呪詛
胸の中心部を鷲掴みにされるような激痛を覚えて、ソウシは思わず息を止め、眉をしかめた。
「ソウシ先生?」
ヒロインが不思議そうにソウシを見上げる。
「ああ、ごめん、なんでもないよ?」
やんわりと微笑んで、心配そうなヒロインの手をそっと退ける。
触れていた温もりが離れた途端に、胸の激痛は嘘のように消えていた。
「……?」
うかがうようなヒロインの視線に、ソウシはもう一度、にっこりと笑った。
「それで、ヒロインちゃんは、シンが何か病気かもしれないと思うんだね?」
「はい。シンさんは何も言わないんですけど、何か変なんです。どこか、体調が悪いんじゃないかと…」
「…ふぅん……なるほどね……」
ソウシは、手を組んで微笑する。
「ところでヒロインちゃん、ナギの様子はどう思う?」
「え? ナギさんですか? …特には……」
しばらく考え込んだヒロインが、うれしそうな笑顔になる。
「ああ、でも最近、ナギさん、いろいろとお料理を私に任せてくれるんです。味付けとかも、ナギさんに言われた通りにやると、わりと簡単にOKもらえて。ちょっと、
うれしいですっ」
「へぇ……。そうなんだ」
ヒロインの話を聞きながら、ソウシは静かな微笑を浮かべた。
「さすがだね、ナギ」
甲板で釣り餌の準備をしていたナギは、悪戯っぽい笑みを浮かべている声の主を一瞥して、視線を再び手元に戻した。
「何の用ですか、ドクター?」
「ナギの症状を確認しておことうと思ってね。始まりは、一昨日だよね?」
「………」
ナギは手を止めて、ソウシを見た。
「正確には、一昨日、あの声を聞いた後からかな? もしかしたらシンも同じ症状が出ているのかもしれないんだけど……」
「シンも?」
ソウシが苦笑を浮かべる。
「ヒロインちゃんに触れられると、胸が痛むよね? それも、息も止まるほどの激痛だよね?」
「………」
黙ったまま、ナギが真剣な眼差しでソウシを見返した。
なぜそれを知っているのか、と問いつめるような雰囲気がある。
「あはは……まあ、この際、そのあたりについては、気付かないふりをして欲しいんだけどね」
ナギの無言の視線を受け止めたソウシは、苦笑しながらナギの無言の問いかけに答えた。
「…ハヤテやトワは……」
ようやく、ナギの重い口が開いて、言葉が出る。
「大丈夫なんじゃないかな。もしも原因が一昨日のあの声なら、可能性があるのは、ナギとシンでしょ?」
「…それとドクターですね」
それは、一昨日の宝探しに行った不思議な古城。
宝を隠した仕掛けがあった部屋で、罠の解除をしたシンとナギとソウシは、男とも女とも判別できない不思議な声を聞いた。
『一番大切なものに触れられぬ苦しみを味わうがいい』
そう、不思議な声は囁いたような気がする。
「大切な物ではなくて、大切な者、だったんだねぇ……」
苦笑したソウシが、しみじみと呟く。
「………」
ナギは、なんともいえない表情で、そんなソウシから視線をそらして、釣りの準備を再開した。
ノックの音に、シンは読んでいた本から視線を上げた。
ヒロインかと思うと、幾度となく味わう激痛に、シンは自然と身構えてしまう。
それでも、誰にも気取られたくはなかった。ヒロインに触れるたびに息も止まるような激痛を味わっているとは。
「シン、ちょっといいかな?」
ソウシの声に、どことなく安堵のため息をついて、シンが答える。
航海室へ入ってきたソウシは、机上に置かれている本をチラリとみて、微笑した。
「たぶん、伝承の本に解決法は載っていないと思うよ。呪詛呪術の本の方が、可能性は高いかな」
「………」
ソウシの言葉に、シンは刺すような鋭い視線を向けた。
「まったく…シンといい、ナギといい……我慢強いというか、強情というか……素直じゃないよね。相談くらいしてくれてもいいと思うんだけど…」
苦笑しながらソウシは、錠剤の入った小瓶を差し出す。
「即効性の痛み止めだよ。もともと性質の違う痛みだから、多少は効く、程度だけどね。でも、1日に5錠までにしておいて。シンなら判るだろうけど、それ以上は命に
かかわるからね」
「……ドクターもですか?」
シンの問いかけに、ソウシはくすくすと笑った。
「…ヒロインちゃんが、シンはどこか具合悪いんじゃないかと心配して私に相談してきたよ」
問いかけを完全にはぐらかした返答に、ちっと舌打ちして、シンは差し出された薬の小瓶を受け取った。
「……呪詛呪術の本ですか……」
机上に置いた伝説や伝承の本たちを見下ろして呟く。
確かに、ここにあるどの本にも、今回の現象のようなことは、載っていなかった。
「そう。あの仕掛け部屋って、どうみても女性の部屋だったよね。だから、もしかしたら、女の子が好きそうな、おまじないとか、そういった類かもしれないと思わない
かな?」
「船長あたりが持っていそうですね…」
