発熱



雨の中を二日間航行した翌日、シンは高熱を出して医務室を訪れた。
「いくらなんでも、夜も寝ないで雨の中操舵してれば、体調崩して当たり前だよ…」
 ソウシが、解熱剤を調合しながら言ったが、高熱のシンはベッドの上で無反応だった。
 ヒロインがやってくる。
「ナギさんから氷をわけてもらってきました」
「ああ、ヒロインちゃん、今、手が離せないから、それでシンを冷やしてあげて」
「はい…」
 高熱があるはずなのに、ぼうっとした瞳でソウシやヒロインを眺めているシンは、いつもの白さ以上に青白い。
「シンさん…大丈夫…ですか?」
 ヒロインが冷たいタオルを額に乗せると、シンの瞳が訝しげに揺れる。
「?」
「…ぁさ……」
 ふっとシンが見せた笑顔は、安心したようなとても幼くて素直な…すぐにその瞳は閉じられて。
 規則的な寝息になったシンの傍らで、ヒロインが魅入られたように動きを止めたまま、立ち尽くした。
「……シン、なんだって?」
 ソウシにも、シンのとびきりな笑顔が見えた。が、さすがに発した言葉までは判らなかった。
「あ…いえ…」
ヒロインが言葉を濁す。
 なんとなく『かあさん』と聞こえた気がしたが…言わない方がいいような気がした。
「さて。解熱剤、できたんだけど…眠っちゃったね。どうしようか?」
 ソウシが寝入ったばかりのシンを見下ろして、困ったように言った。
「………」
ヒロインも、さっきの今で、起こすのはどうかと思う。
徹夜を続けたのが、体調を崩した一因のはずなのだから。
「起きるまで待つ?」
「…はい」
 ソウシが笑顔で、ヒロインに椅子を差し出した。
タオルを交換しやすい枕もとにヒロインが座ると、ソウシはもう一つの椅子を持って並んで座る。
「あ、そういえば、難しい海域抜けたのかな?」
ヒロインは、少し声をひそめて言う。
 そもそも、始終操舵が必要な難しい海域ということで、シンは雨の中、休みなく舵輪を握っていたはずだ。
 シンの眠りを無理に妨げないよう、ソウシも囁き声で話す。 
「大丈夫だよ。医務室まで自力で来て、あとは船長に頼んだ、と言ってたからね。危険な海域は脱出するまで無理して頑張ったから、だよ。こんなになったのは…」
「あっ、もしかして、今は船長が?」
「心配ないよ、船長だからね。それより……」
 ソウシがシンを見下ろして、くすくすと笑った。
「よく寝てるね。黙って寝ててくれれば、意外とかわいいんだけどね」
「ソウシさんっ?」  
ヒロインが驚いて見れば、ソウシがにっこりと笑う。
「なんてね。やっぱり、女の子のヒロインちゃんの方が、ずっとかわいいよ」
「いえ、…そういう問題ではなくてですね……。でも、私も、よく見惚れることあります。シンさん、綺麗なんですよね…」  
ヒロインの言葉に、ソウシがくすくすと笑いだす。
「シンが聞いたら、すごく怒りそうだね」
「そうですね…」  
ヒロインが額のタオルを取り換えた。
「…入るぞ。具合どうだ?」
ナギが三人分の食事を持って医務室に入ってきた。
「ナギさんっ」
「なんだ。寝たままか?」
ヒロインとソウシの背後から、ナギがシンを覗き込む。
「ああ。…薬を飲ませようと思うんだけど、なかなかうまくいかないね」
渡された皿をソウシが受け取りながら答えた。
「ほら」  
ナギがヒロインの手の上に、おにぎりを置く。
「おまえも、ちゃんと食っとけ。どうせ、寝ないで看病するつもりだろ?」
「はい…」
 ヒロインが渡されたおにぎりにかじり付き、もぐもぐと食べながら、笑顔になる。
「飲むか?」
 ナギが、急須から緑茶を注いで、ソウシとヒロインに差し出した。
「うん、いいね」  
一口飲んだソウシが満足げに言う。
「っ……ナギさん…これ、熱い……」
 同じく飲もうとカップを持ったヒロインが、即座に手をひっこめた。
「あぁ、ヒロインちゃん、さっきまで氷水触っていたからだよ」
「…あぁ、そっか。…ナギさん、すいません……」
 ナギは、苦笑して、机にシン用に作ってきた食事を置く。
「「「……?」」」
 三人が、ふと、何かを感じてシンを見る。
 不機嫌そうに三人を見上げるシンのどことなく怒りに満ちた瞳。
「あ、シンさん、起きました?」
「………」
シンの腕がつぃ、と伸ばされ、ヒロインの襟元を掴んで引き寄せた。
「シンさん?」
「お前ら……うるさいっ」
かすれた囁きは、ソウシやナギにまで届く。
「あ、すみませ…っ」
 のそり、と頭を持ち上げたシンが、引き寄せたヒロインに口づけて、力尽きたように離れる。
 ヒロインが真っ赤になって、動揺した勢いで、氷水を床にひっくり返した。
「きゃっ、わわわっ。あっ、す、すみませんっっ!」
 ナギが舌打ちして、床を拭く雑巾を取りに医務室を出ていく。
ソウシは、何やら笑いが止まらないらしい。  
かえって騒がしくなってしまった室内に、まだ高熱の続くシンは、大きなため息をついて目を閉じた。


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