信仰



救いあげた遭難者を見下ろして、シンは舌打ちした。
「ドクター、本当にコイツを助けるんですか?」
「見つけちゃったんだもの、放っておけないよ。それに、たぶん…まだ子供だよ?」
「トワくらいでしょう? もう子供とは言えませんよ」
 シンは、吐き捨てるように言って踵を返し、操舵場に向かう。
「いいよね?」
 ソウシは、確認するように笑みを浮かべてリュウガを見た。
「まあ、助けちまったもんは仕方ねぇな。確かに、ガキといえばガキだろうが……」
 意識のない遭難者の服装を見下ろしたリュウガが、あからさまに面倒そうだという表情をする。
「……うん、できるだけ医務室にいてもらうようにするね」
 遭難者が固く握りしめている装飾品と服装を見下ろして、ソウシが苦笑した。


 ふと目覚めると、見慣れない服装の男の人が僕を見た。
「あ、気がついた? よかった。結構、危なかったんだよ。どうしてあんなところで漂っていたの?」
 優しい微笑みで尋ねられて、僕は悪夢のような夜を思い出す。
「……助かった…? 他の方々は……」
 目の前の男の人が、少し眉を顰めた。
「私が見つけた時は、君一人で、木箱の中にうずくまっていたけれど……」
「……そう……ですか………」
 ふと、手の中の十字架を握りしめる。
 きっと、他の人々もどこかで助かっていてほしい。
いや、助かっているだろう。
 僕は神に祈りと救われた感謝を述べる。
 目の前の男の人は、穏やかな表情で祈りの言葉を唱える僕を眺めていた。
「……久しぶりに聞いたな…」
 男の人が小さく呟いたのが、聞こえて、僕は顔を上げる。
 どこか懐かしそうな、悲しそうな視線が、僕を見ていた。
「助けていただいて、ありがとうございました」
 僕はふと、礼を言っていないことに気づいて頭を下げ、所属と名と、事情を告げた。
 神の言葉と教えを未開の地に伝えるための宣教師になって初めての船旅が、よりによって海賊に襲われて海に投げ出されることになるなんて、誰が予想しただろう。
 あの海賊達は、悪魔のように笑いながら、僕等に言ったのだ。
 『本当にお前らの神がいるなら、助けてくれるんだろう?』と。 
 そして、僕はこうして助かった。
 やはり神は、正しき者には救いの手を差し伸べてくれるのだ。
 僕を救ってくれた男の人は、ソウシという名前で船医なのだそうだ。
 ただ、どうも事情があるようで、港に着くまで、医務室から出ないで欲しいと頼まれた。
 どんな事情がある船なのか知らないけれど、恩人の言葉に僕は従うことを誓った。
 ソウシさんと話していると、不意に扉がノックされる。
 とても、礼儀正しいノックだ。
「あの、ヒロインですけど、お食事を持ってきました」
「ああ、ありがとうね、ヒロインちゃん」
 医務室の入口で立っている、食事を運んできてくれた女性と、目が合う。
「あ、目が覚めたんですね。よかったぁ」
 花のような笑顔で僕に笑いかける様子は、天使のようだ。
「…ヒロインちゃん。彼は、ロクスと言って宣教師なんだって。海賊に襲われたらしい。船長たちに、そう伝えておいてくれる?」
 僕に対するよりも更に優しい口調で、ソウシさんが彼女に言う。
この女性が大切にされているのだと、なんとなく僕にもわかる。
「…ロクス…さん、ですね。海賊に……」
 彼女の声音が、明らかに動揺した様子だった。
 それはそうだろう。
 誰だって、自分の乗っている船が海賊に襲われるなんて、考えただけでもおぞましい。
 話には聞いていたが、僕も実際に彼らを見て、思い知った。
 海賊は、まさに悪の化身。
 躊躇もなく簡単に神に仕える人間を殺してしまう、野蛮この上ない悪魔たちだ。
 ヒロインと呼ばれていた女性は、ちらりと不安げな視線を僕に向け、頷いて去って行った。
「あの女性は、この船の厨房で働いている方ですか?」
「……そうだね。医務室を手伝ってもらうこともあるけど……」
 お手伝いさんのようなものなのだろう。
 あのような笑顔の礼儀正しい女性が働いているのだから、もしかしたらこの船は、高貴な身分の人の船なのかもしれない。
 運ばれてきた食事は、パンとサラダとスープという、見た目はそれほど豪華というものではなかったが、どれも絶品だった。
 正直、こんなに美味しい食事は産まれてこの方、食べた事がない。
 やはり、さぞ高貴な方の特別な船なのだろう。
 僕は神に感謝の祈りを捧げて、十字架を握りしめ、眠りに落ちた。


