知輪



フォアマストに寄りかかっていたハヤテが、喚いた。
「あーもうっ。できねーっ。わけわかんね」
 放り投げられ、甲板に落ちた鍵のようなものを、通りかかったヒロインが拾った。
「あ、これって、知恵の輪ですか?」
手の上に乗せて、眺める。
「なつかしいなあ……。おじいちゃんが、九連環というとても古い知恵の輪もってて、手品みたいに外すのよく眺めてたな…。これも、外れるんですか?」
 笑顔で眺めるヒロインの横顔。
ハヤテが、目線を反らして言った。
「それ、やるよ」
「え?」
「どうせ、できねーし。トワと倉庫で拾ったもんだし。ヒロインにやる」
「いいんですか?」
「やるって言ってるだろっ」
 照れて怒ったような言い方をするハヤテに、ヒロインは笑顔で礼を言った。
「ありがとうございます、ハヤテさん」
「それ、すげー難しいから」
 ちょっと顔を反らして、ハヤテは船室の方へ去っていく。
 ヒロインは、もらった知恵の輪をポケットに入れると、シンに頼まれたロープを持って、操舵甲板へ向かった。


 ナギが魚釣りのために甲板へ行くと、樽の上に座ったヒロインが、真剣な表情で何か細かな作業をしていた。
「何してる?」
「…ナギさん。じつは、ハヤテさんから知恵の輪をもらったので、外そうと思って…」
 ヒロインの手には、鍵のような形の金具が三つ、絡み合って握られている。
「ああ、それか……」
 ナギの記憶にもある知恵の輪だった。
が、ハヤテのものだったろうか……自分ではなかったが、誰のものになっていたか思い出さないので、あえて何も言わずにそのままにしておく。
「外れそうか?」
「うーん、もう少しなんですけど…おかしいなぁ…」
 ナギが一生懸命になっているヒロインを優しく見下ろす。
 三つの鍵が絡み合っているような知恵の輪は、確かに、もう外す過程の半分を過ぎている。
 試行錯誤を繰り返すヒロインの指先が、偶然に一つの鍵部をくるりと斜めに滑らせると、何の抵抗もなく三つの鍵が分かれた。
「あ、できた」
 外した本人が驚いて、何かに化かされたように、両手の鍵を見つめる。
「…よかったな」
「は…い…。ナギさん、今、私、どうやってこれ外しましたっけ?」
 よほど外れたのが意外だったらしい。
聞かれたナギが苦笑した。
「ちょっと貸してみろ」
 ヒロインから受け取った鍵を、ナギは無造作に見える手つきで重ね回す。
「もう一回外せば、判るんじゃないのか?」
 ナギは、本来の絡み合った形に戻した知恵の輪をヒロインに手渡した。
「すごい…ナギさん、慣れてますね」
「まあな」
「もしかして、これ、もともとナギさんの知恵の輪でした?」
「いや…」
 ハヤテが船に乗り込んでくる前、この知恵の輪をやったことはあるが、宴でかなり酒が入っていた時のような気がする。
 ナギ自身、手にした知恵の輪の映像はやけに鮮明だったが、その前後の状況…特に最終的に誰の手にこれが渡ったのかは、思い出せなかった。
「わからなくなったら、ナギさんに聞けばいいですね」
「アホ。自分でしくみを理解するのを楽しむパズルだろ? それ」
「あ、そうかぁ。だから、知恵の輪って、やり方覚えちゃうと面白くなくなっちゃうんだ…」
 ヒロインが、再び試行錯誤を始める。
 ナギは、釣り糸を垂らして、そんなヒロインを眺めていた。


 シンは船尾の操舵甲板で舵をとりながら、甲板で知恵の輪に真剣になっているヒロインを眺めていた。
 ノット測定のロープを船首側から持ってくるように命じたヒロインは、なぜかハヤテから知恵の輪をもらって帰ってきた。
言われたロープもきちんと持ってきたので、問題はないのだが。
 ヒロインがシンに見せた知恵の輪は、懐かしい品。
 いつの間にハヤテの手元へいったのだろうと、ふと想いながらも、 「外してみたらどうだ?」 とヒロインを促した。
 そのうちにナギが甲板に現われて、ヒロインと話しだす。
 たかが、それだけのことで、二人の間に割り込むのも狭量すぎるというシンの理性が勝り、黙って様子を見守る。
 相変わらず、ナギはいとも簡単に知恵の輪を操り、ヒロインにもう一度外すようにアドバイスしたらしかった。
 それからずっと、釣り糸を垂らしながら…ナギはヒロインを見ている。
 あんな瞳で見られているのに、相変わらずヒロインは無頓着で、知恵の輪に一生懸命で。
 ただ眺めているだけで、決して手出ししないだろうことは判り過ぎているのに、次第に理性以外のものが勝っていくシンの心情。
 ナギがチラリとシンを見遣り、視線を海に落とした。シンの心情がナギにばれたようだ。
 お互いに、お互いの心情が読めてしまう辺りは、便利であり厄介だ。
 この辺の機知は、船上で一緒に暮らしてきた時間のなせる技なのだろう。
「あっっ!」
ヒロインの声がした。
「シンさんっ、できましたよっ。やり方わかりましたっ」
 ナギには目もくれずに、一目散に自分の処へ来るヒロインを見ると、それだけでシンに翳を作っていた感情が形を潜める。
 本当に嬉しそうに、シンに実演してみせるヒロイン。
「…よかったな。おまえも解けたか。それは、この船の『謎の鍵』らしいぞ」
「え?」
 シンは、キョトンとしたヒロインを面白そうに見下ろした。


