魅惑



 シンは、リュウガに呼ばれて船長室へ来ていた。
「船長、何か?」
「なあシン、どっかに酒でできた池ってのがあって、女がはべっている伝説があったよな?」
「酒池肉林ですか?」
「ああ、それ。こないだ手に入れた地図にな、宝の島とは別の島だが、シュチという池と女林っていうのがあるんだよ。行ってみねーか?」
 リュウガに言われたシンが、地図を覗き込んでいる。
「永遠島…ですか」
「面白そうだろ?」
 シンはため息をついた。
「永遠なんて、一番、胡散臭いですね」
 今までにも、永遠にまつわるものとして、彼らは呪いの餌食となった幽霊だのミイラだの、やっかいな化け物に出会っている。
「ま、どんな島か、調べてみてくれ。進路をこっちへ向けると、どうなる?」
「上陸するかどうかはともかく、3日で島が見えるでしょうね」
 リュウガは、行く気満々で、航海士に進路変更を「船長命令」したのだった。


「ここが、永遠島?」
 目の前に見えたのは、いたってありふれた島。
 半日もあれば、シリウス号は島を軽く三週はできそうな大きさだった。集落や街の様子も見えず、無人島のように見える。
「船長の持っていた地図上の島は、ここですよ。この先は、海が浅くて危険なので、上陸するなら足舟でお願いします」
 シンが、アンカーを下ろして船を碇泊する。
「面白そうな匂いはするんだがなぁ…」
 リュウガは、何の変哲もない無人島を眺めた。
「船長を置き去りにして出航はしませんから、行きたければどうぞ」
 シンは、もとから上陸するつもりもない。
「おい、ナギ、ソウシ、どうだ?」
 誘われたソウシが、苦笑した。
「仕方ないね。じゃあ、付き合うよ。酒の池を捜すんだね?」
 ナギは名前を呼ばれた時点で、逃げられないと諦めたらしい。
「空いた酒樽、とりあえず持っていきますか?」
 結局、三人が足舟に乗って島へ向かい、船にはシンとヒロイン、ハヤテ、トワの四人が残ることになった。
 のだが。
 夜になっても、島へ行った三人は船に戻ってこなかった。
「はらへったぁ」と騒ぐハヤテが、甲板から島の方向を眺める。
「遅せぇなー。船長もソウシさんも、ナギ兄も、なにやっているんだよ」
 船縁に頬杖をついて、ぼやき続けるハヤテ。
「何かあったんでしょうか…」
 トワは、心配気にしている。
 シンは昼間の間中、航海室で読書をしていたが、暗くなってきても三人が戻って来ないことに気付いても、慌てなかった。
「おい、ハヤテ。どうせなら、望遠鏡持って、見張り台に行って眺めていろ」
「あっ、そうかっ」
 シンに指摘されるまで気付かなかったハヤテは、望遠鏡を手に、するするとシュラウドをよじ登って見張り台に上がった。
「ヒロイン、食事の支度できるな?」
「あ、はい…ナギさんみたいには無理ですけど…」
「お前が作れるものでいいから、作れ。トワは今のうちに仮眠しておけ。夜中にハヤテと見張り交替になるからな」
 トワが頷く。
「昼間調べたが、確かにあの島には、不思議な天然の酒があるらしい。味見した三人が、酔って寝ている程度ならいいが…明日の昼まで、様子をみる。それでもあの三人が戻らなかったら、探しに行く」
 ヒロインが、シンを見つめた。
「何だ?」
「シンさん…すごいと思って。なんだか、シンさん、船長みたいですね」
 ふん、そんなことか、と口許に笑みを浮かべたシンが、ヒロインを見下ろす。
「当たり前だ。今残っている中で、一番長くこの船に乗っているのは俺だろうが。感心している暇があったら、さっさと食えるものを作れ」
「あ、はい」
 厨房へ小走りで向かうヒロインを見送ったシンは、ふと、独りになってから不安げに暗闇の向こうの島を見た。
「船長一人ならともかく、ドクターとナギがいれば、心配はないと思うが……?」
 シンがようやく見つけた資料では、この島には美酒の池がある、と記されていた。
 そして、あまりの美酒のため、味わっているうちに、時を忘れてしまうのだと。
 結局三人は、夜が明けても戻ってこなかった。


「ねえナギ、おかしくない?」
 明るい森の中で、空樽を抱え持ったナギに、ソウシは声をかけた。
「………」
「確かに、変な森だな。でも、美味そうな酒の匂いがこっちからしねぇか?」
 先頭を進むリュウガは、迷うことなく一つの方向へ進んでいく。
「………」
 黙って歩いていたナギが、ふと立ち止まって空を見上げた。
「…変だ……」
「だよね…」
 ソウシも空を見上げる。
「日が暮れねえ島か? 歩きやすくていいじゃねーか。まあ、とりあえず進んでみようや」
 二人が言葉にしない危惧を、冗談のように言葉にしたリュウガは、どんどん進んでいく。
「まあ、リュウガが分かっていて進んでいるのなら…いいけど…。たぶん、そろそろ夜だよね?」
 ソウシの言葉に、黙ったナギが頷いた。
 けれども、三人が居る森の中は、昼間同様に明るい。
 ようやく森が開けたところには、果樹が点々と立ち、その樹の下には芳香漂わせる水たまりが散在していた。
「ほう? もしかして、これが酒池か?」
 リュウガが、水溜りの一つに近づき、掌で液体をすくい取った。
「ちょっと、リュウガ?」
 ソウシの心配げな声に、リュウガが笑う。
「俺の勘が、大丈夫だって言ってるぜ?」
 液体を口に含んだリュウガが、眉をひそめた。
「こりゃ、ちょっと強えーな。美味いことは美味いが…よしっ、これ、持って帰るぞ」
 ナギが空樽を地面に置いた。
「この木の果実が、地面に落ちて、発酵したんだね。そうか…ここの大地は水が滲み込みにくいのか…」
 屈んだソウシが観察して呟く。
「この辺りは、雨もあまり降らないみたいだね…あれ? でも、そしたらどうして、この木々はこんなにみずみずしい果実を…」
「…地下水の木……」
 ナギが、ポツリと呟いた。リュウガが頷く。
「あぁ、そうだな。この木を抜けば、水が湧く。雨の降らない砂漠でも、こいつは命の木だったはずだ」
 木の幹を叩きながら、リュウガがふと、遠い眼をした。
「……そうか。オアシスでは、この木の果実から酒を作っていたな…なるほど。自然の不思議ってやつだな」
 ソウシが持ってきた複数の試験管にそれぞれの液体をすくいとって栓をする。それらを並べ見て、言った。
「ナギ、樽に詰めるのは、この色のものが良さそうだね。こっちは、発酵が進み過ぎて酢のような感じになっているみたいだよ。あと、こっちはまだ発酵が不十分かな…」
「………」
 頷いたナギが、ほどよい状態の液体を選んで、樽に詰め始めた。
「もう、夜だよね? 後で、狼煙をあげないと、心配してハヤテとか来そうだね」
 ソウシの言葉に、リュウガは任せた、と言ってより多くの水たまりがある場所で座り込んだ。


