春船



「なぁ、シン、あの船、なに?」
 シンが風向きの確認に甲板に出ると、見張り台からハヤテの声が降ってきた。
「あの船?」
 前方の水平線に目を向けたシンが、訝しげに眼を凝らす。
「あ、悪りぃ。そっちじゃなくて、8時の方向。なんか、あの船、俺らの旗と同じやつ、掲げて追ってきてねぇ?」
「……追ってきているかどうか確認するのは、見張り台にいるお前の仕事だろう?」
「あ、そっか。なんか、気付いたら、ずっと、見えるんだよ」
 会話をしながらも、甲板後方へ移動したシンが、水平線に小さく見える船影に目を凝らす。
「…フォーマルハウト号か……なぜここへ……」
 シンは、足早に船長室へ向かった。
「おう、どした?」
 ノックして入ってきたシンに、新しい地図を広げていたリュウガが、視線を向ける。
「後方に見えるフオーマルハウト号から、シリウスの旗が出ていますが、どうしますか?」
「……ここでか? まあ、呼ばれて逃げるわけにもいかねぇわな…。繋げろ」
「わかりました」
 シンの操船によって、シリウス号は碇を下ろして止まる。
 遠くに見えていた船が、次第に大きさを増して距離を詰めた。
 リュウガが後方甲板に出て、近づいてくるフォーマルハウト号を眺める。
「どういう風の吹きまわしだ? ルビィ」
 船首に立っていた人影が、リュウガの声に応えた。
「海賊王へ直接、苦情を持ってきてやったよ」
「苦情? 色っぽい話じゃねーのか」
「客には飢えちゃいないのっ そっち、もっと寄せてよっ。優秀な航海士さん」
 シンが苦笑して、碇泊したフォーマルハウト号にシリウス号を寄せた。
 船首に立っていた人影が、身軽にシリウス号へ飛び移る。
「うちの航海士は、あんた程の腕はないから、衝突しない程度に離していてくれていいわよ」
「もとから、そのつもりだ」
 シリウス号は、再びフォーマルハウト号と距離をとった。
「さ、リュウガ。船長室へ案内してよ」
「苦情じゃなかったのか?」
 ルビィと腕を組んだリュウガが、苦笑する。
「こんなところで野暮な話させる気? 酒の一杯も飲ませなさいよ」
「ま、誘われちゃ、仕方ね―な」
 ルビィ、と呼んだ女の腰に手を回して、リュウガは船長室へ消えた。
 見張り台でずっと様子を見ていたハヤテが、シュラウドを伝って甲板に降りる。
「なあ、あの女、誰?」
 尋ねられたシンが、フッと口許を歪めた。
「フォーマルハウト号の船長が、ルビィだ。そして、フォーマルハウト号が、娼船の元締め役。ま、トップだな」
「ショウセン?」
「娼婦の船、だ。金をきっちり払えば、海賊も海軍も区別なく、相手してくれるぞ。ただし、下手なこと喋ると女を通じて情報がそこら中に広がるがな…ある意味、港の女より言葉に気をつける必要は、ある」
 ハヤテが、碇泊しているフォーマルハウト号を見る。
 甲板に出て、シリウス号の甲板を見ている何人かの着飾った女たちが見えた。
「あいつら、娼婦か……」
「欲しけりゃ、向こうへ飛び移って、直接交渉してみるんだな。あの調子じゃ、船長たちもすぐには出てこないだろう…」
 ニヤリと笑ったシンが、ハヤテに言う。
「だっ、だれがっ」
 むっとした表情で、ハヤテは船室へ入って行った。


「シンさん、あの船は……」
 船が止まったのを不思議に思ったらしいヒロインが、甲板に出てきた。
「船長への客だ。いいから、ナギの手伝いでもしてろ」
「そのナギさんから、気になるなら、見てこいって言われて来たんですけど…」
 ヒロインが、興味津々に、少し離れて停泊するフォーマルハウト号を見る。
「あ、なんか、女の子がいっぱいいる…」
 シンが、舌打ちしてヒロインの腕を掴んだ。
「いいから、厨房へ行っていろ。ナギに、フォーマルハウト号が来ている、と言えば判る」
「でも……」
「俺の言うことが聞けないのか?」
「……はい…」
 渋々、ヒロインが厨房に戻っていく。
 扉が閉まったままの船長室を一別してから、シンは航海室へ入った。
 現在位置を確認して、海図と照合する。
「…下手をすると、一晩この場所か……」
 その可能性は、十分にあった。
 娼婦の船。娼船。
 港で男たちを待つ娼館の女たちと異なり、男たちのいる海までやってきて、春を鬻ぐ女たち。
 海賊に襲われて売られた女、山賊に襲われて売られた女、何かと訳ありの、地上には置いておけない女たちが船の娼婦になることが多い。
 どうにもならない嘆きと怨嗟を抱えた哀れな娼婦が、救いを求めて逃げ出すことも多いため、ほとんどの娼船は男たちを自分たちの船上へ招く。
 まさに、船の娼婦たちは、一歩も船から降りられない境遇に置かれていることが多い。
 そんな中では、フォーマルハウト号は、かなり「まっとう」な娼船だった。
 フォーマルハウトの娼婦は、相手の船にも乗る。港で陸へも降りる。
 何より、不当に浚われ売られた娘を、同業の娼船から買い戻して救い出すことも時折していた。
 それはまるで、海賊達の中にあるシリウス号のような。
 航海室の扉がノックされ、ソウシがやってくる。
「ドクター?」
「リュウガは部屋? もしかして、ルビィと一緒なのかな? シンは知っている?」
「ええ。船長はルビィと一緒です」
「そっか……」
 ソウシが溜息をつく。
「シン、ヒロインちゃんには説明した?」
「いえ……」
「せっかくだから、先に説明しておいたら? いわれのない言葉を聞いてしまう前に。遠ざけるのも確かに守る一つの方法だけど、きちんと教えておくことも必要でしょ? 幸い、ルビィの船なら、そうそう変な子もいないはずだけど…」
「…………」
 シンが立ち上がる。
「ドクターの意見も、一理ありますね」
 そう、言い残して、シンは航海室を出た。