 まだ、リュウガ率いるシリウス海賊団が、ソウシとナギとシンしか居なかった頃。
 四人はリュウガを中心にしてまとまってはいたし、一応の信頼関係も築いてはいた。が、どこか気を許しきれない微妙な空気の壁が互いを隔てていた頃。
 シンは、甲板に落ちていた鍵…を一つ拾った。
「船長、どこの鍵ですか?」
「あ?」
 リュウガは、シンの差し出した鍵を見下ろして、訝しげな顔をした。
「しらねぇな。そんな鍵使う部屋は無かったはずだが。ソウシが薬品を固定できる棚だか何か取り付けたと言ってたから、ソウシのじゃねーか?」
 その頃は、船の大きさの割に、人手が少なかったので甲板掃除もいき届かないことが多かった。
 航海士であるシンは、甲板で船の速度を測ったり、船の現在位置を確かめたり、風を読んで帆の操作をしたりと、何かと一番甲板を動き回ることが多く、甲板上の整理整頓も、結局は自分の仕事をやりやすくするために行わざるをえなかった。
 同様に、ナギは厨房と船倉と武器庫の管理を一手に引き受けていたし、ソウシは医務室の他に洗濯や風呂などの清掃衛生管理や船体と帆の修繕全般を担っていた。
「ドクター、甲板に落ちてましたよ」
 シンがわざわざ届けた鍵に、ソウシも首を傾げた。
「え? こんな鍵、初めて見たけど…医務室の鍵じゃないよ。ほら、ナギが新しい調理棚を厨房に取りつけていなかったっけ? 厨房の鍵じゃないの?」
 予想外の空振りに、シンは舌打ちをする。
「俺も忙しいので、後でナギに渡しておいてもらえますか、ドクター」
 シンは、鍵をソウシに渡して、航海室へ海図の確認に戻った。
 しばらくして。
 変な顔をしたリュウガが、航海室にやってくる。
「シン、この鍵、見張り台に落ちていたが……あれから見張り台に行ったか?」
「いえ。鍵はドクターに渡しました…」
 リュウガの手にある鍵を見て、おや、とシンは違和感を覚える。
「それ、別の鍵ですね。俺が甲板で拾ったのと、形が違います」
「やっぱりそうか…シン、お前、これ持ってろ」
「?」
「俺の勘だ。これは、シンに持たせておいたほうがいいような気がする」
「…勘ですか?」
「さっきの鍵は、ソウシだと直感したんだが」
「その直感なら、ハズレでしたよ。ドクターは初めて見たと言ってましたから」
「でも、渡したんだろ。まあ、俺の勘は特別だ。しばらく持っておけ」
「…船長命令なら……」
 シンは、リュウガから何処に使うのかも分からない鍵を受け取った。
 その日の夜は、四人で宴をした。
 四人の宴は、リュウガとソウシがどんどん明るく陽気に振舞うのに反して、シンとナギは静かに黙々と飲んでいく、といういつものパターン。
 ナギの料理は美味だったし、酒も美味いものだったので、シンもそれなりに楽しくはあったが。
「相変わらず、お前ら静かだな。酒の肴にする会話もねぇのか」
「………」
「………」
「よし、ナギ、何か唄え」
「………」
「じゃあ、シン。何か唄え」
「………」
「おい、ソウシ。今日こそ、静かなこの二人、なんとかしろ」
「そんな……随分と飲み過ぎてない? 船長。無理強いはダメだよ。みんなで愉しく飲めればいいじゃない」
「じゃあ、お前ら二人で飲み比べだ、飲み比べっ。負けた方が、シリウス海賊団の歌を唄うっ! 船長命令だっ!」
 リュウガの言葉に、シンとナギが顔を見合わせた。
 二人のグラスに、リュウガが、なみなみと自分の飲んでいた強い酒を注ぎ足す。
「ほら、いけっ」
促されるままに、二人はほぼ同時に杯を呷った。
「よしっ。二杯目だっ!」
シンとナギが苦笑交じりに、リュウガのペースで飲まされる。
 流石に、七杯を過ぎると、すこし昂揚したような身体の異変を自覚する程度の酔いがシンを襲っていた。
 同じように速いペースで飲まされているナギも、ほうっとため息をついてグラスを置くあたり、酔いが回りだしている。
