執拗
朝、シンの体調が至極悪いことに気づいたのは、ヒロインだった。
「シンさん、ソウシ先生のところへ行きましょう」
「……。気にするな。このくらい、たいしたことはない」
いつもならシンの言葉に、しぶしぶでも引き下がるヒロイン。
けれどその朝は、違った。
まだベッドに座っているシンを見て、譲らない。
「たいしたことないうちに、薬飲んでおけば、ひどくならずに治ります。医務室へいきましょう、シンさん」
ヒロインが、シンの手を引く。
「………」
仕方なく立ち上がって医務室へ行こうとしたシンだが、めまいと微かな吐き気に歩みを止めた。
自らの意図に反し、足元がふらつく。
予想を超えた自分の身体の反応に、シン自身も驚く。
「シンさん? …やっぱり、座ってて下さい」
ヒロインが、部屋にシンを残して出て行った。
「珍しいね」
診察したソウシが、ベッドに座るシンを見て言った。
ソウシを呼んできたヒロインは、シンの体調が悪く舵とりができそうもないことをリュウガに伝えに行っている。
「熱はそれほど高くないけど、胃腸がとても弱っているみたいだよ…どうしたの? ストレスかな?」
「…………」
「最近、そういえばシンは、何かと忙しかったよね? 無理しすぎた?」
「無理したつもりはありませんが…」
「そう? 嵐に逢ったのが五日前だったよね。航路を計算して夜通し修正してたの四日前で、一晩中見張り台に立っていたのが三日前の夜。一昨日は夜中にロイが来て大変だったよね? 昨日は夜更けまで船長と話していたみたいだけど。シン、この五日間、まとまった睡眠、とれてないよね?」
「………」
ソウシが、シンの行動をしっかり把握していることに、胡乱な眼を向ける。
「船医だからね。みんなの体調にかかわることは、これでも把握しているよ? それに、シンはヒロインちゃんの身体のリズムに合わせて無茶するからね。最近は、とても分かりやすいよ?」
にっこりと笑って痛いところを指摘するソウシに、不穏な空気はない。純粋に、医者としての、言葉なのだろう。
「ドクターには敵いませんね。…無茶、ですか……」
「毎月、結構無茶してるけどね。今回のは、身体を追い詰め過ぎだよ。二日ほど、何もしないでゆっくり休めばきっと元通りになると思うよ。一応、胃腸薬作ってヒロインちゃんに渡しておくから、今日一日は飲むこと」
ノックをして、ヒロインが戻ってきた。
「船長に伝えてきました。シンさん…どうですか?」
気遣わしげなヒロインに、ソウシがにっこり笑いかける。
「このところ忙しくて、疲れが出たんだね。二日も寝ていれば治ると思うから、大丈夫だよ?」
ほっとした様子のヒロインに、ソウシは更に告げる。
「少し胃腸が弱っているみたいだから、消化のいい、軽いものを少しずつ食べるといいかな…ヤマトのお粥とかね。ヒロインちゃんなら、作れるよね?」
「あ…、はい。じゃあ、今から厨房に…」
「うん。いってらっしゃい。あとで、胃腸に負担の少ない薬も用意しておくから、シンのために取りに来てね?」
再び、部屋から出ていくヒロイン。
「…ドクター?」
意図的にヒロインをシンから遠ざけたような気がして、ソウシを見る。
「彼女が手の届くところに居たら、シンは大人しく寝ないでしょう? だめだよ、ちゃんと寝てなさい。それとも、睡眠薬を飲ませてほしい? 嫌でしょ?」
ものすごく不服そうなシンの視線を受け止めたソウシが、苦笑した。
翌朝。
目覚めたシンは、体調がかなり回復していることを自覚しつつ、動かずにいた。
実のところ、思考回路はフル回転なのだが。
「あ、おはようございます。シンさん、どうですか?」
目覚めたヒロインが、既に起きているものの、ベッドに寝たままのシンに気づいて笑顔で話しかける。
「ずいぶん良くなった……。今日はリゾットを食いたい気分だな」
