愛育
その島は、接岸できる場所が無く、シリウス海賊団は協議の末、操船に長けた航海士とその助手のみを船に残し、ボートで島に上陸した。
「皆さん、そろそろ洞窟に到着したのかなぁ…」
ヒロインが甲板から島を眺めながら呟いた。
「あの地図でみる限り、洞窟に辿りつくまで半日だ。まだ、山の中を歩いてるところだな」
海上での停船作業をしていたシンが、いつのまにかヒロインの横に来て、一緒に島を眺める。
「行きたかったですね…」
「この海域は波も複雑で、天候も変わりやすい。浅瀬もあちこちにある。俺が残るのが適任だろう。それに、たまには待機も悪くない」
シンの手がヒロインの髪を撫で、指先を顎の線に這わせる。
「明日の夕方まで、この船の上で二人だけだからな」
優しい眼差しで頬に唇を寄せる。
普段なら、昼間の甲板でシンがこんなふうにヒロインに触れてくることは、ありえない。
「せっかくだ。お前、着飾れ」
「え?」
「確か、船長にもらった黒いドレスだの、ファジーに餞別で贈られたドレスだの、アベルがこの前置いてった青いドレスだの、あっただろう?」
「ありますけど…あれって、シンさんはあまり好きじゃない服ですよね?……」
「好きじゃないとは言ってない。いいから、どれか着てこい」
シンの言葉に、ヒロインは戸惑う。
なぜなら、言われたドレスは、どれも素敵なドレスだったけれど、自分には似合わないと遠まわしにシンに言われ、箪笥にしまいこんだものばかり。
「着てみたかったんじゃないのか? 今なら、俺しかいない。どんなに似合わなかったとしても、俺は気にしないぞ」
ヒロインの戸惑いを理解したシンの言葉に、少し心が動く。
「こんな時でもないと、着れないぞ。着てこい」
「でも…」
相変わらず、男心を理解しない奴だとシンは苦笑した。
簡単に男を誘うようなドレスを着ないよう、似合わないとヒロインに思いこませたのはシン自身なのだが。
「解った。お前に判るように、言い方を変えてやる」
「?」
「それぞれのドレスに見合う、身のこなしを俺が教えてやるから、とりあえず一つ着てこい」
「身のこなし?」
「そうだ。他の奴らが居ないときじゃないと、お前、実際に着て階段の歩行やダンスの練習ができないだろ?」
「ダンスの練習?」
「この広い甲板を自由に使えるんだ。ダンスの練習には最適だろう? 時間もあるしな」
シンの言葉に、ヒロインの瞳が輝き出す。
「わかりました。ちょっと着替えてきますね」
ヒロインは、急いで部屋に駆けて行った。
絹のさらさらとした青いドレスは、腰から膝にかけてタイトになっていて、少し歩きにくい。
「お前な…そういう服の時は、もっとゆっくり歩くんだ」
呆れ気味のシンの片手が、腰にまわる。
「歩幅はもっと小さく、速度もこのくらいだ」
身体を寄せて囁いてくるシンに、ヒロインは耳まで真っ赤になっている。
「こら、段差を勝手にまたいで進むな」
腰を引き寄せてヒロインの身体を数歩後ろに戻し、シンの指先が、ヒロインの膝から腿のあたりに触れて、ドレスを少しだけたくしあげる。
「自分でここをこう引いて段差の上に足を乗せて…」
腰に回されていた手が外れて、シンがヒロインの一歩前から手を引く。
「こうやって、エスコートされろ」
引いた手に唇を寄せて、シンがヒロインの顔を覗う。
「………」
真っ赤になって、ドキドキして、言葉も失っている様子が、可愛くて、面白くて、愉しくて仕方がない。
「先にどのダンスがやりたい?」
「……どのって…」
「基本のワルツと、ウルのダンス、選ばせてやる」
ヒロインが、どぎまぎと迷っている様子も眺めていて飽きない。
「あの…じゃあ、ウルのダンスを…」
「いいだろう」
シンの身体が、ヒロインに密着する。
「シンさんっ」
「なんだ?」
「あ、あの…ち、近すぎませんか?」
「俺の動きに合わせろ。口で説明するより、身体で覚えた方が早い」
