記念
ヒロインが、目を輝かせた。
まさに、探し物を見つけたといわんばかりに。
その様子をチラリと視界の端にとらえたシンは、静かにヒロインに歩み寄る。
何がそんなに欲しいのかと…。
「シ、シンさん…」
突然、後ろを振り向いたヒロインは、間近に歩み寄って来るシンを見て、明らかにうろたえた。
「なんだ? 何か欲しいものでもあったのか?」
「い、いえっ。そ、そういうわけではないんですっ」
相変わらず嘘をつくのが下手な恋人だと、シンは内心呟きながらヒロインが先ほどまで見ていた棚へ視線を移す。
そこは、ヒロインには珍しく、宝石が飾られている棚だった。
「…ようやくアクセサリーでもつける気になったか?」
揶揄い気味に見下ろしたヒロインは、かなり動揺している。
「ち、違います。き、綺麗だなって……」
「……ヘタないい訳だな。いいぞ。たまには買ってやる。どれが欲しい?」
シンとしては、先ほどの目を輝かせた、とても嬉しそうなヒロインをもう一度見たいというだけのことだったのだが。
「その…欲しいとかは、特にないです……。綺麗だから、見ていただけで…」
目の前にいるヒロインは、困ったように俯いてシンから視線を反らした。
「お前…まさか、俺には買えそうもないとか思っているんじゃないだろうな?」
棚に並んでいる宝石は、モノがモノだけにそれなりの値段がついている。
ただ、仮にも海賊として数々の宝を得てきたシリウスの一員であるシンにとって、それは買い占めも可能なレベルの宝石たちだった。
もしも、高くて買えそうにないとヒロインが勝手に思い込んで辞退しているのだとしたら、それはそれで許し難い気がする。
「いえ…本当に……あの、いらないです…。わ、私、ちょっと向こうの薬局へ行ってきますね」
申し出を断るヒロインは、シンの不機嫌な視線から逃げ出すように、向かいの薬局へ入って行った。
「………」
シンが、睨むように宝石の棚を眺める。
瑪瑙、水晶、翡翠。
比較的安価な宝石に彫刻を施し細工をした大小の実用装飾品が並んでいる。
「…どれを見ていた……?」
シンが腕を組んで溜息をついた。
それから一週間。
ヒロインは、ここ最近、医務室で過ごす時間がとても長くなっていた。
なぜそうなっているのかは、一応、シンも把握している。
もうすぐ、ヒロインがこのシリウス号に乗ってきた記念日の宴がある。
ヒロインのことだから、何かみんなに感謝のプレゼントだとかお礼だとか考えているのだろうことは、聞くまでもない。
どうやらそれは、シンにも隠しておきたいことらしいということも、見てれば判る。
そして、ソウシが手伝っているのだということも……。
なぜ、よりによってソウシなのかという点も、一応は理解している。
今回ヒロインが用意しているのは、食べ物ではないからだ。
食べ物を用意しているのなら、ヒロインは厨房で過ごす時間が長くなる。
「まったく…あいつは……」
深夜になっても医務室に灯っている明かりを見つめて、シンは舵輪を握る手に力を込めた。
今夜はソウシが見張り台で不寝番をしているから、医務室に居るはずがない。
ということは、おそらくはヒロイン。
「……いいかげんにしろ…」
苛立ちの募った独り言を吐いたシンが、舵輪を固定して医務室へ向かった。
ノックをするが、返事がない。
扉を開けてみれば、布や薬品を広げたテーブルで、伏せるようにして眠っているヒロイン。
「…馬鹿が……」
眠っているヒロインを抱き上げたシンは、ふと視線をテーブルに落とした。
それまでヒロインが頬を寄せていた場所に広げられたノートには、ソウシの丁寧な文字で、調合する薬品の割合と完成する色の名前が書かれている。
「………」
シンは自分の部屋のベッドにヒロインを運び、ため息をついて甲板に戻る。
「ドクター…」
シンの呼びかけに、ソウシは見張り台からひょっこり顔をのぞかせた。
「ああ。ヒロインちゃん寝ちゃってたみたいだね。片づけは、後で私がやっておくから、そのままでいいよ」
ソウシも医務室の様子は気にしていたらしいと、シンが苦笑する。
「すいません」
くすっと笑ったソウシが、軽く頭を下げ、舵輪に戻っていくシンを見送った。