「へ? リゾットですか? あの、じゃあ、ナギさんにお願いして来ますね」
「なんだ、作ってくれないのか?」
「その…作り方知らないので…」
「なら、調べて作ればいいだろう。ライス・ブイヨン・サフラン・バター・パルミジャーノレッジャーノだけで作ったシンプルなやつでいい」
「えーと…ちょ、ちょっと待って下さい、メモに書かないと覚えられません」
シンの言った材料をヒロインはメモ書きして、ふと気づいたように問う。
「作り方…ナギさんに聞いてもいいですか?」
「そのかわり、ちゃんと食えるものにしろ」
「はい。作って来ます」
ヒロインが部屋を出て行ってから、シンは起き上がる。
「………」
ため息をつくと、着替えを持ってシャワー室へ向かった。
やがて、出来上がったリゾットを持って、ヒロインが戻ってくる。
「あれ? シンさん……お風呂行ったんですか?」
「…着替えついでにな」
「リゾット作ってきました」
「…食わせろ」
「え?」
ヒロインが、きょとんとしてシンを見る。
「なんでもない。……よこせ」
ちょっと拗ねたように、ヒロインの手から食器を奪い取って、シンが食事を始めた。
「シンさん、今…」
「………」
「あの…味、どうですか?」
「………」
「シンさん?」
「ウルサイやつだな。不味かったら食べていない」
答えるシンは、声に不機嫌を纏っている。
「すみません。あの、何か私、やることとか…ないですよね?」
「………」
返事のないシンを見て、ヒロインは立ち上がって扉に向かう。
「どこへ行くつもりだ?」
途端に、更に不機嫌になったシンの声に呼び止められた。
「えーと…。もしかしたら、お邪魔かなぁ、と…」
「なぜ、そうなる?」
どうしてか、ますます不機嫌になって怒りすら纏っているシンに、ヒロインは戸惑うばかりだ。
「あー……。すみません、シンさん、私は何をしてればいいですか?」
「………」
二人とも黙ったまま。食器の中身が消えていく。
カタン、とシンは食器をテーブルに置いて、ヒロインを見つめた。
「お前は、平気なんだな」
「? 何がですか?」
「………」
シンは答えずに、溜息をついて立ち上がると部屋を出て行った。
「と、いうわけなんです。いったい、どうしたんでしょう…」
空になった食器を持って、しょんぼりと厨房へ戻ってきたヒロインに相談されて、ナギはどう答えていいか分からない。
「何があんなに怒らせてしまったのか、わからないんですよね…」
シンの行動が支離滅裂だとしたら、それは心を持て余してイラついている以外に理由はない。
「でもまあ、体調は回復したわけだな?」
「はい。急に出ていくから追いかけたら、天測器持って甲板で測量はじめてました…」
つまり、船の正確な現在位置を測定して、航路と比較し、必要に応じて舵を調節する航海士の仕事をしていた、ということである。
「なら、ほっとけ。用があれば、あいつから呼ぶだろ…」
苛立っているシンに不用意に近づくのが危険だということを、ヒロインはもう少し自覚したほうがいいと、ナギは思う。
そもそも、シンが自らヒロインと距離をとった、というのは、つまり、そういうことなのだ。
この、「そういうこと」の部分がナギには理解できるのだが、言葉での説明は難しい。
そして、なぜかヒロインは「そういうこと」の部分が解らないらしい。シンの女なのだから、わかってやれよ、とも思うが…いや、案外、感覚で分かっているから今ここに居るのかもしれない。
ナギは、航海士として常に冷静沈着を装うシンの中に、恐ろしく熱く激しい気性が抑え込まれていることを知っている。
普段抑え込んでいるからあれほど激しいのか、それとも、本人にも手に負えないから抑え込んでいるのか知らない。
