薫花



 無人島に降りたヒロインが、ソウシとトワと三人で、薬草探しに出かけて行った。
 ナギとハヤテも食材調達に向かう。
「まあ、そう、不満いっぱいの目で睨むなって。あっちは、トワも一緒だから心配ないだろ」
 今後の目的地と航路を相談する為に、シンだけを引き留めたリュウガが苦笑する。
「……で、目的地をどこにするつもりですか?」
 ため息をついたシンは、現在地の含まれた海図を机上に広げた。
 早々に相談を終わらせて、薬草探索チームに合流する気満々のシン。
「これから言う三か所を一番効率的に経由してクラン港へ向かう航路を、調べてくれ」
 リュウガが言った三つの島の名前を聞いて、シンはかなり面倒そうな表情で、何枚もの海図を取り出した。


 木漏れ日が、風に揺れて足下に道を作っていた。
 ヒロインは木漏れ日を作り出している木を見上げた。
 小さく白い蝶のような花が、房になって咲いている。
 ハリエンジュの花。
 甘い香りに、ふとヒロインが思い出す。
「これって……」
「どうしたの? ヒロインちゃん」
「あ、ソウシ先生、この花、おいしいんですよ」
 ヒロインが少し淋しそうににっこりと笑って、花の房に手を伸ばした。
「ああ、ニセアカシアだね。これは、やせた土地でも育ちやすく、耐久性があるから、船材としても重宝される木だよ。もともと少し毒のある木なんだけど、花をアルコールに付けておいたものは、花酒といって、不安を落ち着かせる薬効もあるよ」
「この花を揚げると、甘くて…。うち、貧乏だったから、お菓子とかなくて…」
ソウシが、ふっと笑う。
「うん。この花も摘んでいこうか。花酒を作っておくのもいいね」
「わかりました。僕、あっちの枝の花、摘みます」
 トワが、早速摘みはじめた。
「ヒロインちゃん?」
黙ったまま、手の中の花をぼうっと見つめているヒロインの頭を、ソウシが撫でる。
「…あ、すみません。ちょっと、家族のこと思い出しちゃってました…」
 ソウシを見上げたヒロインが、にっこり笑った。


 食材探しをしていたナギが、かなり離れた木漏れ日の中で、ソウシに笑いかけるヒロインをみつけた。
 相変わらず無防備に笑顔を振りまくヒロイン。
「ナギ兄、なんかあったの?」
ハヤテがナギと同じ方向を見る。
「トワじゃん。あいつ、なんで木の花なんか摘んでんだ?」
 ハヤテに言われて、ナギも花を摘むトワが目に映る。
 ヒロインとソウシも、花を摘みはじめた。
「……花か…」
 ナギは自分たちの真上を見上げる。
 繁殖力の強い木は、自分たちの上でも花を咲かせていた。
「ハヤテ、…蜂の巣を探せ」
「は、ハチぃ?」
「これは、蜜源としては優秀な花だ。この辺の蜂の巣には、最高の蜂蜜がある」
「わかったっ!」
「……刺されるなよ?」
 ハヤテは蜂を探して辺りをウロウロはじめる。
 ナギは、枝によじ登り、まだ咲きかけの、蜜をたくさん含んだ花房を選んで摘み取った。


