八十八夜



市場から戻ってきたナギの抱えていた箱を見たトワが、目を丸くした。
「あの、ナギさん、それは?」
「摘みたての茶葉だそうだ。いろいろあって、買うことになった」
傍らでヒロインが身を竦めている。
「…本当に…ごめんなさい、ナギさん……」
「気にするな。これだけあれば、緑茶も紅茶もいろいろと作れる。一度、新鮮な茶葉から自分で作ってみたいと思っていた」
トワに接する時とは明らかに異なる優しい眼差しで、申し訳なさそうにしているヒロインを見下ろしたナギ。
我から降りて港で何があったのか知らないが、どうやらヒロインが原因で、茶葉を買うことになったらしい。
我は、彼らの乗る船の精霊、シリウス。
ナギ達が乗り込んだところで、我は碇をあげて出航した。
甲板では、ナギの指示で、トワが日陰を作り、ヒロインは麻布の上に茶葉を広げている。
厨房では頼まれたソウシが湯を沸かし始める。
日陰干しするものと、蒸気蒸しするものと。
厨房と甲板は、何やら慌ただしくなり、ハヤテも呼ばれて手伝い始める。
「へぇ。こうやって作るんだ。さすがナギ兄」
両手で扇子を持ったハヤテが、蒸した茶葉に風を送る中、ナギは蒸し終えた茶葉を手でかき混ぜたり捏ねたりしている。
『これはこれで、見ていて面白いな…』
我は、傍らでずっと作業を眺め続けた。
「なんだ、今日は、お茶で宴でもするのか?」
一段落したころ、リュウガが干している茶葉を覗き込んで尋ねる。
「あーっ」と何か思い出したようにヒロインが声をあげて立ち上がった。
「? どうした? ヒロイン」
リュウガが、一人立ち上がったヒロインを不思議そうに見る。
我の上にあるすべての視線が、彼女に注目するのを感じた。
「あの…、ごめんなさい。いろいろとあって、港で皆さんに言われたプレゼントの買い物、一つもできませんでした」
「はあー? 何のために、ナギ兄についていったんだよ、ヒロイン」
呆れたようにハヤテが言い、リュウガも苦笑する。
「手ぶらで戻ってきたあたりから、まあ、察してはいたがな…」
『そういえば、今夜はナギの誕生日の宴だと、早朝にリュウガが公言していたな』
朝の出来事を思い出しつつ、我も呟く。
我の声は、人には聞こえないのだが。
ただ一人、舵を握っているシンは、聞こえてきたヒロインの言葉に、あのバカと呟いている。
「ナギさんに内緒で買おうと思ったら、市場でお茶の葉を運んでいた人にぶつかってしまって……結果的に荷車を壊してしまって…」
いったい、どんな連鎖反応がおきたら、荷車が壊れるような事態になるというのか不思議だが、ヒロインなら可能性がある。
『それでこの茶葉か…』
茶の香りが、我にしみついていくような気がする。
不快な香りではない。
「お茶には殺菌作用もあるんだよね。薬用に、少しもらってもいいかな?」
ソウシが、ナギに承諾を得て医務室へ茶葉を持ち込むと、我の体内にも茶の香りが沁み込んでいく。
『人間が茶を飲む、というはこんな感覚なのかもしれないな…』
穏やかなものを感じながら、我は水平線の彼方に消える港町を振り返った。


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