シンの言葉に、ソウシが頷いた。
「うん。そう思って、リュウガの蔵書も調べてみたんだけど、占いやまじないの本には無かったんだ。だからね、もう少し本格的な、呪詛・呪術の本だと思うんだよ」
「そんな本………。ああ、持っていそうな奴がいますね」
何か思い当ったらしきシンが、不敵な笑みを浮かべた。
再びノックの音がする。
「あの……シンさん、お茶持ってきました」
少し遠慮がちなヒロインの声がする。
「入れ」
扉を開けたヒロインは、シンの横にソウシがいるのを見て、足を止めた。
「あ、ごめんなさい。何かお話中でしたか?」
「大丈夫だよ。どうも最近、シンが疲れているようだから、特別に調合した栄養剤を今、渡したところなんだ。シン、せっかくだから、飲んでみたら?」
「………」
にこやかなソウシの言葉に、シンはため息をついて小瓶から錠剤を一つ取り出した。
「そのまま口の中で舐め溶かす飲み方が、一番早く効くかもね」
ソウシが指を立ててアドバイスする。
黙ってシンは、言われたままに錠剤を口に入れた。
机上に持ってきたお茶のトレイを置いたヒロインも、なんとなく動きを止めてそんなシンを見守る。
「何、お前まで人を観察しているんだ」
ジロリとそんなヒロインを見たシンが、ヒロインの腕を掴んで引き寄せた。
「え?」
不意に引っ張られてシンの腕の中で見上げる形になったヒロインの唇に数秒、シンの温もりが触れて去っていく。
ソウシの目の前でキスされたのだとヒロインが気づいた時には、もうシンがソウシと話をしていた。
「確かに、多少は効くようですね。ありがとうございます、ドクター」
「まったく…シンも、困った子だね」
「コイツは俺のものですから」
ソウシは肩をすくめて、航海室を出ていった。
明るい未来に想像をめぐらせて風呂掃除をしていたロイは、突然の船体の揺れにあわてて甲板に出た。
「な、なんだなんだっ。どうしたんだ?」
「よう、ロイ。ちょっと邪魔するぞ」
親しげな笑顔を浮かべた海賊王たるリュウガが、いつのまにかリカー号の甲板に立っている。
「リュウガ? 何の用だっ! も、もしかして、誕生日プレゼントを持ってきたのか?」
「誕生日? ああ、そんな時期だったか?」
リュウガは笑いながら、どことなくテレテレするロイを見返して、言葉を濁した。
「えぇと…まあ、そうだな。なら、この酒をおまえにやるか……」
手にしていた酒瓶を差し出すリュウガに、ロイは喜びの声を上げた。
「うおおぉぉっ。リュウガが誕生日を覚えていてくれたとはー。感動だぁ」
「あー……いや…偶然なんだが……」
「ということは、まさか、俺様の真珠ちゃんも、連れてきてくれているのか?」
ロイが、期待の眼差しでリュウガに迫る。
「あのな、ロイ。何度も言うようだが、ヒロインはシンの女だぞ」
「くぅぅぅ、あんなへっぽこ航海士に、俺様の真珠ちゃんが手折られてしまうとは…。だが、安心しろ、リュウガ。俺様の心はこの海よりも広いのだ。どんな真珠ちゃん
でも、俺様は受け入れることができると、ここに宣言しよう」
「まあ、確かに、女はある程度経験積んでいた方が、イイわな…」
微妙に同意したリュウガに、ソウシが声をかけた。
「船に戻るね」
「おう」
「うん?」
ロイがふとみれば、本を抱えたシリウス号の船医と航海士が、リカー号の甲板を去って行く。
「あああぁぁぁーっ、それは、俺様が真珠ちゃんとの愛をつらぬくための研究書っ」
「ああ? あいつらが、資料として欲しいらしいんでな。ちょっともらっていくぞ、ロイ」
ニヤリとしたリュウガが、ひらりと甲板を飛んで離れつつあるシリウス号に乗り移る。
「こらーっ、どろぼうーっ」
リュウガを追ってシリウス号に飛び移ろうとしたロイを、聞き覚えのある声が引き留めた。
「ロイ様ぁぁ、助けてー」
ロイが見上げれば、リカー号の見張り台には手足をぐるぐる縛られたトムとコリン。
「ああ、おまえたちっ。はっ、そうだ、こんなときにファジーはどうしたんだっ!」
すると、船長室の前に、ちょっと服を乱して「まさかソウシ様に想われているなんてあたい気付かなかったよぉ」とメロメロしているファジー。
かくして。
ロイが船長室に置いておいた、世界各国の恋愛にかかわるまじないの本がごっそりと消えていたのだった。
呪詛や呪術の本を読んでいたソウシが、くすくすと笑い始め、シンは怪訝な顔で手を止めてソウシを見た。
「あ、ごめんごめん。みつけたよ。たぶん、コレだ」
シンの視線に気づいたソウシが、開いたページを指さす。
「好きな相手に触れると激痛を感じるようにする呪い、だって。好きな相手に現在の想い人を諦めさせて、自分が振り向いてもらえるようにする呪術、みたいだよ」
「自分勝手も甚だしい呪いですね。それで、呪いの解き方は?」