「シンさんて、紫色好きですよね? 薄い色と濃い色、どちらが好きですか?」
朝食時の会話に、シンは黙ってヒロインを見返した。
「……なぜ俺が紫色が好きだと?」
「だって、お気に入りの眼帯って紫色でしたよね? 浴衣の時もシンさん紫色を選んでいた気がしますし…。お気に入りのペンも、確か紫色の…」
確かに言われてみればその通りだな、と考えながら、そんなことを聞いてきたヒロインの意図を考える。
昨夜見た、ソウシの解説が書き込まれたノート……。
「薄い色か……」
シンの言葉を聞いたヒロインが、どこか嬉しそうな表情で確認する。
「ロイさんの帽子の羽飾りみたいな色ですよね?」
「…っ」
途端にシンが、飲みかけていたスープを口へ運ぶ手を止めて、ヒロインを睨みつけた。
「………」
「あれ? 違います?」
「…なぜここで、あんな奴の名前が出てくる?」
シンの怒りを感じ取ったヒロインが、すいません…、と詫びて、黙りこむ。
「トワは明るい黄色が好きなんだよね? ハヤテは?」
にっこり笑ったソウシが、ヒロインの話題を周りに広げる。
「え? オレ? そーだなぁ…デカイ空みたいな色?」
「空色…ですか?」
ハヤテの言葉に、ヒロインが顔をあげた。
「なんかこう、スケールでかい感じの色っていいじゃん。海とか、空とか。どこまでも広がってる感じのやつ」
「………」
いつもなら、ハヤテの言葉に何か一言つっかかるシンが、黙ったまま食事をすすめる。
「あ…。えーと、ナギさんは、どんな色が好きですか?」
ソウシの笑顔に促されるように、ヒロインがナギにも尋ねた。
「…春の、若葉の色とかは、好きだな」
ナギが微笑を浮かべて答える。
「そうだね。春の色はいいね。私も、桜色は好きだよ。シンも、スミレ色なら好きなんじゃない?」
ソウシがにっこり笑ってシンに話題を振るが、シンは黙って食事をすすめている。
「あ、あの…船長は…」
ヒロインが慌てたようにリュウガに話題をふった。
「あ? 女の唇の色とか、あの色とかは、最高だな」
「あの色?」
きょとん、としたヒロイン。
会話を完全に無視して食事を食べ終えたシンが、何も言わずに席を立ち、食堂を出ていく。
「……シンさん…」
ヒロインの視線と意識が、シンの去って行った扉に向かっている間。
「リュウガ…」
ソウシが嗜めるように小声でリュウガの名を呼び、ナギが睨みつけた。
「…わかったわかった。ちょっとシンをつついてみただけだろうが…」
リュウガが苦笑して、赤ワインのグラスを掲げる。
「おい、ヒロイン。こいつの色だ」
リュウガの声に振り向いたヒロインが、納得したように笑った。
「ワイン色ですか…船長らしいですね」
ヒロインが仲間の好きな色を知ろうとした理由。
実のところ、ヒロインが、次の宴のため何か作ろうとしていることは、全員が気づいていた。
おそらく、その何かを、それぞれの好きな色にしようと考えたのだろうということは、言われなくても判った。
そして、本人が隠しているつもりだということは、ハヤテでも理解できるほどに明瞭だった…。
「あの……シンさん?」
宴の前日の夜。
あの朝食時以来、ずっと不機嫌そうにそっけない態度をとっているシンに、ヒロインはおそるおそる話しかけた。
「用件のみ手短に話せ。何だ?」
相変わらず、不機嫌そうなシンの視線がヒロインを見返す。
「あの…明日は何の日か…」
「お前が樽に入ってこの船にやってきた日だろう。その宴をやると船長は二週間も前から言ってただろうが。忘れたのか?」
言葉を遮るようにシンが答え、さらに咎めるような言葉を上乗せする。
「あ、えっと、そうなんですけど…」
「用件のみ、手短に話せと言ったはずだ」
腕を組んだシンの言葉に、苛立ちがさらに加わる。
「……すいません…」
しゅん、と肩を落としたヒロインに、シンが告げる。
「話が済んだなら、さっさと寝てろ。俺は、仕事がまだある」
「……はい」
淋しげに俯いたヒロインを部屋に残して、シンは扉の向こうに去って行った。
一人残されたヒロインは、ため息をついて、部屋の明かりをなんとなく眺める。
