厚意
船長であるリュウガは、腕を組んでため息をついた。
「おい……んなトコで、どうした?」
「……船長」
目に今にも溢れそうな涙をためたヒロインが、リュウガを見上げた。
「……ま、聞かなくてもわかるがな…。船長室へ来るか? アドバイスくらいなら、してやれるぞ?」
ヒロインが少し考えてから、こくん、と頷いた。
その動きに、瞳からあふれた涙が頬を伝う。
しばらく前。
リュウガは、偶然、ヒロインとその恋人のシンが揉めているのを見ていた。
いや、揉めているというよりは、どうやらヒロインの提案をシンが有無を言わせず否定却下していたらしい、という方が正しい。
彼女がどんな提案をしたのかは判らないが、あんな一方的な拒絶に似た却下では……。
「船長…。シンさん、私のことが嫌いになっちゃったんでしょうか?」
船長室へ来たヒロインの第一声に、リュウガは苦笑した。
「何をか言わんや、だな」
「? え?」
棚から酒瓶を取り出したリュウガが、はちみつ色の液体を小さなグラスに注ぐ。
「まあ、まずはコレ飲んで落ち着け。糖蜜酒だ」
リュウガに差し出されたグラスを、ヒロインはどうしようか迷うような表情で見つめた。
「どういう了見です?」
明らかに怒気の混じった声音のシンに、リュウガは肩をすくめる。
「そりゃー、甲板で泣いてる船員がいたら、船長としちゃあ、放っておけねぇだろ?」
「それでどうして船長室に?」
「泣いている女から、その場で、しかも誰が来るかも判らない甲板で事情を聞き出すような野暮はしねぇさ」
至極もっともなリュウガの言い分に、シンが返答に詰まった。
「ま、それで、話を聞いてやっているうちに、日が暮れちまったわけだ」
悪びれる様子もなくリュウガは船長室の扉を開けて、シンを招き入れる。
船長室はいつもと違う甘い芳香に包まれていた。
その芳香と、ソファで寝息を立てているヒロインの様子に、シンがリュウガを睨みつける。
「ん? 匂うか? ソイツに飲ませた糖蜜酒の香りだろ。なかなか、美味しそうに出来上がっているな」
リュウガの言葉に、シンの視線が更に鋭くなった。
自分の恋人が、別の男の部屋に入り込んでいただけでも面白くないというのに、酒で酔いつぶれているのである。
おまけに、その部屋の主に恋人が美味しそうだなどと評されて、怒らずにいられるわけがない。
「最高級の糖蜜酒だからな。変な悪酔いはしねぇよ」
そんなシンの心情など、明らかに判っている筈なのに、リュウガはシンの怒りを無視するかのように、明るく笑った。
恋人を放置できる状況ではないことは明らかなため、シンはため息をついて寝入っているヒロインを抱き上げる。
そのまま、リュウガを無視して、シンは船長室の出口に向かった。
「ああ、それからな。明日『四月の魚』をやるぞ。ヒロインにも教えておけよ」
「………それは、船長命令ですか?」
怒りのオーラを立ち上らせながらも、シンが出口で立ち止まって事務的に確認する。
基本的に真面目なシン。
「ああ」
リュウガはそんなシンに笑顔で頷いた。
翌朝。
甲板では、トワとハヤテが二人で何事かを相談していた。
「とにかく、無効にする文面にして、貼りつければいいんですよ」
トワの言葉に、ハヤテが口を尖らせた。
「んなこと、わかってんだよ。問題は、どうやってナギ兄やソウシさんや船長につけるかってことだろ」
「でも、ハヤテさんと僕で協力しても、失敗しそうな気がしますよ?」
「だよなぁ……」
ハヤテは諦めたように甲板に寝転んで、風を受けているセイルを見上げた。
『四月の魚』のルールでは、魚の形にしたカードをこっそり背中に貼りつけなければならない。
「…あっ、そうか。いい方法がありますっ」
寝転がるハヤテを見てトワが明るい声をあげた。
一方、医務室では…。
机上に並べた魚のカードを見下ろして、ソウシは愉しそうに笑みを浮かべた。
「あとは、みんなに気づかれないようにこれをね……うーん、どうしようかなぁ……」
悪戯っ子のような表情で、薬の並ぶ棚を眺める。
「…どれでも使えそうだけど……あまり簡単すぎても面白くないよね」
眠り薬や、痺れ薬を指先でなぞりながら、ソウシが考え込んだ。
やがて、ソウシは何か思いついたように、薬棚に鍵をかけたのだった。
そして厨房では…。
クツクツと鍋が音を立てる中、訪れたシンがナギに告げた。
「ヒロインはもうしばらく寝せておく」
「……わかった」
シンに背中を向けたまま、ナギが答える。
いつもなら、それで立ち去るはずのシンがなかなか立ち去らない気配に、ナギは訝しげに肩越しに振り返った。
「…シン?」
「相変わらず隙の無い背中だな」
シンが諦めたように苦笑する。ナギの口元にも笑みが浮かんだ。
「そう簡単に貼らせてやらねぇよ」
ある地方では、エイプリルフールに魚の形のパイを焼いて食べるという。
また、その地方の子供達は魚のカードをこっそり他人の背中に貼りつける悪戯を楽しむともいう。
シリウス流の『四月の魚』はこの悪戯から発生したエイプリルフールのちょっとしたゲームだった。
もし、うっかり背中にカードを貼られてしまったら、そのカードに書かれていることは絶対に実行しなければならないことになっている。
