旧知



 その街は、海の都と呼ばれる、広い港を有していた。
たくさんの人があふれ、街を見張りと称して意味もなく歩く役人も多い。
古今東西のさまざまな商品が集まり、行き来する交通の要所でもあった。
 食材の買い出しをしていたナギが、店の前で独り、心細げにキョロキョロとしているヒロインを見つけた。
「おい、どうした?」
 これだけ賑やかな街中で、ヒロインが単独行動していることは珍しい。
「あっ。ナギさん…」
 ヒロインは、ほっとした顔をして、ナギのところへ駆け寄ってきた。
「シンはどうした?」
「それが、居ないんです…。いつもなら、お店の外で待っていてくれるんですが…さっきも、待ってるからさっさと行って来いって、言ってたのに」
 ヒロインは女性用品の買い物をしていたらしい。
「…そんなに長く買い物してたのか?」
「いえ。買う物も決まっていたので、それほど時間かかっていないと思うんですけど…」
 シンが、この街で故意にヒロインを置き去りにすることは考えにくかった。
 なんとなくナギの第六感が警鐘を鳴らす。
「そこの店か?」
「はい…」
 ナギは店の前に立って、通りを見渡す。
 もしも、自分が待つとしたら、堂々とこんな店の前で立っているのは目立つ…入口が確認できる目立たない…おそらくは、シンも同じようなことを考えたはずだ、と。
 ナギは目星をつけた路地へ向かったが、人影はなかった。
「あの…ナギさん?」
 不安げに、ナギの後ろをついてくるヒロインが、心細そうに路地を覗き込む。
「…なんでもねぇ」
 足下を見て、ナギは一瞬、眉を吊り上げたが、すぐヒロインに向き直った。
 行き交う人ごみを見渡す。
 気を抜けない、とナギの直感が告げている。
「…まず、荷物置きに船へ戻るか。そのうちシンも来るかもしれねーからな。ほら、手ぇ貸せ」
「え?」
 少々強引に、ナギはヒロインの手をつないだ。
「おまえを迷子にしたら、シンが怒るだろ」
「そうですか?」
 歩き始めると、つないで引かれる手を、ヒロインがじぃっと見つめている。
 視線を感じたナギが、振り返って苦笑した。
「なんだよ、シンじゃないと嫌か?」
「いいえ。なんか、ナギさんとこうして手をつなぐのって、初めてかも…と思って…」
「……アホ、意識させんじゃねーよ」
 強引につないだ自分の手が、振り解かれない幸せなんて、味わっている場合ではないというのに。
 それまで遠巻きにあった気配が港に向かうにつれて、近づいてくる。
 港の手前でナギが立ち止まり、つないでいた手を引き寄せた。
「え? ナギさん?」
 相変わらず警戒心というものがないヒロインは、簡単にナギの腕の中へやってくる。
 それはもう、簡単すぎて呆れるほどに無防備に。
 腕の中に入れたヒロインから、優しい香りがして、密かに心をくすぐられつつ、ナギは囁いた。
「お前を狙ってる奴らが居る。いいか? ここからできるだけ走らずに船へ戻って、ドクターか船長に話せ。お前が捕まると、シンも俺も動けなくなる。絶対に捕まるん じゃねーぞ」
「…ナギさんはどうするんですか?」
「ここで、お前を狙っている奴らの足止めをして、どの船に逃げ込んだかわからねぇようにする。無事にお前が船についたのをここから確認したら、シンと合流する。船 に戻ったらできるだけ甲板に出ないで、部屋に隠れていろよ」
 ヒロインが笑って答えた。
「ナギさんは、すごく分かりやすく教えてくれるんですね。わかりました。捕まらないように、がんばって船へ戻ります」
 確かにシンなら『先に船へ戻れ』で終わりかもしれない。そして、ヒロインはシンの言葉なら、それだけでも従うだろう。
 ヒロインが独りで歩き始めると、気配もそれを追っていく。
 一人で船へ向かうヒロインを囮にした、なんてバレたらシンに殺されそうだと自覚しつつ、ナギは気配を一つ一つ始末し、最後の一つを生け捕った。
 実のところ、ナギにも、シンが今、どういう状況に陥っているか、まだ把握できていなかった。