 船に戻ってソウシとトワ、ヒロインが摘んだ花を酒と一緒に瓶詰にしていると、皿を持ったナギがやってきた。
「…食うか?」
皿の上には、カリカリに素揚げされた白い花。
「あっ!」
 ヒロインの目が輝いた。
「ナギさん、どうして知っているんですか?」
「?」
ナギが怪訝そうにヒロインを見る。
「これ、お母さんが作ってくれたおやつと一緒です」
「そうなのか? 新作のつもりだったが…」
 ソウシが、くすくすと笑う。
「すごいね、ナギは。知らずにヒロインちゃんの思い出のおやつを作っちゃったんだ?」
「……この前、ヒロインにヤマトでは菊や藤の花を食べるって話きいて、思いついただけだ」
少し、照れたように言って、ほら、と皿をヒロインに手渡す。
「いただきますっ」  
一つ、抓まんで口に入れたヒロインが、幸せそうに笑う。
「ナギさん、味も、お母さんの作ってくれたのと一緒です」
「俺は何も味付けしてねーぞ」
「でも、甘くておいしい。ナギさん、ありがとうございます」  
にこにこにこ…。
 見ているだけで温かくなる。
 嬉しくなる。
 つられてナギも、滅多に見せない明るい笑顔を浮かべた。
「私ももらおうかな」
「あ、僕にもください」
 ソウシとトワも小さな花を口に入れる。
「うん。優しい甘さだね」
にっこり。
「おやつには、ぴったりですね」
にこにこにこ。
 もぐもぐ…。
 もぐもぐもぐ…。
「あ、そうだ。せっかくなので、シンさんにも…」
 ヒロインが皿を置き、残りの数個を持って、立ち上がった。
 相変わらず、ヒロインの大半を占領しているシンの存在に、ナギとソウシの笑顔には苦いものが混じる。
「ちょっと行ってきますね」
シンのところへ向かおうとしたヒロインの瞳に、航海室から出て向かってくるシンの姿が映った。


 ナギは、皿を手に、厨房に戻って溜息をついた。
 航海室から姿を現したシンが、機嫌悪そうだな、とは確かに感じたのだが。
 シンのもとに子犬のように喜んで駆けていったヒロインは、シンの機嫌を逆撫でしたらしく、勧めた手を振り払われて動きを止めた。
 ヒロインが、シンにも食べさせようと、喜んで持っていったおやつは当然、床に落ちた。
 作ったナギとしては、ヒロインがあれだけ喜んでくれれば、シンが床に落とそうが踏みつけようが、この際どうでもいいのだが。
 ただ、あれはヒロインにとって、思い入れのある食べ物だったから。
珍しく…本当に珍しく、ヒロインが目にいっぱい涙をためて、シンに言い返した言葉。
「シンさんのばかぁっ」
 コトの経緯を何も知らないシンは、かなり驚いたようだった。
 走っていったヒロインは、きっと船倉にでも行ったのだろうけど。
「今のは、シンが悪いよねぇ…。トワ、ちょっと待っててね」
 ため息をついたドクターが立ち上がり、薬草の箱を手に船倉へ行ったから。
 驚いた顔で、走り去るヒロインを見送ったシンが、足下に落ちた「おやつ」を拾ったのを目撃したから。
「…母親が作ったのと同じそうだ」
ナギとしては、シンに精一杯の譲歩で情報提供をしてやって、厨房に戻ってきた。
 どうせ、あのヒロインだから、今頃、自分の言ったことにさんざん後悔して、シンに嫌われるだの、シンに怒られるだの、見当違いなことを思っているはずだ。
どう考えても、シンのあの行動は嫉妬して拗ねてるだけなのに。
 きっと、ドクターがうまく取りなして……。
…ねぇな……。
 ふと、ナギの手が止まる。
……ドクターも性格悪いからな……逆にこじれる可能性がある。
「……ったく…」
ナギは船倉へ向かった。