「うん。ここに書いてある注意書きによるとね、呪いにかかった人が、想い人から『好き』だと言ってもらえると、効力が消えるってあるよ」
「………」
ソウシの示した部分を読んだシンが、むっとした表情になる。
その様子を見て、再びソウシがくすくすと笑った。
「…シンの場合は、すぐに効力が消えても不思議じゃなかったはずなんだけどね。あんまりヒロインちゃんをいじめちゃだめだよ?」
「………」
恋人同士になってからは、改まって好きだと言う機会は少ない。
いや、もしかしたら、言っていないし、言わせていない気がする。
シンがそんなことを思い返していると、立ち上がったソウシが、扉を開けて甲板で洗濯物の取り入れをしているヒロインを呼んだ。
「はいっ。なんですか、ソウシ先生っ」
ぱたぱたと、ヒロインが戸口に駈けて来る。
にこにこと笑ったソウシが、ごく普通の会話のような雰囲気で告げた。
「ヒロインちゃん、大好きだよ」
「え?」
きょとんとしたヒロインが、ソウシを見上げる。
シンが鋭くソウシを睨みつけたが、ソウシは意に介さない。
「呼んだらすぐに来てくれるところがね。ところで、ヒロインちゃんは、シリウスの仲間で嫌いな人、居たりする?」
「え? そんなまさか。私もみんなのこと、好きですよ」
答えたヒロインは、ソウシにつられるように笑顔になった。
その様子を無言で傍観していたシンは、ますます渋面になる。
「そう? 私はヒロインちゃんに嫌われていないかな?」
「当たり前です。ソウシ先生はいつもすごいし、優しいから好きですよ」
「うん。そう。ありがとう。はい、握手」
「?」
目の前に差し出された手を、ヒロインは不思議そうに握り返した。
にっこり笑ったソウシが、シンを見る。
「というわけで、ナギの治療にヒロインちゃんを借りてもいいかな?」
「………」
不機嫌そうに、立ち上がったシンは、黙ったまま棚や机に広げた本や積み重ねた本を片付け始めた。
「じゃあ、ちょっとヒロインちゃん、手伝ってくれる?」
「はあ……」
よく意味がわからない、という顔で立ち止まってシンとソウシを見比べたヒロインに、背を向けため息をついたシンが言った。
「いいからドクターを手伝ってこい」
明らかに、渋々、といった様子がうかがえる、シンの声音だった。
「…はい」
頷いたヒロインは、ソウシと一緒にナギが作業している倉庫へ向かった。
ナギがトワと一緒に倉庫の在庫記録を照合していると、ソウシとヒロインがやってきた。
「あ、ナギさんっ。私、いつもおいしいお料理を作ってくれるナギさんが好きですよ?」
「?」
突然、背後から言われたナギが、不可解な表情でヒロインと、その後ろに立つソウシを見た。
「はい、ヒロインちゃん、そこでナギと握手して」
「? 握手だそうです、ナギさん」
にっこりと笑顔で差し出されたヒロインの手を、しばらく黙って見返していたナギが、仕方なさそうに握り返す。
そして、意外そうな表情でソウシを見た。
「うん、治ったようだね。ありがとうね、ヒロインちゃん」
ソウシがヒロインの頭を撫でながら言う。
「いえ……それにしても、女の人と握手ができない薬なんて、何に使うつもりなんですか、ソウシ先生」
「あはははは。ちょっとリュウガの娼館通いをなんとかしようかと思ったんだけどね。さて、きっとシンが心配しているだろうから、シンのところへ行ってあげて」
「まさか、シンさんにも試したりしていませんよね?」
「うーんと……。シンに握手を申し込んでみると判るかもね」
悪戯っぽい笑みを浮かべるソウシに、ヒロインは呆れたような表情をして倉庫を出て行った。
「ドクターの薬?」
怪訝そうにナギがソウシを見る。
「うん。そういうことにしておいたほうが、いいかな、と思ってね。呪いだとか言ったら、余計な心配や気遣いをしちゃうでしょ、ヒロインちゃん」
そして、ソウシの詳しい説明を聞いてナギがため息をつく。
「…つまり、どんな意味でもその言葉であればいいわけですね?」
「うーん…少なからず、どきっとする言葉になっていないと、効力がないと思うよ。一瞬、ドキリとしたでしょ?」
くす、とソウシは笑ってナギの表情をうかがう。
「………」
相変わらず無口なナギ。
ソウシは視線をトワに移して告げた。
「というわけで、トワもそれで話を合わせてね」
「は、はいっ…」
トワが慌てて、返事をする。
「うん。じゃあね」
ソウシはナギとトワに背を向け、倉庫から去って行った。
「…でも、…本当に作ってみるのも面白そうだよね、女性に触れられなくなる薬…」
ナギとトワが、倉庫を出ていくソウシの独り言を耳にして、ぎょっとした表情になったが、その後、その薬が実際に作られたのかどうかは、二人には分からなかったとい
う。
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18歳以上の大人です