 ロクスが眠ったのを確認して、ソウシは食器を持って医務室を出た。
「宣教師のガキは?」
 食堂に向かう途中でシンから声がかかる。
「ああ、眠り薬が効いているから、朝までは起きないと思うよ。身体が完全に回復するには、あと二日はかかるかな…」
 シンが顔をしかめた。
「本当に、ドクターも物好きですね」
「そうでもないよ。早く港について欲しいなと、正直なところ、思うからね」
 苦笑するソウシを、シンが黙って見つめる。
「それで、次の港へはいつごろ着くかな?」
「残念ながら、順調に進んでもあと四日はかかりますね。ただし、このルートは海軍に出会う可能性も高い」
「それならそれで、彼を海軍に渡してしまえば楽かな?」
 暗く呟くソウシに、シンが目を眇める。
「ご希望なら、海軍に会いましょうか?」
「あはは…シンの場合、それは本当に冗談にならないからなぁ。…シンは、神を信じる?」
 子供時代、教会の神のことは当たり前のようにシスターから習ったシンである。
 けれど、現実は……。
「愚問ですね。信じていたら、ここには居ません」
「うん。私もね。…祈りの言葉は、とっくに捨てたんだよ…」
 ソウシもまた、教会が併設されている環境で育った。
「ドクターらしくもない…」
 シンが不敵な笑みを浮かべたのをみて、ソウシが苦笑する。
「そうかな?」
「いいでしょう。俺も、毎日ヒロインがあのガキに食事を運んでいくのは、嫌ですから」
「シンの場合は、相手が誰でも嫌なんじゃないの?」
 ソウシの指摘に、シンは当然だという表情で、視線を星空に向けた。


