三十日月


つごもり。
切ったはずの髪が、現れる。
さらさらと流れる、幻の、僕の想い出たち。
忘却に流した僕の時。
普段信志や真樹に見せている僕とは違う、僕。
だから僕は、斎主や次期斎主に逢うのを厭う。
満月の夜、僕だけが表で駆け巡るのと対照的に、本殿から一歩も外へ出ない僕。
彼らは、本殿の中で想い出たちと語る僕を知らない。
いつかは、知る事になるだろう。
「その髪、結い上げるがよろしいかと思うが…」
僕の想い出から現れたのは、江戸と呼ばれた時代の斎主。名は、テルアキ。輝昭という真名を与えたのは、僕。僕と共に過ごした輝昭の想いが、生前の姿を模しているだけ。それでも、会話くらいはできる存在。
孤独な僕が創り出した、不確かな、仮の命。
「輝昭…結い上げるような長さだと思うのか?」
「いや……。おや……」
今夜は、もう一人。僕の記憶から目覚めたようだ。
「ひさしゅう。夜見殿。弓月の君は、今宵もお隠れか?」
直垂を着て現れたのは、鎌倉と呼ばれていた時代に僕と過ごしたミツナオ。弓月夜見をとても想ってくれた、斎主。そう、とても深く、想ってくれた…。
「…光直……。なぜそこで、僕の服紐に手をかける……」
あからさまな色事を好まなかった輝昭が、解けた服紐をすばやく結び直してくれた。この気質、現在斎主の信志にも受け継がれているように感じる。
「召物の一つもいただけば、弓月の君に逢えるかと」
答えて笑う光直の血も、輝昭は受け継いでいる筈。やはり、時代と環境だろうか。
想い出たちとしか語れない事は多い。
本殿の中で流れていく時間を、僕は一抹の寂しさを含んだ喜びと共に過ごした。
明日は…。
再び、あらたな月が始まる。

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