 ヒロインが店から出てくるまで、シンは物陰になる路地で待つつもりだった。
「お前、シンだよなぁ」
 人ごみの中から、とても嫌な声がして、シンは振り返った。
 最悪の笑いを浮かべた役人が5人、立っていた。
 どれも、見覚えのある嫌な顔だった。
「おいおい、無視するなよ。まさか、オレ達を忘れたのかよ」
 こんなところで絡まれて、ヒロインが店から出てきたら厄介だと瞬時に判断し、無視して立ち去ろうとする。
「あれ? 店に入っていった女、待ってなくていいのか? なんなら、私達が代わりに待っててやろうか?」
 思ったよりも前から見られていたらしい。
 シンが役人を睨みつけた。
「あの女、この前、モルドーに連れて来ていたよな。生意気にも、自分の親父に合わせてただろ」
「なになに、婚約者ってやつ? ウルの混血がホントに生意気になったなー」
「ま、もともとコイツは、最初から生意気だったよな。混血のくせに、俺らと同じ寮で生活しやがってさ」
 幼いころから身についた差別意識は、法律で禁止されたからといって、消えるものではない。
「ホントホント、生意気だったよねー。ボクらが何を言ってもいい返さない負け犬だったくせにね」
 単に、何を言われようと、相手にしていなかっただけだ。
「どんなに首席で卒業してもさ、結局、行き着くところが海賊ってのが、混血の卑しさを証明してるよ」
 残念ながら、行き着いたのではなくて、最初から望んだのだ。
 成績が悪いのに、いつもつるんで人の足を好んで引っ張り、問題がおきる度に親に頼っていたような奴らには理解できないだろう。
 現在も、どうみても、そこそこの地位はありそうだが、所詮、辺境の役人になっているような奴ら。
 徒党を組まないと、シンに接することもできないような奴ら。
「……何の用だ」
 ここで逃げることは可能だったが、シンが逃げるとヒロインが危なくなる。
「やあっと、口きいたよ。相変わらず、偉そうな態度だよな」
「とりあえず、一緒に来てもらうかな。おい、武器出せよ」
「…断る」
「うわぁ、生意気。下っ端動かして、あの女も捕えようよ。絶対、僕らの言うこと聞かないよ、コイツ」
「やめろ…」
「へえ…、顔色変わったよ。やっぱり海賊だからさ、ここは縛って連れてくのが良くない? ほら、俺ら役人だし」
「でもここは、昔のよしみで、穏便に同行させた方がいいだろ。なあ? シン」
 昔から何も変わっていない、何も成長していない奴ら。
 金持ち馬鹿息子の集団は、シンを捕えて手柄にするとか、懸賞金を得るとか、そんなこととは無関係の目的があるらしい。
「………」
シンは取り出した銃を、無造作に路地へ放り込んだ。
「これで満足か?」
「おー。素直じゃん。やっと、俺たちに敵わないって、認めたか。なんてったって、俺には、部下が500人は居るからな」
「僕の上官なんか、この間、海賊団を潰したすごい人だぜ」
「オレらの部隊だって、先月、海賊船を沈めたぜ」
 自分以外の手柄を自慢げに言うところが、馬鹿さ加減を露呈していると気付かない奴ら。
 その気になれば、ここにいる馬鹿共を素手で叩きのめすのは可能、と判断しての武器放棄、とは気付かない愚か者。
 シンは、無表情の仮面の下で、激しく憤っていた。
 けれども、人数を自慢していたその部下とやらが、どの程度動いているのか判らない。
 目の前に姿を見せた他にも、彼らに加担している者もいるかもしれない。
「どこへ同行すれば満足する? ローム・スタンフォード、エド・グラハ、イエット・レオト、バトス・フラー、アルバート・エマーソン」
 名前を呼ばれた同窓生たちは、優越感に満ちた顔で、シンを取り囲んで歩きだした。


