紅蓮色
綱が、木が、燃える匂いを風が巻き上げる。
射込まれた炎は、油を吸って消えにくい。我の体のあちこちに、炎を纏った矢が刺さる。
我はシリウス。今、火矢を打ち込む海賊に襲撃を受けている船の精霊。我の姿は人には見えず、声も届かない。
そして、船の傷はそのまま我の傷になる。
「ったく、古典的な手法を……」
リュウガが面倒そうに呟きながら甲板に立つと、一転、声を張り上げた。
「野郎どもっ、火を消すのが最優先だっ」
その言葉に、水の入ったバケツを持ったソウシが応じる。
「実験が役に立ったかな。みんな、この消火剤入りの水をかければ、どんなに油を含んでいても火がきえるはずだよ」
ソウシの指示を受けたヒロインが、トワの用意したバケツに次々と消火剤を投入していく。
ナギがメインマストにつながるシュラウドに向け、ヒロインから受け取ったバケツの水を投げつけるかのように盛大にかけると、綱を伝って帆を炙っていた炎は一気に白い煙に変わった。
『大した効果だな…』
ハヤテが、ソウシが、ナギが、甲板を濡らしていく。我はまるで嵐の風雨に遭ったように全身濡れていく。
「船長っ」
舵を取って、これまでの被害を最小限に抑えていたシンが、新たに避けきれない火矢の群れを見て声を上げた。
「おい、ヒロインソレこっちに思いっきり投げな」
「えっ……はいっ」
消火剤を入れたばかりのバケツを持ったヒロインが、一瞬逡巡したが、うなずいて彼女の精一杯の力でリュウガの方へバケツごと投げた。
海賊たちより遥かに非力な彼女の力。
リュウガはヒロインに向かって甲板を走り、バケツの落下直前に、そのバケツを真上に蹴り上げる。
そのまま、羽織っていたいつものコートを邪魔とばかりにヒロインの空いた腕の中へ投げ込むと、シュラウドとブームを器用に使って蹴り上げたバケツと同じ上空へ駆け上がった。
バケツからこぼれた水を剣に纏わせ、リュウガが火矢の群れを一閃する。
我に刺さろうとしていた火矢の全てが、海へと落ちた。
ハヤテが、ナギが、シンが、リュウガの所業に感嘆を漏らす。
ソウシはロープを引いてリュウガの着地点に帆桁を合わせ、苦笑した。
「まったく、無茶するね…」
ソウシの作った足場に立ったリュウガは、チラリとソウシに視線を送ると、矢を射た海賊たちに視線を向ける。
「シンっ」
リュウガの短い呼び声に、意図を正確に理解したシンが舵を一気にきった。
ソウシが引いていたロープをタイミングよく手放し、リュウガの立つ帆桁が船体と共に回転する。
『そうだな。礼をしてくるといい』
遠心力を使って向こうの船に飛び移ろうとするリュウガの背を我も精一杯押してやる。
「うっわー、ありえねー」
向こうの船に降り立ち剣を閃かせるリュウガの姿を見て、ハヤテが呟いた。
今、我の上にあるのは、信頼と驚嘆とわずかな嫉妬と大きな憧憬と。
「我々が向こうに乗り移れる頃には、終わっていそうだね。ヒロインちゃん、もう少し消火剤入りの水を用意しようか」
油を纏った紅蓮の炎が向こうの船に立ち上がるのを見たソウシが、医務室へ火傷の薬を取りに向かう。
「シンっ、もうちょっと早く近づけねぇの?」
「文句があるなら、自分で跳べ」
リュウガを送るために、我は一度完全に反対方向を向いていた。この短時間にリュウガからさほど距離を離されずに体制を立て直せたのは、シンが舵を取っているからだ。
風は再び、木と油が燃える匂いを運んできた。
『そうやって剣技を揮っている時が一番オマエらしいな…』
我は燃え盛る船上で戦う船長を眺め、そっと呟いた。
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