ただ、共に背中を預けて闘う一瞬や、生死のやりとりをするような場面で、敵ではなくてシンに対して戦慄が走ったことは何度かある。
傍目にも苛立っている時のシンは、時折その片鱗をのぞかせる。仲間にすら容赦なく牙を向く。
ふと、甲板で騒がしい騒動の音がきこえてきた。
……もう一人、この船には、苛立っているシンを不用意に逆撫でする人間が居たことを、ナギが思い出す。
「お前はここにいろ」
ナギはヒロインに言い置いて、甲板へ向かった。
銃声が聞こえる。
「あぶね―な。マジに撃つんじゃねーや」
「馬鹿は一度死なないと治らないからな。一度、殺してやる」
「じょーだん。からかったくらいで殺されてたまるかっつーの」
「バカは、言っていい時といけない時の区別もつかないらしいからな」
「なにそれ。だいたい、この一週間、静かなのって、マジじゃん」
案の定、ハヤテがシンに不用意な言葉をかけたらしい。
「そんなに一度、痛い目みたいか」
「へんっ。そんな弾、当たらねーよ」
「なら、試してやろう」
ハヤテはいつもの軽口だが…。
なぜ、こんなにヤバい雰囲気を纏ってるシンに絡んでしまうのか。シンが照準を当てる気配を感じ取って、ナギは慌てて声をかけた。
「おい、ハヤテ、ちょっとこっちへ来いっ」
ナギの声に、シンの引き金にかけた指が止まる。結構ギリギリだったな、と内心で思いつつシンが撃とうとしていたハヤテの腕を引いた。
「ナギ兄? 何?」
「病み上がりのシンをからかって遊んでるんじゃねーよ」
「病み上がり?」
そんなの関係ないと言いたげなハヤテの気配に、ナギは、余計なことを言うなとばかりに頭を小突く。
「だろ?」
「う…まあ…そういえば…」
有無を言わせぬナギに、ハヤテは口をつぐんた。シンが昨日、寝込んでいたことはハヤテも知っている。
そんなハヤテに舌打ちして、銃をしまい込んだシンにも、ナギは声をかけた。
「お前も、もうちょい、わかりやすく拗ねろ」
「なに?」
睨みつけたシンに、ナギは少し真顔で告げる。
「俺は、てめーの解説係じゃねーんだよ」
「……」
ふいっ、と、シンが視線を逸らした。その横顔に、ナギは自分の言葉がちゃんと伝わったと確信する。そういえば、ハヤテがまだいなかった頃は、シンが海賊団で一番の問題児だったな、などという懐かしいことまで思い出す。
シンはヒロインが絡むと、特に大人気ない行動が増える。問題児だった頃のように。かつて問題児だった頃は、船長が止めてドクターが巧く収めていたが。
ふと気付けば、腕を組んで船長室の扉に寄りかかっていたリュウガが、笑みを浮かべて船長室に入っていく。
ソウシも、ナギを見てにっこりすると、医務室の中へ消える。
「ハ、ハヤテさん。甲板掃除まだ終わってませんっ」
機知に長けているトワが、ハヤテを引っ張っていった。
ナギも厨房にもどろうとすると、結局心配で待っていられなかったのだろう、厨房の入口でヒロインに会う。
「ナギさん、甲板で何か?」
「ああ。片付いた。相変わらずシンは機嫌悪りぃみたいだが……。お前、厨房の手伝いはいいから、シンとこ行ってやれ」
「でも…」
「今なら、お前が黙って横に居るだけで、たぶん、あいつの機嫌は直りそうだからな。シンが機嫌悪いと、いろいろ危なくていけねぇ」
「はぁ…よくわかりませんが、黙って横にいればいいんですね?」
そう。不用意な言葉で刺激せずにいるのが、たぶん、一番いい。
「俺に言われたとか、余計なこと言うなよ? また機嫌悪くなるぞ」
「はい」
任務を請け負ったような面持ちで、ヒロインがシンのもとに向かう。コレはたぶん自分の差し金だとすぐにバレるな、と思いつつ、ナギはため息混じりで見送った。
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18歳以上の大人です