二十九日月


鋭く尖った月。
切っ先を思わせる月の棘は、必死に空に留まろうとしているようにも見える。
「古文だったら楽勝なのに。俺、英文は苦手なんだよなぁ。あーあー……」
真樹がぼやきながら、僕の横で異国の文字を広げた。
アルファベット。僕がはじめてこの文字を目にしたのは、室町の時代が絶えようとしている頃だった。
「なんだ、この程度なら、僕でも読めるぞ」
 横からのぞきこんだ僕の言葉に、真樹が眉をひそめる。
「夜見が? 英語を? コレ、読めるのか?」
論より証拠。
「We tend to imagine that very primitive men were making Tarzan grunts and howling.But human language did not begin like that.It began as a continuous babble and it…」
「なんで?」
目を丸くした真樹の疑問。
「二十数年前、信志と一緒に勉強したから。ああ見えても、信志は古文より英文のほうが得意だったから。通訳のアルバイトなんかをやる程度にね」
 僕が次期斎主に教える祝詞や伝承は、古い言葉が多い。
負けず嫌いの信志は、僕に英語を教えることで一矢報いようと頑張った。
ただそれだけのこと。ただし、僕は忘れない。
「へえ、初耳。なんでそんな親父が、後継ぐ気になったわけ?」
何も知らぬ問いは、時に僕の一番痛いところに突き刺さることがある。あの空に刺さった月のような鋭さで。
「さてね。本人に聞くのが一番いいだろう」
 妥協。挫折。しがらみ。自由だったはずの信志を、ゆっくりと絡めとっていった現実。
大人になる という言葉だけでは済まされない拘束。
いずれ、真樹も知ることになる事実。
見上げた空にひっかかった月は、少し傾きかけていた。

三十日月へ
月読記へ