虹色
「わぁ…」
水平線の向こうに七色の半円が浮かび上がり、ヒロインは歓声ともため息ともつかない声をあげたきり、黙りこんでしまった。
ちょうど前方に、濃い七色の半円。その外側に、薄くもう一本の半円が見える。
海に浮かぶ、二重の虹。
「シンさんシンさんっ、宝石が降っているみたいですねっ」
先程までの雨水が、甲板に滴り落ちるほどに帆やロープに染み込んでいる。
我のロープや帆桁から垂れる残雨が、虹に見入って立ち止まったヒロインには、宝石のように見えたらしい。
海賊たちの船に宿る精霊、シリウス。
それが我の名。
こうして甲板に立っていても、人である海賊たちに我の姿は見えない。
雨に濡れながら操舵していた航海士のシンは、随分と不機嫌そうだったのだが…。
彼女の言葉で一気に表情が柔らかくなった。
濡れた髪先から雫を落としながら、操舵輪を固定する。
『しばらくは虹に向かって進むことにしたのか?』
我の声は、人間には届かない。
昨夜、航海士のシンが海図に描き込んでいた予定航路とは、方角が微妙に違っている。
我の航海士がそのことに気付かないはずがない。
とすれば、意図的な変更だ。
おそらくは、ヒロインに七色の水滴をより多く見せるために。
「ま、先を急ぐわけでもねぇからな」
船先のむこうに架かる光の輪を見て、船長であるリュウガは笑って容認した。
明るくはしゃぐヒロインの声に、ソウシも医務室から甲板へ姿を見せる。
前方の空とヒロインを見た後、にっこり微笑んで、コートまですっかり濡れているシンに言った。
「…ああ、とっても綺麗だね……シン、風邪をひかないようにね」
それまで穏やかにヒロインを眺めていたシンが、一瞬、反論したそうにソウシを見たが、結局沈黙を守る。
『綺麗なのは、虹か? シンか? ヒロインか?』
相変わらず人には届かない我の声。
ソウシは微笑を浮かべたまま、もう一度虹を見上げた。
「……神の約束…か…」
海賊の誰一人として聞くことができなかっただろう、ソウシの小さな呟き。
我の記憶に、以前、トワとソウシの些細な会話が蘇る。
「虹は、約束の証しなんだよ。この世を一度壊した神が、もう全てを滅ぼし尽くすことはしないと、人間の何人かは必ず生き残るように計らうと、約束したんだ…」
「…生き残る……ですか?」
「そう。虹が空に架かる限り、生き残されるんだよ……」
それきり、会話は続かなかったが。
もしもあの会話の相手をしていたのがヒロインだったら、彼女はソウシの言葉に何と応えるのだろう。
『いつか、聞いてみたいものだな…』
二重の虹をナギにも見せたいと、ヒロインは厨房へ駆けている。
明るく賑やかな声が、船体のあちこちに広がって満ちてゆく。
『あの虹に追いつくことができないのが、残念だな』
先ほどよりもいくらか薄くなった虹を、我は見上げて呟いた。
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