十二日月


 曇り空。月は隠れて見えない暗い夜。
 月の出と同時刻に目を覚ました僕の隣に、真樹の父親、斎主である信志が座っていた。
「……信志?」
「ああ、目覚めたらしいな。一杯やらないか?」
 どうやら、今日は信志が供え物を運んで来たようだ。
差し出された盃を受け取ると、膳の向かいに信志が座り直した。そこで、やっと僕は気づく。
「そうか。…今日は信志の母親の……」
「もう顔も覚えていないが、葬儀の日、夜見が空を見せてくれたことだけは、忘れられない」
 信志の盃に神酒を注ぎながら、僕は軽く受け流す。
「……ふん。同じことを何度言う気だ?」
「さあて。思い出す度に言っているからな」
 そういって、一気に盃を傾けた信志の姿に、違和感が残る。
 何か、信志の態度にひっかかるものがあった。それは決して珍しいことではないのだが……。
「……真樹はどうした?」
 本来、供え物を僕に届けるのは、真樹の役目。
「わからん。だから、その相談もかねて来た。昨日、何かなかったか?」
 昨日………。心あたりがある。
「目は開けているが、何事にも反応を示さない……だな?」
 信志が、手を止めて僕を見た。いや、見ようと目を凝らしたと言った方が、正しいのだろう。もう信志の目に僕は映らないのだから。
「そう目を丸くして驚くな。僕に言わせれば、今まで何度もあったことだ。……些細なことだし、ここ百年ほど無かったことだから、伝承に残っていなくても不思議はない」
「些細?」
 そう、理解してしまえば、些細なことに属する。
「昨日は薄月夜で、僕はかなりの影響を受けていた。真樹はそれを間近で見て、心を奪われた、というわけだ」
 あ然とした信志が、無意識に傾けた盃から、神酒が滴った。
「……。心を? つまり……恋? 薄月夜の夜見になら、理解できるが、まさか」
「心配はいらない。僕が意図的にしたもの以外なら、すぐ戻せる。真樹はどこにいる?」
「部屋に」
「わかった。少し待っていろ。それとも……見るか?」
 苦笑を浮かべた信志が、首を横に振って答える。
「戻すのは、鏡を使ってまで見る程のものではないだろう? 正直言って、真樹が羨ましくてな……。姿が見えなくなったときから、夜見は真樹のものになったような気がしてならん」
「皆、似たようなことを言う」
 僅かに自嘲の笑みを込めて答えた僕は、本殿を出て、離れの部屋でボーゼンとしている真樹の前に立った。真樹がうつろな表情で僕を見上げる。
「……まったく。幼なじみのままが良いとか言っておきながら、勝手に恋愛対象にするんじゃない」
 屈み込んで、真樹の目をのぞき込んだ。向かい合った瞳に映る僕の目が、月色に変わる。
「このまま、抱いて目茶苦茶にしてしまうのも面白いが、仕方あるまい…」
 辛うじて人としての心を保ちつつ名前を数回呼ぶと、真樹は一瞬、脅えたように目の焦点を僕に合わせた。意識をはっきりさせていくのを確認して、彼から離れる。
「おい真樹。何を惚けている?」
「……え? あ…。夜見…?」
 僕の神気にあてられて元に戻った真樹は、ボーゼンとしていた間のことを何も覚えていなかった。

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