それは、エイプリルフール24時間限定のことだから、カードに書かれる内容も、無茶振りが多かった。
「ハヤテさんっ。大変ですっ! いつの間にか背中に魚がっ!」
昼間近。トワが慌てたようにハヤテに告げた。
「げぇっ…」
ハヤテが慌てて背中に手を回すと、紙切れが手に触れる。
『野菜だけ3皿食べる』
「ナ…ナギ兄、いつの間に……」
いつ貼られたかも判らず立ち尽くすハヤテの横で、ソウシがくすっと笑った。
「二人とも、隙だらけだよ?」
「あっ…えええーっ」
トワが慌てて、自分の背中に手を回す。
『新薬の実験を手伝う』
予想通りの文字に、トワが肩を落とした。
早速、2枚目のカードを貼られてしまったハヤテは悔しそうにカードを丸める。
すると。
「ドクターも珍しく隙があったようですね」
測鉛のロープを巻き取りながら、船縁でシンが笑みを浮かべた。
「うん?」
ソウシが自分の背中に手を回すと、紙切れが一つ剥がれ落ちる。
『トワとハヤテに貼ったカードの内容を却下する』
「あははは。ホントだ。二人ともいつの間に?」
ソウシから剥がれ落ちたカードを見て、トワの表情が明るくなった。
「…あっ」
「やっりぃーっ。成功じゃん、トワっ」
不思議がるソウシに、シンが告げる。
「あちこちの椅子の背当てに、そいつらのカードが仕込んでありましたよ」
「なぁんだ。そっか。残念」
にこにこと笑いながら、ソウシは、喜び合うトワとハヤテを褒めるような眼差しで見た。
船室では、ヒロインが魚形に切った紙を手に、ひたすら考え込んでいた。
「えーと…なんて書けばいいんだろ…」
シンから『四月の魚』の説明を聞いて、早速、カード作りをしたヒロインだったが、書き込む言葉が決まらずに悩んでいるのである。
「おい、ヒロイン、居るか?」
扉の向こうからリュウガの声がして、ヒロインは返事をして扉を開ける。
「船長? あの、何か?」
「いつまでも部屋に閉じこもっていたら、ゲームにならねぇだろうが」
「あ、すいません。でも今、やっとカードを作っているところで…」
「…ま、がんばれよ」
ぽん、と肩を叩かれたヒロインがはっと肩を見ると、そこには魚の形のカードが揺れている。
「せ、船長?」
「なんだ? そんなに隙だらけだと、部屋から出たとたん、全員に魚を貼りつけられるぞ?」
唖然とするヒロインに、リュウガは笑いながら背を向けて立ち去る。
「……部屋から出なくても、船長に貼られちゃった…」
あのリュウガのことである。
いったい、何が書いてあるのかと少しドキドキしながら、肩に貼られたカードを手にしたヒロインは、リュウガらしい大ぶりの文字で書かれた文面を読んで目を丸くした。
『ドレスを買って欲しいと書いたカードをシンの背中に貼れ』
「………。これって、絶対にしなきゃいけないんだよね…うわぁ……」
しばらく立ち尽くしていたヒロインだったが、やがて意を決したようにペンをとると、カードへ次々と文字を書き込んだ。
その夜。
シリウスの面々は、盛大な宴を開いて昼間の『四月の魚』について語り合っていた。
「ほら、ハヤテ食え」
ナギが、野菜ばかり盛りつけられた皿をハヤテの前に置く。
「…っきしょー。ずりぃよ、ナギ兄っ。なんでヒロインにだけ貼らせてやるんだよっ」
「……貼らせてやったわけじゃねぇ…」
実際、突然ヒロインが抱きついて来たのだ。
びっくりして、思わず抱きとめてしまった時には、不本意にも魚のカードが背中に貼られていた。
しかも、そのカードには『シンさんの背中にカードを貼る手伝いをしてください』と書かれていたのである。
話を聞けば、いきなり抱きついてくる手法は、ソウシの入れ知恵だという。
同じ手法で、ハヤテもトワも同様のカードを貼られたのだが、それについては誰も語らず黙している。
それぞれがそれなりに気が動転したり慌てたりしたが、シンの手前、黙することが最良と判断したのだ。
そんな皆の心理を分かっていてヒロインに入れ知恵するあたり、ソウシは流石と言うべきか。
そのソウシも、同様の文面のカードを貼られたのだというが、ナギと違っておそらくは知らんぷりしてヒロインに貼らせてやったのだろうと容易に想像がついた。
「…ったく。お前はここで大人しく座ってろ」
少し離れた場所で、シンが呆れたようにヒロインを座らせた。
えへへ、と嬉しそうに笑顔になるヒロインは、幸せそうだ。
無事にシンの背中へカードを貼ることができた満足感もあるのだろう。
皆の影ながらの協力で、無事にシンの背にカードを貼ることに成功したヒロイン。
肝心のシンは、貼られた直後は不機嫌そうにしていたが、カードに書かれていた内容がまんざらではなかったらしい。
協力したと思われる面々を多少睨みはしたが、それで気が済んだようだった。
ただ、ヒロインのことだから、どうやってナギやハヤテの協力を得たのかシンに問われれば、彼らがあえて黙していることまで素直に話してしまいそうではあったが…。
そして。
シンの隣で宴の酒を少しずつ飲むヒロインを眺め、前日の諍い理由を知るリュウガも、満足そうな笑みを浮かべていた。
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18歳以上の大人です