シンが一歩踏み出すと、押されてヒロインの足が一歩下がる。シンが一歩後ろへ下がると、引かれてヒロインの足は一歩前へ出る。
腰に回された腕が左右に引いてくるのに合わせて、ヒロインの足も左右に動かざるを得なくなる。
二人きりの晴天の甲板。
ダンスの練習…という話ではあったが、首筋に吐息がかかる距離で囁いたり、腰に回されたシンの指先が不自然にくすぐってきたりと、別の意図がちらほらと伺えるようなからかいに、ヒロインは振り回される一方で、動きを覚えるどころではない。
「何、エロい顔してる?」
「だって、シンさんが……」
「ほら、せっかく教えてやっているんだ。ちゃんと覚えないと、お仕置きするぞ」
あきらかに、面白がっていると判る口調に、ヒロインは拗ねたようにシンを見上げた。
「シンさん…意地悪してますよね?」
クククと喉の奥で笑って、軽くついばむようなキスをヒロインの鼻先にする。
「今頃、気づいたのか?」
「本当に、ダンスを教えてくれる気、あります?」
「今、こうして教えているだろう?」
「だって…」
流石にからかい過ぎたと感じたのか、シンがヒロインから一歩離れて束縛から解放した。
「じゃあ、やってみるか?」
「え?」
「ウルの伝統のダンスだ」
少し、真面目な表情になったシンが、メロディーを口ずさみながらヒロインの手を取った。
ヒロインも、普段滅多に聞かせてもらえないシンの歌声。
メロディーに合わせて自分の足がシンと一緒に動くことに、ヒロイン自身が驚く。
さんざんからかわれて振り回されていたのに、きちんと練習になっていた証拠だった。
「え? なんで?」
「俺が、お前の身体に教えてやったんだから、当たり前だろ?」
シンが満足気に笑う。
「次は基本のワルツを教えてやろう。…その前に…お前、せっかくだから、次はファジーからもらったドレスに着替えてこい。ついでに、今度はティアラと指輪もつけてこいよ」
他の仲間が居たら、絶対にしないようなシンのリクエストに、ヒロインは嬉しそうに頷いた。
「え? これ、シンさんが用意したんですか?」
二人でダンスの練習をしたあと、シンはヒロインに入浴後、船長からもらった黒いドレスを着て食堂に来るように言った。
言われたとおりにしたヒロインが食堂の扉を開けると、二人分のごちそうと、スーツを着たシン。
いつもと全然違うその光景だけで、ヒロインは心拍数があがってドキドキが止まらない。
「船の上で二人きりなんて、滅多にないからな…」
いつもの食堂が、いつもの場所ではないような錯覚。
いつものシンが、いつものシンではないような…。
「ほら、いつまでも腑抜けてないで、さっさと座れ」
促されて座ったものの、ヒロインは茫然とシンを見つめている。
クスッ、と笑ったシンが、正面に座って愉しそうに言った。
「エロい服着て、モノ欲しそうに俺を見つめて、誘ってるのか?」
「そ、そんなつもりじゃ…」
ヒロインが焦ったように、シンから目をそらす。
「いいから、食え。心配しなくても、後でちゃんと可愛がってやるから」
「し、心配なんて…」
「こんな機会、次はいつあるか分らないからな」
これがものすごく特別だ、という意図はヒロインにも十分伝わる。
「ただし、こっちは、一杯だけにしとけ」
カクテルのグラスが差し出された。
仲間には内緒の、恋人達の晩餐会。
「なんか、夢みたいですね~」
自分のためだけにドレスアップした笑顔のヒロイン。
誰にも嫉妬する必要のない二人だけの船内。
自然、シンの視線も、多少の欲情は含まれるものの、穏やかになる。
「食べ終わったら、星でも見るか?」
「はいっ」
今夜は月のない晴れた夜。
満天の星月夜。
嬉しそうに頷いたヒロインを、シン自身もかなり無防備な笑顔で眺めていた。
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