二十一日月


 太陰。妲娥。嫦娥。玉兎。月魄。
 どれも、現在は多くの人が忘れてしまった月の呼び名だ。月の存在を意識しない人が多い中、それは仕方のないことだろう。
 気持ちばかりの雨が降っている。だが、月も出ていた。
「これが本当の『雨夜の月』だな」
 本殿の方から声がした。斎主である信志が、懐かしげな面持ちで空を見上げている。
「真樹はどうした?」
「そのうち来るだろう。神酒の準備をしていたようだったが……」
 信志は視線を巡らせた。彼に僕の姿は見えていない。見えないはずなのに、信志の目は真っすぐ僕を見て止まった。何故だろう。中には、僕の存在が全く分からなくなってしまう斎主もいるのに。
「弓月夜…いや、夜見。真樹に本当の月を見せてやってくれ」
 その言葉が意図しているものは、すぐに理解できた。しかし、答えはすぐ出せなかった。信志に手招きされ、歩み寄る。
「信志、何を考えている? 真樹には、まだ……」
「早すぎる、か?」
 探るように差し出された信志の手が、頬に触れた。確かめるように肩を掴むと、顔を寄せ、耳元で囁く。
「私は、真樹なら、既存の弓月夜見と斎主の歪んだ関係を、変えることができるかもしれないと期待している。間違っても本人に教える気はないから、ここだけの話だがね」
「親父っ、何やってんだよっっ!」
 真樹の多少戸惑ったような怒鳴り声がして、信志がゆっくりと僕から離れる。
「夜見に、あまり真樹をいじめてくれるなと頼んでいただけだ。何を勘違いしている?」
 勘違い…とはいえ、恐らく母屋から出て来た時の角度では、どうみても……。
 真樹がこの上ない複雑な表情をしているのも、納得がいく。
 いつの間にか雨は止み、月が辺りを照らし出していた。


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