裏切
補給に寄った、どこにでもありそうな港町だった。
ヒロインがプライベートな買い物をするというので、シンは店から少し離れた通りで待ち合わせた。
どれほど経ったろうか。
通りで待つのも目立つので、待ち合わせ場所が見える路地に立っていると、なぜかナギがやってきた。
「?」
不意にナギの手が堅く握られてシンの腹部を襲う。
「勘のいい奴だ」
反射的に、掌で受け止めたシンが、ナギを睨みつけた。
「何のつもりだ?」
「………さあな」
シンがはっとした時には、ナギの蹴りが脇腹に入る。
避けきれなかった衝撃に、片膝をついたシン。
「くっ…」
蹴られた痛みに、すぐ立ち上がれない。
「お前が、体力技で俺に敵うわけねぇだろ」
優等生だったシンと山賊に育てられたナギでは、くぐりぬけてきた場数が圧倒的に違う。
見下ろして笑ったナギが、シンの首に巻いている白いスカーフを掴んで、シンが懐から取り出そうとしていた銃を奪い取った。
「何年、お前と一緒にいたと思ってる?」
手の内も、行動パターンも全てお見通しだと言わんばかりのナギを、シンは睨みつけた。
「…ナギ、貴様………」
「ああ『裏切りのナギ』って名、忘れてねぇよな?」
嗤ったナギが一瞬、真面目な表情で、囁いた。
「お前は、ここで死ね」
驚いたようなシンを壁に突き飛ばす。
壁に背を打ちつけて座り込んだシンの頭に、奪った銃口を向けて、引き金を引いた。
パン、と乾いた音が響く。
完全に力が抜け、壁に寄りかかってうつむいているシンの身体に、銃を放り捨てて、ナギは振り返った。
「…これで満足か?」
「さすが、裏切りのナギだな。シリウスの仲間を、こうも易々と裏切るか」
路地の陰から、柄の悪そうな男が5人、現われた。
「さっさとアジトへ案内しろ」
無表情のナギが言う。
「ちょっとこいつの顔確認させろよ。死体でも、懸賞金もらえるはずだろ?」
男の一人が、シンに近づいて顔を覗き込もうとした。
「はぁ? おい、急がねぇと、さっきの銃声で、そいつの仲間が来るぞ。長居して、海賊王が来たら厄介だ。さっさと案内しろ」
機嫌悪そうなナギが、シンに近づこうとした男の襟首を掴んで言った。
「わ、わかったよ」
「ちゃんと、さっき話してた女は居るんだろうな?」
「薬屋で連れだしたヤマトの女だろ? どの女も、一度競りにかけるまでは、手ぇつけずに眠らせてアジトに運んであるって…」
「まさか、伝説の山賊が、女の一人如きで騒ぐなよ……」
「お前みたいな凄腕が仲間になってくれたんだ。俺たちも、ちまちまと人攫いして稼ぐ必要もなくなるってわけだ」
男たちが、ナギを取り囲むようにしてなだめ、路地の奥へ連れて行く。
一行が見えなくなって、シンの腕が動き、銃を拾った。
立ち上がって、埃を払う。
蹴られた脇腹が、鈍く痛んで、顔を顰めた。
「………ヒロイン…」
確かに、戻るのが少し遅いと思っていた。
シンは、ナギ達が去った路地へ迷わず向かった。
ヒロインが人身売買の組織に捕まったとナギが知ったのは、偶然だった。
商店街の裏通りで交わされていた報告を、聞いたのだ。
雑貨屋から北の民族らしい花を捕えて運んだ、薬屋からは珍しいヤマトの花を捕えた、楽器屋では赤毛の花を捕らえた、と男たちは報告していた。
語られていた内容から、どうも商店街全部に、組織の息がかかっていることが窺えた。
その上、この街で薬屋に寄ったヤマトの女……少し前に、ナギはヒロインが独りで薬屋に入るのを見ていた。
最初、男たちを問い詰めて助けに行こうと思ったのだが、以外にもその組織の上層部らしい奴が居て、逆にナギに誘いをかけてきた。
てっとり早く安全にヒロインを助け出すため、ナギは誘いに乗った。
誘いに乗る条件として、シリウスの仲間を殺して来い、と言われ、ナギは迷わずシンを選んだ。
