寒露



我は、どこもかしこも、しっとりと濡れている。
島の向こうから差し込んできた朝日に、我の身体を覆っている朝露が一斉にきらきらと輝く。
一瞬、輝く宝石を纏ったような気分になるが、島に上陸している海賊達は誰一人として我から見える範囲に居ない。
彼らが上陸したのは昨日。
無人島だと言っていたが、昨夜は島の奥で過ごしたのだろう。
誰も我のところへ戻ってはこなかった。
我はシリウス。海賊達の船の精霊。
島の湾内に停泊する我の後方から、ゆっくりと近づいてくる精霊の気配。
同じ湾内に入ってきた船を見て、我は苦笑した。
『困ったな…』
『あら、嫌われたかしら?』
我の言葉に笑って答えたのは、同じく海賊船の精霊レーゾン・デートル。
豪奢な飾りを配したその船体は、ここ北の海ではあまりにも有名な海賊船。
『残念ながら、誰も居ないぞ』
『そうなの? シリウスがこの島に停泊していると聞いて、うちの船長、やる気満々なんだけど…』
レーゾン・デートルの言葉通り、甲板に姿を見せた北海の統括海賊セシル船長は、単眼鏡に手をやって我を見つめている。
『ああ、シリウスのとこ、無人だと気づいたみたいよ』
『……それで何もせずに去ってくれると助かるんだがな……』
『それは無理だと思うわ。こんな恰好のチャンス、ないもの』
我は、うんざりした気分で、小舟を寄せて乗り込んでくるセシル船長を眺める。
我の甲板に立ったセシル船長は、腕を組んでぐるっと見渡し、言った。
「まったく…。見張りの一人も残さずに上陸するとは、不用心にも程があるでしょう」
とは言っても、海賊王の船だと知っていて、わざわざ乗り込んでくる海賊や盗賊はいない。
いるとしたら南の統括リカー号のロイ船長と、今、我の甲板に立っているセシル船長くらいのものだろう。
「油断は命取り…と、リュウガに警告してさしあげましょうか」
『できれば、それは本人に直接言って欲しいな…』
精霊の声は、人間には届かない。
『あら、大変』
かわりに我の声を聞いたレーゾン・デートルは、くすくすと面白そうに笑う。
まっすぐリュウガの船長室に入り込み、笑みを浮かべたセシル船長。
我は、彼がリュウガの部屋で何をしようと、制止する力を持っていない。
「警告の対価としていただいていきますよ」
最後に無造作に積まれた金貨の山から、一つかみの金貨を奪い、セシル船長は小舟に乗ってシーゾン・デートルに戻っていく。
『うちの船長、どうだった?』
レーゾン・デートルが面白そうに我に聞いてくる。
『悪戯、だろうな。…確かに、この程度で報復するようなことは無い。相変わらず、頭がいいというか悪知恵があるというか…』
セシル船長があえて残した形跡。きちんと消した形跡。
『あら、もう立ち去るですって。残念っ。シリウスに詳しく聞きたかったのに』
沖へ去っていくレーゾン・デートルが、やがて見えなくなる。
それからかなりの時間が経ち、薄暗い夕方になってようやく船に戻ってきた海賊達。
彼らが次々に倉庫や自室へ荷物を運びこみむ中、甲板に立ったリュウガが、立ち止まって周囲を見る。
「船長?」
ハヤテが不思議そうに、リュウガを見る。
『まあ大丈夫だろうが…気をつけろよ』
「………」
勘の鋭いリュウガのことだ。何か気付いたのかもしれない。
ハヤテに何も答えず、船長室へ向かったリュウガ。
扉を開けた瞬間、その場から飛び退く。
セシル船長が仕掛けた短剣は、リュウガを傷つけることなく、船長室前の欄干に乾いた音をたてて突き刺さった。
「ったく、人の部屋に勝手に入りやがったな…」
目を眇めて短剣を引き抜いたリュウガが部屋の明かりを灯す。
扉を開くと短剣が飛ぶように計算された仕掛け。
その仕掛けに添えられた秀麗な文字のメモとサイン。
「overconfidence is the worst enemy………? …セシルか。やられたな…」
苦笑したリュウガが、物騒な仕掛け以外には手を加えられた形跡のない室内を見渡す。
「ははぁ、警告ってとこだな。……確かに、少し長く船を放置しちまったからな…」
夕日が海へ落ち、暗くなった海。
我は明るく笑う海賊王を乗せて、無人島を離れた。


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