厚顔無恥な馬鹿息子集団が欲していたものを知ったシンは、彼らを嘲笑った。
「なるほど。それで、お前ら、海賊王のものに手出しする覚悟はできているんだろうな?」
「海賊王?」
 それまで大人しくしていたシンが、不敵に笑って、あからさまに彼らを見下した。
 瞬間、場の空気が変わっていく。
 交渉術というものが全く未熟な5人は、シンに、彼らの船を操舵して魔の海、ブラッデイ・トライアングルを渡るよう要求した。
 報酬は、海賊であるシンとその彼女を、役人である彼らが見逃すという陳腐なもの。おまけに、金貨を1万枚つけるという。
 見くびるにも程がある、とシンは冷笑を浮かべながら大人しくしていた。
 理由を問えば、仲間内の賭け事。要は、遊びだという。
 賭けに確実に勝つために、彼らは自分たちの船を確実に渡航させる技術を持つ航海士を探した。
 それこそ、自分たちの親が持つ情報と財力を使って。
たかが遊びに、愚かな事この上ない。
 そして、どんな荒波の海でも船を沈めない航海士の情報を手に入れた。
 それが昔、自分たちが散々、蔑んで虐めた同窓生だと知り、どうも彼らは喜んだらしい。
 与しやすい、とでも思ったのだろう。
 ただ単に、学生時代のシンは、彼らが些細なことで親に頼ることを知り、母親に類が及ばぬよう、彼らの蔑みと虐めを甘んじて受けていてやっただけだというのに。
 そんなことにも気づかない愚か者。
 他の仲間がいないことをあっさりと告げ、目的を簡単にシンに暴露して優越感に浸る、恐ろしく馬鹿な集団。
 今更、昔の復讐をする気もないが、見逃してやる気もなかった。
「調べたんだろ? 俺は、海賊王の航海士だ。俺に他の船を操舵させるということは、海賊王から航海士を奪うってことだぞ。報復の覚悟はあるんだろうな?」
 同窓生達が取り囲む椅子に座らされていたシンだったが、足を組んで一番偉そうな態度である。
「はん。たかが海賊だろ。そもそも、海賊王がどれだけの力あるっていうんだ」
 同窓生の一人が、馬鹿にしたように言う。自分たちが偉くて強いと思っている愚鈍な役人。
 腕を組んだシンが、クククと喉の奥で笑う。
「とりあえず、あの海賊王なら、1人で海軍の数部隊を沈める程度の力はあるだろうな」
「そんなこと、ありえねえ…」
上官が海賊団を潰したと自慢していた同窓生が否定した。
「海賊にも、お前ら役人並みのランクと秩序があるんだよ。海賊王は、頂点だ。敵に回せば、全世界の海賊が敵に回る」
「嘘吐いてるんじゃねえ。そんな話聞いたことねえぞ」
「当たり前だ。そういう情報持ってるのは、上層部の役人だ。お前ら、親に聞かなかったのか? ん? アルバート、顔色悪いぜ?」
 シンが、唯一反応した同窓生を見る。
「…ボク、そういえば聞いたことあるかも……」
「何ぃ?」
 シンは黙って、彼らを嘲笑う。
 権威をふりかざすものほど、権威に弱く、権威に納得する。
「少なくとも、俺に操舵させるなら、全海賊と戦う覚悟くらいしとけよ?」
「え、偉そうにしてるんじゃねえ。ウルの混血が、嘘ばっかり言いやがって」
 突然、殴りかかってきた同級生の拳を、シンは座ったままスイとかわした。
足を組みかえるついでに、床へ引っかけ倒し、頭を踏みつける。
「イエットは、いつも手が早かったな。相変わらず、成長のない…ククッ」
 仲間で一番喧嘩強いはずの男の醜態に、一同が驚いた。
「ぼ、僕らには、人質がいるんだぞ。僕の下っ端に、あの女を連れてくるように言っておいたからな」
「だろうと思ったよ、エド。お前の下っ端、遅いな?」
 シンはさも面白そうに笑う。
「そいつの下っ端じゃなくて悪かったな」
 部屋の入口に立ったナギが、シンに銃を放った。


 ナギは、路地に落ちているシンの銃を見つけて、ただごとではない事態を悟った。
 ヒロインを囮にして、1人を生け捕り、この場所を聞き出した。
 しかし、来てみれば、どうも様子がおかしい。
 連れ去られた状況だと思われるシンが、部屋の中で一番偉そうにしている。
 銃をシンへ放って、ナギは苦笑した。
「余計だったか?」
「いいや。助かった。あいつは?」
、 「船だ」
「流石だな」
 感心したように呟いて、ようやくシンが椅子から立ち上がる。
「…ナギ、手出し無用だ」
 不敵な笑みを浮かべていたシンの目が、酷く残忍な輝きを宿した。
 ナギは、そのまま入口に陣取る。シンの獲物が、一人も逃げ出せないように。
「な、なんだよっ。おい、シン。昔馴染みだろ?」
「お前らと馴染んだ記憶はない」
 シンはあえて銃を使わずに、全員を蹴りと肘打ちで床に這わせた。
 一番のリーダーを気取っていたローム。
 シンは、床に転がる胸を踏みつけ、銃を構える。
「ま、まってくれよっ。もう、何もしないっ。諦めるからっ。助けてくれっ」
 銃声と悲鳴が上がり、失禁したロームは両腕と両足を撃ち抜かれて痛い痛いと泣きだした。
「ふん」
 シンが、転がっている同窓生たちに視線を向ける。
「や、やめろよ。やめてくれ」
「ぼ、僕はただ言われて…」
 同様に、逃げることもできなくなった同窓生たちの手足を、シンは顔色一つ変えずに次々と撃ち抜く。
 恐怖の悲鳴と激痛の泣き声が、部屋に満ちた。
 血の匂いと硝煙のにおいも、部屋に充満する。
「この次、俺と俺にかかわる人に手出ししたら、命はないと思え」
 転がり、呻く同窓生達に、シンはぞっとするような殺気の籠った声で告げた。
 部屋中に怯えが走る。
 シンは彼らに背を向けて、部屋を出た。
「…生かしておいていいのか?」
 ナギが眉をひそめた。
「仕方ない。あいつら全員を俺が殺すと、流石に今の親父の立場が悪くなる。結果としてウルの民の立場も悪くなる」
 とても不本意で悔しそうにシンが呟く。あれだけ殺気を込めて平然と皆殺しを仄めかしながら、冷静な航海士は己の行動の結果をきちんと配慮していたらしい。
「……結局のところ、お前は、海賊のくせにシガラミと面倒事が多いな」
「ふん…うるせぇよ」
 本来、海賊なんて、すべてのシガラミを捨てて行き着くものなのに。まるで海賊らしくねぇ、と嗤ったナギが、ふと思いだす。
「お前らの騒動に巻き込まれて、食材の買出しがまだ終わってねぇ。シン、手伝え」
「……チッ」
 二人は、食材を抱えて船へ戻った。



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18歳以上の大人です