十五日月


 望月、十五夜、三五月、待宵月、月天心、後の月、可惜夜、天満月、良夜。満月の呼び名は、その季節や天候、地方によって多々あるが、僕は「鏡月」という言い方が好きだ。
 薄雲が月に照らされて、淡い光を放っている。今夜の空は、完全に月の支配下にあった。どことなく不安の残る気分で、境内の桂木に立つ。
 本来、鏡月の支配する世界は、僕にとって居心地が良いものだ。どんな制約も、この一時だけは無効になるのから。その上、しきたりとして、斎主と次期斎主は本殿に籠もったまま出てこない。満月は、特別なのだ。それは今夜も変わらない。しかし、今夜は……。
 月が僕を招いているような錯覚。僕は不安の原因に思い当たった。
「そうか、今夜はあの日と同じ空だ」
 僕が時の流れから離れてしまった日と、空模様も星の並びも風も同じ夜。
(おまえの大切な人が、戻ってくるよ)
 呼び覚まされた遠い記憶が、僕に告げる。
 遠い昔の言葉を守って、ある条件の重なった満月になると戻ってくる人がいる。とても大切な人だったはずなのに、ここ数百年、なぜか僕は会うことを避けている。大切だったはずなのに。
 足元の枝を蹴って、空に躍り出た。
「ドウシテ逃ゲルノ?」
 遠ざかる桂木の葉擦れが、そう訴えているようだ。かまわず、僕は桂木から離れる。いつからだろう、僕が逃げるようになったのは。
「ゆみづき、何処だ?」
 どんなに約束の場所から離れても、あの人の声は届いてしまう。
「なぜ来ない? 聞こえているはずだ」
 あの人を嫌いになった訳ではない。むしろ、会いたいはずなのだ。しかし僕は……。
「ひさかたの 夜渡る君を いつとかも わが待ちをらむ 時は経につつ」
 東の空が眩しくなる頃、あの人は歌を残して帰って行った

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