モーツワルト」像であった。
イタリアから出張の帰りとか、優雅な旅人、きっと高級官僚?商社マン?ではないかと羨ましく思い、写真を取り合って、宮殿の周辺を歩く。
ミヤヘル門からの光景は最高で、美術館、歴史博物館、ブオーティーフ寺院、市庁舎等々立派な芸術的建物が立ち並ぶ光景が180度見渡せた。
さて、王宮へ、見学8コースより選択肢があり、時間的に中程度のDコースを選び宮殿の中に入った。
王宮は午前中の別荘と同じ、エリザベートの暮らしぶり、コレクション等が見事に並び、これまた、日本語のレコーダーにより案内を受けた。
彼女は女帝そのもので、オーストリア帝国よりハンガリーを解放したとの経歴もあり、唯の女帝とは一味違う優しさを秘めた所があり、絢爛豪華な執務室、来賓室、風呂、また今様の様式トイレまでも彼女らの栄華振りが見受けられた。
食器類は殆どが金、銀製、また陶器との合体品等煌びやかなものばかり。
中には東洋系の絵馬等があり、繁栄の象徴で世界各国から芸術品の翆を集めたものだ。
5時頃になった、肌寒くなり、王宮の周りの人並みも少なくなってきた。
王宮の建物を離れてシュテファン寺院の方に向かうが、至るとこら何らかの銅像、ビルの壁、屋根には人、動物を表した芸術作品ばかりであった。
約束の「天満家」?で夕食に行くと、Yさん、Sさん達がいたいた、和食が恋しくなったか。
8時からのコンサートの時間も迫り、先ほどの王宮の横を通って北へ向かい、いよいよコンサート会場へ着いた。
しかし、30分程時間があったので、付近の国会議事堂を見学に行った。
周辺にはもう人影がぱらぱら、そこには現代風の白く輝く議事堂建物がサーチライトに照らされドッシリと威容をなしていた。
入場料金35ユーローのアースベルク音楽堂。収容スペース100人位の部屋に約70人が入ってミニコンサートが始まった。
演奏家は女性5人、男性2人、リーダーはバイオリン引きの40代の八千草薫風美女
「美しき青きドナウ」「白鳥の湖」等々、また男女ペアによるオペラ、バレーを織り込んだ
臨場感溢れる音楽会も2時間、あ!と言う間に過ぎてしまった様子。
こじんまりしたショーでしたが、観衆の皆さんはすごく堪能した様子。
特に、K氏の奥方は本場のオペラ歌手と握手し、感激に耽る一幕も。
熱い会場から一歩外に出ると、芸術に酔ったウイーンの夜は凄く寒かった。
並木道に厚く積もった落ち葉を踏みしめ、コンサートの余韻を胸に抱き、昼間歩いた反対側の歩道をカールスブラッツ駅に急いだ。
朝、いよいよ今日が最後の日、朝9時出発し、カールスブラッツ駅へ。
残った数々の芸術の逸品を、特に美術館は欠かせない等と言ったY氏の話を半分しか聞いてなく、私は結果的に、やや無駄な半日を過ごしてしまった。
世界3大美術館(ロンドン・マドリード)の一つ「ウイーン美術史美術館」はマリア・テレジア広場の南に、北には「自然史博物館」と、大きなマリア銅像を真ん中に位置し、ここにも彼女の大きな存在・偉大さを知る。
美術館に6ユーロ支払い入館するも、当然日本語の案内テープがあると思いきや、他国はあっても日本語だけはなくがっかりした。
ハウスブルグ王室が長年に渡り、集められた絵画コレクションの総展示であり、2階から4階のフロアには絵画のほかに古代文明エジプトのミイラから石の彫刻等ギッシリと展示してあり見学に忙しかった。
今月中は仏のゴアの作品展も併設していた。
「ハベルの塔」「雪中の狩人」のブリューゲン、ヴェチェリオ、「キリストマリア」のルーベンス、「   」ラッフアエロ等切りがなく絵画は踊る。
ハプスブルグ家歴代のコレクションの数は膨大で、質・量共に伊・西国の南ヨーロッパから、独国まで広範囲に及び、ハプスブルク王朝は完璧かつ完成度の高いものに興味を持ち、収集されたと言う。
トイレに行ったY氏に付き合わなかったため、皆さんと別れ別れになり、絵画展示を見たり、人探しをしたり広い管内を2時間余り2度3度歩き回った。
昼頃美術館を出て、路面電車リング(山手線)の1周30分コースに乗り、周囲の芸術的建造物、街並みを見ながら2周した。
途中4,5回降りて、ドナウ川(実際はドナウの運河)の散策。
リングの外周から離れて市の北西部地区(ウイーン北駅)の遊園地付近へと冒険を試み、ウイーン郊外の街並みに触れたが、やはり老人が目立った。
しばらくして、リングに戻ろうとしたが、路面電車を乗り違え、瞬間的に迷子になり、おまわりさんにリング電車の道筋を日・英語及び地図によりどうにか戻った。

途中、大学、古い宮殿、銅像(後で判ったがヨハンシュトラウス、シューベルト)等クラッシックな家・街並みを見て歩き、路面電車は枯葉散る広葉樹の大木をくぐり、ゆっくりと走っている。
再び、ケルトナー通りに戻り、ウインドショピングをしながらお土産の物色をしたが、モーツワルトチョコレートの人気が一番で、私も大量に買い込んだ。
ホテルに戻りY氏に合ったが、彼はベルブエデーレ宮殿、国連本部を見学し、ドナウ川の畔まで散策したと、またk夫妻も国連本部を訪問したと聞き、なお一層驚いた。
それにしても、美術館の一瞬の迷子を悔やんだが、もう遅かった。
次の」出発の日、朝5時に地下鉄U1に乗り、教えて頂いたとおり、国連本部及び本物のドナウ川を尋ねた。
まだ、薄暗く電車にも乗客が少なく、やや不安でもあったが、国連本部の駅に降り、本部の門をたたいたが開門は9時という。
仕方なく列車でドナウ川の中州にあるステエ駅まで戻り、朝霧に噎ぶドナウ川のさざなみを味わった。
ヨハンシュトラウス、シュウ−ベルト、ベートーベン、そしてモーツアルト等、多くの音楽家を生み、育んだ地ウイーン、音楽の都のそして歴史・芸術の都の主役達に別れを告げて、帰路に着いた。



 シェーンブルン宮殿                    シェーンブルン宮殿のグロリエッテ               グロリエッテから宮殿を望む  


オペラ座                            新王宮裏門                          モーツアルト像
  


 ウイーン市庁舎                       国会議事堂                        マリアテレジア像と自然史博物館
  


美術博物館   世界3大博物館の一つ他の二つはルーブルとプラド           新王宮 オイゲン公騎馬像
 


ミヒャエル広場と王宮                                               ペーター教会
             


世界遺産の旧市街中心シュテファン寺院                                    ヴォティーフ教会
          


 ベルベデーレ宮殿上宮 オオストリアギャラリー                    ベルベデーレ宮殿下宮 バロック美術館
        


バレーとオペラとミニコンサート                                  ドナウ川
             


 ノイエ・ドナウ川  橋の向こうに国連ビル                        ミラノとウイーン間はアリタリア航空54人乗
               


市庁舎前で背景ヴォティーフ教会        シュテファン寺院前で              
                              


  今回旅のメンバー  小松正俊 ご夫妻 矢嶋國男氏 須ノ原氏  平沢文博氏 であった。 Everyone, in happiness