六日月


「あれ? 今日は空を見ないのか?」
 夜空に月が姿を現しても本殿に閉じこもったまま表に出ようとしない僕に、真樹はからかうような口調で言った。
「ああ。今日は六日月だから。あれを見ると必ず失敗事が起きる。そういう呪いを持った光だ」
「そーいや、そうだっけ。もう俺、見ちまったぜ」
「別に命に別状はないから、安心しろ」
 昨夜の影響で、座っていても身体が疼く。
沸き上がり埋め尽くしてゆく、嫌悪感。いずれ抱え切れなくなる。
 斎主の血を引かない者は、僕にとっては不浄な者だ。それでも、斎主の手で清められた直後なら、何ら問題はない。(だから、斎主が妻を紹介するのは、初夜の翌朝と決まっている)しかし、清められていない場合、僕は生理的意図的にその者との至近距離を避ける。
 僕に触れることを許せば、募る嫌悪感はやがて怒りに変化し、表面を取りつくろっているだけの人としての理性など、簡単に消えてしまうから。
 普段は眠っている残酷な神としての理性が目覚めた時、僕は斎主に何を要求するだろう。
あらぶる神が望むもの……。
 だから、僕は不浄な者に直接触れることを避けていた。真樹は潔癖症などと誤解していたらしいが、説明して理解できることじゃない。誰もが経験から学んできた現象。
 数十年前も、僕と真樹の父親との間で、似たようなことがあったのだ。
いつの時代でも僕は、同じことを繰り返している気がする。
「夜見には、失敗しちゃ困ることでもあるのか?」
 そう尋ねた真樹に、僕は答えなかった。想像以上に身体に残された嫌悪感が強い。
「……。真樹は信志から『荒魂鎮め』を習ったか?」
 それは、神の理性を封じる方法……。次期斎主の真樹ができなければ、現斎主を呼ばなければならない。まだ人の心があるうちに。
「その『アラタマシズメ』って、何だ?」
「……。真樹、信志にその言葉を伝えてきてくれ」
 僕の尋常でない口調に何を悟ったのか、真樹は足早に本殿を出て行った。
 明日は七日月。
奇数は陽、偶数は陰。
封じるには良い日だろう。
 明日味わうことになるだろう苦痛を想い、僕はきつく目を閉じた。

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