 甲板に様子を見に行ったはずのヒロインが、かなり早く厨房に戻ってきて、ナギは扉を入ってくる様子をそっと覗った。
 不満そうな表情で、シンに追い返されてきたのだろうと、一目で判る。
「どうだった?」
「あ、ナギさん。えっと、船長のお客さんで、フォーマルハート号とかいう船が来てて、厨房に行っているように言われました」
 ナギが、調理の手をふと、止めた。
「……フォーマルハウト号か? ルビィの?」
「るびー?」
 きょとんとしてナギの言葉を繰り返したヒロインに、ナギは黙り込む。
「なんでもない。そっちの干し肉、スライスしろ」
「あ、はいっ」
 硬い干し肉を切り始めたヒロインが、言葉を続ける。
「船長のお客さんの船、シリウス号みたいに海賊の旗を飾っていたんですけど、海賊なのかな? 甲板で、綺麗な服を着た女の子たちが、こっちを見ていたんですよ?」
「………。シンに聞かなかったのか?」
「え? 何をですか?」
 この様子だと、何の説明もされずに厨房に追い返されたのか、とナギは理解する。
 確かに、無理に知る必要はないとも、思う。
 結局のところ、ヒロインは娼館や娼婦、行われる行為については知っていても、それしか知らないのだから。
「スライスした肉は、右の鍋だ」
「はいっ」
 いつもと変わらぬヒロインの横顔をチラリと見て、ナギは口をつぐんだ。
 食堂に、シンがやってくる。
「ヒロイン、話がある。こっちへ来い」
「え? シンさん…?」
 ナギが、ヒロインの視線に頷いて促す。
「そこへ座れ」
 シンが自分の向いにヒロインを座らせて、指を組んだ。
「ナギから、フォーマルハウト号について聞いたか?」
「いえ…何も……」
「そうか。…あの船は、娼船だ」
「商船?」
 発音は同じだが、明らかに違うことを考えているのが分かって、シンは苦笑する。
「商売をしている、という点では、たしかに商船なんだがな。取り扱っている商品は、女だ」
「え?」
 ようやくその意味を理解したヒロイン。
「もしかして、あの、女の子たちって……」
「様々な理由で、陸には居場所がなくなった娼婦達だな。まあ、フォーマルハウト号の場合は、好き好んで乗っている奴も多いが。船長のルビィは、随分と慕われているからな」
「…あの……。じゃあ、船長の客って…」
「ああ、ルビィが来ている。お前、誰かに誘われて、うっかり向こうの船に行ったりするなよ?」
「はい。しません。でも、じゃあ、その、船長は今……」
 シンが、溜息をつく。
「お前、海の藻屑にしてやろうか?」
「す、すいませんっ……」
 ヒロインが肩をすくめたのを見て、厨房で二人の会話を聞いていたナギも、口許を緩めた。


「予定変更だ。南の海に向かう」
 リュウガの言葉に、船長室へ呼ばれたシンはルビィを見た。
「南の海の、どこかを言ってもらわないと、航路を決められないが?」
「数名が乗ってた小舟が海賊に襲われたのは、白砂島の珊瑚環周辺。娼婦全員串刺しにされて惨殺だったけどね。娼船が海賊に沈められたのは、ザン諸島周辺。こっちも残忍極まりないやり口だったよ」
 眉根を寄せたシンに、底冷えするような声でリュウガが言う。
「ロイの野郎が、俺達を追っかけて南の海から離れがちだからな。ルールを知らねぇ新参者が、出てきたらしい。南に向かえば、ロイも南に向かうだろ。先にロイを捕まえれば、尻拭いさせるさ。その前に、犯人を見つければ、俺らでケリつける」
「とりあえず、ザン諸島に向かいます」
「出発は、今夜だ」
 リュウガの言葉にうなずいて、さっさと、船長室を出て行こうとしたシン。
 ルビィが、酒のグラスを傾けてクスっと笑い、その背中に声をかける。
「相変わらず、つれない男ねぇ。…別のトコでひどい扱い受けてきて、どうしようもない娘が一人、いるんだけど、あんたに頼めない?」
「断る。治療なら、ドクターに相談するんだな」
 目を瞠ったルビィに、リュウガが苦笑する。
「だから、シンはやめとけって。俺がその娘を癒してやるって言ってるだろ?」
「リュウガじゃねぇ……」
 不満そうなルビィの声を無視して、シンは船長室を出る。
 流石に、いろいろと心得ているリュウガは、シリウス号の船員達についてあまり語っていないらしかった。
 やがて、日が落ちる頃になって、ルビィはフォーマルハウト号へ戻っていく。
「じゃあ、南の海のこと、頼んだよ」
 颯爽と戻っていく姿は娼婦たちが騒ぐのも判るような姿だった。


 暗くなった海を、シリウス号は南へ向かう。
「さっさとロイを見つけて、面倒事は全部ロイに押し付けたいものだな…」
 舵を持つシンが呟くと、見張り台からトワの声がした。
「三時の方向にリカー号が見えますけど、どうしますか?」
「トワ、すぐ船長呼んで来い。三時の方向だな?」
 不敵に笑ったシンが、舵を切って船首を三時の方向へむけた。




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18歳以上の大人です