シンを壁に突き飛ばす直前に囁いた『お前は、ここで死ね』という言葉の真意を、シンは瞬時に理解し、さして抵抗もせずあっさり『死んで』くれた。
おかげで、こうして組織のアジトに入ることができている。
それなりに大きな組織のようで、アジトには常に3ダースほどの男たちが居た。
「この女、くれるって約束だな?」
アジトについて一通り話が終わってから、何人か眠っている女たちの中の一人を、ナギが抱きあげた。
「ああ。約束だからな。…何だ? ヤマトの女がお好みか?」
ナギに抱きあげられても、我が身に何が起きているかも知らずに眠っているヒロイン。
無防備に腕の中にいるその姿に思わず髪にそっとキスして、剣呑な視線へナギが笑う。
「……遅かったな」
「今のは、礼代わりに見なかったことにしとく」
ひどく不機嫌そうなシンが現われて、眠ったままのヒロインをナギから奪い取った。
「な…死んだはずじゃ…」
数人の男が、シンを見て驚く中、ナギが鎖鎌を取り出した。
「てめぇ、騙したなっ」
気色ばむ一同に、ナギはつまらなそうに答えた。
「……銃は不得意でな」
シンが、ヒロインを片手で抱え、銃を構える。
「ふん。ひとの銃で、あれだけギリギリを撃っておいて、よくいう」
ナギの口許に笑みが浮かんだ。
「…鎌もちゃんと避けろよ」
「誰に言ってる!」
ナギの鎖鎌が、一閃、二閃とする中で、シンの銃弾がパン、パン、と的確に動き回る鎖鎌の合間を縫って飛び交う。
あっという間に、立っているのは二人だけになった。
返り血一つ浴びていない二人は、ヒロインが相変わらずスヤスヤと眠っているのを見て苦笑する。
「この騒ぎでも、起きないか…」
ため息をついたシンが、ヒロインを抱え直し、脇腹の痛みに顔を歪めた。
「…ヒロインは念のため、ドクターに診せた方がいいな……。…奴らが使った薬は、これだ」
ナギが眠っている被害者たちの枕もとに置かれている薬瓶をシンに渡した。
「そいつ責めんなよ? 薬屋を含めて、商店街一帯がグルだったらしい」
シンが黙って頷いた。
その夜、遅く。
シンはシリウス号の船首で、独り、海を眺めていた。
ヒロインが使われた薬を見たソウシからは、最低でも一日は眠り続けると断言された。
ある意味、ヒロインがまだ眠り続けるのはシンにとってありがたかった。
ヒロインが目覚めるまでに、自分の中に巣くった様々な気持ちを整理する時間がある。
本当は。
自分の知らぬ間に、人身売買組織にあっさり捕まってしまったヒロインを、叱りつけたい。
が。
目を離した自分が、気付かなかった自分が、腹立たしい。
それ以上に。
不意をつかれたとはいえ、ナギに敵わず、あっさり銃まで奪われた自分が許せない。
たまたま、茶番劇だったから良かったものの、もしもナギが本気だったら…とても考えたくない。
脇腹の鈍痛は、自分への戒め…。
それでも、偶然とは言え、ナギがさっさと動いてくれて助かったのは事実。
もし、自分が先に気づいたとしても、ナギほどてっとり早くアジトを突き止めることは無理だった、ナギで良かった、と冷静に判断する自分がどこかにいる。
認めるのは癪に障るが。
「………」
気配がして、シンの隣にナギが立った。
酒瓶を差し出す。
「……」
黙って受け取って一口飲み、ナギに返した。
「…貼っとけ」
ナギが、船首の船端に湿布を置いてから、酒瓶を傾けて一口飲み、またシンに差し出す。
「……」
シンが、黙ったまま再び一口飲んだ。
「あの蹴りは、手加減しなかったからな……悪かった」
ナギが手加減できなかった理由なら、どれも、シンには解っている。
「気にするな。下手に手加減したら、あいつらに怪しまれた筈だからな……」
そんなことより、ヒロインが攫われたことに気づいていないシンに、ナギは手加減を忘れるほど腹を立てた筈なのだ。