 島の向こうから昇る朝日を、シンは黙って眺めていた。
 さまざまな可能性を考慮した上で、まだ動くのは早い、と判断する。
「まだ、船長たち帰ってこねーのか?」
 欠伸をしながら甲板にやってきたハヤテは、見張りを交代した後も、十分に眠れなかったらしい。
「昼になったら、俺とお前で、トワを船に残して海岸まで様子を見に行く」
「ヒロインはどうすんの?」
 尋ねたハヤテに、真面目な表情でシンが答えた。
「船長やドクターが酔っていると厄介だから、船に置いていく」
「それって…マジに、酒の池なんてあるんだ?」
「多くの証言では、な。島の奥にあるらしい。日が落ちる前に辿りつける場所、ということだが…」
 シンが、島の木々の間から立ち上り始めた煙を見つけ、言葉を切った。
「………」
「何?」
 ハヤテも、シンの視線を追って、森から流れ出る煙を見る。
 煙の中に、一瞬、青い色が混じったように見えた。
 狼煙による暗号。
「…船長達は大丈夫そうだな。三人が戻るまでこのまま待とう…」
 あからさまに、ほっとしたように呟いたシンを見て、ハヤテがニヤリとする。
「なんだよ。平気な顔してたくせに、やっぱり、シンも心配だったんじゃねーか」
「誰も、心配してない、とは言っていない」
 ムッとしたシンを見て、さらにハヤテは言葉を続けた。
「へへん。この前、ナギ兄に教えてもらったんだぜ」
「ほう?」
 少し得意げに、ハヤテは言葉を続ける。
「シンが眉を吊り上げて怒るときってのは、オレの言ったことがアタリだった時なんだろ?」
「それで?」
 シンの声の温度が一気に下がったが、ハヤテはさらに続ける。
「すげえ心配なのをヒロインやオレ達にごまかして、平気な顔してたんだよな?」
「なるほど? それで、ナギは何か警告しなかったか?」
「ああ、シンが怒りだしたら、さらにそれを煽るようなことは言うなってやつ………え? ちょ……まっ…」
 銃を取り出しているシンに、ハヤテは慌てる。
「馬鹿は殺さないと治らないらしいからな。一度、撃たれてみるか? 今なら、両手くらいで勘弁してやるぞ」
「冗談っ」
 一気に早朝の眠気が消えたハヤテは、シンから遠ざかるように後ずさる。
 見張り台にいたトワが、シュラウドを下りて甲板に立ち、二人の間に割って入った。
「あ、あのっ! 今は、やめてくださいっ。ソウシ先生もナギさんも船長も居ないんですよ。お二人を、いったい、誰が止めるんですかっ」
「………」
 口元に不敵な笑みを浮かべたシンが、構えていた銃をしまいこむ。
「……トワ…」
 ハヤテが、ほっとため息をついた。
「もし、狼煙に異変があったら、教えろよ。厨房にいる」
 シンは、不機嫌そうな表情のまま、厨房に向かって歩き出した。


「日暮れがない?」
「ああ、俺達が、行って戻ってくるまで、ずっと昼間だったぜ? なあ?」
 リュウガの言葉に、ナギとソウシが頷いた。
「なるほど。それで、永遠島でしたか…」
 納得するシンと、樽の中身を興味深そうに覗くハヤテを見て、ソウシが言う。
「ちゃんと、喧嘩しないで留守番できたみたいだね?」
 表情を変えないシンと、あからさまに、シンを睨んだハヤテの反応を読み取ったソウシが、すかさずトワに向き直った。
「トワ、お疲れさま。ちゃんと、二人を止めたみたいだね」
「え?」
 ナギが、持ち帰ってきた酒をグラスに注いで持ってくる。
 注がれた液体が一番少ないものをヒロインに渡しながら、あまり見せない笑顔で言った。
「ちゃんと、使ったものをメモしておいてくれたんだな。助かる」
「はい。どれを使っていいのか判らなかったので、せめて何を使ったかはと思って…」
 ナギが、ヒロインの頭を撫でるのを、シンは厳しい眼差しで見たものの、黙っていた。
「さあ、苦労して持ってきた酒だっ!」
 夜の宴が始まる。
 グラスを傾けたシンが、美味いながらも強い酒に、心配気にヒロインを見遣った。



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