処暑



ただでさえ暑い季節。
火を使い、より暑く蒸されていた厨房の中の作業を終えたナギが、甲板に出てほっと息をついた。
汗だくになった彼の身体には、我の帆を押す海風が心地よいらしい。
我はシリウス。船の精霊。
穏やかな天候だが、大きな波が、時折やってくる。
特大のうねりが横からやってきて、我は大きく揺れた。
「…ひゃあぁぁっ」
甲板で洗濯用の水を運んでいたヒロインが、揺れにバランスを崩して転ぶ。
水を汲んでいたバケツも盛大に転がり、転んだヒロインを濡らしてナギの足もとまで転がった。
「…おい、大丈夫か?」
バケツを拾ったナギが、チラリと舵を持つシンに目を向けてから、ヒロインに声をかける。
こんなとき、さっさとヒロインのところへ駆けつけるシンだが、土用波が押し寄せる今は舵を優先していた。
天気は晴れている。
しかし、離れた南の海では嵐がおきているのだろう。
台風などの大きな嵐が巻き起こした大波は、かなり離れた海まで伝わってくることがある。
土用波と呼ばれる台風の余波。
「びっくりしたぁ…」
髪まで濡れてしまったヒロインが起き上がってナギを見上げた。
「あ、バケツ…すいません…」
一瞬ギクリと動きを止めたナギの姿に、シンの鋭い視線がささる。
「…ここ、片付けといてやるから、さっさと着替えてこい」
「そんなっ。自分で片付けますっ」
「………下着まで透けてる」
視線を横に反らして、言いにくそうに、どこか頬を染めてぼそりと呟くナギ。
濡れた衣服は、ヒロインの胸の膨らみにほんのりと桜色の突起まで浮かび上がらせていた。
「え? きゃあっ、す、すいませんっ」
慌てて胸の部分を隠したヒロインが、真っ赤になって立ち上がる。
『また来るぞ…』
「ちっ…」
次の大きな波に、シンが舌打ちして舵をきった。
シンの舵取りは船上の揺れを軽減する効果があったものの、無防備に立ち上がったばかりのヒロインは再びバランスを崩す。
「うきゃっ…」
ナギと離れる方向によろけたヒロイン。
「アブねっ…」
胸を隠していたヒロインの腕をナギが掴んで支える。
状況は把握していても、心情穏やかでないシンが声を発した。
「ヒロインっ。さっさと部屋へ戻って着替えろ」
「え? あ、はい。すいませんっ…」
そこでなぜ『すいません』が出てくるのか、我には理解しかねるのだが、シンに言われて慌てたように船室へ駆けていくヒロイン。
『さっきより大きい……来る』
舵を持つシンが気を抜いた瞬間に、もうひとつ、先程よりも大きなうねりが我に到達した。
揺れを軽減できずに、それぞれの場所にいる海賊達が壁に手を添え、倉庫の固定されていなかった荷が崩れる。
「ナ、ナギさん。卵の箱が…」
慌てて倉庫の確認に走ったトワの言葉に、ナギがシンを睨んだ。
「…へたくそ」
「……フン」
シンが苦笑する。
晴れ渡った穏やかな天気とは裏腹に、波が荒れている海。
医務室でも、ソウシが使おうとして机上に出した薬品が床に滑り落ちるという被害を受け、船長室では落ちかけた酒瓶を間一髪で守ったリュウガが苦笑している。
遠い嵐の余波の中を我は進み続けた。


Triangle againへ戻る


   白露へ