「私が来た日ってことは……シンさんと初めて出会った日なんだけどな……。出会った記念日とかって…やっぱり、だめかな…」
そっと呟くヒロインの独り言は、部屋の空気に静かに溶けて消えていく。
部屋の扉の前に立っていたシンは、静かに笑みを浮かべて、足音もさせずに甲板へ向う。
と、甲板へ出る手前で音もなく医務室の扉が開いて、ソウシが姿を見せた。
「ドクター…?」
笑顔を消したソウシが、目でシンに医務室へ入るように促す。
「………何の用ですか?」
ソウシが扉を閉めるのを待って尋ねたシンに、相変わらず笑顔のないソウシが答えた。
「シン、いい加減にしなさい」
「………」
「恋人だからといって、何をしてもいいわけじゃないのは、わかっているよね?」
「ドクターには関係ないでしょう?」
なんだ説教か、と言わんばかりのシンに、真面目な表情のソウシが微かに眉を歪めた。
「この数日は、少し目に余るね。それが、シンの意図的な演出だとしても。正直、やりすぎだと思うよ」
「………」
「だから、ヒロインちゃんに今日、提案させてもらったよ」
「提案?」
シンが怪訝な表情になる。
「それぞれに渡すのは宴まで待たずに、朝、最初に会った時にしたらどうかなってね…」
くすっ…と、ようやくソウシの表情に笑みが浮かぶ。
逆にシンの方は舌打ちをした。
「ヒロインちゃんが、『出会った記念の』手作りプレゼントを、全員分準備しているのが、シンは面白くないんだよね?」
「………」
「それで、わざと距離を置いた態度をとって、拗ねているんだろうけど…」
「別に、拗ねているわけでは…」
反論したシンに、再びくすくす、とソウシが笑う。
「そうなの? 私には、シンが面白くないって、駄々をこねているようにしか見えなかったけど?」
「……………」
「このままだと、明日、最初にヒロインちゃんのプレゼントを手にするのはナギかな…」
フフフ、とソウシが腕を組んで嗤う。
「ドクターっ」
「だからね、シン。もう、いい加減にすること。私は、ヒロインちゃんが笑っていれば、とりあえず満足なことにしているんだから…シンも、わかっていると思うけど」
笑顔を浮かべているのに、どこか怒ったような目をしているソウシを、シンが見返した。
ほとんど変わらない身長の二人。
「……くそっ…」
毒づいて、先に交差する視線をそらしたのは、シン。
「うん。シンはいい子だね」
踵を返して医務室を出ていくシンを見送り、ソウシがにっこりと極上の笑みを浮かべた。
翌朝。
久しぶりに明るく元気な挨拶をして厨房へやってきたヒロインから、ナギは若草色に染めた生地にシリウスの海賊旗を描いたハンカチを受け取った。
「えへへ。出会った記念、です。刺繍とかは得意じゃないけど、絵なら得意なので…ソウシ先生に洗っても落ちない染料を用意してもらって、作ってみました。今日、最
初に会った時に、渡そうと思って。そんなわけで、誰かが食堂に来たら、ちょっとお手伝い抜けて渡しに行きますけど…」
「ああ、わかった」
嬉しそうに話すヒロインを、ナギは笑みを浮かべて見下ろす。
「あ、ここに置いておいてもいいですか?」
「…ああ」
ヒロインが厨房の一角に置いたハンカチは、紅色、空色、桜色、黄色の四色。
ナギが、ふっと、笑みを漏らした。
「?」
不思議そうに、ヒロインがナギを振り返る。
「それ…シンからか?」
ヒロインの細い片腕に、ぴったりと吸いつくように巻かれている、ささやかな見慣れないブレスレット。
シンプルで、身につけたままでも料理や洗濯の邪魔になることもないだろうと思われる装飾品。
「…はいっ。シンさんも、出会った記念のプレゼント、用意してくれてたんですっ」
ちょっと照れたように、でも、幸せそうに笑うヒロイン。
「良かったな。その…よく似合ってる」
つられて、ナギも、素直な言葉と笑顔を返す。
「ありがとうございますっ。今日は、何をお手伝いすればいいですか?」
厨房に、明るい声と空気が広がっていく。
「まず、玉ねぎのみじん切りだな」
「はいっ」
ナギの言葉に、ヒロインは笑顔で頷いた。
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18歳以上の大人です