「おお。お前ら、いい目つきになってきたじゃねーか」
 リュウガがそう笑って、八杯目を注いでる最中に、四人から少し離れた甲板で、カタン、と物音がした。
 そう大きな音ではなかったが、一同が音のした方を見る。
 月明かりに輝くものが四人に見えた。
 一番近いナギが、立ち上がって数歩で、拾う。
「…鍵?」
 ナギが、リュウガに聞いた。
「どこの鍵です?」
「あ、それ……シンからナギに渡すように頼まれていた鍵かな? ここにもあるけど」
 ソウシが袂から鍵を取り出した。
「なんだ。やっぱり、三つあったな。おい、シン、さっきの鍵、出してみろ」
 三つの鍵を眺めたリュウガが、笑いだす。
「こりゃ、あれだな。命宿る船に出る『謎の鍵』だな」
 三者が同様に、胡散臭い眼差しをリュウガに向けた。
「船長、何企んでいるんですか?」
「…何ですか『謎の鍵』って」
「私は初耳だけど? リュウガの作り話?」
 ほぼ同時に別々の言葉を言う。
「だからだな。命を吹き込まれた船には、不思議な力の鍵が宿るって伝説があってだな。謎を解くと、浮沈の船になるそうだ。はっはっはっは」
 そんな伝説、聞いた覚えがない。
「…どこの娼婦から聞いてきたんです?」
 シンがものすごくでたらめを言っていそうなリュウガを見て尋ねる。
「へぇ…謎をとく?」
 ソウシがナギとシンの手から鍵を取って、三つを眺めた。しばらくして、ソウシが笑い出す。 
……くすくす。
 笑って三つの鍵を手の中に重ねて回す。
「はい。こういうことかな?」
 三つの鍵が絡み合って一つになっていた。
「おー。すげえな。ソウシ。あっという間に謎を解いちまったのか。これで、この船も安泰だ。はっはっは」
ソウシがナギの手に鍵を乗せる。
「これ、知恵の輪だね。ナギできる?」
 ナギが、じっと掌の鍵を眺める。
 しばらく観察して仕組みを理解したのか、ふっと笑ったナギは、意外と早く外した。
「シンもできるんじゃない?」
 渡された三つの鍵。
 一つ一つは異なる個性的な形をみて、ああ、と納得する。
 三様のパーツの形が、なんとなくが誰が手にしていたものか判るような気がした。
 それぞれにかみ合わせ可能な場所は一箇所しかなく、そこでしか、つながれない。しかも、三つ重ねないとつながれない仕組み。
「馬鹿馬鹿しい余興ですね」
 シンが再び一つにしてリュウガの手に放る。
「おまえら…そろって、俺が仕組んだと思ってるだろ?」
 受け取ったリュウガが鍵を眺めた。
「ほう。『謎の鍵』本来の形に戻ったな…これは、俺が仕組んだものじゃねーぞ。船が仕組んだもんだぞ」
「はいはい。そういうことにしておくね、船長」
 ソウシが笑ってリュウガに酒を注ぐ。
 シンとナギも、つい一緒に笑った。
 酒の勢い。
 くだらない笑い。
 四人でシリウス海賊団の歌を歌ったのは、あの夜だったような気がする。


「お。今度はヒロインにその鍵が回ったか?」
 操舵甲板にやってきたリュウガが、ヒロインのもっているものを見て笑った。
「シン。舵交替だ。お前は少し休め」
 シンから舵を受け取ったリュウガが、ふと真面目な表情になる。
「ヒロイン、その鍵な。ある日突然見当たらなくなるが、気にするな。船の悪戯だ」
「え?」
「最初、俺がこの船に乗ったばかりの時にも、顕れたが…いつのまにか消えた。何年か経って、一度顕れたが、すぐ消えたからな。そのうち消えるだろうが…まあ、この船がちょっかい出してると思って、遊んでやれ」
「………あれは、本当だったんですか…」
 シンが呟く。
「…さあな。でも俺に鍵のことを教えてくれたのは、先代の海賊王だ」
 リュウガがにやりと笑った。


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18歳以上の大人です