「ヒロインちゃん」 
 涙を拭いていたら、ソウシの優しい声がした。
「………あ、まだ花酒作りの途中でしたよね、ごめんなさい」
 黙って笑ったソウシが、優しくヒロインの頭を撫でてくれる。
「………」
なんだか、涙が止まらなくなりそうで俯いた。
「ねえ、ちょっとシンを懲らしめちゃおうか?」
悪戯っぽくソウシに言われて、ヒロインが顔を上げる。
「ソウシ先生?」
「このまま、ここにいたら、シンはヒロインちゃんを探しに来るかな?」
「いえ…たぶん、すごく怒ってると思うんですけど…私、シンさんにバカって言っちゃったし…」
 ソウシは笑って、ヒロインの髪を優しく撫でる。
「たまには、シンを謝らせたいとか思わない?」
「え?」
「いつも、何も悪くないのに、ヒロインちゃん謝ってばかりいない? シンを甘やかしすぎだね」
「…そうですか?」
 髪を撫でるソウシの優しいぬくもりが、言葉と一緒に沁みてくる。
「ヒロインちゃんが傷ついた時は、ちゃんと、それを伝えていいんだよ?」
「でも…」
 ソウシが、ヒロインの肩に手をのせて、抱きかかえるように背中をとんとん、と優しく叩く。
「ヒロインちゃんだって、怒っていいんだよ? 怒ったヒロインちゃんだって、可愛いよ」
「えと…可愛いとか思ってくれるのはソウシ先生くらいで…余計にシンさんに怒られそうなんですけど…」
 くすくすくす…、とソウシが可笑しそうに言う。ふいに、耳元に顔を寄せて囁くように告げる。
「違うよ。どんなに怒っても君が可愛いままだから、シンが怒るんだよ。本当に、恋は盲目だよね」
「?」
 きょとんとして、一歩離れたソウシを見上げたヒロインは、相変わらず無防備で、何の警戒心もない。
「シンは、ヒロインちゃんが可愛いすぎて、心配で、どうしたらいいか分からなくなっちゃうんだろうね。自分の問題なのに、シンは、全部ヒロインちゃんのせいにして、怒っているんだよ? 怒る前にヒロインちゃんに言うべきことがあるはずなのにね。あんな、わからずやのシンなんか、見限っちゃっても誰も怒らないよ?」
「???」
 ますます言われている意味が判りません、と顔にはっきり書かれたヒロインを見下ろして、ソウシはちょっと妖しい笑みを浮かべた。
「もし、ヒロインちゃんの言葉をシンがきちんと受け止めないようだったら、俺の部屋へおいで」
「……え?…」
普段は自分を私と呼ぶソウシの変化に、違和感を覚えた。
「そしたら、一番効果的な方法と、別の世界と……いろんなことを、教えてあげるね?」
にっこりと笑うソウシは、一瞬前の違和感をまとった顔がウソみたいに普通で。
「うーん…やっぱり、シンは探しに来ないね?」
と苦笑するソウシも、普通で。
「そろそろ戻って、花酒作りの続きやろうか?」
と言うソウシも、普通で。
 だから、ヒロインは頷いて甲板に戻った。


 船倉を出たところで、ソウシとヒロインは、ナギに出くわす。
「あ、そうだ。ナギさん、ごめんなさい」
 ナギを見て、ヒロインが立ち止まってペコリと頭を下げた。
「せっかく作っていただいたのに、少し無駄にしちゃって…」
 シンが床に叩き落としたことを言っていると気づいたナギが、俯いたヒロインの頭をポンポン、と軽く撫でる。
「…気にすんな」
 ナギも、今、複雑な表情のシンとすれ違ったばかりだとは、流石に言う気になれずに。
「行くよ? ヒロインちゃん」
「あ、はいっ」
 先程まで、船倉の扉の前にシンが居たことを、たぶんヒロインは知らない。
 ドクターは…気づいていたかもしれない。
 今夜の食事までに、シンとヒロインが仲直りしていることを祈って、ナギは厨房へ向かった。


 結局、航路の選定が終わっていないからと、シンは食堂に来なかった。
 航海室に食事を運んでいったヒロインは、やけに早く、ションボリして食堂に戻ってくる。
「計算の邪魔だって、言われちゃいました…」
 淋しそうにナギに言ったヒロインは、皿洗いを始めた。
「やっぱり、バカって言っちゃったこと、怒ってるのかな…シンさん…」
 相変わらず、何も判ってないな、と内心思いつつ、ナギは黙って作業をすすめる。
「う~…どうしよう…」
 ナギの手元で、油がカラカラと笑う様に音を立てる。
「え?」
 明らかに、片付けではない作業の音を聞いて、ヒロインが、ナギを見た。
「…なんだ?」
「いえ…ナギさん、それ、は……」
 皿に盛った、小さく白い蝶のような花を、ヒロインに差し出す。
「シンのデザートだ。皿洗いはもういいから、これ持ってけ」
「ありがとうございます」
「…うまく仲直りしてこいよ」
「はいっ」


 そもそものきっかけは、この花。
 これがあれば、たぶん二人は仲直りする、と確信がある。
結局のところ彼女には幸せでいてほしい。笑っていてほしい。
 損な性分だと自覚しながら、ナギは、嬉しそうにシンのもとへ行くヒロインを見送った。



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