 目覚めると、すっかり日が昇って食事も届けられていた。
 ここ二日ばかり、いつもこの調子だ。
 よほど、僕は体が弱っていたらしい。
 神に朝の祈りを捧げていると、ソウシさんがくすっと笑った。
「今朝はコリント第二の聖句だね。昨夜はエフェソスの聖句だった。さすがに宣教師ともなると、覚えている聖句が多いね」
 僕は驚いてソウシさんを見る。
「もしかして、ソウシさんも教会の施設で修行を?」
「いや…私は昔、聖書を隅々まで読んだだけで…」
 あからさまに言葉を濁す様子に、なんとなく不思議なものを感じて、僕はソウシさんを見つめた。
 もしかしたら、この人は、神の認めた聖人なのではないかと。
 神に認められた聖人には、聖コスマスや聖ダミアヌス、聖イレネ、聖ニコラウス、聖ルチアなどの医療技術に長けていた人々が多く居る。
 僕の名前のもとになった聖ロクスもまた、流行した黒死病を癒した聖人だ。
 何より、ソウシさんが聖書を隅々まで読んでいるということは、僕と同じ神に仕えているということだ。
 聖書は神の書だ。
 一般の人々が簡単に手にできる本ではない。
「ソウシさんはどこの教会で学ばれたのでしょうか」
「いや…学んだというか……まいったな」
 困った時のくせなのだろう、片手を首の後ろに回して、ソウシさんは視線をそらした。
 その時。
 鈍い音と衝撃が医務室に伝わってきた。
 ベッドから転げ落ちそうになった僕を支えたソウシさんが、いつもの穏やかな表情からは想像もできないような厳しい顔つきになる。
「ちょっと待っててね…」
 医務室を出ていったソウシさんだったが…。
 しばらくして医務室にやってきた男に、僕は呆然とした。
 片目を眼帯で隠した男が、僕に銃をつきつける。
「出ろっ」
 どう考えても、船の用心棒という感じではない。
 というか。
 たぶん。
 この雰囲気は…海賊だ。
「おい、さっさとしろ」
 戸口に現れたもう一人の男も、黒いバンダナに鎖のついた武器を持っている。
 この船まで、海賊に襲われたのだと僕は思ったのだけれど…。
 ソウシさんのことを心配しながらも、言われる言葉に従って甲板に出た僕に、両手に剣を持った金髪の男が話しかけてきた。
「せんきょーしって、オマエ? マジ、弱そう…」
「海賊っ…。ソウシさんをどうしたっ。剣を取るものは剣によって滅びると…」
 僕が言いかけた途端、眼帯をつけた男が嘲笑うように言った。
「マタイ26章のイエスの言葉か。しかし、お前に12軍団のみ使いを備えることはできないな」
「っ!」
 誰が信じるだろう。
 海賊が聖書を読んでいるなんて。
 それも、たった一言で、その聖句の述べられた章と、その続きまで言い当てるほどに聖書を学んでいるなんて。
「イザヤ2章にもあったな。神が裁きを行った後は、剣をすきの刃に、槍をはさみに変えて、もはや人間は戦いを学ばない世になるそうだな。…だが、これが現実 だ。……ドクターなら、ほら、そこで海軍と交戦中だ」
 眼帯の男が指し示した先には、武器を持った海軍に素手で対峙するソウシさんがいた。
 無茶だ、と思った。
 けれども、実際に倒されていくのは武器を持った海軍たちで。
 船の一番大きな帆には、悪夢のような髑髏のマークが掲げられていて。
 僕は、自分が過ごした船こそが、海賊船だったのだと知った。
 そして、聖書をあれほどに読み知りながらも神に仕えない人間がいることを、初めて知った。


「あのガキ、随分とショック受けてたな…」 
 盃を傾けたソウシに、リュウガが言う。
「ああでもしないと、私が聖人にされちゃいそうだったからね」
 くすっと笑って、ソウシが注がれていた酒を飲み干した。
「それに、これ以上聖書の言葉を聞かされるのもね…」
 状況として、助かったのは自分一人であるはずのロクスが、素直に神に感謝を捧げている姿を目の当たりにして、ソウシが複雑な想いを抱えていたことは、リュウガも 知らない。
「海軍の兵士と一緒に縛って、ああやって流しておけば、今頃は優遇されているんだろ?」
 ハヤテが確認するように、ナギに尋ねる。
「ああ…。たぶんな」
 頷いたナギを見てソウシが明るく笑った。
「あはは。それこそ、今頃、神に感謝していそうだ」
「それが一番、気に食わないですけどね」
 シンが苦笑して、グラスを傾ける。
「でも、ロクスさん、私を見てものすごく泣きそうな顔してましたよ?」
「ああ、それは、シンさんがヒロインさんは自分の女だと言ったからですよ」
「へ?」
 トワの言葉に、ヒロインがきょとんとする。
 ナギに背中を小突かれて、トワがしまった、という表情になる。
「どうしてそれで、ロクスさんが泣きそうになったのでしょうか?」
 不思議そうなヒロインに、ハヤテが答えかけた。
「そりゃー、海賊の女だって言えば、普通……ってぇなーっ! 何しやがる、シンっ」
「馬鹿は黙ってろ」
 ハヤテがシンに食ってかかり、いつもの他愛のない言い争いが始まる。
 言い争いを放置して、ソウシがヒロインに説明した。
「あはははは…。たぶん、私を聖人のように見ていたように、ヒロインちゃんのところは天使みたいだと思っていたんじゃないかな」
「天使…ですか?」
「そう。天使。それが、ただの可愛い普通の人間の女の子だったんだって気付いて、きっと、すごくびっくりしたんだよ」
「はあ……???」
 なんとなくソウシに言いくるめられたヒロインを見て、ナギが苦笑した。




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18歳以上の大人です