自嘲的な笑みを浮かべたシンが、ナギに酒瓶を渡す。
受け取ったナギが、ふっと笑った。
「そういうことにしておくか…」
喉の奥へ強い酒が流れ落ちる。
ナギにも、整理すべき気持ちが沢山ある。
蹴られて自分を睨んだシンの目は、簡単に脳裏から消えない。
茶番とはいえ、仲間を裏切って殺すのは、気分のいいものではなかった。
それでもヒロインが無事で良かったとは思う。
「……俺も、最初、疑ったからな…」
ポツリと呟いて、シンは酒瓶を傾ける。
ナギの真面目な囁きを聞くまで、シンはナギを本気で睨んでいた。ウラギリモノ、と。
「よく、あの言葉で信じたな?」
「確かにな…」
……『お前は、ここで死ね』……
仲間には言いたくない言葉。
仲間には言われたくない言葉。
お互いに苦笑して酒を渡しあう。
シンが確信を持ったのは、言葉ではなくてナギの瞳だった。
ナギが伝わったと感じたのも、自分を見返したシンの瞳だった。
最後の一口を飲んだシンが、空になった瓶を指先で器用にくるくると廻してナギに放った。
「もう一本ないのか?」
「…ねえよ」
空瓶を受け取ったナギが、シンに背を向ける。
ナギが船首から去って数分後、シンは船端に置かれた湿布を持って自室へ戻った。
ヒロインが目を覚ますと、シリウス号の医務室だった。
「あ、おはよう、ヒロインちゃん。気分はどう?」
にっこりと笑うソウシの顔に、一瞬、ヒロインはわけがわからない、という表情で辺りを見渡す。
「あれ? 私、薬屋さんでお茶もらって……」
「お茶もらったの?」
ソウシの表情が曇った。
「はい。棚に、その…買いたかった物が無くて、お店の方に聞いたら、奥の倉庫にあるから持ってきてくれるって……。少し時間がかかるから、お茶でも飲んで待ってい
るようにって言われて…」
「ヒロインちゃん、そのお茶には、眠り薬が入っていたんだよ」
「ええっ、だって、他にもお茶を飲んでるお客さんがいましたよ?」
「うん、それは、ヒロインちゃんに眠り薬を飲ませた人の仲間だったのかもしれないね」
驚くヒロインに、ソウシが簡単にナギとシンから伝え聞いた事の経緯を語る。
ベッドに座って話を聞くヒロインは、薬屋でお茶を飲んだ後の記憶が一切なく、ただ、ただ、驚くばかりだった。
しかも、あれから一日過ぎているという。
「ドクター、ヒロインは?」
しばらくして医務室を訪れたシンが、ソウシの返事より先に目覚めて座っているヒロインを見つけた。
「ああ、シン。今、ヒロインちゃんに、おおよその事情を説明したところ」
「シンさん。…ご迷惑をおかけして、すみませんでした…」
申し訳なさそうに頭を下げたヒロインの横に、シンが当たり前のように座る。
「まさか、また、売り飛ばされそうになるとはな…」
「そういえば、ヒロインちゃん、二度目? 二度あることは、気をつけないとね」
「ああ、前もファジーさんと売られましたね、私……あの時も皆さんに助けていただいて…本当に、ごめんなさい」
思い出して神妙な面持ちになったヒロインの胃が、ぐぅぅぅ…と泣き声をあげる。
真っ赤になったヒロイン。
「うん。丸一日何も食べていないからね。ちょっと、ナギに頼んでくるね」
「……すみません…」
ソウシが医務室から出ていく。
シンがポケットから飴玉を取り出して、ヒロインに渡した。
「それでも舐めて待ってろ」
「ありがとうございます」
ヒロインが笑顔で受け取る。
「…後で、ナギに礼だけは、言っておけ」
「はい」
シンの微妙な言語表現に気づいて無さそうなヒロインは、素直に頷いて手にした飴を口に入れた。
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18歳以上の大人です